解説 〔第十三回〕
メイキング オブ 「現代の怪談」〔13〕
~穢された怪談~
☆禁断のテーマ☆
「現代の怪談」は一話完結だ。
全体を貫くテーマとは別に、話ごとに異なるテーマをも扱ってきた。
だが、ずっと避けて通ってきたテーマがあった。
しかもそれは、全体を貫くテーマに深く関与するテーマなのだ。
これを扱わなければ、「現代の怪談」は不完全になってしまう。
しかし、これを扱ったが最後、「現代の怪談」は穢されてしまうのである。
それは、生命という尊く神聖な存在を創造せしものであり、にも関わらず、口に出すことすら憚られるほどの忌むべき概念。
それこそは、「いち生物種としての人間の増殖機能」である。
☆前回の免責文について☆
前回(十二話)の前書きに、「全ての人工妊娠中絶を批判するものではありません」という文面を掲載した。
今回の解説も兼ねて、この意味を詳述しよう。
基本的には、人工妊娠中絶は人命を奪う行為にほかなるまい。
しかし、それを全ての場合に適応するのが、実態に即さない綺麗事だということは私も認める。
例えば、事故や事件など、不可抗力の結果として子を授かった場合などで、母体の利を優先する上で、子供を助ける道が見出せなかったなら、犠牲を払うことも止むを得ないかもしれない。
所謂「トロッコ問題」と同じく、多くの利益を守るために、少ない犠牲を払うというロジックである。(トロッコ問題については、第十話の解説に詳しい)
これは、善でこそないが、あくまで「必要悪」として、黙認は致し方ないかもしれない。
しかし、大島夫妻のようなケースは、明らかにこの限りではない。
これは単なる殺生と言えるだろう。
☆矛盾に満ちた「性教育」☆
考えてみて欲しい。これほどの矛盾があるだろうか?
「性」に関する話題が下品なものと見做されているように、我々はそれを「恥部」と見做しているはずだ。
それなのに、子供が生まれることだけは神聖なこととされ、「世俗的なもの」とは微塵も見做されないのだ。
その矛盾から、あまりに多くの人々が目を逸らし、「俗」から「聖」という対極への転化を、ろくな考えもなしに受け容れているのは、一体どういう訳なのだ?
私はこの欺瞞に憤激している。
「性」が不潔であるのに、なぜ「誕生」が不潔でないのか?
こんなにも素朴な疑問を発した人間に、私は唯の一人として出逢ったことがない。
魚にとっての鰭、鳥にとっての翼が、人間にとっては「思考力」の筈だろう。
その「思考」の放棄を強要し、人間から鰭をちぎり、翼をもぎ取る、恐怖のイデオロギーが、我々をあまりにも支配しているではないか。
もし、この欺瞞がなくては教育が成り立たないというのなら、作中で園里香が言ったように、性教育とは「必要悪」と呼ばれるべきであるはずだ。
それなのに、である。
あろうことか、教育者たちは、性教育を「道徳教育」と称するのである!
誤解を恐れずに言おう。これは、人道を逸した、邪悪きわまる人非人の所業である。
彼ら曰く、「君たちは、ご両親が愛し合ったことで生まれたのだから、命を大切にしなさい」である。
偽善者どもよ、戯れ言を抜かすな!
私は自信を持って言えるぞ。私の命とはすなわち、「私の視点から開かれた世界」そのものであり、ゆえに私の命は尊いのだと!
のみならず、その「愛し合ったこと」とやらの必要条件が、あの忌まわしき性欲であるという事実から目を背け、生命の尊厳の依拠としてしまうとは、何事か?
これは生命の尊厳に対する冒涜である。
真に神聖なものを冒して穢す、魔の宗教である。
私のこの激情が、その創作物たる麻咲をも激情へと駆り立てた。
彼の叫びは、そのまま私の心の叫びなのだ。
☆麻咲の怒り☆
麻咲には、「誠実な思考」を嘲笑う風潮が許せなかった。
大島恵は「誠実な思考力」を代表する登場人物だ。
誰もが目を背けて済ませている矛盾にも、彼女は素朴で実直な疑問を持ってしまう。
故に、彼女は苦しまなくてはならないのだ。戦わなくてはならないのだ。
そんな彼女を、「思考の放棄」という麻薬に依存した周囲の人々(同級生、両親、弟)は、容赦なく蹂躙する。
挙句には、その誠実な思考力を、「幼さ」という言葉で片付けてしまう有様であった。
こういったことに、麻咲は初めて怒りを露にしたのだ。
怒号し、憎悪のペンを放ち、そして呪詛の言葉を吐いたのだ。
しかし、そんな切実な思いも、太陰怪獣の魔手により握りつぶされてしまった。
欺瞞の業はあまりにも深く、あまりにも強烈だったのである。
☆史上最低の怪獣☆
「太陽聖鳥・ライフ」と「太陰怪獣」は、対を成す存在だ。
これは、神聖視される「生命」と、その原因たる「性欲」の対比を表している。
太陰怪獣は、圧倒的な破壊力で街を破壊してゆく。
これは、性欲の真骨頂たる、暴行を暗示しているのだ。
その暴挙は留まることを知らず、ついには最後の希望まで征服してしまう。
「神聖なる生命」の象徴たるライフが破壊されたことは、取りも直さず、暴行殺人のメタファーなのである。
のみならず、スーパーヒーロー・麻咲までも殺されてしまった。
言っておくが、私は死んだ登場人物を蘇らせる気はない。
それこそ、生命の尊厳への冒涜ではないか。
麻咲は死んだ。もうそれっきりである。
彼がこの作品世界を去ったことは、「現代の怪談」という小説そのものが、忌まわしきテーマによって穢されてしまったことを暗示しているのだ。




