勇者は世界を滅ぼすことにした
暗い話ですが、読んでいただけると嬉しいです。
目の前に佇む暗黒色の城。壁には蔦が蔓延り、いたる所に毒々しい花を咲かせている。
この中に、魔王がいる。
それに、思わず身体が震えた。
魔王を倒せば、元の世界に帰ることができる。幼馴染を、一人にしなくてすむ。
一度強く目を閉じ、気を落ちつけた。
「ルディウス」
「なんだ」
俺を召喚したファラディ王国の第二王子。優雅でありながら鋭い剣技は、多くの魔物を切り裂いた。
「シアン」
「はい」
膨大な知識を有した魔導師。柔らかな物腰からは想像もつかない冷酷さで、行く手を遮るものを屠った。
「ドグラー」
「おう」
単独でドラゴンと渡り合える力を持つ傭兵。飄々とした言葉と態度で本心は解りづらいが、何度も窮地を救ってくれた。
「フィオーリ」
「勇者様の、御心のままに」
幼くも最高位に立つ神官。あどけない容姿とは裏腹に、実力に裏打ちされた神聖魔術で仲間を護った。
そんな彼らを振り返り、最後の戦いだ、と笑った。
「泣いても笑っても、これが最後だ。勝つ以外の選択肢はないけどな」
「お前なら、いや、僕達なら問題ない。どれほどの強敵だろうと負けないさ」
「油断と慢心はいけませんよ。でも、確かに私達は強くなりました。善戦はできると信じています」
「ま、俺はこいつを振り回せればそれでいいぜ」
「わたくしは、全力で皆様を援護致しますわ。本当は争いなどしたくはないのですが……」
好戦的な笑みを零したルディウスをシアンが窘め、能天気なドグラーが巨大な斧を肩に担ぐ。唯一神妙な顔をしたフィオーリだったが、そんな顔するもんじゃないって、とドグラーにがしがしと頭を撫でられた。
そんな彼らの姿に、込み上げるものがあった。
この日のために、旅をしてきたんだ。
唐突にそんな言葉が浮かんできて、強く手を握りしめた。
俺がこの世界に召喚されたのは、今から約一年前のこと。ここ最近の日課となっている、幼馴染の自宅訪問の帰りのことだった。
突如足元に現れた真っ黒な陣。思考する間もなく飲み込まれた俺が我に返った時、すでにそこは異世界だった。
精神的な衝撃でへたり込んでいる俺を取り囲むのは、漫画や小説でしか見たことがないような華やかな服装の人々。その瞳に映る畏怖や希望に首を傾げた時だった。
『よくぞ来た、勇者よ』
響き渡ったのは、低く威厳のある声。
自然と割れた人垣の間に見えたそれは、煌びやかというよりむしろ目に痛いほどの輝きを放つ椅子に腰かける男だった。
その姿はまさしく、国を統べる者。
彼は俺を見下ろしたまま口を開いた。
『魔王によって滅ぼされかけているこの世界を、どうか救ってほしい』
それを皮切りに、魔王のおおまかな戦力予測、ともに戦う仲間予定の人物の選考状況、武具や防具の微調整など、様々なところから報告の声が飛ぶ。
事態の変化追いつけていない俺をよそに、話はとんとん拍子に進んでいき、数時間後には旅支度が整っているという何とも言えない状況に立たされていた。
唯一確信できるのは、魔王を倒す以外に道が残されていないということ
だから、仕方なしにそれを受け入れた。受け入れざるを得なかった、ともいう。
色々と諦めた後、まず初めに行ったのが王との契約だった。俺が提示したのは、たった一つ。
魔王を討伐した後、元の世界に帰すこと
王はそれを二つ返事で了承した。
なんでも、百年ほど前に同じような出来事があったとか。その時に召喚された勇者は魔王を討ち滅ぼし、無事元の世界に帰還したらしい。それに、魔王が討伐された後に多くの魔術具が開発され、一人を異世界に送るくらいならどうにかなる、とも説明された。
しかし、大変なのはそれからだった。
世界の違いによるものなのか、召喚された者は莫大な魔力と身体能力を持つらしい。俺もその例に漏れなかったが、いかんせん、完全なる現代人に戦闘経験があるわけもない。
旅を初めて約一年、仲間たちに支えられながらようやくここまで来たのだ。
無理矢理この世界に召喚された時、冗談であってくれと喚いた。
勇者に祭り上げられた時、勝手に決めつけるなと憤った。
魔王を滅ぼせと言われた時、ふざけるなと叫んだ。
けれど、俺を見る誰もが『勇者』というフィルターを通してみていた。
貴方はこの世界に召喚された(だからなんだ?)
魔王を倒すために、選ばれた(俺の意志は、どこにある?)
素晴らしき魔力を持つ勇者(元の世界に、魔力なんてものはなかった)
類い稀な力をその身に宿す者(そんなの、知らない)
悪を滅ぼす正義(剣を握ったことすらないのに?)
世界を救える、唯一の光(違う世界の俺に、そんなものを押し付けないでくれ)
旅の先々で言われる言葉は、ただの苦痛でしかなかった。
彼等はただ、一言自分の思いを告げたかっただけなのはわかっている。けれど、それを何百、何千と言われ続けたなら。
降り積もる重圧に、いつしか壊れそうになった俺を助けてくれたのが、彼等だった。
『気に追う必要はない』
『あんなものは、ただ通り過ぎる雑音にすぎないのですよ』
『いちいち相手にするもんじゃないよ』
『分をわきまえない方は、わたくしが抑えてみせます』
その時はただ呆然として、勝手に涙が溢れた。
突然全く知らない世界に放り出されて、魔王を倒せと言われた。戦い方すら知らないのに防具と武具が差し出され、見も知らない者達が仲間として現れた。
彼等には悪いが、信じることができなかったのだ。
だって、魔物が襲ってくる世界ってなんだ?
剣を振り回し、魔法が宙を飛び交うなんて、理解できない。
そんな人達の中で、俺が最強だって?
