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現代の怪談―The Contemporary Kaidan―  作者: 坂本小見山
01.''The Horrible Spiral'' 「通り魔の怪」
2/42

第一話・後半

(六)

 中嶋の考えは、つまりこうであった。

 彼自身が高村殺しの犯人であり、その記憶を無意識に改竄している、というのだ。夢に見たのは、意識の深奥に隠れている、本当の記憶なのではないか、と。


 彼は真相を確かめずにいられなかった。

 彼は出かける支度をした。ジャンパーを羽織り、手袋をはめ、そして、手に包丁を執った。

もし、推理が正しければ、これで死のう。彼はそう思ったのだ。

彼はジャンパーのポケットに、包丁を仕舞い込んだ。


 彼は、夜の寒い道を歩いていった。

不思議なことに、彼の足は、迷わず進んだ。

 どんどん、どんどん。

 知らないはずの、「あの場所」を目指して。

 どんどん、どんどん。

 中嶋の左手に民家と荒地が交互に現れた。

 彼は、「あの道」に来ていたのだ。いつしか小雨が降ってもいた。


 前方の少し離れた所から、話し声が聞こえた。

 中嶋は目を凝らした。

 それは、自動販売機の前でたむろする数人の若者だった。



 そのとき、彼の横手にある荒地の、奥の方で、青い炎が上がった。小雨とは言え、雨の中で、不思議なことに炎が上がったのだ。彼はそれを、見惚れるように見つめた。

 突如、彼の体の奥から、高村を殺されたことへの悔しさが込み上げてきた。

 溢れ出す感情は、抑えられなかった。

 涙が止め処なく溢れた。

 やがて彼は嗚咽を漏らし始めた。

 中嶋の脳裏に、例の夢の一場面が蘇った。中嶋が、擦れ違いざまに高村を刺した場面だ。

「な・・・」

 彼女が最後に何を言わんとしたのかを、彼ははっきりと悟った。

 彼女は、「なぜ」と言いたかったのだ。

 なぜ、私は殺されなきゃならないの?

 なぜ、こんな理不尽なことがあるの?

 なぜ、なぜ、なぜ・・・。

「ああ、ああ!」

 中嶋はアスファルトの地面に伏し、慟哭した。膝と腕は雨水に濡れた。



 やがて中嶋は静かになった。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 悔しさが、純粋な憎悪に変身していた。中嶋の顔は、先程までとは別人のようであった。目は釣り上がり、それでいて、面持ちはあくまで冷たかった。悪魔のような顔であった。

 彼は、包丁を握り締め、歩き始めた。目指すは、自動販売機の前にいる、あの若者たちである。彼等を皆殺しにする。そのことだけが頭を支配していた。


 中嶋が六歩ほど進んだとき、突然、何者かが二の腕を掴んだ。はっとして振り返った。

「ううっ・・・!」

 中嶋の全身は凍りついた。

 それは、死んだ高村だったのである!

 長い前髪の間から、その双眸がじーっとこちらを見つめている。逃げようと思ったが、体が動かない。

 高村の顔が、すーっと近付いてきた。恐怖のあまり、意識が遠ざかっていった。



「しっかりして!」

 その声が、中嶋の意識を繋ぎ止めた。よく見ると、高村は、昨夜と同じくスーツ姿ではないか。

 中嶋の表情は、いつの間にか平常に戻っていた。荒地の炎も、消えていた。

 高村は、中嶋の両肩に手を添えて、言った。

「よく聞いて。私は高村薫じゃないのよ。」

「え?」

「それに、あなたと高村薫には、何の関係もないのよ。」

 中嶋は混乱しながらも、何とか反駁した。

「何を言うんだ。俺は昔、薫と付き合ってたんだ。」

「じゃあ、薫さんと、どこで知り合ったの?」

 彼は答えられなかった。

「薫さんとの思い出は、何がある?」

 彼はまたも、答えられなかった。

「俄かには信じられないかもしれないけど、よく聞いて。あなたは、高村薫の霊に取り憑かれて、彼女と恋人同士だったと思い込まされてたのよ。復讐を肩代わりさせるために。私は、高村薫に変装して、あなたに近付いて、除霊の機会を窺ってたのよ。」


