第三話・後半
(一〇)
その頃、すこし離れたところにある高速道路の入り口で、警官隊同士の乱闘が繰り広げられていた。一方は新交野署の特殊課であり、他方は、園里香が率いる門真基地の特殊課である。新交野署は押されていた。
バイクの音が近付いて来た。やがて白いアメリカン・バイクの姿が見えた。バイクは停まり、外されたヘルメットの下から、長髪が現れた。閨川だ。閨川は「下がっていろ!」と叫んだ。新交野署の面々が身を躱すと、閨川は人差し指を軽く振るった。
「風よ、彼らに吹き掛かれ!」
風が、門真基地の面々を吹き飛ばした。緑色のローブを纏った、園里香一人を除いて。
「園警部!お前に話がある。」
園は歩み出た。
「閨川警部。私を止めようとしても無駄よ。我々には大儀があるのよ。」
「その前に聴かせてくれ。あんたは、鈴木緑じゃないのか?」
園は眉を顰めた。
「昨日もそんなことを言ってたわね。私は園里香よ。それ以上でも以下でもないわ。」
閨川は、腰に提げた二振りの刀のうち、「学生剣」を、園に放り投げた。園はそれを片手で掴み取った。
「なんのつもり?」
「その剣で、私と立ち会え。」
閨川は、もう一振りの「村正丸」をすらりと抜き、正眼に構えた。
「私は剣士じゃないわ。」
「その言葉が本当なら、逮捕するだけだ。だがあんたは、それを『片手で』受け取った。それだけの重量がある日本刀を片手で受け止めるには、力だけじゃなく、重心を知っていなければならない。あんたは、剣の扱い方を知っている!」
園は、言われてはっとして、刀をまじまじと見た。だがやがて、刀を捨てた。
「折角だけど、私は忙しいのよ。」
そう言って園は、六枚の、銅色の目玉シールを取り出した。
園がシールを投げると、悍ましき変化が怒った。シールを中心として、人の姿が浮かび上がってきたのだ。それは頭に矢の刺さった落人や、兵隊員や、病衣姿の女など様々であったが、皆、額に銅色の目玉シールが貼られていた。
「幽霊兵団、行きなさい!」
園の指令に従って、幽霊兵団は閨川に踊りかかった。閨川を尻目に、園は、警官隊と共に観光バスに乗り込んだ。
閨川は村正丸で、幽霊兵団と戦い始めた。
(死者の魂を操るなんて、何というシールだ!)
(十一)
一方、巴里高校の理科室は、慰霊祭が無事終わり、すっかり人気がなくなっていた。人体模型は、元の場所にきちんと戻されていた。
そこに、不意に寒々とした空気が漂い始めた。深く、長い息遣いが、理科室に近付いて来た。そして「それ」は理科室に入ってきた。三メートルはあろう巨体で、頭からは二本の角が生えている。その巨大な何かは、人体模型に近付いた。そして、唸るような低い声が発せられた。
「お前の怨念に、ここで終わってもらっては困るのだ・・・。」
その手には、銀色の目玉シールが握られていた。やがて、人体模型の額に、シールが貼り付けられた。
(十二)
さて、園里香率いる警察隊は、観光バスで、大量のシールを輸送していた。
「園警部。これで、日本は本当に良くなるのでしょうか。」
「少なくとも今より悪くはならないでしょう。行動に出ないと、この国は腐るわ。」
そのとき、後部席に座っていた隊員が声を上げた。
「警部!後ろに!」
園は、後部の窓から外を見て、驚きに目を見張った。バイクで追って来る閨川の姿があったのだ!
閨川は、体勢を安定させながら、バイクの上に立ち上がった。そして、一気に、バスに飛び移った!操縦者を失ったバイクは、転倒し、火花を散らしながらバスの遥か後方に去って行った。
閨川は、村正丸を抜き、柄を窓ガラスに打ち付け始めた。園里香は、拳銃を握り、銃口を窓に向けた。閨川がバスの上部に飛び移るのと同時に、窓は弾丸に粉砕された。
園里香は、割れた窓から外に出た。風が園の頬を凄まじく打ちつけた。
「警部!」
社内から声が聞こえた。
「行き先がばれるわ。進路を変更しなさい!」
「無茶です!戻って!」
「いいから走り続けなさい!」
そう言って、園はバスの上部に上がった。逆風が、激しく打ち付け、ただ立っているだけでも相当の力が要される程であった。閨川は、前方に仁王立ちしていた。
「受け取れ!」
閨川は、学生剣を手から離した。学生剣は、逆風に乗って飛び、園の手に至った。園は、それを鞘から抜いた。同時に、抜いた右手から闘志が漲ってきた。園は声を上げて、逆風に逆らい、閨川に向かって走った。閨川の刃が、園の刃を食い止めた。そして、園の刃を押し上げ、同時に園に斬り掛かった。二人の刃は噛み付き合った。
「思い出せ!腐敗した組織を復活させるという、理想に燃えた学生時代を!剣を振るうその姿こそ、あんたの真の姿だ!」
「寝呆けたことを言わないで!」
二つの刃は、幾度となく激しく噛み合った。その度に、園は胸に悦びが込み上げるのを感じた。
(私は戦い方を知っている・・・。なぜなの!)
