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現代の怪談―The Contemporary Kaidan―  作者: 坂本小見山
04.''A White Darkness'' 「胡蝶の夢」
11/42

第四話・後半

(六)

 ここで、坂本の回想は途切れた。

「この後のことは・・・、思い出せそうで、思い出せないんです。」と坂本。

「大きな進歩よ。でも、何であなたは『一般常識』を憎んでいるの?」と仏峠。

「私は嘗て、『醜形恐怖症』で、自分の顔を人前に晒すことを、恥ずかしく感じていたんです。でも、このままじゃ駄目だと思って、意識的に『恥を恥とも思わない生き方』を心掛けるようにしたんです。そのお陰で、今では自由に人前に出ることができるようになりました。」

「そう思えるようになって、良かったと思うわ。」

「私はその開放感が好きになり、私を縛ってきた観念たちを、全て克服しようと決めたのです。」

「『一般常識』もその一つね。」

「ええ。私の戦いは、連戦連勝でした。しかし、『あいつ』に戦いを挑んでしまったのが、運の尽きでした。」

「あいつ?」

「良心です。良心は、あまりにも強かった・・・。」

 仏峠は、深刻な面持ちを呈した。

「あの事件のことかしら。」

「そうです。私は、近所の少女をターゲットに決めました。少女の母親は、近所の主婦のリーダー的存在でしたから、子供たちも、少女に逆らえませんでした。逆らったら、自分の母親が主婦の間で虐められるからです。私は、彼女を殺しました。そして、良心を克服できたと思いました。」

 仏峠が傾聴する中、述懐は更に続く。

「私は逮捕され、医療少年院に送られ、治療を受けました。そして、良心が再び首を擡げたのです。良心は、完全に斃れてはいなかった。良心は私に復讐を始め、少女の幽霊の幻影を見せ始めたのです。」


 仏峠は、坂本の心情を察し、口を挟んだ。

「どう?あなた自身の感情や記憶が、かなり蘇ってきたんじゃない?」

 坂本は、そう言われて、はっと気付いた。

「今は、自分が坂本だという、実感があります。」

 仏峠はにっこりと笑った。

「そう言ってくれて、嬉しいわ。」

「でも、私には、麻咲イチロウとしての記憶もあるんです。少なくとも、この二年間は。」

「記憶が蘇れば、あなたは完全に坂本山臣に戻れるわ。」

 坂本は、病室に戻された。



(七)

 その夜、病室に、正木医師が現れた。

「坂本君。言いたいことがあるんだ。医師としてではなく、一個人として。」

「何でしょうか?」

「私は君を許せない。これは、医者としての私の弱さかもしれない。君が幽霊の幻影に怯えていたことだって、正直、自業自得だと思えてならないんだ。」


 それは医師としてあるまじき発言であった。明らかに公私を混淆せしめている。坂本は、軽蔑を通り越して、正木に憐憫の情を抱いた。

 そのときなぜか、先の述懐の続きが、吹き出るように思い出されたのである。



(八)

 二〇一〇年。あの後、坂本は、再び高校に呼び出された。この日は、担任と彼との一対一であった。

「実は、マウスの肉の事件以降、理科教師の間で動揺が広がっていてね。私としては、非常に残念なんだけど・・・。」

 担任は、黙して退学を命じた。

 坂本は腹を据えた。

「仕方ありませんね。不服ではありますが、これが大勢(たいせい)だと思って、諦めましょう。」



 坂本は、学校からの帰路、斯く考えた。あの理科の女性教師が、坂本を退学に追い込んだのではないかと。実際、あの理科教師は古株であり、権力を握っていることが知られていた。


 そのとき、車道を挟んだ向こう側の喫茶店に、彼は目を奪われた。窓越しに見えるのは、若い女性と、青年である。その青年は、浅葱色一色のパーカーを羽織っていた。そう。相浜だったのである。

 サボタージュしてアヴェックと逢引しているのであろうか。しかし、この時間は、神学の試験中の筈なのだ。

 坂本は、ある考えに駆られた。

(相浜は、神学の講義を、そもそも受けていないのではないか?)

