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現代の怪談―The Contemporary Kaidan―  作者: 坂本小見山
03.''Irreligious'' 「人体模型ウォーズ」
7/42

第三話・前半

[第三話]

(一)

 西暦二〇一三年二月の末。

 大阪府交野市の「巴里(ともえざと)高校」の理科室に、濃い緑色のローブを纏い、同じく緑のフードを深々と被った人物が現れた。

 緑フードの人物は、人体模型に近付いた。人体模型は、カタカタと震えていた。

 やがて緑フードは、徐に何かを取り出した。銀色の、目玉を模したシールだった。緑フードはシールの裏紙を剥がすと、慈しむようにゆっくりと、人体模型の額に手を差し伸べ、シールを貼ろうとした。


 そのときだった。突如、カマイタチのような突風が吹き、フードの手からシールを払い落とした。

 フードは、突風の方向を見た。理科室の隅に、人影が立っていた。人影は、フードに向かって歩き出し、鋭い声を発した。

「学校の怪談を、目玉のシールで凶暴化させて回っているのは、お前だな。」

 フードは、人影に向かって攻撃の構えを取る。

「場所が学校だから、本来なら『学生捜査官』の領分だ。だが、お前が『特殊課』の人間だとなれば、同じ特殊課の私が始末しないとな。」


 人影が立ち止まったとき、月光がその姿を照らし出した。それは、黒のスーツに紺のネクタイを締めた、長髪の青年だった。

「私は特殊刑事・閨川守(ねやがわまもる)だ。」

 彼こそは、心霊事件に立ち向かう「特殊課」の精鋭であり、超能力者でもある、閨川守(ねやがわまもる)警部なのだ。

「悪に堕ちた特殊刑事、園里香(そのりか)。貴様の企みは、ここで終わる!」


 フードの女=(その)は、窓ガラスを割って廊下に飛び出し、走りだした。その後を、閨川は追って走った。二者の走力は互角であったが、やがて園は行き止まりに追い込まれた。

 閨川はこの学校の間取りを知っていたのだ。


 彼は学生時代、ここ大阪で学生捜査官をしていた。

「学生捜査官」とは、学生でありながら、警察の権限を持ち、転校という形で学校に派遣され、事件解決にあたる、世間からは知られていない職域である。彼は学生捜査官時代に、この学校に派遣されたことがあった。これが功を奏したのであった。


 逃走を諦めた園は、閨川に拳を繰り出した。閨川はそれを次々と交わし、園のローブを掴み、投げ飛ばした。そのとき、園のフードが外れ、短髪の素顔が露出した。その顔を見て、閨川の目は見開かれた。

「あんたは・・・、鈴木緑(すずきみどり)じゃないか?」

 園は、一瞬不思議そうな顔をした後、閨川の隙を突いて、校外に逃げてしまった。閨川は追ったが、もう園の姿はなかった。



(二)

 翌朝。大阪府の、新交野署(しんかたのしょ)

 薄暗い署長室に、閨川が来ていた。

 閨川は、黒尽くめの川添(かわぞえ)署長から、園里香の顔写真を手渡された。

「間違いなくこの女です。鈴木緑という名前ではないのですか。」と閨川。

「特殊刑事・園里香だ。所属は門真(かどま)基地、階級は警部。間違いということはない。」と署長。

「そうですか・・・。」

 閨川は、写真をまじまじと見た。鈴木という女性に、余りにも似ていたのだ。


 川添は威厳をもって言った。

「園刑事の行為は、言わば『おばけ同時多発テロ』だ。是非とも、君の力で彼女の目的を突き止め、暴挙を止めてもらいたい。」



(三)

 納得がいかない閨川は、作戦室に戻り、ノート型コンピューターで、園の個人情報を閲覧した。

 園の経歴は、次のようなものだった。


 園は学生時代、学生刑事(学生捜査官の前身)であった。

 一九九八年の夏、大阪の、学級崩壊が叫ばれている学区に、学生刑事を派遣して統治させる「コロンブス計画」が始まり、園もこれに加わった。

 コロンブス計画は成功し、学級崩壊は解決した。しかし、翌一九九九年の春、派遣された学生刑事たちが、学生刑事機構からの独立を宣言し、独自の学校連合「学生合衆国」を旗揚げした。園もまた、学生合衆国の創設メンバーの一人だった。


 学生刑事機構はこれを認めず、血みどろの独立戦争が半年間も続いた。この戦争のときに、園は頭を負傷し、昏睡状態となった。

 二〇〇四年、彼女は奇跡的に回復したが、それまでの記憶を失ってしまったのだという。



 閨川は、息を呑んだ。

(二〇〇四年というと、鈴木緑が死んだとされている年だ。)

 彼の考えはこうだった。死んだのは実は園の方であり、あれはやはり鈴木で、自分を園だと思い込んでいるのではないかというのだ。

(確かめる方法は、一つしかないな。)

