第一話『退学通告』
壁際の戸棚には幾つものトロフィーや肖像画が立ち並び、その壁一面には不死鳥がその両足で大きな輪を二つ掴んだようにも見える学院の校章が高々と掲げられていた。
加えてしみ一つない足下には深紅の絨毯が敷かれ、その上に黒を基調とした来賓用のソファーやテーブルが備えられている。
小さな部屋にしては少々豪華すぎる部屋――理事長室でカズキ=アスカはそれらの備品を背に木目調の机を間に挟む形で一人の女性と相対していた。
健康的なつやのある肌。夜を連想させる漆黒の双眸。同じく腰まで届きそうな黒い髪は三つ編みに束ねられている。
外見はまだ二十代そこそこ。見た目こそカズキたち学生とそれほど変わらないが、彼女の醸し出す色香は大人の雰囲気を感じさせる。細長い肢体とは裏腹にその豊満な胸は白い軍服で隠れてなお主張が激しい。
その完璧にすぎるプロポーションはさぞ多くの女性から妬みや憧れの対象となったことだろう。
何度見ても思わず見惚れてしまうその外見にカズキは生唾を飲み込む。
むろん、それは彼女の圧倒的な美しさから来るものもあるが、それ以上に彼女の視線から発せられる有無を言わさぬ威圧感に耐えかねてのものだった。
「さて、ここに呼ばれた理由はわかるかな? カズキ=アスカ君?」
凛とした声音で理事長――トーカ=シェルンがカズキに訪ねる。
正面に立たされたカズキは苦笑を浮かべ、その理由に考えを巡らす。
今日は一ヶ月にも及ぶ長期休暇の最終日だ。
そんな日に呼び出されたとあらば、必然的に話の内容はこの休みの出来事になるだろう。
だが――
カズキはこの休みの間に問題らしい問題を起した記憶が一切ない。
あるはずがないのだ。
この休みの間、寮から一歩も外に出なかったカズキに問題行為など起こり得るはずがない。
「いえ、わかりません」
故にカズキはそう答える以外に返答を持つことが出来なかった。
カズキの答えを聞いたトーカのこめかみにピクリと青筋がたつ。
机の上をトントンと指先で叩きながら苛立ちを押し殺した口調で言い放った。
「本当か? ほんっっっとうに何も思いつかないか?」
「ええ。なにせ僕はこの休みの間、どこに出かけていませんから」
まさか、その一言が地雷となるとは思わなかった。
目尻をキッと吊り上げてトーカはバンッと机を手の平で力強く叩くと視線だけで人を殺せそうな殺気を滾らせる。
「それが大問題なんだ! この大馬鹿者がッ!」
耳の奥まで響く怒鳴り声。
それは事実、この小さな部屋中に木霊し、トロフィーや小さな家具をガタガタと揺らし、天井についた埃がその振動でカズキの肩や頭に降り注ぐほどだ。
どこからどう見ても怒り心頭なトーカにカズキはぎこちない表情を浮かべる。
「えっと、なぜでしょう?」
確かにここフィニティス魔導学院は少しばかり特別な学院だ。
魔族の領地と隣接する大国に創られた学院。
この学院はここ数年に渡り人間の住む領域に進行してくる魔族と戦う為の兵士――『魔導士』を育成する教育機関としての役割がある。
一人でも多くの『魔導士』を輩出し、この永きに渡る魔族との抗争に終止符を打つ。
その為の学院で、カズキたちは言わばその『魔導士』の卵。位置付けで言えば予備隊員みたいなものだ。
目の前で目くじらを立て、カズキを睨むトーカもまた『魔導士』の一人。
この国で最強の魔導士として知られる『帝国魔導士団』で隊長を務める女性だ。
その力はたった一人で魔族の大軍を退けられるほど。
なぜ、そんな女性が学院の理事長なんてものに就任しているかといえば、ここが現在の彼女の部隊であり、学院そのものが隊の宿舎のような位置付けにあるからだ。
この学院にいる全ての人間は彼女の部隊の兵士。
学院の先生や事務員はもちろんのこと、カズキたち学生ですら彼女の部隊の一隊員という扱いになっている。
だからこそその部隊の長であるトーカは理事長という肩書きを背負っているわけだが……
そのトーカは呆れた表情で机の引き出しから一つの資料を取り出すとバサーと机の上に投げ広げた。
