解説 〔第四回〕
メイキング オブ 「現代の怪談」〔4〕
~自分が自分でなくなる恐怖~
この話は、実は三年ほど前から構想していた話だ。
当初は、麻咲イチロウの旧シリーズ「オロチ」の挿話として考えていたのだが、「オロチ」の話の流れに入る余地がなかったので、取り敢えず没にして、執筆の機会を狙っていたのだ。
所謂「意識のハーダー・プロブレム」やら、「人格の同一性」、果てはニーチェの"das Mitgefühl" 「同情」まで、近現代哲学の諸問題をごった煮にした話だ。
この話は「思考実験」の性格が強いため、エンターテイメント性は高いとは言えないだろう。
例によって、雰囲気作りだけは真面目にやっているのだが、はっきり言って、これを怪談と呼んでいいのかどうかすら自信がない。(まあ、目一杯「怪」な談には違わないが。)
だが、こういう話を差し込んでおかないと、シリーズ全体が「作り物の怪談」、言わばファンタジーに終始してしまうと思った。
思考実験は、「理屈」の限界を、残酷なまでにくっきりと示してくれるのだ。
☆間違っているのは、自分か、世界か☆
もし、あなたの信念を、複数の人が否定したら。
それでもあなたは、その信念を持ち続けることが出来るだろうか?
例えば、今日は火曜日だと信じているとき、複数の人に「今日は水曜日だよ」と言われたら、我々はそれを鵜呑みにしてしまうかも知れない。
本当は火曜日なのに。
では、次の場合はどうだろう。
「私は○○である(○○のところにご自身のお名前を入れて欲しい)」
この信念は、たとえ世界中から否定されても、あなたは持ち続けたいと思うのではないだろうか。
☆今回は麻咲が主役☆
普段なら、麻咲イチロウは狂言回しであり、主役はその回のゲストが務める。
だが、今回は、敢えて麻咲を主役に据えた。
それは、これまでの世界観が、このシリーズにおける「真実」だという実感を、読者諸兄に共有していただくためである。
そして、その「真実」が否定されてしまう恐怖を共有して欲しかったのだ。
☆我を通す勇気☆
「俺は麻咲イチロウだ」という信念がぐらついたことで、麻咲は世間から「正常な」人間と見做される。
しかし、本当にそれで良いのか?
それは、通念に阿り、真実を捻じ曲げていることにはならないか?
だとすれば、これこそ狂気だ。
麻咲は最終的に自分の信念を選んだ。
世界中から狂人扱いされても信念を貫き通す覚悟を固めたのだ。
☆「助け合い」を学んだ麻咲☆
ただ助けられただけでは、その人は真の意味で救われたことにはならない。
その人自身もまた他の誰かを助けて、初めて救われたことになる。
麻咲はそのことを学び、「救う者」として更なる進化を遂げたのだ。
☆旧シリーズとの繋がり☆
ところで、今回登場した仏峠咲と相浜誠二は、麻咲が言うように、旧シリーズに登場した菩薩峠咲と相浜清牙と同じ顔という設定である。
これは百パーセント私自身の遊び心であり、旧シリーズの通読を強要する気などは毛頭ない。
全てこのシリーズの内側で完結するように作っているので、その点は安心されたい。
後の話にも、随所に旧シリーズの設定が登場する。
これらも、世界観を広げて面白がっている私の自己満足に過ぎないのだが、それが当シリーズの独立性を侵食しないよう、節度は守っているつもりである。
参考:
この話で扱った問題に興味を持たれた方は、是非とも、次のキーワードを調べてみて欲しい。
①「なぜ私は私なのか」あるいは「意識の超難問」
②「同一性」
③「水槽の脳」