 と。



 坂本は相浜の下宿に帰り、合鍵で部屋に入ると、彼の書類を漁った。神学関連の書類は、一切見当たらなかった。

「そう言えば、彼は教科書を買っていなかったな。『要らない』と言って。」

 坂本は確信した。相浜が、坂本に、教える側としての自尊心を与えるために嘘を吐いていたのだと。



(九)

 カウンセラー・仏峠は、坂本の述懐を聞き届けた。

「それであなたは、そのことを相浜君に伝えたの?」

「いいえ。だって彼は、私のために嘘を吐いていたんです。どうして責められましょうか。」

「でも、怒りは自然な感情よ。」

「腹が立ったのは、寧ろ自分自身に対してです。私は所詮、哀れまれるべき存在、病人でしかなかった。私は、私が坂本山臣でなければ良いのに、と思うようになり、次第に空想の世界に生きることを好むようになりました。空想の中で、私は正木先生の姿と名前とを借りました。それがペンスピナー・麻咲イチロウです。」



 仏峠は、坂本を、コンピューターの前に座らせた。コンピューターには、縦書きのワープロ・ソフトウェアが起動していた。

 そこには既に、幽霊に怯える坂本を、麻咲が助ける場面までが書かれていた。

「さあ、続きを書いてちょうだい。『現代の怪談』の第四話を。これが最終話よ。」


 坂本はその夜から、麻咲が正気に戻り、坂本としての日常生活に復帰する物語を執筆し始めた。



(一〇)

 翌日、相浜が見舞いに来た。

「やあ。小説の最終回を書き始めたそうだね。それも、元の生活に戻る話を。」

「ああ。ようやく僕も、現実を見る決心をしたんだ。行く行くは、退院して就職するシーンでハッピーエンドにしたいね。」

「その前に、高校を無事卒業するシーンが必要だな。」

 相浜は笑顔でそう言った。坂本は怪訝な面持ちを呈した。

「僕は退学になったんじゃないのか?」

「何を言ってるんだ。君は休学中。また復帰できるよ。」

「だって、あの理科の先生が・・・。」

「そうだ。あの先生が、他の教師たちを説得してくれたんだ。」

 坂本は面食らった。あの理科教師が、彼を追放したのではなく、彼を庇ったというのだから。


 坂本は訊いた。

「一体、どのようにして説得してくれたんだ。」

「聞いた話だが、あの先生は、お前が『もうしない』と言った以上、これ以上お前を疑う理由はもはやない、と主張してくれたそうだ。」



 これを聴いたとき、坂本は悟ったのだ。担任や相浜など、彼を労る者は、所詮は彼を「治療対象」としてしか見ていないのだ。しかし、あの理科教師は、坂本を一個人として尊重したればこそ、坂本の責任を厳しく追及したのだ、と。結果として、あの理科教師の、坂本に対する信頼こそが、味方となったのだ。


 これに気付いたとき、坂本は、ある決心を固めた。坂本は、看護師に、正木医師を呼ぶよう頼んだ。



(十一)

 正木医師に、坂本は、理科教師のお陰で退学を免れた話をした。そして言った。

「私のことを責めてくれる人は、私を救済対象として見下してはいないのだと気付きました。だから私は、私を責めてくれたあなたに感謝しています。」

 坂本は、この拙劣な医師の目を、ただじっと見据えていた。

「そして、感謝を込めて、あなたを責め返します。あなたの発言は、明らかに公私混同です。今後はお慎み下さい。」

 捲くし立てるように言われ、正木は面食らった。


 そのときだった。

 坂本は目を疑った。

 あろうことか、正木の顔が、自分と同じ顔に変わったのだ!


 坂本と同じ顔になった医師は言ったのだ。

「ありがとう、麻咲イチロウ。」と。


 坂本は驚いたが、次の瞬間にはもう正木の顔は正木のものに戻っていた。

「今、何とおっしゃいましたか?」

「『そんなことを言える立場か、坂本山臣』と言ったんだが?」

(見まちがい、聞きまちがいか・・・?いや、違う。)

 坂本は思った。



(十二)

 その日の夕方、坂本は、仏峠の監視下で、小説の続きを書いていた。小説の内容は、ようやく現在に追いついた。

 そこで坂本は、ふと考えた。あの、正木の言葉と、顔の変貌は、確かに見間違えではなかったと。坂本はそのことをも考え合わせて、こう書いた。




  〈「もしや、空想の産物は坂本山臣の方で、『現代の怪談』の方が真実なのではないか」と坂本は思った〉




 仏峠は、引き攣った面持ちを呈して、口を挟んだ。

「この一文は消した方が、ハッピーエンドに繋がり易いわ。」

 坂本は構わず書き進めた。




  〈坂本・・・否、麻咲は気付いたのだ。実はあの少女の霊は成仏しておらず、坂本を救った麻咲を怨み、彼に憑依し、夢を見せていたのだ。霊は、「人を救う」ことを生き甲斐としている麻咲にとって最も苦痛だと思われる、自分が「異常者として、憐憫の対象にされる」という夢を見せたのだ。正木医師に憐憫の情を覚えたときに、坂本としての実感が強くなったのも、この仮想世界が憐憫に支えられているからだったのだ。