信じられない。
信じられるわけがない。
元いた世界と何もかもが違う世界を、どうしたら信じられるというのだろう。
でも、今は
俺を見つめる四対の瞳をそれぞれ見返し、強く頷いた。
これが俺の仲間だと、胸を張って言える
「では、最後の確認を行います」
シアンの言葉に、全員が円となる。消耗品などの確認を終えた後、魔王についてですが、と彼は息を吐いた。
「残念ながら、情報が錯綜し過ぎていて確実なことは解りませんでした。そのため、可能性の高い情報を伝えます」
曰く、魔王は無骨な大剣を操る青年である
曰く、魔王は強力な魔術を放つ女性である
曰く、魔王はどちらにも精通した大男である
曰く、魔王は精神攻撃に特化した美丈夫である
「以上が可能性のある魔王の姿と能力です」
「……いや、いやいやいや! さすがにばらばらすぎないか!?」
「たしかにそうですわね……それに、ここまで異なると対処できるかどうか……」
「しかし、この四つのどれもが信憑性の高い噂なのです」
「ま、どうにかなるって」
不安になり始めた空気を読まずに発言したのはドグラーだった。
「そんなの、今までとどこが違う? これまでの戦いで、魔物の情報が確実にわかってたことあるか?」
「……そうだな。その通りだ。さすがドグラー」
「ルディ、それはどういう意味だい?」
「どういう意味だと思う?」
「……わかった、剣を構えろ。真っ二つに叩き切ってくれるっ!」
「ちょ、ドグラー!? ルディウスも剣抜くなよ!?」
斧を振り上げたドグラーに、慌てて後ろから羽交い絞めにする。ルディウスに制止の声をかけると、彼は爽やかな表情で笑った。
「馬鹿だな、本当にやるわけないだろう」
「……嘘じゃない?」
「嘘じゃないって。はははっ!」
普段あまり声を上げて笑わないルディウスに目を瞬き、釣られる様にはにかんでいるフィオーリと目元を緩めているシアンに白黒させる。すると、緩んでいた腕から抜け出したドグラーが、俺の頭を掻きまわした。
「気負いすぎるなって。結局はいつもみたいに、どうにかなるさ」
ドグラーの笑みに悟った。
魔王と戦うというのに、全く緊張しないわけがない。それを、ルディウスとドグラーは解そうとしたのだ。実際、先程までの重苦しさはどこかにいっており、身体が軽く感じられた。
「さて、行こうか」
ドグラーの手が離れ、俺は顔を上げる。小さく頷き、腰に佩いている剣を天に掲げた。
百年前の勇者が魔王を貫いたとされる、伝説の聖剣。
どれほどの魔物を切り裂いても決して切れ味が落ちないそれを振り下ろし、暗黒色の城に向けた。
「これが最後の戦いだな」
「全てが終わるのでしょう」
「勝っても、負けてもね」
「けれど、わたくし達が望むのは勝利のみです」
仲間の声に続いて、大きく声を張り上げた。
「行こう!」
「どこに、行くのですか?」
「っ!?」
突如聞こえた男とも女ともつかない声にぞくりと肌が粟立つ。直後に感知した異常な魔力に勢いよく振り返った。
そこにいたのは、黒一色の服を身に纏った青年だった。光を喰らっているのではないかと思えるほどに黒い長髪からは禍々しい魔力が溢れ出し、指には赤とも青ともつかない不思議な色を放つ巨大な精霊結晶の指輪が填まっている。
青年の光の感じられない瞳と視線が交差した瞬間、全身が硬直した。
こいつが、魔王
誰に言われたわけでもない。けれど、それ以外はありえない。
この世界では規格外といわれる俺の総魔力量には及ばないが、世界でも指折りの魔導師であるシアンや神聖魔術の使い手であるフィオーリよりも遥かに多い魔力。そして、精霊術を使うと思われる魔王のそれは何故か闇の影響を強く受けており、禁忌とされる暗黒魔術の使い手でもあることを意味していた。何より、この押し潰されそうな威圧感。
シアンの予測は、ある意味当たっていた。ただ、予想を遥かに上回っていただけで。
強力という言葉では、決して表せない。
固まった身体を無理矢理動かして、知らず知らずのうちに流れた汗を拭う。
そして、落としていないことが不思議なくらい震えている手で聖剣を握り直し、声を張り上げた。
「ルディウス! シアン! ドグラー! フィオーリ! とにかく体制を立て直せ! いつか……!?」
そこまで言って、言葉に詰まった。
何一つ、動く音が聞こえない。
何故、と振り返って、目を疑った。
仲間は、誰一人として動いていなかった。否、正しくは動くことができなかった。
全身に絡みつく暗黒色の蔦。それぞれの足元に広がる陣から伸びるそれは各々の身体を強く締め付け、無数の棘を突き刺していた。
「――! ――っ!?」
「無駄ですよ。この茨の毒は声を封じます。声なき者にはどうすることもできはしない。もちろん、魔力の動きもね」
魔王の言葉に、おそらく解呪の魔術を唱えていたであろうフィオーリの顔が歪む。
陣が出現したことに気付いて回避しようとしたのか、不安定な状態で戒められているドグラーも歯ぎしりした。
ルディウスとシアンは忌々しそうに魔王を睨みつけたが、動いても無駄だと悟ったからか、抵抗はしていない。
魔王はそんな彼等を見つめ、別に危害を加えるつもりはないのですよ、と目を細めた。
「私はただ、勇者と話がしたいだけです。そこの二人のように大人しくしていてはいただけませんか?」
これ以上何かしようとするなら、面倒ですので殺しますが。
さらりと告げられた内容に冷や汗が伝う。
なおも抵抗しようとしたフィオーリとドグラーに「動くな!」と命令した。
そして、魔王を睨みつけながら剣を収めた。
「――?! ――っ!」
「フィオーリ、大丈夫だ。魔王の手に填まっているのは精霊結晶。精霊は嘘を嫌うから、条件を違えた瞬間魔術が使えなくなる――そうだろう?」
「ええ、その通りです。決して傷つけないという条件のもとに、貴方と話がしたい。話の邪魔をされたくないので移動しますが、それと同時に彼等を解放します。私は誰一人として傷つけませんし、話が終わったら無傷のままここまで送ります。どうでしょう?」
青年の、魔王とは思えないような柔らかな表情に声を失う。
だが、彼が仲間の命を握っているということも事実。
俺は覚悟を決めると、魔王に向かって一歩踏み出した。
「!? ――」
「フィオーリ、身体が解放されたら全員の手当てを。シアンは魔王への対策をいくつか考えておけ。ルディウスとドグラーは周囲への警戒を忘れるな。魔王が精霊結晶を身に付けている以上、全ての約束は守られる。だから皆は、俺が帰るまで待っていてほしい」
俺を止めようとする彼等に命令し、真剣な表情で見つめた。
俺以外全員が囚われ、身動きどころか魔術まで封じられた時点で状況は最悪といえる。それを打開するには、これしかない。
彼等は納得のいかない顔をしていたが、徐に頷いた。
それを確認して、さらに魔王へと近づく。
魔王が軽く右手を振ると足元に転移陣が展開する。それが眩い光を放ち、目を護るように強く閉じた。
○○○
「着きました。どうぞ」
僅かな浮遊感に顔を顰めた直後、魔王の声が聞こえる。ゆっくりと目を開くと、其処は予想していた場所とは全く異なっていた。
「……部屋?」
呆然と呟いてしまったのは仕方ないだろう。
そこは部屋だった。質素な家具が申し訳程度に配置され、想像していたよりもずっと小さい。
例えるなら、一般家庭のリビング。
「……」
「話をするだけなのですから、この部屋で十分ですよ」
一騎打ちでもすると思っていました?
