第五話・後半
(一〇)
藤沢は、霊能者の道場を出た。そのとき、彼女を呼ぶ声があった。それは閨川守であった。
「昨日は、ありがとうございました。」
「君は、この教団の信者だったのか?」
「ええ、まあ・・・。」
閨川は警察手帳を見せた。
「私は特殊刑事・閨川守だ。例の、手の化け物を追っている。良ければ、話を聞かせてくれないか。」
閨川は、近くのラーメン店で、藤沢から事の仔細を聴いた。
聴き終えて、二人は店を後にした。閨川は言った。
「今日は、母親のところに帰るのか。」
「ええ。今後、一緒に暮らそうかと。」
「君は、自分を捨てた母親と、その母親を奪った新興宗教を信じるのか?」
そう言われ、藤沢は暫し沈黙した後、言った。
「実を言うと、ただ、母との繋がりが欲しかっただけなんです・・・。医大に入ってしまったのも、母が昔、医学部の受検に失敗したから、あたしがその仇を取ることで、母と繋がれるような気がして。」
「そこまで母親に取り入る必要などない。」
「頭では解っているんです。受験勉強に励んでいた頃は、自分の目的が何かなんて、考えもしませんでした。あとから振り返って、母のために頑張っていたということに気付いたんです。」
閨川は、遠い目をして言った。
「私にもそんな時期があった。高校を卒業した途端、アイデンティティを失い、自分が何者か解らなくなってしまった。そこに漬け込まれ、一時は悪の組織に身を置いてしまった。」
それを聴いて、藤沢の中に、閨川に対する親近感が湧いた。
「あたしとそっくりですね。」
「いや、誰もが一度は通る道だと思う。だから、心配することはない。」
その言葉が、藤沢の胸に、居た堪れない気持ちを込み上げしめた。自分の苦悩が「誰もが通る道」として画一化され、俄かに、平凡なものに思えてきた。
(十一)
その日の夕方。
滋賀県の警察署に、目立たない別棟がある。これは、怪奇現象を捜査する「特殊課」の支部なのである。そこに、閨川守が入ってきた。
閨川に若い女性隊員が近付いた。彼女の名は竹中邦子。閨川の相棒であり、民俗学者でもある。
「警部。相変わらず、心霊反応は検知されません。」
室内から、別の声が上がった。
「閨川警部、琵琶湖に設置したカメラに、謎の巨大な影が映りました!」
「本当か!」
「今、静止画解析に掛けます。」
閨川は、竹中に言った。
「もし、敵の正体が未確認生物なら、幽霊よりも対処し易い。」
「果たして、そうでしょうか?」
「何と言っても生物だからな。害獣と変わらん。ついでに、生物学の進歩に貢献できる。」
「自然を甘く見てはいけませんよ、警部。」
「うん?」
「古代の日本では、シャチやクマもまた、信仰の対象とされてきました。古来、畏敬の対象は、『人間よりも強い存在』全般なのです。ですから、UMAもまた、いわば『現代の妖怪』と呼ぶべきではないでしょうか?」(注2)
そうこうしていると、奥から先ほど声を上げた隊員がやってきた。
「解析が終わりました。」
「どうだった?やはりUMAか?」
「すみません。ただの、少し大きめの鯉でした。」
一同は落胆した。
(十二)
その夜、藤沢は、琵琶湖の浜を歩いていた。一昨日歩いたのと、同じ場所である。
藤沢は、小高い堤の上に上がり、そこから琵琶湖に臨んだ。
夕方、閨川の言葉によって、一度は失われた彼女の自尊心は、何とか再生していた。自分が望んでいる苦難が、決して人並みのものではないということは、自分自身にしか解らない。彼女はそう思った。
(琵琶湖は広いわ。でも、どこから眺める琵琶湖も、同じ琵琶湖よ。でも、もし、ここから落ちて、死んでしまったら・・・?あたしにとって、『この』琵琶湖だけが、終焉の地という特別な意味を持つことになるわ・・・。)
そのときだった。彼女の心中を見透かしたかのように、声が聞こえた。
「やめろ。お前に、自殺する必要などないはずだ。」
振り向くと、赤いスカーフを棚引かせ、美男子が歩いてきていた。
その頃、特殊課の本部に、連絡が入っていた。昨日心霊現象が起きたという、藤沢のアパートに調査に行った面々が、何人もの不審者を捕らえたという。
「警部、心霊現象が聞いて呆れますよ。奴ら、藤沢さんの留守中に、細工をしていたんです!」