 閨川はある決心を固めたのだった。



(四)

 その日の午前。巴里高校の理科室では、三時間目の理科の授業が始まろうとしていた。


 学生たちの話題は、割れた窓ガラスなど、昨夜の戦闘の痕跡のことで持ち切りであった。

「少し前から、理科室で人体模型が動いてるのを見た人がいたというし、今度のこともきっと人体模型がしたんだぜ。」

「今年は慰霊祭をしなかったから、祟りが起きたんだ。」

 学生たちは口々に言った。

 そこに、担当の教師が口を挟んだ。

「あれは、警察の方が不審者を捕まえたときに割れたという話だ。この科学万能の時代に、祟りなんてある訳ないだろう?」



(五)

 昼休み。何人かの学生たちが、先程の理科の教師の許に直訴に赴いた。例年の「人体模型慰霊祭」を、今年も開催するよう頼んだのである。

「駄目なものは駄目だ。PTAから苦情が来たんだ。宗教教育に当たる、とね。」

「宗教的と言われれば、そうかもしれませんが、お葬式や、地鎮祭なんかが生活に溶け込んでるのと同じで、年度末の慰霊祭も、本学の伝統なんです。」

 教師は反論した。

「戦時中の思想教育の恐ろしさを知らんのか。思想の自由を、国家神道が蹂躙したんだ。もう帰りたまえ。」

 学生たちは、すごすごと教師の許を去った。


 彼らは、去り行くとき、赤井という名の男子学生に遇った。男子学生は、理科教師の許から彼らが来るのを待っていたように、廊下に立っていたのだ。

「何か用か?」

 そう学生の一人が言うと、赤井はおもむろに口を開いた。

「日本人の古い価値基準としての、神は死んだ。」

 学生たちは、赤井を一瞥して、去って行った。去りゆく彼らを尻目に、赤井は「朽木は雕るべからず・・・。」と呟いた。



(六)

 赤井は、その日の夕方、豪奢な自宅に帰した。母親に帰宅の挨拶をし、自室に入って受験勉強を始めた。

 やがて、母親が、軽食を差し入れに来た。

「ありがとうございます。」

 彼は笑顔でそれを受け取った。

「兄様の具合はどうですか?」

「お兄さんのことなんて、気にすることないわ。あなたはお兄さんと違って、勉強もできるし、まともなんだから。」

 母親は、彼の頭を軽く愛撫した。

「しっかり勉強して、良い大学に入って、お爺様の学校の立派な跡継ぎになってね。」

 母親は、そう言って微笑み、部屋を辞した。



 そのとき、来客が訪ねて来た声が聞こえてきた。母親が取り次ぎ、間もなく亭主が帰ると言い、客間で待つよう言ったのだった。



(七)

 暫くして、主婦の言葉通り、亭主の(いさむ)が帰宅した。彼は、妻から来客のことを聞き、早速客間に向かった。

「やあ、(まもる)。大阪に帰って来ていたのか。」

「お久しぶりです、先生。」

「今どうしてるんだ?」

「今は特殊刑事です。実はそのことで、お願いがあって来ました。」

「願いだって?」

「お預けしていた刀を、お返し頂けないでしょうか。」

 勇は文字通り真剣な面持ちになり、閨川に掌を見せつつ、無言で退室した。

 やがて戻ってきた彼は、風呂敷包みを持っていた。勇が風呂敷を開くと、中から二振りの日本刀が現れた。

「これは君の刀だ。勿論返す。だが、良ければ、聞かせてくれないか。余程の事情があるのだろう。」

閨川は一礼した後、話し始めた。

「先生は、鈴木緑を覚えておいでですか。」

「ああ。学生組織『中央平和連合』の、最後の戦士だ。組織改革に失敗して、東尋坊で自決しただろう。教師という立場柄、言えなかったが、正直俺は彼女を尊敬していたよ。」

「私もですよ。実は、その鈴木が、生きているかも知れないんです。」

勇は暫しの絶句の後、身を乗り出して詳細を問うた。


「今追っている犯人が、鈴木にそっくりなんです。もしかすると、彼女は記憶を失い、自分を別人だと思い込んでいるのかもしれないのです。もし記憶が戻れば、あれが鈴木かどうかはっきりします。」

 閨川は、二振りの刀を引き寄せ、久闊を叙するが如く愛撫した。

「愛刀『村正丸』と、学生捜査課から支給された『学生剣』。高校を卒業したとき、私はこれらを、もう握らないと誓いました。しかし、これが彼女の記憶を取り戻すキイになるかも知れないのです。」

「つまり、鈴木は剣が生き甲斐だったから、剣を交えて勝負すれば、記憶が戻るかもしれない、ということだな。」

 閨川は頷き、頭を下げた。

「今まで大切に預かっていて下さり、ありがとうございました。」



(八)