魔王は悪戯が成功したように小さく笑みを零し、テーブルを挟んだ向こう側に座った。
「どうぞ、座ってください」
手で向かい側を示した魔王は、テーブルの中心に置いてあったティーポットを持ち上げ、二つのティーカップに注ぐ。綺麗な琥珀色をしたそれは、仄かな香りをふりまいた。
「勇者を迎えに行く直前にいれましたので、暖かいですよ」
魔王は少し紅茶を飲み、毒が入っていないことを言外に示しながらもう一つのティーカップを差し出す。
ソファに腰かけた俺は、差し出されるがままにそれを受け取り、口に含んだ。
「……っ、これ」
「半信半疑だったのですが、その様子では正解だったみたいですね」
どうして、と驚愕に目を開いて疑問を投げかけた俺を、魔王は柔らかな表情で見つめていた。
「それは、この世界で一般的に飲まれている紅茶とは異なるもの。私が最も尊敬するある方が望み、試行錯誤を繰り返して作り出した一品です。……その方に飲んでもらうことはできませんでしたが」
時間だけはあったので、と悲しげに微笑んだ魔王に、震える声で問うた。
「それは、誰だ?」
この世界の紅茶は苦みや渋みといった要素が強い。だから、それを誤魔化すために多量の砂糖を加えるのだ。
でもこれは、そんなものではなかった。砂糖などで無理矢理変えられたものではない、本来のもの。
元の世界でよく飲んでいた、あの味
魔王は目を閉じてソファに身体を預けると、カップを回して中の液体を揺らした。
「此処とは異なる世界、貴方と同じ〝地球〟と呼ばれる星から召喚された方です。戦うことよりも紅茶によるひと時を好む、優しい人だった」
「……!」
「私が勇者と言葉を交わしたかったのは、このことを伝えたかったから。そして、この世界の真実を知ってもらうため」
こくり、と紅茶を飲みほした魔王は、静かにカップを置く。そして、右手を差し出した。
「手を。見てもらいたいものがあります」
目の前のそれを見下ろし、魔王に視線を移す。
魔王は視線を逸らすことなく真っ直ぐ俺を見つめていた。
「私は、勇者がどのような知識を得ているのかわかりません。もしかしたら、すでに知っているのかもしれない。でも、私はそう思わない。あの真実を知っているのなら、貴方は今ここにいない。私がつきつけようとしている真実はそれほどまでに残酷で、悲しい」
魔王は痛みを堪える様に顔を歪めた。
「私はそれを受け入れるために多くの時間を費やしました。けれど、今でもあれは幻想で、真実は違うのではないかと思いたくなります。だから、勇者が嫌だというのなら無理強いはしません。ただ、貴方は知るべきだと思うのです」
この国の闇を
そして、世界の罪を
「全てを知ったうえで魔王を殺そうというのなら、受けて立ちましょう。だから、周囲に流されるのではなく自分の意志で殺しに来てください」
その真摯な言葉に、小さく息を吐いた。
精霊結晶が光を失っていない以上、魔王の言葉は真実。だから、見てもらいたいものがあるのも嘘ではない。ただ、どこまで信じられるのか。目の前のこいつは魔王で、滅ぼさなければならない敵。そいつの言う〝真実〟が誰にとって残酷なのか。普通に考えたら、この手を取るべきではない。でも――
そこまで考えて、違うか、と自嘲した。
こんなことを考えている時点で、結果は決まっているのだ。
なんだかなあ、と頭を掻いて魔王の手を握った。
「なに驚いてるんだよ」
「……いえ、ここまであっさり掴んでくれるとは思っていなかったので」
目を丸くした魔王に、だってさ、と繋がった手を軽く振った。
「お前、他の人から聞いてた話と全く違うんだよ。よく笑うし。悪くみえないっていうか」
「……面白い人ですね。でも、私は魔王ですよ。魔王でなければ、ならないのです」
「魔王でなければならない……?」
思わず訊き返した直後、精霊結晶が光を放ち、足元に陣が広がる。
「では、真実をお見せしましょう。そして、魔王が生まれた理由を」
ここに来た時と同じ陣であることを認識した瞬間、眩い光に飲み込まれた。
○○○
転移したのは、雑多な感じのする室内だった。何があるのかすら見えないほどに薄暗い。けれど、宙に漂う魔力濃度が異常なほどに高いことだけわかった。
「ここは、ファラディ王国の城に存在する隠された一室です」
「城の中に入れんのかよ……」
魔王の何気ない一言に脱力する。そしてすぐに悟った。
魔王は、その気になれば一国くらい簡単に滅ぼせるのだと。
「ええ。それくらい、簡単にできますけれど」
俺の半眼に、魔王は困ったように目を細める。そして、でも、と緩く首を振った。
「それでは、魔王の望みは叶えられない」
「魔王の、望み」
「世界を、徹底的に破壊すること」
「!?」
「あの方を犠牲にして繁栄したこの世界を、決して許しはしない」
強い憎悪の籠った言葉に背筋が粟立ち、思わず後ずさる。
魔王はそんな俺の腕を強引に掴むと、迷いのない足取りで歩き出した。
何度も来ているのか、入り組んでいるはずなのに足は止まらない。次第に濃くなる魔力に、何故か心臓が嫌な音を発てた。
この先をみたら、戻れない
それでも魔王の歩みは止まらず、辿り着いたのは無機質な一枚の扉の前だった。
魔王は躊躇うことなくそれに手を押し当てる。