「その賊の正体は判ったか?」
「はい。奴らは、例の霊能者の弟子です。」
それを聞いて、閨川は、急いで出撃した。
一方、湖にて、藤沢は男を訝しんで言った。
「あなたは・・・?」
「魔を裂く朱赤の竜。竜血戦士・麻咲イチロウだ。」
風が、麻咲のスカーフを靡かせた。その優美さは、彼が尋常ならざる存在であるを物語っていた。
「あたしは、苦労知らずなんかじゃないわ!」
麻咲は、藤沢に、力強く言い放った。
「『艱難なんじを玉とす』か。なるほど、これは正しい。だが、俺はこれに加えてこの言葉を教えてやる。『艱難なんじを自惚らしむ』だ。」
更にその頃、閨川たち特殊課は、例の霊能者の道場に突入していた。
「琵琶湖の橋に幽霊が出るという都市伝説に便乗し、トリックで心霊現象を捏造し、除霊の真似事で信者を集めるとは、考えたな。だが、貴様の企みはここで終わる!」
逃走しようとした霊能者を、閨川は取り押さえて言った。
「不法侵入、詐欺、脅迫の容疑で逮捕する!」
手錠を掛けられ、連行される霊能者に、閨川は言った。
「それにしても、あの橋の巨大な手は、どういうトリックだったんだ?」
霊能者は、きょとんとして言った。
「巨大な手?そんなもの、知らん。」
「何だと?」
「我々がやったのは、ベランダの声と、壁の手だけだ。」
「まさか・・・!」
閨川は血相を変え、後の始末を部下に任せると、白いアメリカン・バイクで走り出した。
湖では、麻咲は藤沢に言っていた。
「良薬が口に苦いからと言って、口に苦いものが皆良薬とは限らない。」
「人は、苦労から忍耐を学ぶと・・・。でなければ、苦労した人は、報われないことになります!」
「それは違う。人は変われる!人間の真価は、自力で、苦難によって生じた心の闇を、払拭できることにある。そのために必要なのは、宗教でもなければ、他人の評価でもない。必要なのは、己自信の不屈の意志だ。それに・・・、」
麻咲は、少し言い淀んだが、敢えて言った。
「それに、お前はただ、同情を得たかっただけじゃないのか。」
藤沢はぎくりとした。そして、慌てて否定した。
「それは違うわ!」
そのときだった。藤沢の背後から、黒い巨大な手が現れたのだ!
藤沢は振り向いた。手は、藤沢に迫ってきていた。
巨大な手が藤沢の体を掴もうとしたとき、赤い「何か」が弾き返した。
麻咲の手に戻って行ったそれは、赤いペンだった。
「必殺・武道ペン回し!」
ペンは再び麻咲の手を離れ、巨大な手に向かって回りながら迫った。巨大な手は、それをかわすと、水中に逃げ込んだ。
そこに、純白のバイクに乗った閨川守が現れた。
「今のは何だ!」
「俺は勝手に『琵琶湖怪獣・河童』と呼んでいる。正体は俺にも判らないが。」
麻咲は、閨川に言った。
「水中戦はできるか?」
「ああ。」
「よし。一緒に行くぞ。」
麻咲は、蟹股になり、手の先を股間に向けて、叫んだ。
「出でよ、ネオ辰砂!」
麻咲の下半身が強い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、彼は大きな赤い一輪車=ネオ辰砂に乗っていた。
閨川は叫んだ。
「風よ、私に纏まり付け!」
すると、閨川は風を身に纏い、湖に飛び込んだ。麻咲もまた、一輪車に乗ったまま潜水した。
(十三)
水中は暗く、一寸先は闇であった。
閨川は人差し指をぴんと立てた。
「光よ、私の指に集え。」
閨川の指が、微かに光った。その瞬間、二人の前に、五メートルはあろうかという、大きな黒い何かが見えた。と同時に、その何かが二人に突進してきた。二人ははじきとばされた。
二人が体勢を立て直したときには、「河童」は姿を消していた。ふたりは辺りを見渡したが、何も見えなかった。
麻咲は、自分のスカーフが少し上に靡いたのを見逃さなかった。
「下だ!」
敵は、凄まじい速さで突進してきた。二人は同時に身を翻した。敵は二人の頭上に昇った。
「同時に攻撃するぞ。」
「ああ!」
閨川は、手刀を構えて言った。
「水流よ、私の手に力を貸してくれ!」
麻咲は、ペンを構えた。
「妙技、ウォーター・一輪車ペン回し!」
「やあっ!」
麻咲の放ったペン回しと、閨川の放った水流とが、同時に頭上の敵に直撃した。
ぶろろろろ!
