第二十一話『一つのけじめ』
「……う」
目を覚ましたカズキはズキズキと頭に響く鈍痛に額を押さえながらゆっくりとベッドから起き上がる。
まだ、朝日も昇っていない早朝。小鳥のさえずりすら聞こえない。
カズキは額を拭うついでに目元から流れた涙を拭き取る。
この悪夢を見た日はいつもこうだ。
記憶が悲鳴を上げ、感情が涙を流す。
額についた玉粒状の汗や寝汗でびっしょりと濡れた服に不快感を示す前に――
「おえ……」
カズキは嘔吐いた。
吐き出すものなどある筈もなく、シーツの上には少量の胃液が飛び散った。
それでも鼻孔には吐瀉物の異臭がまとわりつき、それがより一層体調を悪化させる。
もう一度胃液を吐き出す前に、手早くベッドから抜け出すと、二階で眠るルームメイトを起さないようにシーツを制服を手に取り、カズキはこっそりと部屋から出て行った。
到着した脱衣所で、寝汗で濡れた服と胃液で汚れたシーツを手早く洗う。
「まったく、手慣れたもんだな……」
手早く朝の不祥事を処理する自分の姿にカズキは苦笑いを浮かべていた。
馴れた――
半年間も繰り返し、もはや恒例行事となりつつある朝の儀式。
あの日以来、幾度となく悪夢を見、そしてその都度、目が覚める度にカズキは体調を崩していた。
時には気付かずベッドの中で漏らしていることすらあるくらいだ。
今回は寝汗と嘔吐だけで済んだ分幾分マシともいえる。
「けど、いつもより夢の内容がクリアだったんだよな……」
起き抜け様に吐くという醜態を晒してしまったが、夢の内容に比べ、精神に受けたダメージが思いの外少なかったのだ。
普段のカズキなら、今日のような悪夢を見れば、悲鳴を上げ跳ね起きていただろう。
それなのに、今日は頭の鈍痛がきっかけで目を覚ましたのだ。
もし、頭痛がなければ、きっとカズキは朝まで目を覚ます事はなかっただろう……
(どうして、寝ていられたんだ……?)
何時もなら悪夢から逃れるように意識を浮上させるというのに――今日はまるで悪夢から目を背けなかったような……そんな感覚を抱いていた。
カズキはその心境の変化に僅かな戸惑いを覚えつつも、急いで洗濯を済ませるのだった。
◆
「その……済まなかった!」
早朝のHR前。教室ではカズキは一人の生徒の前で頭を下げていた。
彼――グレイはキョトンとした表情でカズキを見て、それから困惑した視線を周囲に向ける。
謝られた理由がわからない。
そんなところだろう。
カズキは頭を下げたまま、ゆっくりと呟いた。
「俺は、君の《魔導器》をその……破壊しただろ?」
昨日の訓練場での決闘。その最中、カズキはグレイから借りた《魔導器》を粉々に破壊してしまった。
意図して破壊したわけではないが、そうなる可能性はカズキ自身、十分に理解していたのだ。
だからあの破壊の責任は全てカズキにある。
「ああ、そのことか……」
グレイは納得したように頷くと冷めた口調で一言呟く。
「とりあえず顔を上げてくれよ。じゃねえと話も出来ねえ」
「あ、ああ……」
ゆっくりと顔を上げたカズキは彼の顔に浮かんだ感情を見て息を詰まらせた。
怒りと悲しみに満ちた表情。
肩は振え、握りしめた拳は今にもカズキの頬を穿ちそうだった。
「正直、俺、お前をスゲー殴りたい」
「ああ……」
「俺、止めろって言ったよな? どうして続けたんだ?」
「それは……負けたくなかったから」
それを口にした瞬間、カズキの体がふわりと浮いた。
次いでガシャンと机におかれたペンなどの勉強道具が散らばって床に転がる音が立て続けに響く。
カズキは殴られた頬を押さえながら体を起すとグレイに向き直った。
「悪い……」
今のカズキにはその言葉しかない。
息を荒げたグレイは涙を流し、激昂した。
「お前、わかってんのか? 俺がアレを作るのにどれだけ苦労したのか? 二年だぞ! 二年! この学院で魔導技師をやるって決めてからずっと手塩にかけて作ってきた自信作なんだ! それをゴメンの一言で……ッ! なんで戦ったんだよ! 俺、データはとれたからもういいって言ったよな? テスターが技師の要求を無視してどうすんだよ!」
「それは……」
「それにな……お前の使い方はあの武器には想定されていなかったんだよ! あの武器は炎を纏って戦うんじゃない! アレは炎の鞭を操って中距離で戦う為の武器なんだよ! お前それすらも俺に聞かなかったよな? 武器の能力も聞かず、勝手に戦って、それで壊して、どう責任とるつもりだよ!」
「俺に、出来ることならなんだってするッ! 俺が許せないならいくらでも殴ってくれて構わない。だから……」
「だからなんだよ? 許せってか? そんなの無理に決まってるだろ?」
誰もグレイの怒りを止めることが出来なかった。
みんな、彼の気持ちが痛いほどわかるのだ。
心血を注いできた《魔導器》が目の前で壊された怒り。
