第一〇話・後半
(七)
その夜。
鬼塚は、人目を憚るように、職場のある山に入った。彼の「秘密」に関わる場所に行こうと思ったのだ。
彼にとって、そこは忌まわしい場所だった。彼は、その場所に近付くことも、考えることも避けていた。それなのに、今宵はなぜそこに敢えて行こうとしているのか?彼の心に巣食った忌まわしさを征服したいと思ったのだろうか?兎に角、彼は、吸い寄せられるようにその場所に向かったのだ。
蟋蟀が集く中、鬼塚は藪を掻き分けた。するとそこに、一箇所だけ草が生えておらず、土が露な場所があった。
鬼塚は合掌した。
(小泉、すまなかった。ああしなければ、俺が殺されていたんだ・・・。)
その刹那、背後で何かが動く音がした。鬼塚は振り向いたが、何もなかった。
気のせいかとも思ったが、背後では蟋蟀の音が止んでいた。
鬼塚は声を放った。
「誰かいるのか。」
その声を聞いて、隠れていた者が逃走した。鬼塚には、その者に心当たりがあった。
鬼塚は走って追いかけた。山道には鬼塚に一日の長があったので、容易く追いついた。
「やっぱり貴様か!」
「ヒイッ、ごめんなさい!」
そう言って必死に身を庇う男を、鬼塚は一発殴った。
「『犯罪者心理』というやつだな。現場に戻って来やがった。」
・・・そのとき、鬼塚の心を、或るエゴイズムが支配していた。すなわち、相手に全責任を転嫁するエゴイズムであった。
男は、最初こそその転嫁を受け入れてしまったが、すぐに鬼塚のエゴイズムに気付き、自分もまた同じエゴイズムを鬼塚にぶつけた。
「あんただって、『殺らなきゃお前を殺す』って言われて、我が身可愛さに手を下したじゃないか!」
鬼塚は返す言葉を失って、苦し紛れに言った。
「・・・人間は皆エゴイストなんだよ。」
そのとき、藪の中から、微かに人の気配がした。二人は同時にそちらを見た。
そこに居たのは、児島聖だった。男は、聖に飛び掛り、取り押さえた。
「聞きやがったな!」
「黙れ、悪人め!」
聖は、足掻きながらも勇敢に言った。
そこに鬼塚が割って入った。
「おい、放してやれ。俺の知り合いだ。」
男は聖を放した。
鬼塚は聖に言った。
「なぜ君がここにいるんだ。」
「急に来たくなったんですよ。それより鬼塚さん、見損ないましたよ。あなたが人殺しだったなんて!」
「仕方がなかったんだ。やくざが小泉君の死体を埋めようとしてるところを偶然見てしまって、口封じに殺されそうになったんだ。」
そこに男が口を挟んだ。
「おい、滅多なことを言うな!」
「元はといえば、どこのどいつとも知れない貴様が、小泉を撥ねたのが発端だぞ!」
「だが、あんたが宮野さんに殺されそうになったとき、あの男は息を吹き返した。あの男は生きていたんだ!とどめを刺したのはあんただ!」
「共犯者になれと脅されて、仕方なかったんだ!」
聖が二人を制して叫んだ。
「責任の擦り付け合いは止しなさい!つまりこういうことですね。そこの人が小泉さんを車で撥ねてしまい、やくざに死体の処分を依頼し、そこに偶然居合わせた鬼塚さんが、脅迫されて小泉さんにとどめを刺した。畢竟、二人ともエゴイストだ!」
突如、風が吹き、木の枝がざわめいた。そのざわめきが、言葉を成したように聞こえた。
「『フタリ』デハナイ。ココニアツマツタノハ、ミンナ、ヒトゴロシダ。」
聖は叫んだ。
「誰だ!」
「ワレハ『オミドリサマ』。イマコソ、サバキヲウケヨ・・・!」
そのとき、鬼塚の首筋を、何か細いものが触った。振り向いて見たとき、総身を戦慄が駆け巡った。植物の蔓が、蛇のように動いて迫ってきていたのだ!
