第三十二話『捨て駒としての評価』
「彼女の《魔導器》に触れてみてどうだった?」
「どう……とは?」
「言葉通りの意味だよ」
トーカは神妙な面持ちで語り出す。
イノリの創った《魔導器》の性能を。
最初は見向きもしなかったとトーカはカズキに話した。
先の長期休暇が終わるのと同時に、イノリを有無を言わさず退学させる予定だったらしい。
いかに課題を終わらせようと、学院側が出した課題は最低限のもの。
出したところで退学は覆られない。
意思のない人間、力のない人間の席を用意するような時間も余裕もないのだ。
「だから、私はあの長期休暇が終われば、実力不足という名目で彼女を実家に送り返すつもりだった」
だが、運命の女神はそれを許さなかった。
「二ア=ノヴェンスという少女は知っているか? ヴァレンタインの親友らしいんだが」
「ええ、知ってますよ」
実は、彼女のおかげでイノリと組むことが出来ました。と口を濁しながら付け加えるカズキにトーカは「そうか」と頷く。
話の内容は二アが手にしたイノリの《魔導器》――平行世界にアクセス出来る《イフクロック》についてのものだった。
あらゆる『もしもの』世界の結末を現実に上塗りする力だが、その代償はその数多の平行世界の時間を共有し、命そのものともよべる時間を渡り歩いた世界の分だけ浪費するというものだ。
当然、公に出来る代物ではない。
「正直に言って、ノヴェンスの持つ《魔導器》は問題外だった。不可能を可能にする能力かもしれんが、その代償が『時間』――リスクが大きすぎるだろ?」
「そう……ですね」
実際に二アの魔術を見せてもらったカズキも同じ意見だった。
たった一杯のコーヒーを飲まなかった世界へと上書きする為に彼女は数多の平行世界で失敗を繰り返したのだ。
そして、その失敗すら、現実に上書きされていく。
コーヒーを残す世界に辿り着くまでに二アが平行世界で体験した出来事は全て二アの体に上書きされていた。
記憶だけじゃなく、疲労すらも二アのか弱い体に蓄積されていた。
しかも上書き対象は《イフクロック》を所持する者、あるいは所有者が触れた物にのみ限られ、カズキのコーヒーが復元されたのも平行世界で二アがそのコーヒーに触れることが出来たからだ。
治癒に使うなら、怪我をする原因を取り除く行為を二アが行うしかなく、その危険性はただ戦場で戦う以上の覚悟と意思が試される。
だからこそイノリは誰にも使用出来ないように幾重ものプロテクトをかけて、ただの懐中時計として使い、偶々それを欲しがった二アに譲ったのだ。
だが、運悪く二アはその枷を破り、《イフクロック》の力を使用した。
その時の衝撃はトーカを震え上がらせ、イノリに後悔という名の絶望を刻み込んでいた。
後にトーカはイノリから《イフクロック》の全てを聞き出し、その能力の全容。そして危険性を知ることが出来た。
その上で、トーカは二アに《イフクロック》の所持を許可せざるを得ない状況に陥ることになったのだ。
なぜなら、二アの力――イノリの《魔導器》の存在を帝国が嗅ぎつけたからだ。
全ては帝国と人類の未来の為に――
その言葉を使って、トーカは二アに対し、《魔導器》の所持を義務付けた。
最低の行為だという事はトーカ自身が一番理解している。非難の声だって、怨嗟だって受け止めるつもりでいた。
その事実を知ったイノリからは涙ながらの平手を受けている。
それが正常だ。命を犠牲にしろなんて命令に素直に頷く方が異常なのだ。
だが、二アは違った。
トーカの決断に対し、何も反論することなく、ただ一言「構いません」と、確かな意思の下、首を縦に振ったのだ。
「……彼女の創る《魔導器》は《帝国式》の次元を超えている。なにせ《零刻式》をほんの僅かでも解析出来た天才だからな。その技術を流用して創った彼女の《魔導器》は恐らく現状を打破出来る代物だろう」
「それが、理由ですか?」
「そうだ。この戦いを終わらせる力――その片鱗を垣間見たからこそ、今、この段階で彼女という存在を『帝国魔導士団』は手放したくなかった。そして、その力を芽生えさせる為に選ばれたのがお前だよ」
「随分と高く評価されているんですね」
皮肉を込めた口調でカズキは肩を竦めた。
イノリにしろ、そしてカズキにしろ帝国は随分と高い評価を付けてくれているようだ。
ただの一学生にしか過ぎないというのに。
一国の判断としては間違っているのではないだろうか?