 赤井家を後にした閨川の腰には、二振りの刀が提げられていた。


 彼の許に、一人の女性が駆け寄った。

「閨川警部!」

それは、以前、長崎の事件で邂逅した、特殊課の見習いであり、民俗学者でもある、竹中邦子(たけなかくにこ)であった。(注1)

「この事件の捜査を手伝いたくて、転勤してきたんです。」

「そのためだけに、長崎からはるばるやって来たのか?」

 呆気に取られている閨川に、竹中は詰め寄った。

「例の人体模型を調査したいのですが、許可願えますか。」

「駄目だ。」

「なぜです?」

「既に心霊鑑識班が現場に向かっている。君は足手纏いだ。」

「『学校の怪談』は、現代民俗学の領域です。鑑識班に、私以上の民俗学者がいるというなら別ですが。」

 閨川は、この生意気な部下の顔を見据えた。竹中は真剣な眼差しを、閨川の目に投げ返した。

 やがて閨川は根負けし、呆れたように溜息を吐きつつ、これを許したのだった。



 そのとき、閨川の無線に、部下からの通信が入った。あの園里香が、門真基地の特殊課を率いて、例のシールの大量輸送を企てており、その現場が判明したと言うのだ。

 閨川は、その場所へと靴を急がせた。



(九)

 一方の学校では、学生たちと、特殊課の鑑識班が押し問答をしていた。

「残念だけど、私たちに許可する権限はないんだ。諦めてくれ。」

「ほんの一時間、いや、三十分でいいのです。慰霊祭をさせて下さい。」


 そこに、竹中が到着した。

「君は?」

「今日から配属になった竹中巡査です。閨川警部から正式にここの鑑識を任されて来ました。」

そして、竹中は学生たちに向かって言った。

「私が学校に許可を取ったわ。『学生立会いの現場検証』という名目で。」

 学生たちの顔は、俄かに明るくなった。

「ありがとうございます!」



 そこに更に、赤井もまたやってきた。彼を見て、学生たちは露骨に不愉快な顔をした。

「慰霊祭を止める気はないが、一言言わせてくれ。」

 学生たちはひそひそと囁いた。

――気違いの赤井だ。

――空気読めよ・・・。

――あいつまで呼んだ奴にも責任はあると思う。


 赤井は非難にも構わず喋り始めた。

「俺の兄は病気で、地下牢に幽閉されているんだ。家の恥になるからとね。これが家族愛とやらの正体、神道の本性さね。神道は邪教だ。日本古来の伝統は、共同体発展の美名のもとに、個人の幸福追求を否定し、差別を助長してきたのだ!」

 そこに竹中が口を挟んだ。

「英語で宗教を意味する『Religion』には、『生き甲斐』というニュアンスがあるわ。命懸けで守りたい家族がいるから、生き甲斐になるのよ。」

「生き甲斐のために個人の可能性を否むなんて、如何にもノン・センス!」



 学生たちは、赤井に構わず、慰霊祭の準備を始めた。祭壇を組み、その中に人体模型を据えた。

 そして、実行委員長が、榊を供え、三方に供物の野菜を置いたとき、人体模型から、軋むように「ありがとう」と聞こえた。

 委員長はぞっとして、他の学生たちの顔を見た。

 彼らもまた、互いの引き攣った顔を見合わせていた。

「聞こえたか?」

 他の学生たちは、無言で頷き合った。

「きっと人体模型も、慰霊祭をして欲しかったんだ。」



 慰霊祭は、厳粛に執り行われた。すっかり禰宜装束に身を包んだ実行委員長が、恭しく二礼した後にかしわ手を打つと、皆も続いてかしわ手を打った。委員長は更に一礼した後、この高校に伝わる祝詞を上げた。

「掛けまくも畏き、人体模型の(みこと)という御霊(みたま)。そもそも般若心経と申し奉る御経(おんきょう)は、仏前にて花の御経なれば、神前にては宝の御経なり。然らば学び舎のため、国のためには鎮魂の御経なれば、祓い給え、清め給えと、幾重にも畏みつつ謹んで読誦し奉る。摩訶般若波羅蜜多心経・・・」(注2)

 開経した。

「如是我聞一時仏在王舎城耆闍崛山中・・・」(注3)


 赤井は、理科室の外で、腕を組んで見ていた。

(くう)を説く大乗仏教の経典を、呪文扱いしおって・・・。」

注1:第二話に登場。民俗学の知識を駆使して、事件解決に貢献した。


注2:実在の祝詞ではなく、筆者の創作。「心経奉讃文」などを参考にした。


注3:「大本(だいほん)」般若心経。マイナーなテキストだが、巴里高校の先人が、「念のために、よりお経らしい方を」と考えて採用したと設定した。彼らにとって、経典の価値は「思想」ではなく、呪術的な「護身」にあったのである。

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