それがわからない生徒はこのクラスに一人もいなかった。
だからこそ、誰も予想もしていなかった。
ヒートアップする彼を止めた予想外の人物を――
「もう、その辺にしたらどうですか?」
それは冷水をかけるように冷えた口調だった。
呆れにも近く、それでいて感情が欠落したような声。
まるで興味の欠片もないその視線。
銀色の髪をなびかせた少女――イノリ=ヴァレンタインは鞄を手にしたまま教室で暴れていた二人を扉のすぐ脇で見つめていたのだ。
透明感のある白い肌に、腰まで伸びた銀色の髪。エメラルドグリーンの瞳は冷めた色をしていた。
学院指定の制服を正しく着こなし、その姿はまさしく『ヴァレンタイン財団』のお嬢様といったところだ。
彼女はクラス全員が沈黙する中を堂々と歩き、カズキの目の前まで歩を進めた。
「そこ、私の席なんですよ。邪魔です。退いて下さい」
「え? あ……ゴメン」
カズキは素早く机から降りると彼女に道を譲る。
イノリは我知らぬ顔でカズキの横を素通りし、席に着く直前に怒り狂っていたグレイを見つめた。
「あなたも何時まで泣いているんですか、みっともない」
「な……ッ!」
クラス全体が彼女の言葉に騒然とする中、イノリは態度を崩すことなく言った。
「さっきから聞いていれば実に下らない話ばかり。二年の歳月? 自信作? それがなんですか、下らない」
「下らないだって……ッ!」
「ええ、そうです。魔導技師の目的は後生大事に《魔導器》を扱うことじゃないんですよ? 私達は《魔導器》を創り上げ、魔族との戦争を終わらせるための兵器を作っているんです。たった一本壊れたくらいでなんですか、魔導技師なら破壊された原因を突き詰め、それを次回に役立てることに頭を使えばいいでしょう? それが出来ないってことはアナタはそこの彼同様、所詮はお遊びだったと言うことですよ」
「「な、なん、だと……」」
唐突に矛先がカズキに向けられ、言葉がかぶる。
イノリは二人を交互に見つめ言った。
「ハッキリ言わないとわからないんですか? どちらもお遊び気分ということですよ。《魔導器》の破損を恐れて出し惜しむ技師に、自分勝手に戦って《魔導器》の性能も技師の要望も何も聞こうとしないテスター。お二人のやっていることは単なるごっこ遊びにすぎないってことですよ」
「……いわせておけば、この『ゴミ溜め』が……」
グレイの怒りの矛先がイノリへと向けられたのをカズキは敏感に感じ取った。
自慢の《魔導器》をバカにされ、いつイノリに掴みかかってもおかしくない状況だ。
カズキは咄嗟にグレイの腕を掴んだ。
「アスカ……!?」
「俺を殴るのは構わない。けど、ヴァレンタインさんに手を上げるのは間違ってるよ。彼女が言った通り、昨日まで俺は『テスト魔導士』がどういった役目を担っているのか知らずにいたんだ。だから俺は安易に君の《魔導器》を傷つけてしまった――
だから、いつか君が自信を持てる《魔導器》を制作して、そのテスターを探す時は俺に声をかけて欲しい。その時、まだ君が俺のことを『テスト魔導士』だと言ってくれるなら俺は喜んで君のテスターになるから、君の二年を次は絶対に無駄にはしないって約束するから。それじゃダメかな?」
「……………くそッ! 分かったよ! 約束だからなッ!」
苛立った表情を崩すことはなかったがどうやらグレイは渋々納得してくれたようだ。
グレイが肩で息をしながら席に座ったのを皮切りにクラスの緊張が解け、元の喧騒に戻っていく。
カズキはグレイとのやりとりが一段落ついた事にホッと胸をなで下ろすと、鞄から教材を出していたイノリに向き直った。
今度はイノリとの関係に変化をつける番だった。意を決して話しかける。
「さっきはありがとう」
「何がです?」
「いや、庇ってくれたよね?」
「罵倒したつもりなんですけど、あなたの頭はお花畑ですか?」
「……ふ」
相変わらず鋭い毒舌にカズキの脆い心が崩れかかる。
だが、今回ばかりはみすみす引き下がるわけにはいかなかった。
カズキは引きつった笑みを浮かべながら会話の糸口を見つけていく。
「いや、そんなことはないよ。ヴァレンタインさんの――」
「気安く呼ばないでくれます?」
「……き、君の言葉に助けられたのは事実だからさ……」
「そうですか。それはよかったですね。さようなら」
打ち切られたッ!?
愕然としながらカズキはすまし顔のイノリを見つめる他なく――
なんとかショックから体勢を立て直し、果敢に話しかけようとしたその矢先、
タイミングの悪いことに担当のイクスが教室に現れ、そのまま朝のHRが始まってしまったのだった――
本格的にメインヒロインが頭角を現してきました。
二十二話目にしてようやくです
毒舌少女のイノリが今後、どうカズキと接していくのか、楽しみにお待ちください!
次回の更新は明日を予定しています!




