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第二十話『絶望の象徴』

今回のお話には多少、残酷な表現が含まれているので注意してご覧下さい。

 突然飛来した黒竜に誰もが言葉を失う。

 無理もない。黒竜がここにいるなど本来あり得ない事なのだから――


 作戦通りなら今頃『帝国魔導士団』が黒竜と対峙している筈だ。

 なのに、なぜ、こんな場所にいる……?


『グルアアアアアアアア!』


 その疑問は黒竜の放つけたたましい咆吼によって瞬時に掻き消される。

 その場にいた『学生魔導士』たちが恐怖に身を竦め、絶望の表情を見せる中、カズキだけが獰猛な笑みを浮かべ、空中からカズキたちを見下す黒竜を容赦なく睨み付けていた。


「チャンスだ……」

「は? お、お前なに言って……」


 カズキの囁きを偶然聞き取った『学生魔導士』の一人が驚愕に言葉を震わせる。

 だが、そんな事知ったことかとカズキは吐き捨てる。


 実際、これはこの上ないチャンスなのだ。

 黒竜は自らカズキの前に現れた。それがどういう意図なのか分からないが、前線に出られず、後方でこんな荷物番を任されたカズキにとって、黒竜の登場は願ってもいないチャンスだったのだ。


 これなら正当防衛を理由に黒竜を倒す事も出来る。

 未だ上空で我が物顔で見下すトカゲを地に引きずりおろし、鱗に覆われた体に刃を突き立てる事が可能なのだ。


 絶対に見逃せない相手を前に、カズキは背中に手を回し――相棒たる《魔導器》の柄を握りしめる。


 カズキのその行動から瞬時に事態を察した他の面々が違いに顔をつきあわせる。

 困惑した表情はカズキの『チャンス』という言葉を理解し、互いに『どうする?』と判断を決めあぐねている様子だった。


 ここにいる誰もが分かっていた。今、ここで黒竜を討ち取る事が出来れば、『帝国魔導士団』でも席官クラスで招待されるだろうということを――

 ハイリスク・ハイリターン。だが、誰もが同じ事を連想した。

 華々しく活躍し、魔族戦う将来の自分自身を。


 だからこそ……


「ふ、ふざけんなよ。お前にだけ美味しい思いをさせられるかっての!」


 カズキの周りにいた『学生魔導士』たちが一斉に《魔導器》を手に取る。

 その眼差しはカズキと同じくやる気に満ち溢れ、意思のない覚悟を決めた瞳を携えていた。

 それを見て取ったカズキは口元をニヤリと吊り上げる。


「勝手にしろ。ただし抜け駆けは許さないぜ。アイツは俺の獲物だ」

「知るかよ。あの化け物は俺が倒す。倒されたからって俺を恨むなよ……」


 臨戦態勢を整えた『学生魔導士』は互いに頷き合い、一斉に魔力を高める。カズキもそれに習うように全力の魔力を放出。相棒の《魔導器》もカズキの意思に応えるように魔術を発動させた。


「アスカ、一番槍は譲ってやるよ。あのトカゲ野郎を地にたたき伏せてこい」


 カズキの側にいた『学生魔導士』の一人がカズキに向かって拳を突き出し、先手を譲る。

 

「ああ、任せろ」


 突き出された拳にゴツンと自分の拳を当て、互いに健闘を祈り合う。

 そして、上空を一瞥し、鋭い視線で黒竜を睨むと背中から《魔導器》を抜き放ち、全身に纏った魔力を推進剤に長距離跳躍を試みようと足元に魔力を収束させていく。


「行くぜ、化け物!」


 カズキが吠え、魔力を炸裂させる瞬間。


 そのタイミングを見計らったかのように、黒竜の顎に魔力が収束し、次の瞬間――


『グオオオオオオオオオオオオッ!』


 咆吼と共に放たれた白銀の魔力の塊――ブレスがカズキの視界を焼き尽くしたのだった――



 ◆



「ぐ……あ……」


 何が起こった……?


