第十三話・前半
[第十三話]
(一)
西暦二〇一三年十月下旬の朝。大阪府門真市の某所の、鉄屑処理場の跡地。
ここの業者は、ひと月前まで営業していたのだが、管理人が不慮の事故で死んだ後、跡継ぎがいなかったため、東京の遠戚の手に渡って、その後は遠戚は持て余して廃業にしてしまった。
そして今、その遠戚の息子たる、あの道明寺が、太陰サークルのアジトにしていたのだ。
処理場の奥に大きな雛壇が組まれ、その最上段に例の大きな立方体の石が鎮座していた。これこそ、あの寝屋川の神主が言っていた、太陰怪獣の封じられている石像なのだ。
太陰サークルの部員たちは皆、このアジトが手に入った偶然の数々を、太陰怪獣が起こした奇跡だと信じていた。
桃色の祭服に身を包み、桃色の冠を頂き、すっかり教祖の風体となった道明寺は、雛壇の最下段に置かれている、古い日本の草紙のような本『ねくろのみこに』に、恭しく手を翳した。
やがて『ねくろのみこに』の上の空中に、半透明の桃色の目玉シールが現れた。
「あと少しです。あと少しで、太陰怪獣が復活します。太陰怪獣に、遍く人類が忠実を期することこそが、非業の死を遂げた恐怖大魔王様の悲願、『怪談復古』にもなるのです。」
桃色のローブを纏った六人の青年らは、道明寺の言葉に感嘆した。
一人が言った。
「それにしても、あのホストの出来損ないの変態曲芸師がしゃしゃり出て来ないのが不思議ですな。」
麻咲のことである。
「何、どうせ怖気付いたのでしょう。それより、たった今新たなお告げを受けました。目玉シールを設置しに行きなさい。」
(二)
昼、閨川守は門真基地に帰り着き、濃緑のスーツの園里香に今までの経緯を話した。
「母に、誰かが目玉シールをこっそり身に付けさせたとしか思えないんだ。目玉シールの能力について、教えてほしい。」
「知っての通り、金は上級怪獣を、銀は中級怪獣を、そして銅は幽霊兵団を作るのよ。」
「以前、私と戦ったとき、銅のシールで植物の力を呼び出しただろう。」
「ああ、あれは幽霊兵団の応用なのよ。幽霊兵団は、シールに霊魂を吸着させることで作るでしょう。その能力を応用して、予めシールに植物の力を吸収させておいたのよ。」
「植物の力意外に、何が吸収できる?」
「何でも。あれは太陰怪獣の力を宿しているから、この世のありとあらゆる概念を吸収できるわ。」
園は、言いながらあることに気付き、閨川と顔を見合わせた。
「私やあなたが発見したシールも、何かを吸収するためにばら撒かれたものなのかしら。」
「そうとしか考えられない。道明寺の一味が、何かを狙っているのだ。」
「奴らが狙うことというと、唯一つね。」
「ああ、太陰怪獣の復活だ。もしかして、あの発掘作業も関係があるんじゃないか?」
「タイミングからして、それが自然ね。でも、一体何を吸収しようとしているの?シールが見つかった場所と言えば、虐めの加害者、健康診断、そしてあなたのお母さん。」
「何か共通点が見つかりそうで、見つからないんだ・・・。」
(三)
昼下がり。大島恵は、痣だらけの、疲れ果てた顔で公園のベンチに座っていた。
「姉ちゃん」と声が聞こえ、顔を上げると、弟の伸二が歩いて来ていた。
「学校休んで探しに来たんだよ。お父さんも心配してるぜ。戻って謝ろうよ。」
「心配だって?笑わせないで。私は既に生まれているから、心配されるんでしょう。もしも生まれてくる順番が違えば、私が殺されてたのよ。」
「姉ちゃんは優し過ぎるんだよ。どこの家でもやってることじゃないか。」
「生命を奪う行為に変わりはないわ。私、名前を考えたのよ。男の子なら由則。女の子なら勝子。」
そう言いながら、大島は顔を覆って泣き出した。
伸二は姉を連れて帰らねばならず、説得に苦心した。
(四)
夕方。大島の家を、スーツを着た青年が訪れた。名刺によると、翌日に中絶手術を予定している病院の職員であった。そう言って青年が差し出したのは、銅の目玉シールだった。
「最新式のIDカードです。付き添いの方共々、肌身離さず携帯して下さい。」
そう言って、家族全員分の、計四枚のシールを渡した。
そのとき、青年の背後から、緑色の袖に通された腕が伸び、彼は瞬く間に組み伏せられてしまった。
それは、園里香であった。
「太陰サークルの部員ね。」
「特殊刑事か・・・!」
園は青年に手錠を掛けた。