彼はそれを払い除けたが、蔓はあちこちから伸びて来ていたのだ。
三人は、我先に人里の方向に逃げた。背後からは、尚も蔓や葉が迫ってきていた。
三人はやがて、養豚場の辺りに来た。三人はそこで足止めを食らった。前方からも、植物が迫ってきていたのだ。のみならず、後ろからも、植物が迫っていた。
「とにかく、宿直小屋に逃げ込むぞ!」
男の言葉に二人は従った。
(八)
養豚場の宿直小屋に逃げ込んだ三人は、ドアに鍵を掛けた。
鬼塚はドアの隙間から外を覗った。
「オミドリサマの姿は見えない。」
二人はそれを聞いて安心した。
「一時間もすれば朝になる。そうすれば職員も来るだろう。それまで待とう。」
男は言った。
男は、聖に言葉を投げた。
「あの化け物が、あんたをも人殺し呼ばわりしたが、あんたにも何かあるのか?」
聞かれて、聖はふてくされたように答えた。
「天誅を下したんですよ。動物虐待魔に。」
鬼塚は驚いて口を挟んだ。
「動物虐待魔って、まさか東君のことか?」
「ええ。そうです。点滴に毒を盛ったんです。」
「彼は自殺じゃなかったのか?」
「いいえ。僕が成敗しました。三日に分けて毒を盛るつもりでしたが、二日目で本人に気付かれてしまいました。でも、もう後の祭りでした。奴はその翌日に死にました。」
「お前、何でそんなことを!」
「奴は悪人でしたが、猟は違法ではないし、法では裁けない。だから、僕が天誅を下したんです。遺書だなんて。大方、逆恨みか、良くても弁明と相場が決まってましたから、読まずに燃やしてやりましたよ。」
「違う!」
鬼塚は強く否定した。
「すまないが、私は彼の遺書を読んでしまった。『自殺する』と書いていたんだ。」
聖は鬼塚の顔を見た。
「そんな筈はない。」
「東君はな、『自分は殺されて当然だ』とか、『君の信念を信じる』とも書いていた。分かるか?彼は恐らく、自分は殺されても仕方のない人間だと思って、下手人の君が罰せられないように、君を庇うために、あの遺書を書いたんだ!」
「そんなことを考えるような人なら、なぜ動物虐待に手を染めたんです!」
「人間とは弱いものだ。誰しも、悪を為す危険を孕んでいるんだ。」
「それは、殺人犯の自己弁護に過ぎません!僕は悪を為す危険など孕んではいない!」
そのときだった。ドアの向こうから、若い女性の声が聞こえた。
「ここは危険です。今すぐここから脱出して!」
鬼塚は、ドアの隙間から外を見て、言った。
「緑色のスーツを着た女だ。」
あとの二人も、「緑色」という言葉を聞いて戦慄した。
男は叫んだ。
「お前の正体はオミドリサマだろう。ちゃんと判ってるぞ!」
女性の声は構わず続けた。
「私は特殊刑事・園里香です。そんなことより、聞きなさい。あの妖怪の正体は、森の浄化作用を、あなた方の『良心』が利用して変質させたものです。自然を破壊して作ったこの養豚場こそ、森の浄化作用を一等受けやすい場所だから、ここに長居すれば、あなた方の良心が実体化して、怪獣化しますわ。あなた方は、追い詰められたのよ!」
三人は顔を見合わせた。
「そんなこと、信じられるか!」
男が叫んだ。
一人、鬼塚だけは、別意見だった。
「俺は信じてみるよ。」
「罠に決まっている!」と聖。
「例え罠だったとしても、自業自得だと思う。罠でなければ、それはそれで儲けものだ。信じようが疑おうが、確率はフィフティ・フィフティだ。なら、信じる方に賭けてみたい。」
鬼塚は、自分の顔に冷や汗が伝うのを感じた。彼は肚を据えた。
鬼塚が、単身外に出ると、ドアが独りでに閉まった。
濃緑のスーツの若い女性は言った。
「信じてくれてありがとう。結界が張られていて、外からは入れなかったんです。」
そう言って、園警部は、鬼塚を避難させた。
(九)
一方、小屋の中では、残った二人の体に異変が起きていた。二人は苦しみ、胸を掻き毟っていた。
外では、単身戻ってきた園警部が、日本刀で結界を破ろうと苦心していたが、無駄だった。
暫くすると、小屋が自ずと軋み始め、やがて、小屋を突き破って植物の塊が現れた。