敵は啼き声を上げた。
岸にいる藤沢は、水面が泡立つのを見た。そして、水面から、黒い何かが、昇り出てきたのだ。
一刹那、それは全貌を見せた。竜のように長く、そして、巨大な一対の手を有していた。そしてそれは、再び水中に姿を消した。
暫くして、麻咲と閨川が岸に戻ってきた。
「手応えはあった。暫くは悪さをしないだろう。それに・・・」
そう言いながら、閨川は爪ほどの小さな鱗を取り出した。
「奴から剥ぎ取った。これを調べれば、奴の正体が判るはずだ。」
呆然と見守る藤沢に、麻咲は歩み寄り、言った。
「自分自身にだけは、嘘をつくな。」
(十四)
翌日、特殊課で、藤沢の母に対する取調べが行われた。
「別れた夫は、我が教団の教えを信じず、娘を私から引き離したんです。その娘の方から訪ねてきたので、またとない機会だと思い、教団の幹部の先生と相談し、芝居を打ったんです。唯一誤算だったのは、娘の方から霊能者の紹介を求めてきたことです。」
話を聞いていた閨川が、口を開いた。
「娘さんは、あんたのことを心から慕っているんだ。その心を利用し、宗教に勧誘するとは、如何にも没義道だ。」
閨川は、相手の目を睨みつけた。
藤沢の母も睨み返した。
「誤解しないで下さい。私は、娘のためを思ってしたんです。正しい教えを信じないあなたには解りますまいがね。」
それを聞いて、閨川は立ち上がった。彼の剣幕を見て、横にいた別の刑事が彼を制した。閨川は、気を鎮めて、刑事の方を見た。
「すまない。後を頼めるか?」
そう言って、閨川は取調室から出て行った。出て行く間際に、彼は振り向き、藤沢の母に言い放った。
「貴様は、母親失格だ。」
閨川は、その足で特殊課の基地に戻った。
「警部。」
そう言ったのは、怪訝な面持ちの、白衣を着た隊員であった。
「あの鱗の検査結果がでたのですが・・・。」
「そうか。どうだった?やはり、未知の巨大生物か?」
「いえ・・・、信じ難いのですが、あれは、唯の鯉です。」
閨川は、一瞬絶句した。
「莫迦を言うな。私がそれを剥がし取った敵は、明らかに鯉なんかじゃなかった。」
「いいえ。遺伝子の塩基配列も調べましたが、何の変哲もない鯉、学名・Cyprinus carpioです。」
そう言って、隊員は鱗を閨川の手に渡した。
「そんな・・・。」
閨川は、「河童」に愚弄されたような心持で、呆気に取られて鱗を見ていた。そこに、竹中邦子が口を出した。
「警部。大自然の驚異は、人間の理解能力を超えているものですよ。最先端の技術を以ってしても、なお分からないことの方が多いのです。」
(十五)
閨川は、釈然とせぬまま、東京に帰ることになった。彼は転勤族なのだ。
夕方、ローカル線の駅のベンチで電車を待っていると、麻咲がやって来た。彼は横に座った。
閨川が沈黙を破った。
「お前が『河童』と呼んだ、あの敵、以前話してくれた、前世でお前を殺した怪獣なんだろう?」
「まあ、そんなところだ。なに、今回は逃がしてしまったが、いずれ仕留めるさ。」
麻咲はそう言って微笑んだ。
「強い男だなあ、イチロウは。トラウマを克服して、その上、立ち向かえるなんて。」
「誰にでも出来ることさ。諦めさえしなければな。」
「藤沢も、幸せになってくれればいいな。」
一方、藤沢は、琵琶湖の橋を渡り終え、対岸を眺めた。
(さようなら、あたしの内なる母さん。)
彼女は、今は亡き、理想化された母の虚像に別れを告げると、再び前を向き、力強く歩き出した。
その背後で、琵琶湖の水面に、一瞬大きな影が揺らぎ、すぐに消えた・・・。
自然には、我々には知る由もない脅威が潜んでいる。次にその恐怖を体験するのは、読者よ、あなたかも知れないのだ。
だが、心配は御無用。我らが希望の英雄、麻咲イチロウは、きっと、諸々の闇を粉砕し、偉大なる快癒を齎してくれるだろう。
第五話・完
注2:谷川健一(一九九九年)『日本の神々』岩波書店、二頁・一五〇頁を参考にした。
2016/05/13起筆
2023/04/07文章手直し(セリフ以外)
―――次話PR―――
「目玉シール」にまつわる、第二の事件発生!
そんな中、閨川刑事は、苦渋の決断を迫られるのであった。
おばけ会議の目的とは?そして、その首領の全貌は?
謎が謎を呼ぶ、次回「目玉シールの殺人鬼」請う御期待!