扉は何かに反応したように淡い光を放ち、徐に開き始めた。
一気に噴き出した魔力に思わず怯み、護るように腕で顔を覆う。少しして腕を下すと、部屋の中央にあるものに視線が引き寄せられた。
直後、思考が停止した
「これが、この国の隠された闇。そして、真実です」
それは、巨大な結晶だった。透明に僅かな蒼を垂らしたような透き通る水の色と、その中を筋のように流れる暗い蒼。周囲には数えきれないほどのコードが繋がり、暗い蒼はそれに吸い取られるように結晶内を移動している。
『魔力は、強ければ強いほど濃い色を持ちます』
シアンの言葉が脳裏を過り、その蒼が魔力の塊だということを知る。
でも、そんなことはどうでもよかった。
だって、
「どういう、ことだよ?」
結晶の中に、人がいた
身に纏っている服は俺のよく知るものと酷似していて、それはいたる所が破けていた。そこから覘く身体も傷だらけで、溢れ出た赤が怪我の深さを物語る。大きく開かれた瞳は憎しみに染まり、呪詛を紡ぐかのように口が開かれた状態で、その人は閉じ込められていた。
亡霊のように足を動かし、傍に近づく。
後ろから追いかける様に聞こえてきた魔王の声は、酷く硬かった。
「これが、百年前に世界を救った勇者の末路ですよ」
それは予想できる答えだった。
何故なら、その服の意匠は俺が着ているものとほとんど変わらないのだから。
そしてなにより――
俺は無意識のままに手を伸ばし、その結晶に触れた。
○○○
「ねえ、どうして?」
足元に広がる陣に、広がる失望。
「これが、答えなの?」
低い声に、取り囲んでいる十人の魔術師の顔が蒼白になる。何人かが手を下ろそうとした時、「狼狽えるな」と嘲る声がした。
「そいつはすでに魔術から逃れられない。我らを脅えさせて術を壊そうとしているだけだ。構わん、続けろ」
それに勇気づけられたのか、落ちかけていた手が上がる。
だからこそ、悲しかった。
「約束、したのに」
「黙れ、化物風情が」
見下した、王の声。
それがあまりにも侮蔑に満ちていて、気付かなかった愚かな自分に吐き気がした。
元々、自分がどう思われていたかなんて、理解していると思ってた。
異界から来た、化物。
でも、この国を、世界を救ったなら何事もなく帰してもらえると思い込んでいたのだ。
そんなわけ、ないのに。
凍り始めた足に視線を落とし、こんな魔術で、と嘲笑した。
普段だったら、一発で壊せるのに
しかし、魔王との戦いで限界まで絞り出した魔力はほとんど回復しておらず、数年を共にした愛剣すら奪われている。満身創痍な身体でできることは、何もなかった。
だから。
「嘘吐き」
小さな声は、何故か大きく響いた。
「約束したのに」
「国を護った」
「世界を護った」
「多くの人を助けた」
「魔物を討伐した」
「魔王を滅ぼした」
「帰してよ」
「元の世界に、帰してよ」
「そんなこともできない世界なんて」
滅んでしまえ
○○○
「……!?」
突然揺れた身体に意識を取り戻すと、魔王が俺の腕を掴んでいるのが見えた。
結晶から無理矢理引き離したらしい、というのは解ったが、それに対して礼を言うこともできなかった。
「あ、…――!」
自分の意志とは関係なく、身体が震える。それは恐怖ではなく、憎しみ。
身体の奥底に眠る魔力が漏れ出た魔力に刺激され、暴れ出そうとする。
「――っ!」
憎い、憎い、憎い憎い、憎いにくい憎いニクイ憎いにくいニクい憎い滅べにくイ憎いホロベ滅べにくいホロベ滅べ滅べ滅べほろべ滅べホロべにくいホろべ滅べ憎いニクイ滅べほろべにくい憎いほろべ憎い憎いほろべ憎い憎い憎い――!
壊れたように、それだけが頭に鳴り響く。そしてそれは一言を残して唐突に、止まった。
帰りたい
「あ、あ」
足から力が抜け、地面に倒れそうになる。
それを支えたのは、魔王。
「転移します」
魔王は後ろから抱える様に腕を回し、小さく言葉を紡ぐ。
陣に飲み込まれた俺は、意識を失った。
○○○
『ねえ』
目の前に、俺より少し幼い少年がいた。彼は何もない空間を跳ねる様に歩き、俺を見つめる。
『君も召喚されたの?』
――……っ
『それは、ファラディ?』
驚いている俺に、少年は『やっぱり』と視線を落とした。
『ほんと懲りないね、あの国は』
後ろで手を組んだ彼は、下がるように数歩跳んで距離を開けた。
『僕は記憶。この想いを伝えるためだけに残された、小さな欠片』
少年は歌う様に言葉を紡ぎ、『あのね』と首を傾げた。
『お願いがあるんだ』
――願い
『この世界を、壊して』
少年の声音は、悲しみに満ちていた。
『これ以上、僕のような人を作りたくないから』
――君のような、人
『誰かを憎み続けるのは、辛いから』
――っ、君は
『ごめん、あまり時間がないみたい。しょせん僕は欠片。これしかできない』
闇色に染まり始めた少年は、諦めた表情で手を振った。
『これ以上誰かが犠牲になる前に、あの国を、世界を壊して。そしてできれば』
――待て!
伸ばした腕は、少年に触れられなかった。
爆散するように飛び散る細かい破片。
呆然と突っ立っていると、後ろから軽く、けれども確実な意志でもって背中を押された。
よろけて足を出したが、それは何も踏みしめることなく。
――……!?
