第十四話『二ア』
変な遠慮なんかしないで欲しいと二アが言うので、先ほどからずっと気になっていたこと聞くことに決めた。
「ところでさ――」
それは彼女の手にした《魔導器》の能力。
「それって具体的にはどんな力なんだ?」
「え? うーん……口で説明するのはちょっと難しいかな?」
二アは眉をハの字にして困った表情を浮かべながら周囲を見渡す。
彼女の目にとまったのはカズキが飲み干した空き瓶の数々だ。
この学院ではもはやお馴染みのポーションが入っていた瓶だ。
因みに空き瓶は学院の至る所に設置された回収箱に入れるように義務づけされている。
なぜなら、この瓶は保存、保温性に優れ、様々な飲料の保存に再利用されるからだ。例えば、空になった瓶を新たなポーションで補充したり、スープや紅茶などを瓶に入れ、食堂や購買で販売したりしている。
学院で販売される瓶飲料の価格は高い物で五〇〇セル。安い物で一〇〇から二〇〇の間だ。
学生が月の生活費で消費するのが三万から五万だとすればそれなりに手の出しやすい値段だといえる。
最も依頼報酬として報酬金が受け取れる時点で上位の『学生魔導士』は優雅な暮らしを送っているものだが……
因みにカズキの前で積み重なったこのポーションはそう易々と手に入る代物ではない。
実のところ、口にするのはこれが初めてだったりする。
なぜなら、魔力を回復させる効果があるポーションは常に上位『学生魔導士』に買い占められているからだ。
高価なポーションも安いポーションもいつも品切れ状態。売りに出せば一本数千セルで売れるほど。
それに目をつけた学生が学院側が仕入れた瞬間に買い占め、倍の値段で売る質の悪い商売をしていることも品切れ要因の一つと言える。
つまりは滅多に手に入らない代物であるはずの『ポーション』をなぜか大量に大人買い出来てしまったわけだ。
その謎は深まるばかりだが、普段お目にかかれない代物であるということ、決闘の憂さ晴らし(やけ飲み)ということもあって、気付けば大量に買った『ポーション』はほとんど空になっていた。
二アはその内の一本を手に取るとカズキに向き直る。
「ねえ、アスカ君。このコーヒーを飲んだのはいつ頃?」
「は? コーヒー?」
二アが手にした空き瓶を見つめるカズキの表情が停止する。
その表情は「まさか……ありえない」と切実に物語っていた。
(いやいや、違うって……これはポーションだよ……)
確かに色は黒く苦みもあった。言われてみればあの朝に飲むコーヒーに近い味があったのかもしれない。けど、これは紛うことなくポーションなのだ。コーヒーと間違えて買ったなんてあり得ない。そもそも、一瓶三〇〇セルもする飲み物がコーヒーであってたまるか!
カズキは無理矢理コーヒーをポーションだと決めつけ、実感してもいないくせに『あ! 魔力が回復したかな?』っと必死に思い込むことで、無駄金を使ってしまった喪失感をなんとか心の隅へと追いやる。
そして、若干涙目になりながらも、このコーヒーなるものを買い込んだ時間を思い出した。
「……大体三〇分くらい前かな?」
「ん、了解」
二アは頷くと懐中時計の針にそっと触れる。
そして針を動かし時刻を今からキッチリ三〇分前へと移動させた。
そして空き瓶に手を触れると、
「《リコール・オン》」
《魔導器》を起動し、薄らとした青い光が瓶を包み込む。
その光をのぞき込み、カズキは思わず息を呑んだ。
空っぽだった瓶の中に少しずつだが、黒い液体がどこからともなく現れはじめたのだ。
まさか――という予感が脳裏を掠め、カズキは二アの手に握られた懐中時計を見た。
「――ッ!」
彼女の手元の《魔導器》を見た瞬間、その予感が確信へと変わる。
三十分前まで巻き戻された針が二アの魔力によってゆっくりと動き始めていたのだ。
針が進むたびに容器の中が満たされ、針が元の位置に戻るときにはもう新品同然の蓋のされた『ポーション(コーヒー)』が目の前にあった。
カズキは新品同然の『ポーション』を手に取り、マジマジと見つめる。
「すげえ……」
無意識で呟いた言葉は本心そのもの。
手にした『ポーション』は熱すらも再現し、買った瞬間の状態を維持していた。
こんなの『治癒』なんてレベルじゃない。時間そのものが巻き戻ったかのようだ。
この現象に『治癒』以外の名を名付けるなら――
「……時間回帰、か?」
「そんな大層なものじゃないよ」
二アは若干困ったような苦笑を浮かべ、カズキの予測を否定すると魔術の種明かしを始めた。
「これは今、三十分前にアスカ君がコーヒーを一本飲まなかった時間を用意したってことになるの。この子の概念が現実世界をそう上塗りしたんだよ」
「……?」
つまり、どういうことだ?
