第一話・前半
[緒言に代えて]
拙作の一部に、少女漫画作家・故 和田慎二先生の作品へのリスペクトが含まれてございます。この場をお借りして、故先生の御冥福を御祈り致しますと共に、故先生への最も深甚な尊崇の意を表します。
筆者
[第一話]
(一)
時は西暦二〇一三年の初め(注1)。場所は京都の北の外れ。
中嶋は、暗い夜道を歩いていた。小雨に濡れたアスファルトは、独特の臭気を放っている。
田舎であり、中嶋の左手に民家と空き地が交互に現れた。空き地というより、荒地といったほうが正しかろう。若い世代が都会に遷った後、残った年寄りが土地の面倒をろくに見ないためであろうか。
華の古都・京都にも、郊外にはこんな光景がいくらでもあるのだ。
夜道を歩く者は、中嶋以外には、今しがた姿が見え始めた、前から歩いてくる一人の若い女のみであった。女は、パステルカラーの上下を着ており、雨にも拘らず雨具は特に身に着けていなかった。もとより、この程度の小雨なら、それでも不思議ではなかったのだが・・・。
中嶋と女の距離は縮まっていった。女の顔は、長い前髪のため、依然としてよく見えないままだった。
やがて二人は数歩を隔てるに至った。
彼に、女はどんどん近付いてくる。
二人がすれ違ったとき、二人ともの歩みが止まった。
「うっ!」
呻き声が上がった。
俄かに雨足が強まる。
鈍色のアスファルトを雨が強く打る。
その上を、明るい真紅の筋が走る。二人の間から、鮮やかな血が流れ出たのであった。その血は、女の腹部から流れ出していた。
「な・・・」
女は某かを言わんとして、地に崩れ落ちた。
中嶋の手中には凶器があった。
・・・中嶋は布団の中で俄かに覚醒した。全身は汗に塗れていた。無差別殺人の夢は、覚めても尚、彼の全身に犯罪の衝撃を遺留せしめていた。
未だ目を覚ますべき時間ではなかったが、二度寝には遅過ぎる時間であったので、彼は寝床を去り、水を飲んだ。背中に、両手に、みぞおちに、足に、夢に見た流血の恐怖が消えずに残っていた。
中嶋は洗面所で顔を洗った。
洗い終わっても、彼は、顔を上げて鏡に向かうのが恐ろしかった。鏡の中に、夢で殺めた女が映りこんでいるような、空想の恐怖があったのだ。
彼はおずおずと顔を上げた。
勇気を出して、鏡を見た。
鏡には、中嶋の怯えた顔以外、何もなかった。
ここにきて、ようやく、彼の体躯に漲っていた緊張が、一応の弛緩を見たのだ。
中嶋は布団をたたむと、押入れを空けた。
押入れの中から、血まみれの女がこちらを睨み付けていた。
絶叫と共に彼は意識を失った・・・。
(二)
山奥の禅寺の本堂から、読経の声が聞こえている。
「心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏・・・」
経を上げているのは、坊主ではない。洋服を着た、三十を過ぎたほどの男であった。彼は一心不乱に経を唱えていた。
「故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶!」
男は読経を終えると同時に、双眸をカアッっと見開いた。その顔には薄く脂汗が滲んでいた。彼は口許をニヤリとさせた。
「見つけた・・・!」
そう言うと、彼は俄かに立ち上がり、本堂を辞した。
本堂から出てきた男の顔は、先程までとは打って変わり、涼しげな表情をしていた。彼には、ある種の自信が満ちているようだった。
彼は凍て付く山道を歩いて降りながら、独り言を言った。
「この俺様の目に留まったのが、貴様の運の尽きだ・・・。」
(三)
夜。
京都のK川で、橋の改修工事が行われていた。果たして本当に必要な工事なのかどうかはさておき、とにかく、収入源に困っている者にとっては、この工事の求人は天佑だった。
かく思いつつ、青い作業服に身を包んで河川敷で労働する人々の中に、資材を肩に乗せた中嶋の姿があった。彼は他に何を考えるでもなく、愚かなほど素直に働いていた。
彼が解放されて帰路に就いたのは、朝に近い時分だった。
彼の足取りは重かった。これから帰る部屋で、昨日、恐ろしい幻影を見たのだから、無理もなかろう。しかし、彼は帰らねばならなかったのだ。彼の寝床のある唯一の場所へ。何より、彼の体躯は疲労していた。
彼は、溜息とも、独り言ともつかないものを吐いた。
「今日も勉強はできそうにないな・・・。」と。
中嶋は自分の部屋の前で立ち止まった。
ドアの向こうに、昨夜の血まみれの女がいるような気がしたのだ。
そのとき、立ち止まる中嶋の左肩に、冷たい手がまとわりついた。彼は、鎖骨の裏に恐怖が迸ったと同時に、バッと振り向いた。
それは、スーツに身を包んだ、中嶋と同年代の女性だった。
女性は言った。
「私よ。高村薫よ。覚えてる?」
中嶋の表情が、俄かに明るくなった。
「勿論だよ。」
中嶋は微笑みつつ、そう答え、高村を自室に招いた。彼は、内心で、昨夜恐ろしい体験をした部屋で、一人過ごさねばならずに済む、と安堵していた。
中嶋はコーヒーカップとガラスコップに、インスタント・コーヒーの粉を入れると、湯を沸かし始めた。