勢いよく落ちていく俺を、少年の声が包み込んでいった。
『あの人を、助けてあげて』
○○○
胸を圧迫されるような重さで目を覚ました。
そこは魔王に転移させられた小部屋で、座っていたソファに寝かせられていることに気付く。
気を失っていたのか、と息を吐いたところで、俺の身体の上で丸まっている何かが身動ぎした。
「……?」
「おきた?」
それはこっちのセリフだ。
そんな一言を無理矢理飲み込んで、にこにこと花を飛ばしている人物を観察した。
流れ落ちるような雪色の長髪を背中に流している小柄な女。深い海色の瞳は楽しそうな感情を伝えてくる。身に纏っているのは、純白の生地に同色のフリルがこれでもかとあしらわれているドレスで、楽しそうにゆらゆらと揺れている紅色の靴が目を引く。
無言で観察していたからだろうか、女は「あのね」と身を乗り出した。
「うさちゃんがあいたいっていったから、つれてきたの」
ほら、ごあいさつして。
そうして差し出されたものに、絶句した。
女の両手に抱えられていたのはうさぎのぬいぐるみだった。彼女と同じ、雪色の体毛と深い海色の瞳を持っていたと思われるうさぎ。元は可愛かったであろうそれは、無残な姿だった。
ずたずたに切り裂かれた布を無理矢理縫い合わせたような身体に、かろうじて糸で繋がっている飛び出したガラス玉の目。片腕は引きちぎられたのか存在せず、荒い縫い目の間から綿がはみ出している。本来作られていなかったはずの口は、無理矢理鋏で切り開かれたのか顔の三分の一程まで開いており、全身には赤いものが飛び散っていた。
「……っ!?」
「うさちゃん、かわいーでしょ?」
ほら、とそれを目の前に突き付けられ、漂ってきた鉄の臭いに思わず顔を顰める。
それに気づかなかったのか、女は笑ってぬいぐるみを自分の胸に抱き込んだ。
「これね、おねーちゃんがくれたんだよ。わたしにそっくりだからって」
宝物なの、と笑う顔は本当に幸せそうで、だからこそ不気味だった。
どうして笑っていられるのか、わからない。
理解できない状況に言葉を失った時だった。
「こっちにこい、フェリア」
落ち着いた低い声が鼓膜を叩く。
弾かれたように顔を上げた女は、「ラディ!」と笑顔を弾けさせた。バネ仕掛けのように跳ね、俺の上から飛び降りると、軽い足取りで声の主に抱きついた。
「うさちゃんがおきゃくさまにあいたいっていったから、おはなししてたのよ!」
「そうか」
ラディと呼ばれた男は、この世に存在しているのか信じられないほどに整った顔をしていた。光を散らしたかのように輝く金髪と、宝石のように輝く翠の瞳、白磁のようにきめ細かい肌。まるで超一流の人形師が一生をかけて作り上げた芸術作品のよう。僅かに伏せられた瞳が影を作り、よりいっそう作り物めいて見えるが、何故かひ弱な印象はなかった。
男は軽々と女を抱き上げると、後ろを向いて「サーシャ」と誰かの名を呼んだ。
「勇者が起きた。ディーランを呼べ」
「呼ぶ必要はありませんよ」
「魔王……!?」
穏やかな表情で入ってきたのは魔王だった。
途端に暴れ出した女は男の腕から飛び降りると、魔王の広げた腕の中に飛び込んだ。
「サーシャ!」
「フェリア、今はお昼寝の時間ではありませんでしたか?」
「いーの! うさちゃんがあいたがってたから!」
「そうですか」
魔王は微笑ましげに女を見つめ、ぼろぼろなぬいぐるみを優しく撫でた。
「うさちゃんは喜んでいましたか?」
「うん!」
「それはよかった」
その光景は、まるで平和なひと時だった。
その場所が魔王の城だと解らなければ。
目の前にいる青年が魔王だと知らなければ。
ぬいぐるみがつぎはぎだらけでなければ。
でも、そこは魔王の城の一室で、目の前の男は魔王で、ぬいぐるみはつぎはぎだらけだった。
だからこそ、わからない。
彼等は、何をしている?
「サーシャ。ディーランもきたから、そろそろ説明しろ。勇者が混乱している」
戯れに終止符を打ったのは男だった。その隣には、いつからいたのか、見上げるような大男が無表情で立っていた。
大男の顔が機械のように動き、俺を捉える。
「……っ」
感情が、みえない。
表情という表情を全て削ぎ落とされたかのような男は、ふいと視線を逸らすとそのまま壁に背を預けて瞳を閉ざした。
まるで、何も見たくないとでもいうように。
ふふ、と抑えたような笑い声が聞こえ、視線を彷徨わせると魔王が口元を覆っていた。
「ディーラン、もうすぐですから」
私達の願いが叶うのは。
男は薄目を開けて、同意するように頷く。
魔王も頷き返し、さて、と俺に視線を移した。
「では、全てをお話ししましょう。といっても、あれを見たなら、だいたいは理解してもらえたと思いますが」
「……一つだけ質問いいか?」
あの光景を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになる。それを抑え込むように、できるだけ平坦な声音で問うた。
結晶に閉じ込められた前勇者。
引き出されている魔力の塊。
繋がれている無数のコード。
それから導かれる、一つの答え。
世界中に広がる魔術具が多く開発されたのは
前勇者が魔王を討伐したのは
いつだった?
「あのコードは、どこに繋がってる?」
「この世界、全土に」
「そうか」
その一言で、すべてが理解できた。
「この世界は、前勇者の魔力で動いているんだな」
今まで旅をしてきて、この世界の人の魔力では賄いきれない魔術具が多いように感じていた。例えば、通信機。世界中に広がるこれは馬鹿みたいに魔力を喰うのに、庶民ですら気軽に使っていた。今思えば、その機械にはコードが繋げられていた気がする。他の魔術具にも、全部。
「〝異世界から召喚された勇者は、ほぼ無尽蔵と呼べるほどの魔力を持つ〟だっけか? それを使えば、これだけ発展するのも理解できるよ。魔王も討伐できるし、動力源も確保できる。勇者の召喚は一石二鳥だ」
「いいえ、そうではありません」
「?」
吐き捨てた言葉を否定したのは魔王だった。
魔王の光の無い瞳が見下す様に歪む。
「順序が違うのですよ。元々、勇者が召喚されたのは魔王を倒すためではない」
初めから、封印して動力源にするためですよ。
「……っ!?」
目を見開いた俺に、魔王は忌々しげに口元を歪めた。
「おかしいと思ったことはありませんか? 〝どこから魔王は生まれたのか〟と。魔物がどれほど強くなっても、人が救いのない闇に堕ちても、あれほど強大な力を持つものになることは現実的にありえない。それこそ、普通なら考えられない事態が起きたのでなければ」
「――まさか」
不意に閃いた考えに戦慄する。
そんなことが、ありえるわけがない。
あっていいはずがない。
でもそれは、否定することもできない。
だから、魔王の否定を求める様に言葉を紡いだ。
「魔王も、召喚された?」
魔王は答えなかった。
それは紛れもない、肯定。
目の前が真っ暗になった。
「そんな、それじゃあ……!」
頭を抱えて、喘ぐように叫ぶ。
「あいつは、勇者は何も知らずに同じ世界の人間を殺したってことか!?」
「だから初めに言ったでしょう? 〝真実は残酷だ〟と。――これを」
差し出されたのは、一通の手紙だった。酷く黄ばんでいて、封筒に書かれている保存の魔術がなければ読めるかどうかすら怪しい。