カズキが目を点にして硬直していると二アは「うーん」と首をひねりながらさらに説明を加える。
「アスカ君は多重世界論って話し聞いたことがある?」
「ええ……と」
聞いたことがあるような……?
確か戦闘科で似たような話を聞いたことがある。
この世界には枝木のように幾重もの同列世界が存在している。
同じ世界、同じ時間を過ごしながらも決して交わることがない複数の世界たち。
それは可能性の世界。ありえたかもしれないイフの世界を意味する。
カズキたちのいるこの世界はそんな無数の『もしも』の可能性が内包された世界の中の一つに存在とする考え。
それは――
「パラレルワールド、か?」
そう表現したはず。
二アは数秒と待たず頷いた。
「うん。この世界は無数の可能性が枝葉のように別れ、それぞれの道をたどっているらしいの。パラレルワールドっていうのはその総称みたいなものなんだって」
「みたいなもの?」
「うん。私もこの子を創った親友から聞いただけなんだけどね。『もしも』の可能性にアクセスしてその世界を現実に上書きすることが出来れば、その力は英雄になり得るんじゃないか? って」
「それは……」
無限の可能性『IF』を選ぶ能力――
もしそんな力が実在するならばその力は――
「英雄というよりは神じゃないのか?」
「うん。私もそう思うよ。彼女も実はそう思ったんじゃないかな? 『もしもの世界』の結末を得ることは神にも等しい行為だって。そんなのは人間の手に余る力だって――」
「ああ、そうだ。けど――」
「うん。彼女はこの子を創り上げた。多重世界に接続する魔術を――」
《イフクロック》――それがこの懐中時計の真の名前か……
けど、パラレルワールドに接続し、その可能性を引き寄せる魔術なんて聞いたことがない。
最強と謳われる概念魔術の中でもとりわけ異彩を放つ魔術だと断言出来る。
どう考えても、
「凄すぎる。なんでこの魔術が公にされていないんだ?」
「それは……」
二アは言いよどみ、言葉を濁しながら呟いた。
「この子が欠陥品だから、だって……」
「欠陥品? そんな要素一つもないだろ? むしろ完璧すぎる」
『もしも』の可能性を実現出来る魔術だ。それが実用化されたら『治癒』だけじゃない。戦闘面においても大きなアドバンテージになり得る。
戦闘科に所属する魔導士なら誰もが一度は『ああ、この瞬間に攻撃出来ていれば……』と思う瞬間がある。
この《魔導器》があればその一瞬で解決することが出来るのだ。欠陥品のわけがない。
「違うよ。この子はそこまで便利じゃないと思う」
「……なんでだ?」
「実を言うとね、アスカ君がコーヒーを一つ残す結末に辿り着くまでに私は何百回も失敗を繰り返しているんだよ」
「……へ?」
「結局、アスカ君がその瓶を残す過去を用意する為に私は放課後の校舎を全速力で走って、アスカ君の姿が見えた瞬間、大声で叫び声を上げるっていう方法を選ぶしかなかった」
「いや、俺そんなことされた記憶はないんだけど?」
「うん。この世界のアスカ君はそうだね。けど別の世界のアスカ君は私の声に驚いて駆け寄ってくれたんだよ。だからその一本だけが残っているの。この子の能力の欠点はね――それなんだ。私は呼び寄せた多重世の結果を現実に上書きすることが出来る。けどその代わり、その結果を得るための過程を全て経験する必要があるんだよ」
「ちょっと待って。つまり二アは実際に全速力で走って大声を上げてこの『ポーション』を復元させたのか?」
「えへへ、ちょっと違うかな? 失敗した平行世界の経験も私は体験しているんだ」
「――な……ッ、ちょ、ちょっと待ってくれ! それってつまり――」
カズキはその言葉を聞いた途端、息を詰まらせた。
なぜなら、二アの言うことが本当であるならば、彼女は何百という平行世界を体験してきたのだ。
この数分の間に彼女はその平行世界で膨大な量の時間を浪費し、求めた結末へと辿り着いてみせた。
だが、たった一本の『ポーション』を回復させる為に彼女の労した労力は同じ物をもう一本買うより高くついたはず。
いや、無数の平行世界を渡り歩いたと二アは言っていた。カズキの予想が正しければ……そんな生易しい言葉では片付けられないはずだ。