呆れた視線を向けるカズキにトーカも同調した。
そして、トーカは『うっかり』口を滑らせた。
「そうだ。ただの学生には過ぎた評価だ。だから帝国は結果を求めているんだよ。今はまだなんの評価もされず手を出す事が出来ない彼女とその力を合法的に手に入れる結果を、な」
「……理事長?」
途端に裏事情まで話し始めたトーカにカズキは首をひねるが、トーカは『黙って聞いていろ』とカズキを視線で黙殺する。
「嫌な言い方になるがな……帝国が欲しいのは完成されたヴァレンタインの《魔導器》だ。試作機が欲しいわけじゃない。危険なテストは全てカズキ――お前に押しつける算段なんだよ。それこそがお前を評価する理由なんだ……」
眉間に皺を寄せ、トーカは帝国の判断を非難するように吐き捨てた。
トーカに言わせれば、今回の帝国側の判断はそれ程に目に余るものだったのだ。
子供とはいえどカズキとイノリはトーカが長を務める十番隊の一員だ。
自分の部下が未知の兵器――それも命に関わるような兵器の実験にかり出される。そして、その兵器の制作を止める事が出来ない。
部隊を預かる身として、大切な部下を無駄に危険に晒す判断にトーカは怒りを覚えていた。
ヴァレンタインの《魔導器》の力を見てどうしてその力を欲しがる? 貴様らはこの兵器の危険性がわからないのか?
トーカは帝国からの命令を受けた時、自身の立場も考えず激昂していた。
そんな態度をとれば非難は当然免れない。最悪、十番隊隊長から外される可能性すらあった。
だが、トーカは言わずにはいられなかったのだ。
子供を犠牲にするな! そんな力に頼るな! と今にも斬りかかる勢いで捲し立てていたのだ。
実際にトーカが愛用する《零刻式》の双剣の柄に手が伸びかけていたので心身共にかなり押さえるのがギリギリだったのだと今更ながらに苦笑いを浮かべる。
だというのに、トーカの放つ威圧を受けてもなお帝国の意見は変わることはなかった。
欲して当たり前だ。と――
使える代物になるまで子供で試せばいい。と――
その為の学院、その為の部隊だろう。と――
前線から遙か後方に城を構える十番隊を非難した罵声が続き、たった一人の隊長の意見は多数の声に呑み込まれ、結果として帝国の判断を押しのける事が出来なかったのだ。
帝国がカズキを高く評価しているのはその為だ。
能力的には魔導士として前線で活躍出来る力を有していながら、命ほしさに尻尾を巻いて逃げた臆病者。
だからこそ、利用価値がある。
その実力を持ってして、命を賭してヴァレンタインの《魔導器》を完成させろ――
つまりは使い捨ての駒としてカズキを高く評価しているのだ。
トーカは秘匿するように言われた機密を『うっかり』カズキの前で呟くという憂さ晴らしで帝国に対する不満をぶつける。
全てを聞き終えたカズキの反応は――
「俺も――彼女の力に希望を見ました」
怒りに満ちたものでも悲観したものでない。
清流のように穏やかなものだった。
「……カズキ?」
「二アの力を見て、彼女の創る《魔導器》に希望を見つけたのは帝国だけじゃない。俺もその一人です。だから帝国の意見は間違っていない」
「いや、待て……だが、お前やヴァレンタインに辛いことを――」
「それでも、です。正直な話、帝国の判断には俺も思う所はあります。けど――俺は、もう戦えない。あの悪夢を見る度に震えが止まらないんです。トーカさんならわかるでしょ? 俺はもう魔導士として再起不能だ。けど、そんな俺にも残せるものがあるって知れてよかった。逃げるだけの人生だと思っていたけど、最後にいい置き土産が出来る。だから――
死なない程度に頑張りますよ」
カズキはそう言い残すと理事長室を後にするのだった。
一人残されたトーカはかつての彼と今の彼を並び立て、ほのかに微笑んだ。
それは在りし日の彼を垣間見た喜びから現れた表情に他ならない。
「シノ……ようやくあの馬鹿が少しはまともな目をするようになったよ……」
トーカは祈りを捧げるように黙祷し、かつての親友に言葉を送る。
カズキとどこか似た面影を持ち、誰よりも家族を愛し、強い芯を持った親友のことを。
「だけど、まだまだだ。いっぱしの口を開く程度には立ち直って来たが、アイツの目はまだ――死んでいる」
帝国の判断は確かに腹に来るものがあるが、その判断そのものはそこまで間違ったものじゃないことはトーカも理解していた。
あれほどの規格外の力が実用化されれば確かに戦況は変わる。
この戦いにも終わりが見えてくる。
それを理解してなお、トーカが怒りを露わにした理由はひどく単純なものだった。
親友が命を賭して守った弟をトーカもまた命がけで守っているからに過ぎない。
カズキに対し、友情も愛情も湧きはしない。だが、友の忘れ形見という点で愛着は沸く。
愛着が沸くからこそ、同時に願っているのだ。
シノが愛した本当のカズキ=アスカに舞い戻って来てくれることを。
そして、その願いは――そう遠くない未来で待っていた。
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