「それはこの城、当時の魔王が暮らしていた場所で見つけたもの。私には無理でしたが、貴方なら読めるはずです」
押し付けられるように渡される。
震える手で受け取ったそれを見下ろし、酷く乾いた口内を潤す様に唾を飲むと便箋を取り出した。
○○○
唐突に手紙が書きたくなった
これが読まれる時が来るのかわからないけど
でも、何もしないよりはましだと思ったから書くことにした
たぶん、誰かに知って欲しかったんだと思う
ゴミのように扱われた僕のことを
むりやり連れて来られて、死ぬことを望まれたなれの果てを
この狂ってる世界に殺された最期を
僕は、魔力を生成する道具とするために連れて来られたらしい
だから逃げ出した
いきなり連れて来られて、我に返った直後にあいつらが問答無用で封印しようとしてきたから
地球から召喚された人は、必然的に強い魔力を持つ
理由はわからない
僕は普通の高校生だったのに
だから、このままだとまたあの国は召喚をするんじゃないかな
そして、地球の誰かが犠牲になるんだ
だからもしこの手紙を読める人がいるのなら、これを読んでいる時点で日本の誰かということは確定だけど、あの国を滅ぼしてほしい
誰かが犠牲になる前に止めてほしい
僕は人を、国を、世界を憎み過ぎた
闇が深くなりすぎて、僕という人格はもうすぐ消えてしまうから
正直、これを書いてるのも結構辛いんだ
正気を保つのが難しい
全てを壊せって声が聞こえる
たぶん、これが最後
でも、それを怖く思ったことはない
エネルギーの塊として扱われるくらいなら、正気を失うほうがずっとましだから
勝手なことを言っているのはわかってる
でも、僕にはもうできないから
疲れたんだ
ごめんなさい
見知らぬ日本の誰か
次の犠牲者が出る前に
僕みたいな人が現れる前に
この世界を、壊してください
お願いします
さよなら
○○○
「――なんだよ、これ?」
乾いた笑いが漏れた。
頭が鈍器で殴られたように痛い。
「無理矢理召喚されて、封印されかけたから逃げ出して、憎み過ぎたから闇に呑まれて魔王になった? そしたら別の人間が召喚されて、殺された? ――ふざけんじゃねえよ! そんなの、酷過ぎんだろ……!」
いき場のない怒りが渦巻き、感情に反応して漏れ出した魔力が風を巻き起こす。
その中心で顔を覆った。
『僕は記憶。この想いを伝えるためだけに残された、小さな欠片』
俺の意識に語りかけてきた存在。悲しげに笑い、憎むことに苦しみ、世界の滅びを願った少年。
あれが、魔王。
周囲に翻弄され続け、どうしようもない流れに呑まれながらも必死に生きようとして、勇者に殺された。
でも、勇者の記憶を観たから解る。
勇者は、帰りたかっただけ
元の世界に、自分がいるべき場所に。
それを利用したのがファラディ。
魔王を殺せば元の世界に帰すと持ちかけ、弱った勇者を封印して道具にした。
魔力は、使えば使うほどなくてはならないものになっていく。
そして、道具といえど封印されたのは人間で、いずれ限界が来るのは目に見えている。
だから俺が、召喚された。
新たな道具とするために。
嗚呼、憎い
「――だめだよ」
「!?」
鼓膜を揺さぶる小さな声。
それにはっとした直後、急に周囲の音が飛び込んできた。
カップが割れる音。
ソファが切り刻まれる音。
壁が抉られる音。
慌てて魔力の放出を止めると、部屋はぼろぼろになっていてあまりの様子に閉口する。
そんな時、突然袖を引っ張られた。
「君は……」
「ここはわたしたちのいえなの。だから、こわしちゃだめ」
フェリアと呼ばれていた女が首を傾げて覗き込んでいる。彼女が触っている場所から穏やかな魔力が流れ込んできて、それは強制的に俺を落ち着かせた。
先程までの怒りは消えていないが、自分を忘れるほどではない。
女はそれを確認すると豹変したように笑い、ぱっと手を離して走り出した。壁に寄りかかっている男に駆け寄り、「だっこしてー」と纏わりついている。
そんな状態に目を白黒させると、「フェリアの魔術ですよ」と魔王が口を開いた。
「彼女の魔力には鎮静効果があります。それには何度もお世話になりました。今では精神が壊れてしまいましたが、誰かが暴走した時だけああやって落ち着かせてくれるのですよ」
魔王の言葉は一旦通り過ぎて、え、と声を漏らした。
「精神が、壊れた?」
どうして、と魔王をみる。
魔王は、少し昔話をしましょうか、と瞳を閉じた。
「今から百年前、別の世界から召喚された勇者は四人の仲間とともに魔王城に乗り込みました。魔王はこの世界の人間では太刀打ちできない力を持っており、対抗できるのは勇者だけでした。仲間の剣はことごとく弾かれ、魔術は防がれ、護りは壊された。勇者以外、傷を負わせることができなかったからです」
だから、あんなことが起きてしまった
「勇者は全ての力を出し切って魔王を貫いた。けれど、魔王の魔術もまた、勇者を貫いていた。勇者の怪我は一刻を争うほど深刻で、高位の癒しの術を使える神官が応急処置を施し、魔導師が最後の力を振り絞って王宮に勇者を飛ばしました。全ては、彼女を救うために」
それは全て、彼らの計算の内だったようですが
「僅かな休息によって最低限の魔力を回復させた魔導師は、仲間とともに王宮へ転移しました。しかし、目の前にいた王は告げました。『勇者は元の世界に戻った』と。仲間にはその言葉を信じる以外にできることはなかった。だって、確かめる術はないのですから。それから数年が経ち、一気に発展し始めた世界に魔導師は疑問を持ちました」
どうしてこれほど魔力が満ちているのでしょう、と
「魔王がいなくなったから、というには急すぎた。そして、その魔力は書き換えられていたけれど、勇者のものと酷く似ていました。だから魔導師は旅の仲間にそのことを伝え、秘密裏に探り始めました。そうして見つけたのが、あの結晶だった」
あの時の絶望は、忘れられない。
魔王は言葉を切ると、ゆっくりと壁際に歩いていった。
「全ての元凶であった国の第三王子、グラディウス・リエラ・ファラディ。彼は勇者を助けようとしたために反逆罪とされました。しかし、世界を救ったうちの一人であるため、処刑を行うことはできす投獄されました」
人形めいた顔に罪に押し潰されそうな表情に浮かばせた美丈夫は、強く唇を噛みしめた。
「勇者に助けられてともに旅をした神官、フェリア・ルミニア。彼女は傷ついた勇者を王宮に送ることを提案した人物でした。そして引き起こされた真実を知り、耐え切れずに自ら精神を壊した直後、親族によって幽閉されました」
真っ白なドレスを身に纏って不気味なぬいぐるみを抱えて笑う無垢な女は、痛みを感じないかのように自らの腕に鋭利な爪を突きたて、血を流していた。
「勇者を娘のように思っていた傭兵、ディーラン・クレイベル。彼は彼女の犠牲によって発展する世界を見限り、全ての繋がりを断ち切って行方を晦ませた」
感情を失ってしまったかのように無表情な大男は、全てを諦めた瞳をして宙を仰いでいた。
魔王は三人の横に辿り着くと、全てを飲み込む光の無い瞳で振り返った。
「そして、勇者の強さに憧れた魔導師、サーシャ・ディア・ウォーリア。彼は勇者を王宮に送った人物でした。そのことを悔やみ続け、誰よりも尊敬する人を奪われた憎しみに呑まれて闇に堕ちた――完全に、ではないのですが」