 中嶋はまだ混乱していたが、高村と同じ顔をしたスーツの女性の視線が、例の荒地に向けられたことに気付き、彼も目をやった。

 荒地の奥の方に、高村の霊が立っていた。身に着けているパステルカラーの上下は、血まみれだ。

 スーツの女性は、中嶋を庇うように、彼の前に歩み出た。高村は「憎い・・・憎い・・・」と呟いている。

 スーツの女性は言った。

「彼女は、事態が飲み込めずに亡くなったから、怨念を暴走させてしまったの。それで、あなたを操って、誰でもいいから復讐しようとしたのよ。」

 高村は尚も、「憎い・・・憎い・・・」と呟いている。

 スーツの女性は、高村に言い放った。

「その憎しみが、悪循環を生んでるのが解らないの!」


 そのとき、高村の後ろから、血まみれの中年男が現れた。中年男もまた、「憎い・・・憎い・・・」と呟いていた。

「あなたね。通りすがりの人間に取り憑いて、高村を殺させたのは。」

 すると更に、中年男の背後から、学生服姿の少女、防災頭巾を被った女、浴衣を着た少年と、次々に現れた。いずれも血まみれであり、「憎い・・・憎い・・・」と呟いている。血まみれの亡霊はどんどん増え、十人に上ったが、まだ増え続けている。

「憎い・・・憎い・・・」

 その声が重なり合い、唸り声のように響いた。

「呆れたものね。この場所で、通り魔事件が繰り返されてきた訳だわ。」

 スーツの女性は言った。

 荒地を、亡霊の群れが埋め尽くした。

 やがて、それらは膠着し合い、大きな黒い雲になった。

 荒地の中を、無数の「憎い・・・憎い・・・」がこだましている。それはまさに、憎悪の塊であった。


 中嶋が震えながら見守る中、スーツの女性は、言い放った。

「そろそろ変装を解くときのようね。」

 女性は、ジャケットのボタンを外し、首にスカーフを巻いた。少し橙色味を帯びた、明るい赤のスカーフである。

 彼女は経を唱え始めた。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄・・・」

 彼女は、経を唱えつつ、黒い雲に向かって歩いていく。

「・・・無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得・・・」

 彼女の声が、いつの間にか男の声に変わっていた。

「・・・羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶・・・般若心経。」

 読経が終わったとき、彼女の姿は、すでに女性ではなかった。すっかり男性に変じていた。齢は三十前後であろうか。


 漆黒のスーツ、純白のワイシャツ、そして朱赤のスカーフの美丈夫であり、髪には、やや癖がついている。右手には、スカーフと同じ朱赤の、大きなペンを持ち、くるくると回していた。

 それは、あの、禅寺で読経していた、例の男であった。

 男は自信満々に言い放った。

「悪霊・『通り悪魔』。この俺様の目に留まったのが、貴様の運の尽きだ!」



 戦いが、始まった!

 男はペンを、回しながら耳の後ろあたりに構えた。ペンは中指と薬指の間でシュタッと止まった。

「食らえ、必殺・武道ペン回し!」

 そう叫んだと同時に、彼はペンを回し、黒い雲=通り悪魔に向かって弾き飛ばした。ペンは目にも留まらぬ速さで回り、円盤のようになって、通り悪魔に直撃するかに見えた。が、通り悪魔から、包丁を持った腕がニュッと伸び、ペンを弾き返した。