 為す術なく地面に叩きつけられたカズキは突然の事態に脳の処理が追いつかず軽いパニックを引き起していた。

 突然光が目を焼いたかと思えば、凄まじい衝撃波が体を襲ったのだ。

 右に、左に、上に、下にとまさに縦横無尽に吹き飛ばされ、平衡感覚を失ったところでようやく体が地面に叩きつけられた。


 あれほどの衝撃――もし全力の魔力を纏っていなかったらと思うとゾッとする。


 その数秒後、なんとか視界を取り戻したカズキが見た光景は――



 地獄と呼ぶには生ぬるい光景だった。



 焦土と化した大地。炎が吹き荒れ、巻き起こした爆炎は快晴だった空を灰色がかった曇天で覆い尽くす。その爆心地の中心に轟ッ! と翼を翻し、黒竜が大地に足をつけた。

 ズシン……と鳴り響く地響きが黒竜の存在感をより一層引き立てる。

 黒竜は焦土と炎に包まれた荒野を一瞥し、続いてブレスによって大地に叩きつけられた『学生魔導士』たちを見た。

 全員が全員、先ほどのブレスで行動不能のダメージを負っていたのだ。程度にもよるがすぐに治療が必要な生徒もいる。まさに壊滅状態という一言がしっくりくる。

 そして、最も怪我の程度が低く、すぐに武器を手に取れたのはカズキただ一人。

 膨大な魔力を本能的に障壁に回したのが幸を為した。もし、ほんの僅かでも防御壁が弱ければ、カズキも周りの生徒同様に地面に這いつくばっていた事だろう。


 その事実を察したカズキは乾いた喉を生唾で潤すと震える手で《魔導器》を力強く握りしめる。

 警鐘を鳴らす本能を黙らせ、額にビッシリと汗を浮かべたまま、カズキはそれでも強がりを見せた。


「やってくれるじゃねえか……」


 不意打ちのブレスがどうした? まだ体は動く。動くなら剣を取れ。そして戦え。

 幾度となく自分自身に言い聞かせ、満身創痍の体を引きずる。


 魔力を体の奥底から捻り出し、《魔導器》の魔術を発動。体勢を整え、攻勢に出ようと屈んだ直後――


「え……?」


 ブオッ! 漆黒の腕が振り抜かれ、カズキの眼前に鋭利な爪が穿たれたのだ。

 巨大なクレーターが一瞬にして生まれ、飛び散った破片と風圧が容赦なくカズキを吹き飛ばす。

 何度も地面をバウンドし、気付けば元いた場所から数メートルも吹き飛ばされていた。

 大地から爪を引き抜いた黒竜が嗤ったような気がする。


 剣呑に細められた爬虫類を連想させる瞳がカズキを射貫き、これ見よがしに巨大なクレーターを生みだした爪を見せびらかす。


 その瞳が――爪が雄弁に語っていた。『次、動けばお前の番だぞ?』と。


 その時――


「あ……」


 カズキの精神が音を立てて崩壊した。

 瞳は虚ろに、虚脱した体はだらりと垂れ下がり、ただそこに立っているだけの案山子にすぎない有様からすでに戦意は失せていた。それどころか今までカズキの中に存在していた強者としての尊厳、矜恃――ありとあらゆる意思がたたき折られ、恐怖という感情だけがカズキの精神を汚染していく。

 まさにそれは死を前にした家畜と同じ――考える事すら放棄した廃人だった。


 黒竜は変わり果てたカズキから視線を離し、周囲に横たわる『学生魔導士』たちに飢えた視線を向けた。


『グルルル……』


 黒竜は喉を猫なで声のように鳴らし、鋭利な爪を吟味するようにゆっくりと動かす。

 そして倒れた『学生魔導士』の中から重度の火傷を負った生徒の背中にグサリ――とその爪を突き立てる。


「ぐぎゃあああああああああああああああああああああああ!」


 生徒の悲鳴が木霊する。

 ブシャリ! と背中から噴水のように血が噴き出し、内臓を貫かれたのか口から大量の血を吐き出した。

 黒竜はゆっくりと腕を上げ、突き刺した生徒を宙に吊り上げる。

 血の雨が降り注ぐ中、それを横たわり眺めていた『学生魔導士』の顔が一瞬にして青ざめ、絶望に色を染め上げた。


「い、やだ……いやだ……いやだ……じにだくない……じにだくない……」


 爪を突き立てられた生徒は血をまき散らしながらも必死に生を懇願する。

 肌は血の気が失せ、土気色になり、瞳はすでに光りがない。ただ本能のままに口だけが生を求めて動くだけ。

 次第に血の雨が弱まり、ぐったりと体を弛緩させた生徒を目にした『学生魔導士』たちは彼がすでに息絶えた事を察していた。

 