   しかし、霊の予想に反して、麻咲が正木を、責めることによって救うということを選んだので、仮想世界に(ひず)みが生じ、正木の顔が突然変わったり、喋った内容が変わったりしたのだ。それが手がかりとなって、麻咲は、これが夢だということに気付いたのだ。〉




 仏峠は、コンピューターの電源を切ろうとしたが、その手を坂本は振り払った。正木医師が来て、坂本を無理やり席から退かせようとした。坂本は立ち上がり、正木を殴り倒した。そのとき、坂本の心の底から、声が聞こえた。

(正気に戻って来い。お前は、俺だ!)


 坂本の心の奥底に封じられていた、麻咲としての主観、即ち麻咲の自我が、坂本の体に戻ってきたのだ。坂本の体に乗り移った麻咲は、コンピューターの前に座った。

 仏峠が警備員を呼んだ。多くの足跡が近付いてきた。

(時間がない。早く元の世界に戻らなくては。)

 麻咲は、小説の続きを書いた。




   〈白い闇は崩れ始めた。壁や天井に亀裂が入り、そこから、外の現実世界が見えた。そこに少女の霊が現れた。

  「架空の世界に逃げるなんて、卑怯だわ!」

   それを聴いて麻咲は、これがやはり現実なのかもしれない、と思った。〉




 それを聴いて麻咲は、やはり現実はこっちなのかもしれない、と思った。

 亀裂はまたも、閉じはじめたのだ。

 そのとき、亀裂から呼び声が聞こえたのだ。

現実世界の坂本の声だ。「しっかりしろ」と言っている。

 そして、亀裂から、坂本の救いの手が差し伸べられた。




  〈そして、亀裂から、坂本の救いの手が差し伸べられた。麻咲は、両手で坂本の手を掴んだ。坂本の手が、麻咲を引いた。だが、少女の霊が、麻咲の足を掴んだ。

   麻咲は右手を離すと、右手に向かって念じた。すると、朱赤のペンが現れた。麻咲はそれを構えた。

  「やめて。私を二度も殺さないで!」

  「武道ペン回しは殺人技じゃない。俺はお前の怨念を浄化する。このペン回しで!」

   麻咲はペンを回し、霊に放った。

   少女の霊は浄化されて光の粒になり、昇天した。

   やがて、白い世界は、少女の怨念と共に、完全に崩れ去った!〉




(十三)

 白い世界は、少女の怨念と共に、完全に崩れ去った!


 夜空を覆っていた雲は晴れ、星が散りばめられており、現実の坂本が麻咲を見守っていた。

「よかった、意識が戻って。」

 麻咲は徐ろに身を起こした。

「俺は、どのぐらい気を失っていた?」

「ほんの二、三分ですよ。」

「そうか・・・。」


 麻咲は柄にもなく声を上げて笑った。

「どうしたんです?」

「あんたの呼ぶ声が、俺を現実に戻してくれた。これじゃ、あべこべだ。それが可笑しくてな。」

「困ったときは、お互い様ですよ。」

 それを聞いて、麻咲は思った。相手を助けるだけが、救いではない。本当の救いは、共に助け合うことなのだ、と。



 麻咲は帰り道で、ふと考えた。

 麻咲が、自分を坂本だと思い込んでいたときの記憶は、偽の記憶だった訳だが、それは、現実に戻った「今」だからこそ言えることだ。

 しかし、もし仮に、実はこの世界の方が、坂本に植え付けられた偽の記憶だったとしたら・・・?

 麻咲が「今、実際に経験している」この世界は、将来、正気に戻った麻咲=坂本にとっては、「実際に経験した訳ではない」ということになる。

 だとすると、「まさに今経験していること」とは、未来の自分の持つ記憶に過ぎないということなのだろうか?

 麻咲はそう考え、奇妙に思った。


 そのとき、東の空から朝日が昇った。麻咲の当初の予想に反して、雲は晴れ、朝日が姿を見せたのだ。

 麻咲は呟いた。

「事実は小説よりも奇なり、だな。」



 第四話・完

2016/02/21起筆

2016/03/24公開

2023/04/05文章手直し(セリフ以外)





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