第三十一話『暴かれた真実』
「あの後、ヴァレンタインさんを慰めるのに随分と苦労したんですよ」
「そうか、そうか」
カズキの苦言にトーカはクスクスと笑みを浮かべ、ニヤリとカズキを見つめる。
「で? したのか?」
「してませんよ」
即答で否定する。
なにせ、今のカズキの寝床は固く冷たい床だ。
しかも寝袋。自由に寝返りも出来ないので、ろくに熟睡出来ない。
一応、イノリの部屋は二人部屋を想定して作られているのだが、もう片方のベッドは《魔導器》の部品が物置のように積み上げられ、片づける気も起らない。
必死に掃除してなんとか二人が住める部屋にはなりはしたが、それでも色々と犠牲にするものはあった。
その一つが先ほどの寝袋。
《魔導器》の残骸はイノリの研究成果のようなもので、おいそれと捨てるわけにもいかなかった。苦渋の決断としてカズキは誰も使っていなかった(カズキが使う予定だった)ベッドを物置代わりにした。
それでも散乱する部品は箱に纏めてクローゼットの中だ。(それもカズキが使う予定だった)
今、カズキがあの部屋で自由に使える備品は精々机くらいなもので、それもいつイノリの《魔導器》に占領されるかわかったものじゃない。
『戦闘科』時代の時に使っていた寝袋を捨てていなかった自分の判断に思わず涙ぐみながら、カズキはイノリの定めたプライベート空間――通称『境界線』と呼ばれる一線を越えないようにいつも戦々恐々としていたりする。
因みにその境界線は部屋の中心に設けられていて一見、良心的に見えなくもないが、ベッドもクローゼットもイノリの《魔導器》に占領されているので、実質的にカズキの使える空間は全体の3割にも満たない。
しかも、風呂やトイレ、洗面所などは一つしかなく、カズキはわざわざ毎回訓練場に備付けられたシャワールームや寮から離れた学院のトイレを使っているのだ。因みに洗濯物はその時に手洗いで済ませている。
カズキの心を砕いた譲歩のもと、なんとか二人の共同生活は保たれているが、たった一週間でカズキは見違えるように窶れていた。
なにせ、イノリ=ヴァレンタインという少女は容赦がない。
訓練中もそうだが、訓練が終わった後でもそうだ。
幸いなことに料理は得意らしく、「一人作るもの二人作るのも一緒です」と言い張り、カズキにもご飯を用意してくれている。
だが、それ以外が最悪だ。
一度、《魔導器》研究に没頭すれば時間も忘れて作業を進めるし、そのせいでカズキの睡眠時間は大幅に縮小される羽目になった。
その上、研究に没頭した挙げ句、お風呂やトイレに行くのも遅く、カズキが寝袋に入り、眠りかけたタイミングでイノリはお風呂に入ることが多い。
楽しげな鼻歌にシャワーの音。布擦れの音やトイレで用を足す音を聞かされ、下半身が否応なく反応してしまう。
そしてその都度、寝る度にイノリは自分の定めた境界線を越え、「寝てますよね?」と不安げな表情で狸寝入りしたカズキの顔を盗み見てくるのだ。
しかも、風呂上がりの彼女の臭いのせいで余計に眠気が吹き飛び、反応した息子を鎮める手段もないので自然と落ち着くまで悶々とした時間を過ごすしかなかった。
何度、小さな寝息をたてる彼女に手を伸ばしそうになったか覚えていない。
今日まで自分の欲望を押さえつけてきた理性を褒め称えながら、カズキはトーカに一連の報告を終えていた。
「そうか。つまり、まだ《黒銀零式》という武器の発動にさえ成功していないわけだな?」
「ええ、そうですね……」
会話の流れが下世話な内容から《魔導器》に関する話に変わるとトーカの雰囲気が一変する。
先ほどまでカズキの苦労話を面白おかしく聞いていた姿はなりを潜め、この学院を率いる隊長の目つきと風格を漂わせはじめる。
カズキはその圧倒的な威圧感にゴクリと生唾を呑み込みながら、トーカの言に首肯した。
イノリから預けられた《黒銀零式》の実験は予想以上に難航していた。
まず、第一段階の《黒銀零式》の起動実験を成功すらさせていないのだ。
あらゆる《魔導器》はまず魔力を通して《魔導器》に内蔵された『疑似魔術炉』と呼ばれる装置を動かすことから始まる。
そしてその『魔術路』が発現した能力を魔導士は『魔術』と呼んでいるのだ。
正式にイノリの専属テスターになってからカズキも独自でテスターのすべきことを学んでいた。
といっても同じテスターの知り合いはサツキ=アレンくらいなもので、その彼も今は別の技師に身を寄せているから中々連絡が取りづらい。
そこで、担任であるイクスに『テスター』について根掘り葉掘り質問しまくったのだ。
その甲斐あってどうにか『テスター』の役割だけは自覚することが出来た。
テスターの役割は大きく分けてこうだ。
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技師の設計した通りに魔術が起動するか。
想定通りの技を発動出来るか。
