第六話・後半
(一〇)
警察署の署長室の扉を、閨川が叩いた。
「入れ。」
言われて、閨川は入った。部屋の中には、衝立があった。
「署長、御用の向きは?」
すると、衝立の奥から声が返ってきた。
「署長ではない。君を呼んだのは、私だ。」
そう言って、衝立の向こうから歩み出てきた老紳士の顔を見て、閨川は驚いた。
「あなたは、大阪の川添署長!」
「驚いたかね。東京の署にも顔が利くのでね。君の成長を栄山君が見たら、さぞ喜ぶだろうな。」
そう言って、川添は不敵に笑った。
栄山とは、特殊課の前身である「特殊災害警備隊」の設立者である。ということは、川添は、その頃から東京の特殊課に通暁していたということである。
「閨川君。君には、園里香がらみの事件から手を引いてもらいたい。」
「今回の件に園里香がからんでいるとは限りませんし、管轄外のあなたに、私に命令する権限はないはずです。」
「目玉シールが関係しているのなら、園と関係があるのだろう。これは公式な命令ではない。だが、ここの署長が君を解雇することになっても知らんぞ。」
閨川は、返す言葉を失った。
「良い返事をくれるかね?」
「・・・はい。」
否も応もなかった。
(十一)
一方、中林は、自宅に帰り着き、廊下をすたすたと歩いていた。
先祖代々住んできた豪邸であるが、今は彼の一人暮らしであった。
彼は、一際仰々しいドアを備えた部屋の前で立ち止まり、ノブに手を掛けた。
そのとき、彼の背後から、深く、長い息遣いが聞こえてきた。彼は、その息の主に言った。
「大魔王様。すみませんが、僕はここで手を引かせて頂きます。」
「もはや足抜けはできまい。お主は、もう虐殺の快楽からは逃れられぬ筈だ。」
「いいえ。閨川と約束したんです。」
「お主は、『おばけ会議』のメンバーの命令を聞くと、虐殺の欲求から逃れられなくなる。さあ、虐殺を始めよ、虐殺を始めよ・・・」
その声が聞こえると、中林の肉体に、欲求が込み上げてきた。
「やめて下さい!」
「始めよ、始めよ、虐殺を。楽しめ・・・」
どんどん、彼の体は熱くなり、全身から汗が吹き出た。
「やめてくれ・・・!」
(十二)
特殊課の本部で、コンピュータに臨んでいた一人の隊員が言った。
「警部、中林の自宅で、超能力反応が検知されました。」
閨川は、驚いて言った。
「中林君の家をマークしていたのか!」
「すみません。無断でマークしていました。しかし、これはスプラッシュ・キラーの力を使ったものと思われます。」
閨川は、歯を食いしばった。
「敵組織の仕業だな!」
出動しようとする彼の背中に、部下が言葉を投げかける。
「警部、川添署長の命令に背くことになりますよ。」
閨川は立ち止まった。
「今の彼を救えるのは、私だけだ。」
彼はそう言うと、部下の制止を聞かずに出て行った。
(十三)
中林の自宅に着いた閨川は、彼の名を呼びながら、各部屋を探して回った。そして、例の、仰々しいドアの前に立った。部屋の中から、血の匂いと腐臭とが漏れ出てきていた。
彼は、ドアを開けた。
ぎいいいいいっ。
そのとき、彼の目に飛び込んできた光景は、彼の心を凍りつかせた。
「ううっ・・・!」
彼は思わず唸った。
そこには、もはや人間であるかどうかさえ判じ難い、切り苛まれて生ごみのようになった人々がころがっており、彼らは、鎖に繋がれたり、縄で縛られたり、手足をもぎ取られたりしていた。仕事柄、死体を見慣れている閨川でさえ、その余りの残酷さに、戦慄を禁じ得なかった。
壁に鎖で繋がれている者が、唸り声を上げた。閨川は、その者に駆け寄った。
「今助ける!」
両目を焼かれていたが、辛うじて、中年女性であることが判った。
「私・・・一年前に息子が殺されて・・・この部屋の人は全部・・・犠牲者の家族・・・」