バラバラに崩壊した小屋の場所には、異様な光景が広がっていた。聖たち二人が、自分たちの体から生えてきた植物に絡めとられ、身動きができなくなっていたのだ。
「助けてくれ・・・!」
園は、二人の腕を掴み、力の限り引っ張った。
そしてやがて、あの男の体が植物から抜け出た。一方の聖の体は、あと少しのところで、再び植物に絡めとられ、園の手を離れ、悲鳴と共に完全に飲み込まれてしまった。
何とか助かった男を逃がし、園はその植物の塊を見上げた。植物の塊は、三十メートル程にまで巨大化していた。
塊の背後から、朝日が昇った。と同時に、塊の中から、聖が着ていた服だけが表面に出てきた。そして、内部から、「ポン!」と鼓の音が聞こえたかと思うと、聖の服が、たちまち注連縄に変わった。やがて、塊は人の形になり、注連縄の首飾りを付けた、緑色の巨人になった。
「ワレハ『オミドリサマ』。サツキノワカモノハ、サバキトシテ、クツテヤツタ。」
園は表情を引き締め、刀を構えて言い放った。
「斬る!」
「ナラバ、オマヘモ、ツミビトダ!」
そう言って、敵は拳を振るった。園は、驚くべき跳躍力で跳び上がり、敵の拳をかわして、その二の腕に飛び乗り、走って肩の辺りまで登った。園は敵の首を斬りつけた。しかし、何度斬っても蔓が生えてきて、傷が塞がれてしまった。
やがて、園は振り落とされた。園は着地した。
「ナニユヱ、ツミビトナドノ、イノチヲヲシム。」
「罪びとだろうと、なかろうと、守るのが私の任務よ!」
「ヒトトイフモノハ、スグ、ソノゴトクニ、イヒワケヲイフ!」
そう言って、敵は園を掴み取ってしまった。
「オマヘモ、サバキヲウケヨ!」
敵の頭部にぽっかりと穴が開き、園を食おうとした。
そのときだった。突如吹いた突風が、敵を吹き飛ばしたのだ。
解放された園は着地し、突風の方向を見た。
突風を吹かせたのは、黒いスーツに紺のネクタイを締めた、長髪の青年だった。彼こそは、最強の特殊刑事と誉れ高き、超能力者・閨川守であった!
「園、助太刀に来たぞ。」
「無用と言いたいけど、ありがたく受けるわ。奴は、『良心怪獣・オミドリサマ』よ。」
敵は立ち上がり、朝日を遮った。
「奴の動きを抑えられる?」
「ああ。」
そう言うと、閨川は大声で宣言した。
「石よ、奴の動きを封じてくれ!」
すると、辺りの石が一斉に浮かび上がり、敵の周りを飛び回り始めた。
「貴様の企みは、ここで終わる。食らえ、『超能力・マモル・トルネード』!」
すると、石は高速で飛びまわり、敵の動きを封じ込めた。
「今だ、警部!」
その声に応じて、園は跳び上がり、空中で刀を正面に構えた。刀身は敵の頭上に振り下ろされ、やがて首、胴に達し、遂には一刀両断した。
園は着地した。
「ナゼダ!ナゼ、サバキヲサマタゲル!」
「どんな人間にも、罪を犯してしまう可能性はあるわ。私は人間として、人間の敵を斬ったまでよ。」
園がそう言い終えたとき、敵は爆発し、無数の葉を雨の如く降らせたのだった。
(一〇)
後日、鬼塚は自首し、例の男もまた逮捕された。
だが、鬼塚は結局、情状を酌まれて、釈放された。
取調室を後にしたとき、鬼塚の許に園が現れた。
「先日はありがとう。」
「釈放されたんですってね。おめでとう。」
園は、屈託のない笑みを浮かべた。
「暴力団の養豚場が摘発されたそうですけど、今後はどうするんですか?」
「地道に、再就職の道を探すよ。それに、俺は、リストラに遭ってから自暴自棄になって、あんな違法の職場に甘んじていただけだったのかも知れない。これからは、もっと自分の人生に真剣に向き合おうと思う。」
「それがいいですわ。」
園に見送られ、鬼塚は、警察署を出た。そのとき、頭上から降り注いだ日光の眩しさに、彼は思わず目を瞑った。
彼は、昼の光に照らされた街へと、歩き出したのだった。
第一〇話・完
2016/09/04起筆
2023/11/23文章手直し(セリフ以外)
―――次話PR―――
挫折した文学少年と、音楽室に現れる謎の少女との出会い。
二人の交流を通して、現代音楽の潮流を、辛辣に批判する。
近代以降の音楽が目指した自由とは何だったのか?
次回「失われた歌」請うご期待!