魔王、否、堕ちた魔術師は、右手に填まっている精霊結晶を愛おしげに撫でた。
「この世界に満ちる精霊は、手の加えられた魔力に強い拒否反応を示します。それ故に、操作された彼女の魔力に満ちた世界を厭い、壊そうとする私が完全に闇に堕ちないように護ってくれている。その媒介に使われているこの結晶をくださったのは、勇者なのですよ」
勇者が私を救ってくださったのです。
魔導師は愛おしい何かを抱くように腕を広げ、うっそりと嗤った。
「貴方も感じたでしょう? あれほど優しげな表情で笑っていた勇者の憎しみを。彼女は世界の滅びを望んでいた。だから、私達は勇者の意志を継ぐことにしたのです。精霊に護られていたために唯一自由だった私は、ラディの脱獄に手を貸し、幽閉されていたフェリアを助け、死の森の最深部で全てに絶望していたディーランに目的を与えました」
それは全て、彼女を封印から解放するため。
「我らは全員が魔王であり、全員で魔王なのですよ」
その言葉は、何故かすんなりと入ってきた。
シアンの話していた噂は、どこかが少しねじれてしまっていただけだったのだから。
無骨な大剣を操るのは傭兵だった大男、ディーラン・クレイベル
強力な魔術を操るのは魔導師だった青年、サーシャ・ディア・ウォーリア
どちらにも精通しているのは第三王子だった美丈夫、グラディウス・リエラ・ファラディ
精神攻撃に特化しているのは神官だった女、フェリア・ルミニア
全員が旅の仲間で、勇者の支えで。
そんなとき、一つの疑問が浮かんだ。
「でも、あいつが封印されたのは今から百年も前だよな?」
目の前の彼等は、全員が若々しい姿をしている。
それに魔導師は「勇者からの餞別、でしょうか」と口元を緩ませた。
「餞別?」
「貴方は、この世界の生物がすべて魔力を持っていて、その保有量が生命と同意義であることを知っていますか?」
「まあ、一応は聞いている」
「それは自分より強いもの、特に大きな差が存在するものと戦うと増加するのですよ。その増加量によって寿命が延び、さらに強くなることができるのです」
「いや、それは知らなかった。今の俺より強いものなんて――!?」
何気なく否定して、言葉に詰まった。
今の俺より強いものがほぼ存在しないことは、俺自身が旅をしたから解っている。
でもそれは、前の勇者も同じだったんじゃないだろうか。
その勇者が相打ちになったのは同じく召喚された魔王で、その強さはこの世界の人では太刀打ちにならないほど。
そしてその魔王が倒された時、勇者も同時に倒れた。
だから経験値ともよべるものは、勇者には入らなかった。
もしそれが、
旅の仲間だけに、振り分けられているとしたら?
「急激に増加した私達の魔力保有量は、彼女や貴方には遠く及ばない。けれども、数百年くらいなら生きることができるのですよ」
「……あ」
魔導師の言葉に、いつだったかシアンが呟いたことを思いだした。
『勇者の世界には魔術がないのに、どうしてそれほどの魔力を持つのでしょうね?』
俺はそれについて全く考えたことがなかった。けれど今、その答えのようなものを、見つけた。
見つけてしまった。
そうしたら、思わず声をあげて笑っていた。
「どうかしましたか?」
突然の行動に戸惑っている魔導師や他の魔王に向けて、俺は口を開いた。
○○○
俺は幾度目かの浮遊感に顔を顰めた。揺れる視界の中で、ふらつきながらも大地を踏みしめる。
「勇者様!?」
少し離れたところから悲鳴のような声が聞こえ、駆ける音が聞こえる。顔を上げると、駆け寄ってくるフィオーリの姿が見えた。
「ご無事ですか!?」
俺はその声に答える様に笑って、
右手に持つ聖剣を振り下ろした
「え……?」
呆然としたフィオーリの身体が袈裟懸けに裂け、宙を舞う。後を追う様に鮮血が噴き出した。
玩具のように地面に落ちたそれを感情の籠らない瞳で見下ろし、冷静に聖剣を突き刺した。
「一人目」
何もできないまま絶命したフィオーリからそれを引き抜き、頬に飛び散った血を拭う。そして、固まっている三人に向かって走り出した。
「っ!? 魔王に何をされたのですか!?」
「なにも」
「んなわけあるか! 目を覚ませ!」
シアンを狙ったそれは、軌道に割り込んできたルディウスに邪魔される。それを力任せに押し切ると、体勢を崩したルディウスに向けて剣を振ろうとし、転がるように右に避けた。直後、振り下ろされた斧を無感情に見つめた。
それの持ち主は、俺を強く睨みつけた。
「お前、何したのかわかってんのか?」
ドグラーの普段より乱暴な口調に、怒ってるのか、とどうでもいいことを考えて。
「回復役を潰すのは定石だろ?」
そういうと、絶句した彼等にむけて唇を歪めた。
「このメンバーの中で満足のいく治療や状態回復をできるのはフィオーリだけだ。だからもう、お前達の傷を治してくれる人はいない」
まあ、全員ここで殺すけどな。
「……貴方は、本当に勇者ですか?」
「俺という人間についてなら、そうだと答えるけど」
シアンの震える声に答えて、ずっと暴れていた魔力を解放した。
俺を中心に吹き荒れる暴風から身を護るように顔を背けた三人に、言葉を続けた。
「魔力を生成する道具としてなら、違う」
「――!?」
「お前は王子なんだから知ってんだろ? なあ、ルディウス」
僅かに身体を震わせたルディウスだけを射抜いて問う。
「俺を魔王と相打ちにさせて、封印する予定だったんだろう? ――百年前のあの時と同じように」
「百年前……? その時の勇者は元の世界に戻ったはずでは……!?」
「どういうことだ……?」
「……」
困惑する二人を無視し、動揺しているルディウスにゆっくりと近づく。無意識に下がろうとするルディウスの胸元を強く引き寄せると、顔を近づけて視線を合わせた。
「おまっ――!?」
「俺さあ、向こうの世界に幼馴染を置いてきたっていったよな? だから早く戻りたいって」
「っ」
「じゃあさ、どうして」
あいつが封印されてんだよ
目を見開くルディウスに、憎しみの籠った瞳で嗤った。
「俺がこっちに召喚される十日前に、急に姿を消したんだよ。可能性があるところは全部探した。昼も夜も駆けずり回って、毎日あいつの家に行って帰っていないか確かめて。召喚されてからは、その間にあいつが帰ってくるかもしれないから早く帰るために血反吐吐きながら努力して。でも、帰ってくるわけねえよな。だって、この世界に囚われてんだから」
手を胸元から離して腰に回し、短剣を引き抜く。首に押し当てると、ルディウスの顔が恐怖に歪んだ。
それを無視して、耳元に口を寄せて囁いた。
「あいつの命を削って繁栄する日々は、どうだった?」
「……っ」
「せいぜい苦しんで、死ね」
言葉と同時に首を掻き切って蹴り飛ばす。
地面に倒れ込んだルディウスは喉を抑えて痙攣していたが、やがて血を撒き散らせて動かなくなった。
「二人目」
先程とは違い、憎悪に呑まれた声が響く。
視界の端に広がり始めた黒に、闇に呑まれ始めたことを知った。
でもそれは、些細なことだ。
けれどそのことに強く反応したのはシアンだった。
「勇者が、闇に……!」
「勇者だって人間だ。それとも、闇に呑まれるわけがないとでも思っていたのか?」
前魔王は、俺と同じ世界から召喚された人間だったのに?