その資料に目を通したカズキは引きつった表情を見せる。
資料に載せられた一枚の写真。
少し逆立ったくせのある黒い髪。人当たりの良さそうな印象を与える中性的で柔らかい面影を持つ少年はまさしくカズキ=アスカの本人の写真だ。
特に目立つのは流れる時間の一瞬を切り取った写真だというのに、その瞳の奥に宿った燃えさかる闘志までもがはっきりと映し出されていることだろう。
今のカズキにはない眼差しを持つ写真から目を逸らし、他の資料に目を通す。
それは前期セメスターでのカズキの成績を示したグラフだった。
カズキたち『戦闘科』に属する生徒はセメスターごとに学院から通達される依頼――通称『クエスト』を完遂する必要がある。
それは最前線をくぐり抜けてきた魔族の討伐依頼というものだ。
魔族と隣接するこの国では魔族との衝突が頻繁に起こる。
その際、大群で押し寄せてくる魔族のその全てを前線で食い止めることは不可能に近く、見逃さず終えなかった低級魔族の討伐依頼が国を通して学院に通達されるのだ。
難易度に応じてEからS以上まである討伐依頼を一定数達成することがカズキたち学生の中で――とりわけ戦闘面にだけ特化した『戦闘科』の進級条件となっていた。
Eランク、Dランクなら数十回程度。Cランクなら数回。Bランクなら一回程度で進級条件をクリア出来る。
Aランク以上に至っては死の危険性が極端に高くなるため、まずその依頼を受ける生徒はいない。
仮にその依頼を受け、もし生還出来たならば、その実力はもはや学生というレベルに収まりきらない。一度達成しただけですぐに正式な『魔導士』と認可される次元のレベルだ。
この学院が創立されて以来Aランクを踏破した学生は数えるほどしかいない。
その上のSランク以上ともなればカズキの知る限り一人だけのはずだ。
そして、カズキの成績グラフはこの前期セメスターの中で一度も伸びていない。
つまりは依頼達成が0件ということを示していた。
一通り資料に目を通したカズキに「さて」とトーカは話を仕切り直す。
「これで私が何を言いたいのか理解してくれたかな?」
「あはは……まぁ、はい」
カズキは愛想笑いを浮かべながら渋々頷く。
これは申し開きようもない。
素直に断頭台に立たされた気分でカズキはトーカの言葉を聞き入れる。
「私、確かに言ったはずだよな? この休みの間に一度でも、たった一度でも依頼を達成すればこの件には目を瞑ると」
「……はい」
「だが、この結果はなんだ? お前はこの休みの間、依頼を受けるばかりか一度も学院の外に出ていないじゃないか」
怒りを通り越してあきれ果てたトーカは眉間を押さえる。
「申し開きがあるなら言ってみろ」
「……いやぁ、寮の中に食堂があるっていうのは便利ですね。おかげで学院の外にまで買い物にいかずに済みました」
「誰が、そんな、話を、聞きたいと言った?」
「で、ですよね……」
悪鬼を連想させるあまりの形相にカズキは引きつった表情を浮かべる。
だが、言い分けを言えと言われても簡単に言えるはずがない。
そもそもトーカほどの人物ならカズキが依頼を受けなかった理由なんてとっくに察しているだろうに。
「まあ、いい」とカズキの戯れ言を切り捨てるとトーカは椅子にもたれかかる。
「私が定めた条件を達成出来なかったんだ。カズキ=アスカ、お前は今日限りで除隊――つまりは退学ということになるわけだが――」
その言葉を聞いたカズキは足下がすくわれるような寒気を覚える。
それは後悔とも言い換えることの出来る感覚。
だが、カズキはトーカからこの言葉を言い渡されるのを半年以上待ち続けた。
今更『魔導士』を諦めることに後悔などあるはずがない。
「ええ、構いません。荷物はとうにまとめていますから」
「やけに準備がいいな。そんなに嫌か? 『魔導士』になるのは?」
「…………貴女はその理由を一番よくご存じなのでは?」
まだまだ主人公の実力は発揮されません。
次回更新予定は明日を予定しています!