その後ろから、更に閨川が現れ、戦慄する大島の母に、警察手帳を見せて身分を明かし、シールを受け取った。
特殊課のパトロール・カーを待っている間に、閨川は大島夫妻から事情を聴いた。園も、玄関先で傍聴していた。
そうしている内に、伸二に連れられて、大島恵が不承々々に帰って来た。
「恵!心配したのよ。」と母。
「帰りたくて帰った訳じゃないわよ。」と大島。
「まだそんなことを言っているのか!」と父。
「誰が何と言おうと、自分たちの勝手で子供を作っておいて、殺そうとする二人が悪いのよ。」
「何だと!」
「やめなさい。人様の前よ。」
それを聞いたとき、閨川の脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。
(もしや・・・、いや、恐らくそうだ。)
彼の背後から、園と青年の遣り取りが聞こえてきた。
「なぜこの家の事情を知っていたの?」
「全ては太陰怪獣の導きだ。そしてお前たちも、太陰怪獣の意志の力の前に、平伏すことになるだろう!」
「だけど、あなたたちがばら撒いたシールの一部は私たちが回収したわよ。」
「ああ、結構。もう目的は果たした後なのでね。」
そこに閨川が口を挟む。
「とすると、後からシールを回収する必要はないわけか。」
その質問に対しては、青年は黙秘した。
閨川は、俄かに顔色を変えて言った。
「園。少し付き合ってくれ。こいつらの目的が判るかもしれない。」
(五)
犯人を車に引渡した後、閨川と園が向かったのは、一週間と少し前に休日の昼を共に過ごした、大阪市の喫茶店「キンメイチク・大阪店」であった。
閨川は、あのときのテラスの席を丹念に調べた。そして、椅子の裏に何かを発見し、手で剥がした。やがて引き出された彼の手の指が摘んでいたものは、胴の目玉シールだったのだ。
園は驚いた。
「何で判ったの?」
「私はあのとき、君が敬意を払うべきだと主張していた超自然の存在に対して、目に見える形で対等に付き合うべきだと言った。言わば、尊ぶべきものを卑しめてしまったのだ。」
園は、まだ釈然としない面持ちであった。
閨川は続ける。
「君が遭遇した虐めだってそうだ。虐めというものは、相手に辱めを負わせる行為だろう。」
閨川は、そう言いながら昨夜の麻咲の言葉を思い出し、このことだったのかと勝手に合点した。
「健康診断というものも、見方を変えればプライヴァシーへの介入の一種だ。人間の肉体を、尊厳と無関係の物体に還元する行為と言えなくもない。それに、さっきの家のことも、娘さんの言葉通りなら、あの夫婦は命の尊厳を蹂躙していると言うことになる。」
「つまり、あなたが言いたいのは、目玉シールで吸収してるのは、『尊厳の蹂躙』じゃないかってこと?」
「それ以外に共通点は見出せないだろう?」
「それじゃ、あなたのお母さんは?あの人は尊厳の蹂躙はしてないでしょう?」
「これも解釈次第なのだが、母は君の前で私を子供扱いしただろう。これは、大人としての私を度外視しているとも言える。恐らく太陰怪獣は、尊厳蹂躙の力を吸収して復活するのだ。どうやら、イチロウもそのことに気付いているらしい。」
「らしい、ってどういうこと?」
「どうした訳か、詳しくは語りたがらないんだ。そして恐らく、彼はもっと重要なことにも気付いている。」
「麻咲君は戦いを放棄するような人には見えないわ。」
「私も同感だ。一体、何を考えているのだ・・・。」
そのとき既に、日は暮れていた。
(六)
一方、大島は、家族と目を合わそうとしなかった。
父は夜勤に出ていた。
母は、弟を銭湯に行かせ、大島と二人きりになって、俄かに口火を切った。その内容は、彼女の信じる世界に揺さぶりをかけるものだったのだ。
「あなたと伸二の間に、実は、もう一人子供がいたのよ。」
大島が俄かに母に顔を向けたのは、詳細を聴くためというより、戦慄のためだった。彼女は、その言葉から瞬時に全てを察したのだ。
大島は非難した。
「何故なの!何で、母さんも父さんも学ばないの!」
「あなたはまだ解らないでしょうけど、人間が本来持っている習性というものは、理屈を超えたものなの。」
それを聞いたとき、大島の胸の奥から嫌悪の海が横溢した。
生命の連鎖とは、何と悍ましく、汚らわしいのだろう!そして、その連鎖のこの時代における一ページとして存在せしめられている自分自身もまた、醜く汚らわしいではないか!