 男は通り悪魔にむかって走りながら、弾き返されたペンを掴み取った。そして、再び力強く回し始めた。

 通り悪魔から、ニュニュッと、四本の腕が現れた。いずれも、手に刃物を握っている。刃物が、男に襲い掛かった。男は仁王立ちし、ペンを回して、これを次々と撥ね退けた。

 そのとき、新たに二本の腕が出てきて、男を捕まえた。男は、通り悪魔の中へと引き込まれた。


 通り悪魔の内部は、全くの暗闇であった。先がどれ程広がっているのかすら解らないほどであった。

 周りに警戒しながらペンを構える男に向かって、鎌を握った腕がニュッと襲い掛かった。

 男はペンを回して、見事にこれを弾き返した。

 更に、四方八方から、凶器を持った腕が現れ、続々と男に襲い掛かったが、男は、すべて弾き返した。

 攻撃が止むと、暗闇の中から、ヌッと、髷を結った男の顔が現れた。

「『祟り』の邪魔をするな!俺は、覚えてこそいないが、どうやら理不尽な死に方をしたようだ。だから、こんな形でしか復讐できないのだ!」

「それが新たな祟りを生み、憎悪の連鎖を生んでいるんだ。」

 ペン回し男は、暗闇を見渡しながら言い放った。

「怨霊たちよ、よく聴け!怨念からは、何も生まれやしない!それよりも、赦すことを知るがいい!赦すことで、お前たちは、苦しみから解放されるだろう!」

 彼の声を受けて、暗闇の中からざわめきが聞こえた。暗闇の中から、光が、ぽつり、ぽつりと生じた。

 やがて光は大きくなり、暗闇は光に覆われた。


 中嶋の目前で、通り悪魔は、光を放って霧散した。そしてその中から、ペン回し男が中嶋の方へ飛び出してきた。

 中嶋が呆気に取られて見守る中、男は、荒地の方を向いた。そこには、先程の髷を結った男が立っていた。身に着けている着流しは、血まみれだ。

「俺は、憎むことも許されないと言うのか!」

 ペン回し男は、ずいっと歩み出た。

「違う。お前には、赦すという選択肢があるんだ。」

「綺麗事を言うな!訳も解らず死んでいった俺の怨念が、貴様などに解るか!」

「お前の怨念を、俺は知る由もない。だが、お前を救う術なら知っている。」

 そう言うと彼は、右手でペンをくるくると回しながら、怨霊の方へ歩きだした。

「俺はお前の怨念を叩き斬る。このペン回しで!」

 怨霊は、小太刀を握り、ふうっと飛んできた。

 男は歩みを止め、右足をサッと引くと、ペンを耳の後ろにシュタッと構えた。そして、ペンを猛烈な速さで回した。

「必殺・武道ペン回し!」

 彼の右手は、唸りを上げて回るペンを乗せた侭、飛んできた怨霊に叩き込まれた。

 その刹那、怨霊は光の粒に変わった。そして、天へと昇り、虚空に消えていった。



 地に尻を付けている中嶋に、男は歩み寄った。

「通り悪魔は、お前自身の悪循環に反応して、お前に取り憑いたんだ。」

 そう言って男は、中嶋の前にしゃがみ込んだ。

「希望と執着は違う。執着を断ち切れるのは、お前自信の『意志』だけだ。」

「意志・・・。」

「そうだ。意志の力で、運命を切り拓け。」

 中嶋は、男の言葉に、ある残酷さを見出した。

 執着を断つという選択肢に気付くことは、同時に絶望をも意味していた。

 立ち上がり、踵を返した男の背後で、中嶋は思わず、「俺はどこに向かえば良いんだ・・・」と呟いた。大学受験を諦めたら、彼には、自尊心も、将来の展望も、何もないのだ。

 ペン回し男は振り向き、中嶋の心情を、その一言から全て見透かしたかのように、言った。

「生きることの価値は、お前自身が作り出せ。」

 そう言い残して、男は歩き始めた。中嶋の絶望は、希望が到来する可能性をも孕んだ絶望であったのだ。



 東に向かって歩いて行く男の背に向かって、中嶋は言った。

「待ってくれ。あんたは、一体誰なんですか?」

 男は歩みを止めた。そして言った。

「一子相伝『武道ペン回し』の継承者。人呼んで、魔を裂く朱赤の竜。俺の名は・・・」

 男はゆっくりと振り返る。

「俺の名は、麻咲(まさき)イチロウ!」

 その刹那、男=麻咲の背後から、銀色に煌く光が迸り、瞬く間に彼を包み込んだ。それは地平より出現した朝日であった。


 しろがね色の陽光に包まれた麻咲イチロウの雄姿は、まさに、暗雲を切り裂き、晴天を回復せしもう英雄の威容であったのだ!



(七)

 後日、中嶋は、大学入試の過去問題集を、川原で焼いた。それは彼にとって、切られるような痛みを伴う作業であった。煙が天へと吸い込まれてゆく様子に視線を致すと、彼はさながら、積年の夢が黄泉路へと旅立つのを見送っているような心境になった。

「俺の青春よ。成仏してくれ・・・。」

 彼は、恋人の死を悼むかのように言った。


 そのとき、ラジオから、高村を殺した犯人が逮捕されたとのニュースが聞こえてきた。犯人は、「兄の仇をとるために殺した」と供述したが、彼に兄はいなかったし、高村に前科はなかったという。


 あの通り悪魔は、謎の英雄・麻咲イチロウが倒した。だが、安心するのはまだ早い。いつ、いかなる場所にも、怨念は跳梁している。次に怨霊に憑依されるのは、読者よ、あなたでないとは限らないのだ。

 しかし、あなたは既に、このような身の毛もよだつ恐ろしい現象から、自身を救助するヒントを得た筈だ。それこそは、麻咲の言う、「意志の力」なのだろう。



 第一話・完

2016/01/24起筆

2016/03/03公開

2023/04/02文章手直し(セリフ以外)




 ―――次話PR―――

 迫る動物霊の恐怖!

 そもそも、祟りとは何なのか?

 新登場の超能力刑事・閨川守も必見!

 次回「化け蛙」請う御期待!

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