閨川は、彼女の片手の鎖を外した。そして、もう片方の手の鎖も外そうとしたが、彼女はそれを制し、首を横に振った。
「もう・・・、殺して下さい・・・。一思いに。」
そう言うと、彼女は動かなくなった。
閨川の手が、がくがく震えた。余りの理不尽さに、怒りを禁じ得なかったのだ。
彼の背後から、麻咲が飛び込んできた。麻咲さえも、あまりの悲惨さに、一瞬言葉を封じられた。
閨川はその場にへたれ込み、呟くように言った。
「私のせいだ・・・。」
麻咲は、飽くまで厳然と言い放った。
「ああ、そうだ。お前のせいだ。被害を最小限に留めることにも、犯人を憎むことにも徹することができなかった、その結果がこれだ!」
麻咲の叱責は、閨川の心を容赦なく打った。閨川は、ただ俯くことしかできなかった。
麻咲は、踵を返しざまに言った。
「もういい。俺が奴を倒しに行く。」
「待て。」
そう言うと、閨川は立ち上がった。そして、ゆっくりと振り向くと、麻咲に目もくれず、歩き始めた。
麻咲は、彼を止めなかった。その厳しい面持ちに、決意を看取したのだ。
閨川は、部屋から遠ざかりながら、誰に言うともなく言った。
「中林君を・・・、この私が止める。」
(十四)
閨川は、白いアメリカン・バイクに跨り、夜の道路をひたすら走った。夜空は雲に覆われ、ポツポツと雨も降り始めていた。
突然、幾つもの人影が飛び掛ってきた。彼はそれを巧みにかわし、一旦ブレーキを掛けた。
「閨川警部。」
そう言って彼の前に立ちはだかったのは、女学生であった。
「初めまして。学生合衆国の大統領、坂口です。」
そういった坂口の周りに、先程の人影が集った。十数人はいるだろう。それらは、青白い顔の、落人や看護婦であり、皆、額に銅色の目玉シールが貼られていた。
「大統領が直々にお出ましか。悪いが貴様の相手をしている暇はない。」
「ええ、私もそうです。ですから、早く方を付けましょう。」
「抜かせ!改心した人間にまで、無理やりシールを貼って怪獣にするような外道めが!」
「は?」
坂口は、莫迦にしたように首を傾げた。
「彼が求めたのですよ。シールを貼ってくれと。」
「何?」
「すぐに裏切る友達を持って、災難でしたわね。さあ幽霊兵団。やっておしまい。」
そう言って、坂口は姿を消した。幽霊兵団たちは、閨川に向かって、スウッと飛んで来た。
閨川は、刀の柄を握り締め、それを荒々しく抜き放つと、バイクのアクセルを踏んだ。
「ウオーッ!」
彼は雄叫びを上げ、バイクに乗ったまま刀を振るい、迫り来る幽霊兵団を次々と薙ぎ払った。
(十五)
最初の事件現場の近くで、雨の中、一人の男が逃げ回っていた。彼はやがて水溜りに足を取られて転倒した。
「尼西高校の教師だね。」
そう言ったのは、中林であった。額には、銀の目玉シールが貼られていた。
教師は逃げようとした。しかし、あろうことか、水溜りの水が、彼を捕まえたのだ。
「ひいっ!助けてくれ!」
「君は、どんな悲鳴で僕を楽しませてくれるのかな?」
そう言って、中林は右手で手刀を構えた。右手の先から、ウォーター・カッターのように水が吹き出た。
彼は、笑いながら教師に近寄った。
そのときだった。突風が吹いて、中林を吹き飛ばした。
教師を捕まえていた水は、唯の水に戻り、彼を解放した。
「逃げろ。」
その声の主は、閨川であった。教師はそれに従い、逃げた。
中林は言った。
「水の力は素晴らしいね。僕の欲求を満たしてくれる。」
「中林君・・・。」
「その名で呼ぶな!」
中林の額のシールが、銀色の光を放った。
「虐殺変身!」
中林がそう叫ぶと、雨足が一気に激しくなった。彼の体は、雨の力を吸収して、黒く染まった。そして、全身に、無数の目玉がギョロリと現れた。
「ふふふ。僕は『虐殺怪人・スプラッター』さ!」
雨に包まれた不気味な黒い体躯と対峙し、閨川は、決意に満ちた面持ちで、刀を抜いた。