それ単体でも十分に醜いというのに、剰えそれは生命の尊厳を蹂躙し、今しも母の胎内の兄弟にその身勝手な爪牙を掛けようとしているのである!
嫌悪と怒りと遣る瀬無さが、彼女の世界の隅々にまで染み渡った。
(七)
翌日、父は夜勤明けで寝ているので、大島が学校を休んで、母の手術に付き添うことになった。
週末まで待てば、週齢が進み、手術の代金が上がってしまうのだ。
病院の待合席で、彼女は、恰も、三人称の人物への憎しみを吐露する独り言のように言った。
「私は二人を許さない。」
と。
やがて時が訪れ、母は手術室に入った。母は、振り向いて言った。
「いつか、きっと解ってくれる日がくるわ。」
そう言って、母は、閉まるドアの向こう側の世界に姿を消した。それが、この胎児を生かしておいている母の、大島が見た最後の姿だった。
さっきの母の言葉は、大島の非難を、どこまでも侮辱するものだった。
彼女の魂の叫びたる非難を、幼さゆえのものとして片付けてしまったのだ。彼女の非難の純粋性に対する、これほどの侮辱があろうか・・・。
(八)
さて、弟の伸二が付き添いに呼ばれなかったのには、次のような訳があった。
奇しくも手術と同じ日に、伸二の小学校に、高名な性教育の講師が招かれ、避妊に関する特別授業をすることになっていた。
母は、伸二にこちらを優先させたのだ。それには、父のような大人になってほしくないという思いもあった。
視聴覚室で行われたその授業は、生体機能の解説から始まった。
生徒たちは、私語一つなく、授業に集中していた。と、教員たちは考えた。
しかし、教員たちもまた、生徒たちの沈黙が集中のためではなく、生々しさへの不快と、気まずさのためであるということを、心のどこかで知っていた。しかし、それを認めることは、己の不誠実を認めることになると思っていたのだ。
特別授業が終盤に差し掛かり、講師は、土産でも取り出すかのように、段ボール箱から人数分の避妊具を取り出した。
生徒たちの気まずさはいよいよピークに達した。
そのときだった。部屋の後方のドアが開き、園里香が入ってきた。
傍にいた教員に警察手帳を見せ、幾つか問答を重ねた後、避妊具の配布に待ったを掛け、それを検めた。
・・・それには、見えないように細工して、目玉シールが貼られていた。講師は驚いた。
「そんなもの貼った覚えはありませんよ。」
「一応、後程事情を伺います。失礼ですが、これは危険物の恐れがありますので、お預かりしたいのですが。」
そう言って、園はそれを受け取って出て行った。
(九)
園は、門真基地に向かって歩きながら回想した。
数十分前、彼女は、一連の事件について考えを巡らせながら歩いており、いつの間にかこの学校の敷地に入ってしまった。すぐに引き返そうと思ったのだが、思い留まった。
頃日、奇遇が重なって目玉シールを発見することが、あまりにも多い。だから、今度のことも何かの導きかと思い、適当な部屋に入った。その結果、予感は的中し、無事に目玉シールを未然に回収できたのだ。
(やはり、何かあるわね・・・。)
そのとき、彼女の頭に、ぽつりと雨粒が掛かった。彼女は、傘を持っていなかった。
彼女が弱っていると、バイクの音が近付いて来た。
「園警部。」
言われて振り向くと、それは閨川であった。
閨川は、バイクを手で押し、園に近付いた。
「傘は?」
「ないの。」
閨川は手提げ鞄から折り畳み傘を出し、差し出した。