高村は炬燵の脇に目をやった。そこには、赤い表紙の、分厚い本があった。大学入試の過去問題集であった。
湯が沸いたので、中嶋は二つのコップにそれを注いだ。そして、コーヒーカップの方を高村に差し出した。高村は、謝辞と共に、それに口を付けた。
「受験勉強、まだやってるのね。」
「悪い?」
中嶋は、炬燵に足を入れると、ぶっきらぼうに答えた。
「悪くはないけど、十年も前でしょ?てっきり諦めたと思ってたわ。」
中嶋は、コーヒーを飲みつつ、目を大きめに開いて、無理に機嫌良さ気な表情を作った。
「諦めたくはないんだ。」
十一年前、中嶋は名門・帝都大学の受験に失敗した。
彼は、予備に受験していた別の大学には合格していた。しかし、彼の理想は高かった。彼は合格していた大学に進学せず、両親の反対を押し切って浪人したのだ。そして生家と決別するが如く家を出、アルバイトをしながら勉強をしてきたのだ。最初の内は。
「定職には就いてないの?」
声をかけられ、中嶋はフッと我に返った。
「今はね。大学に合格したら、どの道、辞めなきゃいけないし。」
「じゃあ、今年こそは自信あるのね?」
中嶋は一瞬、返答を詰まらせた。
「実は、仕事が忙しくて、勉強する時間がとれてないんだ。生活で手一杯でね。」
高村は、一息吐くと、言った。
「儀式みたいね。」
一瞬沈黙が流れた後、中嶋が静かに言った。
「俺はもう寝るよ。悪いけど、そろそろ帰ってくれないか。」
「ごめん、悪気はなかったの。」
「帰ってくれ。」
そう言って、中嶋は高村を追い返してしまった。
高村が出て行った直後、中嶋は思い直し、炬燵から出て呼び止めに行った。
中嶋はドアを開けた。が、高村の姿は、既になかった。
(四)
翌日、彼は現場で仕事をしながら、心の中で、自分を鼓舞していた。
「俺の理想は誰よりも高い。俺は帝都大学の受験生だ。」と。
そうでなければならないのだ。定職に就くことは、希望の棄却を意味するのである。彼の、やがて人生の勝者となるという、見えざる属性の存在を、否定したくなかったのだ。
そのとき、中嶋の耳に、ラジオのニュースが飛び込んできた。
彼の手は、一瞬止まらざるを得なかった。彼は仰天した。高村が通り魔に殺されたというのだ。
昨夜見た彼女の顔が、最後の顔であった。昨夜交わした言葉が、最後の言葉であった。中嶋はそう思った。
しかし、アナウンサーが更に告げた内容は、余りにも意外なものであった。彼女が事件にあったのは、一昨日であり、絶命したのは昨夜だというのだ。
それは、中嶋をして信じ得ぬことだった。彼は昨夜、高村と会っていたのだから。その時間、彼女が病院で、息を引き取っていた筈がないのだ。
この大いなる矛盾を解くには、こう言わなければならないのだ。
昨夜会った高村は、生きてはいなかった、と。
(五)
中嶋は、帰途でふと思った。高村が通り魔に遭ったとき、彼はまさに、あの悪夢を見ていたのだ。夢の中で刺し殺された、あの女。長い髪のために、顔がよく見えなかったが、あれは誰だ?
あれは或いは、高村だったのではないか?そう思えば思う程、彼の記憶の中の、あの女の顔は、高村だったと思えてきた。
そう考えると、血まみれの女への恐怖は薄らいだ。昨夜見た高村は、彼に対して怨念などを抱いているようには見えなかった。血まみれの女も、同じ高村の霊ならば、きっと、自分に別れを告げに来てくれたのだ。
彼はそう考えることにした。
中嶋は自室に帰り着くと、一人で献杯を行った。昨夜と同じ、二つのコップに、カップ酒を半分ずつ注いだ。
中嶋は、高村との思い出を述懐しようとした。が、何も思い出せなかった。きっと、犯人への憎しみが強すぎて、述懐を妨げているのだろう。
実際、あれが本当に高村の最期の顛末だとすると、なんと痛ましいことだろうか。
犯人は未だ捕まっていないという。高村を惨殺した犯人がのうのうと生きていることに、中嶋は怒りを覚えていた。
頬を冷たいものが伝ったことに、彼は気付いた。悔しさが溢れ出たのだった。
ふと思った。高村が殺された場所は、一体どこなのだろうか。ラジオのアナウンサーは、「京都府K市S区の路上」としか言わなかった。
しかし、中嶋には手がかりがあった。一昨日の夢である。夢で見たあの道に、中嶋は見覚えがあったのだ。
いつ、あの道を通ったのか?
彼は記憶を呼び起こした。そしてやがて、結論に至った。夢を見たのと同じ、一昨日だ、と。
それは奇妙なことだった。その日は一日中仕事をしていた筈だったし、その場所がどこなのか、まるで知らない。それなのに、確かにその日、「あの場所」にいた記憶があったのだ。
そのとき、中嶋の脳裏に、ある考えが浮かんだ。
「薫を殺した犯人は、まさか、俺なんじゃないか?」と。
注1:西暦は本来キリスト教の思想に基くものであり、普遍的価値観に基くものではない。
近年は、宗教的中立を期して"Common Era" つまり「共通暦」と呼ぶこともあると聞くが、筆者は、この表現にこそキリスト教の普遍的妥当性が含意されてしまっていると考えており、敢えて年号に「西暦」を冠することで、この紀年法が、あくまでA calenderであり、The calenderではないということを示そうと思う。