 そして、黒竜は十分な血抜きという下処理を行った『人間だった肉』を口元に運び、ガブリ――と一口で咀嚼したのだった。






 悲鳴が悲鳴を呼び、僅かな間とはいえ、意識を飛ばしていたカズキが目を覚ます。

 虚ろな瞳が捕らえたのは必至になって助けを求める仲間たち。

 その数はカズキを含め八人はいた筈だが、すでに残りは三人となっていた。


 他の皆はどこに……?


 答えなど分かりきった問いは周囲に転がる人間だった肉片が答えだ。


 なぜ、自分は生かされているのだろうか? 黒竜の気まぐれか……?


 そうであって欲しいと、このまま見逃して欲しいとカズキは壊れた心でそう願う。

 だが、カズキを含め生き残った『学生魔導士』は知らなかった。


 黒竜が餌食にした人間の順番を――


 黒竜はただ重度の火傷を負った人間を優先的に襲っていただけなのだ。

 要は好き嫌いの一つ。十分に火が通った肉から食べたいという黒竜なりの好き嫌いの現れなのだ。

 そして、生き残った人間が比較的に軽傷な魔導士だけになると、黒竜は再び翼をはためかせ、宙へと飛びたつ。


 誰もがその行動に目を見開く。生き残れた――という感情が体を支配した瞬間――

 再び彼らの表情が絶脳に染まった。


「う、嘘だろ……?」


 それは倒れた誰かの囁き声だ。カズキはただ漠然とその光景を眺め、知らず涙を流すだけ。


 なんてことはない。黒竜が再びブレスを放とうとしてるだけだ。


 極小までに威力を落としたブレスはカズキ達を生きながらにして火の海に突き落とすには十分な効果を持つ。

 カズキ達を再び焼こうと魔力を収束させた黒竜にその場にいた誰もが言葉を失う。


 その瞬間――


「やらせるかああああああああああああああ!」


 一筋の閃光がブレスを放とうとしていた黒竜を貫いたのだ。


 それは魔力を乗せて放たれた一本の短刀。

 それが黒竜の喉に深々と刺さり、ブレスを中断させたのだ。

 短刀を投げた『帝国魔導士団』――その隊長を務めるシノは焦燥に駆られた表情を覗かせながらも必死にカズキの元に向かって走り出していた。


「カズキ、逃げなさい!」


 甲高い悲鳴を上げながらシノが叫ぶ。

 だけど、逃げるといってもどこに?