「ありがとう。でも、あなたのは?」
閨川は、バイクのメット・インから紺のレインコートを取り出し、着込んだ。
閨川は、園が持っている段ボール箱について訊いた。園は、これまでの経緯を話した。そして、最後にこう付け加えた。
「性教育って、必要なものだけど、それで傷付く子供もいるのよね。」
「必要悪、ということか。」
「ええ。必要悪は決して善じゃない。それで不快な思いをした小学生は、言わばプライヴェイトな部分を蹂躙されていることになるのよ。道明寺はそこに目を付けたんじゃないかしら。」
「ただ聴いているだけで傷付くものか?」
「そうよ。見たり、聴いたり、それについて論じたりしただけで、穢された感じがするの。」
閨川は、少し考えてから言った。
「ひょっとして、麻咲がこの件に関わろうとしないのも、そういう事情なんじゃないか。一昨日の夜、彼は言ったんだ。『悪』と『辱め』は違うと。それは、この事件に関わったら、例え『善』を勝ち得たとしても、汚辱を被ることになってしまうと考え、それを恐れたんじゃないか。」
「・・・有り得るわね。あれだけ自身たっぷりな戦士なら、尚のこと。」
「だが、それにしても、彼が逃げるなんて・・・。」
「人は誰にでも、弱点があるものよ。」
弱点。閨川には、その言葉が如何にも麻咲に似つかわしくないものとして聞こえた。形容矛盾さながらに、「弱点」という語が、「麻咲の」による修飾を斥けているかのように。
(一〇)
その頃、太陰サークルのアジトでは、儀式の準備が着々と進められていた。
一人の部員が、立方体を拝んでいる道明寺の背中に言葉を投げかけた。
「阿呆の呆けの特殊刑事どもが、猪口才にも妨害行為を行っているせいで、陵辱エネルギーが不十分です。」
「足りない分は、後から補えば宜しい。心配要りません。既に私は、太陰怪獣と感覚を共有できる段階にまで達しているのです。」
そう言って振り向いた道明寺の瞳は、桃色になっていた。
その威容に、部員らは畏怖の念を覚えた。
外は、日が雨雲に遮られて、夜のように暗かったが、室内には無数の蝋燭の火が点り、橙色の灯りに明るんでいた。
道明寺は言った。
「それでは始めましょう。いよいよ、私は太陰怪獣に精神と肉体を捧げて一体化し、この地上に再び君臨せしめるのです!」
そして彼は、を立方体の前に恭しく設え、両手を翳した。『ねくろのみこに』が、桃色の光を放ち始めた。
六人の部員たちは、声を合わせて呪文を唱えた。
道明寺の額には脂汗が滲み、血管が浮き出、歯は食い縛られ、目は飛び出んばかりに剥き出されていた。
「ヤアアアアア!」
道明寺は叫び、『ねくろのみこに』に有りっ丈の念を注ぎ込んだ。
『ねくろのみこに』はガタガタと揺れ、目前の立方体も桃色の光に包まれた。
やがて、『ねくろのみこに』の上に桃色の目玉シールが浮かび上がってきた。
立方体を包む桃色の光は最高潮に達し、やがて立方体全体が光に変わって、桃色のシールに吸い込まれた。
やがて天から、巨大な雷電が放たれ、アジトを直撃した。
(十一)
時を同じくして、病院の待合席に座っている大島の前で、ガチャリとドアが開く音が響き渡った。それは、世界の中心から響いて来るかのように、大島の世界全体を震撼させる大きな音に感ぜられた。
やがて、白衣の看護師が、にっこりと微笑んで言った。
「無事に終わりましたよ。」
大島は、時間が止まってしまったかのように感じた。全身の力が抜け、呆然となった。