「虐殺怪人・スプラッター。貴様の企みは、ここで終わる!」
スプラッターは、蛙のように長い舌の先から、水の塊を何発も発射した。閨川は、それをかわしながら、敵に飛び掛かり、舌を切り落とした。
「ぎゃあ!」
敵は一瞬怯んだが、右手からウォーター・カッターを放ち、閨川に叩きつけた。閨川はそれをかわしたが、あろうことか水流はぐにゃりと曲がって迂回し、閨川を直撃した。閨川はアスファルトに叩きつけられた。その様を見て、スプラッターは嗤った。
「この僕に勝とうなど、笑止!」
閨川は、辛くも立ち上がると、刀を上段に構え、言った。
「雨よ、私の意志を聞け!多くの命を奪い、のみならず、その本人をも苦しめる、恐るべき邪心を浄化するために、お前の力をこの刀に貸してくれ!」
すると、どうだろう。篠突く雨は、突如、重力に逆らい、刀身に降り注いだではないか。
やがて雨は止み、閨川を囲むように虹が掛かったかと思うと、刀は、凄まじい勢いで水を噴き出した。
「超能力・飛沫斬り!」
彼は地を蹴り、跳躍して敵に飛び掛った。
次の瞬間、刀身は、敵の額のシールを一気に斬り下ろした。それと同時に、閨川は着地した。
スプラッターは、絶叫と共に爆発した。
あとには、気絶した中林と、破れたシールが残った。
もはや雨は上がっていた。
「閨川!」
そう言って、麻咲が駆け寄ってきた。
「斬ったのか?」
「いや、シールだけ斬った。彼には、罪を償ってもらう。」
二人の方に、足音が近付いてきた。
「何者だ!」
閨川は刀を構え、麻咲はペンを構えた。
三つの人影が、二人の方に歩いてきていた。園、道明寺、そして坂口であった。
「久し振りね、警部。」
「園里香!」
閨川は叫んだ。
「嬉しいわ。やっと本名を覚えてくれたのね。」
「まだあんたを園と認めた訳じゃない。」
「初めまして。太陰サークル代表の道明寺と申します。」と道明寺。
「死に損なったようね、警部。」と坂口。
そして、三人の背後から、深く、長い息遣いが聞こえてきた。三人は跪いた。
そのとき、中林は意識を取り戻した。そして、片足を引き摺りながら、その何者かに近付いた。
「大魔王様・・・、どうか、もう一度シールを・・・ぎやああ!」
中林の胴は、巨大な杖によって貫かれた。
「中林君!」
閨川が叫んだ。
中林は、息絶え、崩れ落ちた。
「敗北者にチャンスはやらん!」
そう言ったそれは、血のように赤い肌を備え、漆黒の鎧に身を包み、その上から高貴な白のマントを羽織り、赤い顔には金色の大きな目が二つあり、額には金色の目玉シールが貼られ、シールからは二本の牛のような角が生えた怪人であった。
「儂の名は、恐怖大魔王。」
「恐怖大魔王・・・、よくも中林君を!」
閨川はそう言うと、麻咲の制止も聞かず、恐怖大魔王に飛び掛った。だが、彼の体は、怪人の振るった杖によって弾き飛ばされた。
「儂は、偉大なる『おばけ会議』の首領である!」
「おばけ会議だと?」
麻咲は、閨川を助け起こしながら言った。
「左様!儂の目的はただ一つ。超自然への畏怖を失くした、愚か極まる現代人共にショックを与え、日本を、怪談の国にすることじゃ!ここに、怪談復古の大号令を発布する!これは宣戦布告であるぞ!フハハハハ!フハハハハハ!」
恐怖大魔王と、おばけ会議の一味は、嗤い声と共に姿を消していった。
閨川と麻咲は、再び降りはじめた雨の中、立ち尽くしていた。
つづく
2016/06/24起筆
2016/12/10一部変更(怪人「スプラッター」のデザイン、及び戦闘シーン)
2023/04/08文章手直し(セリフ以外)
―――次話PR―――
死んだ友達から届くメールの恐怖!
そして遂に明かされる、武道ペン回し誕生秘話!
全ての謎が解き明かされたとき、感動のラストがあなたの胸を打つ!
次回「あの世からのメール」請うご期待!