「それ、大丈夫なのか?」
「う〜ん、どうだろ? 疲労感は凄いよ。もう座ってるのがやっとなくらい……」
「それだけじゃないよな? 時間……寿命も減っているだろ?」
「え?」
直後、二アはキョトンとした表情を浮かべ、硬直した。
何か言い返そうと必死になって言葉を探すその視線が如実に物語る。
ズキの言ったことが正しかったということを――
二アは冷や汗を浮かべ、しきりに視線を彷徨わせる。だが、最後には覚悟を決めたのか、震えた表情を隠しながら真剣な瞳をカズキに向けて一言、
「うん。そう、だよ……」
そう呟いたのだった。
「……」
(やっぱりそうか……)
カズキはその言葉を噛みしめ、苦い表情を浮かべる。
確かに二アの持つ《魔導器》は規格外の能力と言っていいだろう。
だが、その能力に伴う代償が平行世界の経験を受け継ぐこと。
それは本来一つの世界で完結するはずの人生を幾つも共有することに等しい。
たとえそれが僅かな時間であれ、積み重なった経験は彼女の許容量を軽く超えるだろう。
そして、その許容量が限界を迎えた時、彼女の精神は恐らく砕け散ってしまう。
人間の限界を超えた力を使っているのだ。それくらいの危険性は当然あるだろう。
だからこそ、この《魔導器》は欠陥器なんだ――
使用者の命を奪う魔術。それを欠陥と言わずになんとする。
存在するだけで『危険指定』を受け、製造が中止になりかねない《魔導器》だ。
だからこそ、この《魔導器》は公にされることなく二アだけが所有してるのだろう。
「その、悪い……興味本位で君の命を……」
「え? いいよ。私は全然気にしてないよ。それにこの子の力は確かに危険だけど、それでも私には必要な力だから」
「治癒の為にか?」
「うん。魔族との戦いが怖いからせめて治癒だけでも上手になりたいんだ。戦えないならせめて大切な人たちだけは助けたい。この子を上手に使えるようになればきっと私の願いも叶う。だから危険でもこの子の力に頼っちゃうんだ……」
「……そうか」
言葉を濁し、眉間に皺を寄せる。危険だと言いたい気持ちは確かにある。だが二アの決意を否定することが出来ず、渋々頷くことしか出来なかった。
わかってしまったのだ。
二アはとっくに覚悟を決めていることを。
あの《魔導器》を治癒に使う――
それは数多くある平行世界で怪我をしなかった世界を探す行為なのだろう。
それが彼女にとっての治癒魔術。
たとえ自分の命を消費する力であろうと、それしか方法がないなら躊躇わず手を伸ばす――
それが二アの覚悟――
カズキにはない強靱な意思の強さの現れだ。
(強いな……俺なんかよりよっぽど)
こと精神面において彼女に勝る人物がいるとは到底思えない。
なぜならカズキを含めた大半の人間は『死にたくない』という感情が心の奥底で根付いている。
けど、彼女はその感情に打ち勝っているのだ。それは誰にも出来ることじゃない。
いつ命を捨ててもいい覚悟なんて持っている方が異常だ。
二アは懐中時計をポケットに戻すと改めてカズキに向き直った。
「えっと、それで私の話なんだけど……」
「え? あ、そうだったな……」
面食らったカズキは曖昧に頷く。そう言えば二アはカズキに何かしらの用件があって話しかけてきたのだ。
《魔導器》の性能に呑み込まれ、すっかり忘れていた。
カズキは居住まいを正すと改めて二アの瞳を見た。
とても澄んだ色をしている。
邪な想いなど何一つない。
彼女の願いがなんであるか彼女の瞳から判断することは出来そうになかった。
カズキは高鳴る心臓を鎮めるように小さく息を吐く。
「それで、話って……?」
「うん。それはね――」
………………
…………
……
「へ――?」
彼女の口にした用件にカズキは思わず間の抜けた返事をしていた――
今回はいつもよりも説明が多い話となっています。
二アの持つチート武器を説明するにはまだまだ量が足りないくらいですが、より詳しい説明はまたの機会を考えています。
次回の更新は明日を予定しています。
いい加減、メインヒロインにスポットを当てたいところ……