園は自問自答しながら、目の前の敵に何度も斬り掛かった。
バスの進行方向から、信号機が迫ってきた。二人は、同時に信号機の上空に高く飛び上がり、空中で、鎬を削り合った。
二人は同時に着地し、刃が再び噛み合った。園の膝が、閨川の下腹部を打った。閨川は一瞬よろめき、方膝を付いた。そして、降ってきた刃を、刃で受け止めた。
(十三)
その頃、人気のない理科室に、赤井が忍び込んでいた。
人体模型の前に、野菜が未だ供えられていた。
赤井は、それを足で蹴り払い、人体模型を睨み付けた。
そのとき、人体模型が震え始めた。
赤井は驚いた。
人体模型の額に貼られた、目玉型のシールが、銀色に輝いた。合成樹脂でできた、人体模型の皮膚が、少しずつ柔らかくなっていった。そして、手足がしなやかに曲がった。露出している内臓は光沢を帯び始め、心臓は鼓動を打った。
目はぎょろりと翻り、赤井を見据えると、彼に掴みかかり、荒々しく投げ飛ばした。
倒れこんだ赤井は、痛みに顔を歪めながらも、毅然と憎悪を口にした。
「悪しき因習の偶像め、悪鬼と化したか!」
「俺様はもはや人体模型ではない。俺様の名は、血肉怪獣・グロテスク様だ!」
血肉怪獣・グロテスクは、赤井にじりじりと迫った。
そのときだった!
ひゅん・ひゅん・ひゅん!
赤い何かが飛来して、グロテスクの頭を打った。
「何者だ!」
赤い何かは、旋回して戻って行き、ある男の手中に、パシッと握られた。
前を開けた漆黒のスーツ。純白のワイシャツ。赤のスカーフ。そして、赤いペンを指で回している。気品を湛えた風貌のその男は言い放った。
「魔を裂く朱赤の竜。竜血旋士・麻咲イチロウ、推参!」
麻咲はペンを回しながら耳の後ろに構えた。そのとき、彼の背後から、眩いばかりの後光が迸ったのだ!
「血肉怪獣・グロテスク。この俺様に倒されることを、誇りに思え!」
「その大口を引き裂いてやる!」
グロテスクは、歩いて来る麻咲に向かって口から何かを吐き掛けた。麻咲はそれを、ペン回しで払い落とした。払い落とされ壁にぶつかったそれは、肝臓の尾状葉であった。
吐き出された肝臓はやがて消滅した。グロテスクは、更に副腎、脾臓と、臓物を続々と吐き掛けたが、麻咲はものともせず、全て打ち落とし、尚も歩みを進めた。やがて距離が縮まると、グロテスクは麻咲に殴りかかった。麻咲はこれをひらりとかわすと、ペンを回してグロテスクに打ち込んだ。グロテスクは、机の上に叩き付けられた。
「慰霊祭によって、鎮まったんじゃなかったのか?」
グロテスクは机の上に立ち上がり、麻咲を見下ろし、己の額にある目玉シールを指した。
「俺様は生まれ変わったのだ。このシールの力で!」
飛び降りざまに振り下ろされたグロテスクの拳によって、麻咲は後ろに吹き飛んだが、宙返りして着地した。
「そのシールは何だ?誰に貼られた?」
「貴様に言う必要などない!」
グロテスクは麻咲に迫った。麻咲は耳の後ろに、ペンをシュタッと構えた。
「必殺、武道ペン回し!」
ペンは凄まじい速さで回転しながら、麻咲の手を離れた。グロテスクが麻咲に飛びかかったと同時に、その腹をペンが直撃した。グロテスクは、麻咲の背後に飛び去った。やがて、グロテスクの体にひびが入り、阿鼻叫喚と共にバラバラと崩れ去った。振り向いた麻咲の目前には、元に戻った人体模型と、破れた目玉シールがあった。
負傷した赤井が、麻咲に近付いて言った。
「あんたは、Übermenschだな。」
「俺はレッテルを貼られるのは好きじゃない。だが・・・」
麻咲は赤井の目を見据えた。
「だが、敢えてお前の表現に従うなら、既存の価値観に屈しないだけが『超人』じゃないんだ。お前も、自力で価値観を作り出せ。」(注4)
麻咲イチロウは去って行った。赤井は、去り行く彼の背に言葉を投げかけた。
「麻咲イチロウ。いつの日か、また遇おう。」
