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現代の怪談―The Contemporary Kaidan―  作者: 坂本小見山
05.''Worth of Hardships''「湖に潜むもの」
15/42

解説 〔第五回〕

メイキング オブ 「現代の怪談」〔5〕

~大自然の驚異~



☆人間はどこまで自然を知りえるか☆

 科学万能主義は今や「国教」と化している。

科学が悪いとか、宗教を信じるべきだとか言っているのではない。

むしろ私は、「何事も盲信してはいけない」と言っているのだ。

近現代は、「科学」という宗教を信じていなければ、「迷信家」という異教徒として扱われる時代ではないか。

これは、国家神道を信じなければ非国民とみなされた戦前戦中のイデオロギーと、構造的に似通っている。

(結局正しいものなど無いのだ、と私は勝手に考えて納得している。)


 それはさておき、今回の敵「河童」は、幽霊でも妖怪でもなく、「生物」だ。

にも拘らず、この話は怪談として成立している。

なぜなら、「河童」は正体が知り得ない存在だからだ。


 現代人代表の閨川は、「生物なら正体が掴めるはずだ」と決め付けて掛かっていた。

しかし、鱗を検査しても、「普通の鯉と同じ」という結果しか得られなかった。

閨川は、大自然に嘲笑われたのだ。


 これが大自然の「勝ち方」ではないだろうか?

閨川の行為は、言わば、科学をもって、自然の驚異の領土を侵略する試みであった。

しかし、自然の驚異の領土は、侵略されるしりから、侵略された分だけ補填されるのだ。

こうして、河童の正体は、閨川(=モダニズム≒科学万能主義)の手からスルリと擦り抜けてしまった訳だ。



☆古代の「神」概念☆

 作中でも少し触れたが、一説では、古代において、台風や伝染病、シャチや熊なども神とされた、とされる。

つまり、凡そ人間より強いもの、人間を超越した存在は全て「神」と呼ばれたということだ。

この定義に従う限り、科学が万能ならば、科学は神だということになる。

しかし、人間の知の地平は有限だ。科学は神ではない。

そのことを、この話で表現したかったのだ。


 人間の知の限界。それが第一のテーマである。



☆苦労崇拝への疑問☆

 私は予て、「苦労の分だけ、人格が研鑽される」という考え方に疑問を抱いてきた。

確かに、人格の研鑽に粒粒辛苦の努力が必要不可欠だということは、私も身に染みて感じている。

しかし、世の中には「報われない苦労」があることもまた確かである。


 更にたちの悪いことに、「苦労したんだから、報われて当然」と思っている人々は、他人にまで同じ「報われぬ苦悩」を強要したがることが多い。

これが罷り通れば、それはそのまま、モラル・ハザード(健全な倫理を崩壊させる因子)になってしまう。

これが第二のテーマである。



☆運命を克服する強さ☆

 麻咲は、決してトラウマに理屈をつけて正当化したりしない。

といって、それに苦しめられ続けることもない。


 人間の美点は、たとえ毒を飲んでも、それを解毒できるところではないだろうか。

それは決して、毒を薬に仕立て上げて納得することではないのだ。

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