最大出力や、耐久力、戦場での連続稼働時間の試験を行い、実用化に持っていく。
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など、諸々のデータを取ることだ。
そのデータを元に改良した試作機をさらに実験して、改良――実験を繰り返していく。
最終的に考え得る弱点や欠陥など、全てを改修し終える事が『テスト魔導士』の役目といえる。
だからこそ、《黒銀零式》――通称《タイプゼロ》の起動すらままならないのでは話にもならなかった。
早々に起動実験を成功させて少しでも実験を進めたいところなのだが……
疲れ果てたカズキの様子を見て、トーカが深く息を吐いた。
「まあ、お前の様子はよく耳にするよ。相当参っているみたいだな」
「ええ。正直、ここまでだとは思ってもみませんでした」
「まったく、あのお前がたかが武器一つも満足に扱えないなんて夢にも思わなかったよ。今も辛いのか?」
カズキは苦笑しながらテーピングだらけの手を見せる。
何度も柄を握って潰れたマメに、すりむけた皮。ついでに肩や腰は《黒銀零式》の重量に負けてひどく痛めているし、ここ数日で何度も肉離れを起し、筋肉の断裂による激しい痛みを味わってきた。
怪我の方は自然回復を促進させる治療用の《魔導器》が訓練場や学院に備え付けられているので一日もあれば完治する。
活性化治療と呼ばれる《魔導器》だ。ジェル状の液体が満たされたベッド型の《魔導器》に体を預け、魔力を体に循環させる事で自己治癒を促進させる。
効果のほどは折り紙付き。大怪我をしても一週間近くで傷跡もなく綺麗に治してしまう。
肉体を活性化させるので、ジェルを抜け出した後は強い倦怠感に襲われるばかりか、肉体の寿命がその分短くなってしまうデメリットがある。だが、それ以上にすぐに戦場に復帰出来るというメリットから魔導士の間では頻繁に利用される《魔導器》の一つだ。
因みに代表的な治癒の《魔導器》はこのジェル状ベッドと後は水属性の《魔導器》を使って傷口の消毒をしたり、血の流れを制御して出血を抑えるなどの応急的なものばかり。二アのような平行世界にアクセスして行う治癒は文字通り規格外と言っていい。
学院の治癒魔導器で肉体的な苦痛は治療出来ているので、今はそれほど辛くはない。
「いえ、大丈夫です」
「そうか。こちらとしても、イノリの《魔導器》はなんとしても完成させたいからな。お前には期待しているよ」
「……ところで理事長」
「うん? なんだ?」
「どうして、そこまでヴァレンタインさんの《魔導器》開発に拘るんですか?」
「ん? 前にも話しただろ? ヴァレンタイン財団の顔に泥を塗らない為に、だよ」
「それは……嘘ですよね?」
カズキは確信に満ちた視線でトーカを見据えた。
冷静になって考えてみれば、おかしいのだ。
帝国がたった一つのぽっと出の財団にいい顔をしたいなんて話、鵜呑みにする方が間違っている。
確かにヴァレンタイン財団の有する《魔導器》のシェアは高い。だが、生産数第一位の『ヤガミ』には遠く及ばず、言ってしまえば他の《魔導器》開発組織とどんぐりの背比べをしているようなもので、『ヴァレンタイン財団』に泥を塗って険悪な関係になったところで帝国側としてはいくらでも替えが効くのだ。
だからこそ、トーカがカズキに言った理由は実のところ、理由にさえなっていない。
ただ適当に取り繕っただけの言い分けだ。
だからこそ、本当の理由を聞いておきたかった。
他ならぬ彼女の相棒として、この学院の思惑を知っておく必要があると判断しのだ。
一瞬にしてカズキの思考を読み取ったのか、トーカはやや呆れた視線をカズキに向ける。
「聞けば、引き返せないぞ?」とその瞳は雄弁に語る。
「覚悟の上だ」とカズキも負けじと見つめ返す。
無言の駆け引きの結果、軍配をあげたのはカズキだった。
「やれやれ、仕方のないガキだ。まったくその強情さはシノによく似ているよ」
「ありがとうございます」
尊敬する姉と似ていると言われて嬉しくないはずがない。カズキは少々砕けた口調になりながらもその賞賛を素直に受け取っていた。
トーカはおもむろに周囲に視線を向け、僅かばかりの魔力を飛ばす。
ソナーのように広範囲に渡って魔力を飛ばし、遮蔽物――人がいない事を即座に見極める。
その間僅か1秒足らず。洗練された魔導士にのみなせる絶技だった。
カズキはトーカの魔力の余波を肌で感じながら警戒心を引き上げる。
隊長であるトーカがここまで警戒するほどの理由が今から語られることに緊張を覚えていた。
無意識に拳を握りしめ、激しく脈打つ心臓を落ち着かせるために深呼吸をする。
「聞く準備は出来たか?」
「ええ。いつでも」
心を落ち着かせる時間をくれたトーカに感謝しつつ、カズキはトーカをジッと見つめる。
そしてトーカから真実が語られるのだった。
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