「そんな!」
「お前、本当に何も知らないんだな。あいつとは大違いだ」
「あいつ、」
「お呼びしましたか?」
「っ!?」
「別に。ただ、説明は楽になるな」
「それはよかった」
突然広がった陣から現れたのは、膨大な魔力を垂れ流す四人。彼等はなめまわす様にシアンとドグラーを見つめ、興味が尽きたのか視線を逸らした。
魔導師を除いて。
「……こんなのが我が一族から出たなんて、反吐が出ますね」
「我が、一族?」
嫌悪するように顔を背けた魔導師に、唖然としたシアンが問い返す。
魔導師は忌々しげに吐き捨てた。
「私は人間だったとき、サーシャ・ディア・ウォーリアと呼ばれていました」
「サーシャ!? 百年前の勇者と旅をした……!?」
「魔王を討伐した者の末裔として、優雅な生活を続けていたのでしょうね」
真実が国に歪められていると考えもせずに。
それに続いたのは、別のものに目を細めた人物だった。
「……お前があの愚兄の子孫か。こんなものが国を動かしているなんて、世も末だな」
作り物めいた顔をした王子が怒りを滲ませ、地面に投げ出されているルディウスの身体を蹴り飛ばした。何度も、何度も。
その行動を首を傾げてみていた女は、近くに転がっているもう一つの骸に駆け寄り、同じように蹴ろうとして、動きを止める。後ろに近づいてきた男に抱きつき、ねえ、と疑問を口にした。
「どうして、このこからわたしとにたまりょくがするの?」
それに、男はこともなげに告げた。
「お前の子孫だからだ。娘の孫だろう?」
「……むすめ? まご?」
「知らないなら、いい」
ふーん、とどうでもよさそうに呟いて、えい、と蹴った。
ごろり、と転がった骸から血が飛び、真っ白な服に模様を付ける。それをみて女はけたけたと嗤った。
その一部始終を見ていたドグラーは、不気味なものをみたかのように顔を背けた。
「狂ってる……!」
「狂ってるのは、お前等の方じゃないのか?」
「っ、」
淡々と、それでも問い詰めるように男は言葉を続けた。
「あの子から自由を奪って湯水のように魔力を奪う行為は、精神の壊れたフェリアに無理矢理子どもを孕ませて取り上げたのは、狂っているとはいわないのか?」
「孕ませた……!?」
「優秀な血を残すためらしいが、俺には理解できないな」
男は楽しげに足を振るう女を抱き上げ、ドグラーに背を向けた。
それを見届けた後、呆然と固まっている二人に向けて口を開いた。
「そういえばあの時の疑問の答え、わかったんだ」
「あのとき、の?」
「そう。〝俺の世界には魔術がないのに、どうして異常なほどの魔力をもつのか〟。なんの捻りもない、当たり前の答えだ」
十日前に姿を消した幼馴染
百年前に封印された前勇者
魔力保有量による寿命の変化
俺やあいつの魔力保有量とは雲泥の差がありながらも、数百年は生きられる寿命
それだけわかれば、十分。
小さく息を吐き、真っ黒な空を見上げた。
雨が、降りそうだ。
「俺のいた世界の一日は、この世界の十年なんだよ。もし寿命と魔力保有量の関係が俺の世界でも成立しているなら、たった一日生きるためにこの世界の十年分の魔力が必要なんだ。そんな状態で魔術が使えるわけないだろ」
逆にいえば、俺達はこの世界の十年分の魔力を一日で生成できるということ。
そりゃあ、魔力を引き出すのにこれほど適したものはないよな、と薄く嗤った。
「でも、だからこそ許せない」
右手に、フィオーリの血に塗れた聖剣。
左手に、ルディウスの血に塗れた短剣。
左右のそれを軽く振り、地面に血の線を描いた。
「この法則でいえば、俺の世界から召喚された人は誰もが勇者に、魔王になり得る。そして召喚されたが最後、あいつや彼のように全てを憎んで死んでいくだろう。俺は皆が好きだった、大切だった。でもそれ以上に、自分たちのことしか考えていない国が、それを黙認している世界が、全てが憎い。だから」
勇者として、俺の世界を救う
抵抗することすら諦めた二人に向けて、剣を振り上げた。
○○○
ざあ、と音を発てて雨が降りはじめた。
身体中に飛び散る血を洗い流す様に、頬を流れる暖かい雫を隠す様に、黙って雨にうたれる。
全身がぐっしょり濡れた頃、ずっとそばにいた魔王達を見据えて口を開いた。
「……力を、貸してほしい」
この世界を壊すための、力を。
それに傭兵はなんの行動も起こさず、王子は悲しみを浮かべ、神官は楽しげに笑う。
魔導師だけが近づいてきて、右手を差し出した。
「私達としては僥倖ですが……もう二度と、元の世界に戻れませんよ?」
「ははっ、今さらだろ、それ」
魔導師を見返し、その手を躊躇いなく掴む。
そして、俺は、と瞳を閉じた。
「あいつを奪ったこの世界を憎み過ぎた。この状態で全てを投げ出しても、遠くないうちに本物の魔王になるだろう。百年前の、彼のように」
「……」
「だからそうなる前に、自我が失われてしまう前に、全てを終わらせる」
滅んでしまえ
憎悪に染まったあいつは呪った。
この世界を、壊して
闇に呑まれた少年は頼んだ。
だから俺は、闇に呑まれつつも勇者という肩書を持つ俺は
世界を滅ぼすことにした
勇者(男)の仲間は全員、勇者(女)の子孫か関係者という設定でしたが、なぜかドグラーだけ説明されないという。
一応『ディーランの持っていた称号の後継者がドグラー』というのはあったのですが、他の三人に比べて弱いから説明省いちゃいました。ごめん、ドグラー。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。