 思考が半ばから停止していたカズキには逃走という二文字すら浮かばない。

 焦土と化し、業火渦巻く荒野に逃げる場所などあるはずがなく、戦う意思すら湧かない。

 手にした《魔導器》がもはや木の枝に見えるレベルまでカズキは空に佇む黒竜との彼我の実力差を感じていたのだ。

 もはや逃げることも戦う事も許されない。待つのは『死』だけ――


「いやだ……」


 死にたくない。


 ようやくカズキの中に芽生えた恐怖以外の感情。

 死にたくないと願う生存本能そのものだ。

 無様に涙や鼻水を垂れ流し、股間を湿らせ、醜態を晒すカズキが願ったただ一つの願い。

 もう魔導士なんか目指さなくてもいい。今、この場から逃げ出せるのなら全てを捨ててもいい。

 だから、生きたい。


 カズキは吠えた。助けてくれと。命の限り。


「大丈夫ッ絶対に死なせないから!」


 シノは叫ぶ。絶対に助けると。

 シノの唯一の武器である《魔導器》は黒竜の首元に刺さったままだ。遠隔からの操作ができるタイプではないので、あの短刀はもはやなんの力もないただの短刀だ。

 黒竜の攻撃を止める為に仕方なかったとはいえ、《魔導器》を失ってしまったのは心許ない。

 ようやく駆けつけた部下達も必死に魔術を放つが、怒り狂った黒竜は意に返したそぶりも見せない。

 今、シノに出来ることはたった一つ――



 守る。たった一人の弟を――例えこの命に代えようと。



 カズキに狙いを定めていた黒竜は怒り狂った様子で上空から一気に降下し、その顎でカズキを食いちぎろうと大きく口を開けた。


 その光景に我を捨てたシノは全力の魔力を放つ。ただ一点――体を吹き飛ばす推進剤として背中で魔力を爆発させたのだ。


 防御も攻撃も捨て、シノは疾走する。シノの持ちうる全てを使い、カズキの元へと跳び、そして――


 間に合った。


 今まさにカズキを喰らおうと牙を突き立てる黒竜の前に体を差し出す事が出来たのだ。


 よかった――


 シノは安堵の吐息と共にーーその体は黒竜の牙に呑み込まれるのだった。


「……ね、姉ちゃん!」


 悲鳴を必死にかみ殺し、シノは大丈夫と嗚咽をもらすカズキに言い聞かせる。

 口内には血が溢れ、もはや言葉として成り立たなかった言葉だが、シノは何度も震える唇で『大丈夫』と紡いだ。

 もはや感覚のない手で必死に黒竜の首元を撫でる。

 皮膚から飛び出した突起――短刀の柄に指が触れると、シノは最後の命を振り絞り、《魔導器》を発動させる。


『グルアアアアアアアア!』


 黒竜が悲鳴を上げ、口元からシノを放り投げた。

 ボロ雑巾のように吹き飛ばされたシノはドチャリと自らが作った血の池に力なく横たわる。


 黒竜は首元から瘴気のような黒い霧を噴出させながらヨロヨロと後退り、背後から強襲した魔導士たちの魔術に悲鳴を上げると、空高く舞い上がり、そのまま姿をくらませたのだった。



 ◆



「ね、姉ちゃん!」


 黒竜が過ぎ去った荒野に横たわる満身創痍のシノにカズキは体を引きずらせながら駆け寄る。

 その姿を見た瞬間、カズキを含め駆けつけた『帝国魔導士団』の全員が息を呑んだ。

 胸元には大きな風穴が空き、上半身と下半身が千切れかかっている。

 傷口からは体の臓物が飛び出し、もはや手の施しようがないのは誰が見ても明白だった。


「そ、そんな……姉ちゃん」


 その光景を目に焼き付けたカズキがゆっくりと死に体のシノの頭を抱きかかえる。


「か……ズキ……」

「姉ちゃん……死なないでくれよ……お願いだから」


 止めどなく涙を流し、シノの生を必死に望むカズキの頬に血で濡れた手がそっと添えられた。


「よ……かっ……た。ぶ、じで……」

「うん。うん! だから姉ちゃんも!」


 ゆっくりとシノの唇が動く。これが最後だと自覚しているのか、光が消え失せた瞳をカズキに向けながら、それでも最後の力を振り絞り、シノは姉として――魔導士として――残される弟に言葉を贈る。


「いい……? 死を、恐れることは……悪い、ことじゃないわ……大切なのは……ゴフッ……その、ゴフッ! きょう、ふ……を乗り越えて……誰……かの為に……戦える……覚悟だから」

「誰か……頼むよ。姉ちゃんを……助けて」


 カズキは必死になって周囲を見渡す。だが、誰もが沈痛な面持ちでカズキの腕の抱かれたシノを見つめるばかりだった。

 その最後を看取ろうと目を背けることなく、彼女の言葉を頭に叩き込む。

 そして――


「カズキ……強く……なり……なさい――」


 その言葉を最後にシノは息を引き取り、彼女を抱きしめたカズキは気を失うまでその場で泣き崩れるのだった――。


シノとの別れ、カズキの絶望の根源がこの話の中に凝縮されています。

ようやく冒頭のお話とリンクし、あの業火の中にいた人物――助けようとした人物が明らかとなりました。


この経験がカズキにどのような試練を与えるか――今後の展開で明らかとなっていくはずです。


次回の更新は明日を予定しています。回想編が終わり、ようやくメインルートに戻る感じなので楽しみにして頂けると幸いです!

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