麻咲は少し振り向き、返す。
「ああ。いつの日か。」
麻咲は歩きながら考えた。
(あんな若者が、まだ居たとはな。面白い。)
(十四)
一方、観光バスの上での激闘は、園の優勢を見ていた。閨川の刃が圧され、彼は隅に追われた。背には高速で去り行く道路が迫っていた。
漣の音が、海の近づきを告げた瞬間。閨川は、園に一瞬の隙が生まれたのを見逃さず、強く斬り込んだ。しかし、敵もさるもの、園はすぐに我に返り、反撃し、閨川をバスから叩き落した。
閨川は受身をし、辛くも立ち上がった。
園はバス内に戻り、過ぎ去ってしまった。
標識を見ると、そこは大阪湾の近くの道路だった。
(十五)
閨川は、新交野署の署長室で、川添署長の激しい叱責を受けた。
「能無しめ。敵の計画をみすみす許しただけじゃなく、武器を与えるとは。」
「申し訳ありません。」
閨川は一礼し、更に続けた。
「しかし署長。あれはやはり、鈴木緑です。大阪湾の漣の音に反応したのです。東尋坊で身を投げたことから、海に対するトラウマが残っているのです。」
それを聴いて、署長は高笑いをした。
「何がおかしいんです。」
「園里香が記憶を失った場所は東京湾、同じく海なんだ。それは紛れもなく園自信のトラウマだ。ついでに言うが、刀のことも証左にはならんぞ。園は、あらゆる武芸に精通していて、剣道も学生としては最高の腕前だった。他人の空似だよ。この事件を、もう君に任せる気はない。いつものように転勤したまえ。」
「署長、しかし・・・」
「これは命令だ。」
閨川は、すごすごと署長室を辞し、新交野署を後にした。
(十六)
翌日。赤井は、休憩時間に、例の実行委員長の机の前に現れた。
「何の用だ?」と委員長。
「俺自身は、一切の既存の価値観に染まるつもりはない。だが・・・。」
赤井はそう言って、握手の手を差し伸べた。
二人は、暫し見詰め合った。だがやがて、委員長は手を取らずに席を立ち、去ってしまったのだった。
伝統思想と個人主義。両者の間には、未だ埋め難い溝があったのだ。
(十七)
大阪府内、某所。
廃校になった学校の体育館に、パイプ椅子が並べられ、一人の青年と、セーラー服姿の女学生が座っていた。
そこに、園里香が入ってきた。
青年が言葉を発した。
「我が同士よ。あなたを喜んで我が同盟に迎え入れましょう。私は東京から来た、城南大学『太陰サークル』の代表、道明寺です。」
「私は『学生合衆国』の大統領、坂口です。」
園は二人を見据え、言った。
「私は特殊刑事・園里香よ。どちらがトップかしら?」
道明寺は答える。
「どっちでもありません。首領は、もうすぐ来られます。」
そのとき、体育館の舞台から、靄が流れ出てきた。
深く、長い息遣いか、舞台の奥から聞こえてくる。
やがて、舞台から、二本角を具えた巨躯が現れた。
道明寺と坂口は跪いた。園も彼らに倣って跪いた。
やがてその巨大な怪物は、唸るように言い放った。
「ここに、『おばけ会議』の発足を宣言する!」
つづく
注4:勿論、ここで言う"Übermensch" 「超人」はF.W.ニーチェの用法である。
麻咲の発言については、
ニーチェ(一九六七年)『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳)岩波書店、一〇四頁
などに見えるニーチェの思想を、「キリスト教圏に於ける『道徳』のエートス」を「日本に於ける『常識』のエートス」に置換する形で翻案したものである。
2016/02/13起筆
2016/03/17公開
2023/04/04文章手直し(セリフ以外)
―――次話PR―――
どちらが夢で、どちらが現実か?
気が遠くなるような大混乱を、麻咲は正すことができるのか!
一見、親切と慈愛に満ちているかのような者たちの心には、
白い闇が隠されているかも知れない・・・。
次回「胡蝶の夢」請うご期待!