7、帰宅
「行くって・・・ここ俺の家じゃん」
着いたのは見慣れた我が家。曇りガラスの引き戸は淡い光を放っている。まだ家族は起きているようだ。ずいぶん時間がたったような気がしていたが、まだ夕食時なのかもしれない。
「た、ただいま・・・」
ドアを開けて中へと入る。嫁いだばかりの子供がのこのこと帰ってきてしまった心境で(事実そうなのだが)、声がどもってしまう。結局3億をどうやって返済するか決まってないし、新藤氏から逃げてきてそのまんまだし、何も片付いていないのだが、住み慣れた我が家のにおいをかぐとほっとした。
「お兄ちゃん!?」
突然居間の扉が開いて皐月が飛び出してきた。まだ練習着のままだ。時計を見ると8時を回っているのに、帰ってきて着替えもせずに何して・・・
「お兄ちゃんの馬鹿!心配・・・したんだよ・・・?」
「・・・!」
よく見ると皐月は泣いていた。それはもうぐちゃぐちゃに、という表現がぴったり合うほどで、目も真っ赤だ。
「何泣いてんだよ」
俺は皐月の頭に手をやり、優しくなでてやった。兄が嫁いだくらいでそんなに泣くなよ。
「お父さんが、借金で・・・3億が・・・、お兄ちゃんがっ」
涙を必死にぬぐいながらしゃくりあげる妹に、呆れながらも、すごく心配かけたのだと胸が痛む。
「なんで勝手に行っちゃったの?私に何も言わないで行っちゃったのよ!一人で全部解決しようとしないでよ?家族でしょ・・・!」
「皐月・・・」
その時、背後から俺の首に奏の腕が回った。
「どうやらお前の自己犠牲は、妹君にとって不服のようだな」
俺の顔を覗き込みながらにやりと笑い、「もっとよく考えろ?」と言う。だまれ。
「えっと・・・誰ですか?」
戸惑ったように皐月が言うので、俺は何と説明しようか一瞬躊躇する。俺の元婚約者・・・?いや、違うか。
「初めまして、皐月ちゃん。君の婚約者、新藤奏です」
「はぁ!?何言ってんだよお前!」
思わず奴の襟首をつかみ上げる。しかし相変わらずひょうひょうとした顔。俺は自身の額に青筋がたつのを覚えながら、
「・・・奏、お前結婚する気ないんだろ?」
「いやぁ、岬があんまりにも妹がいい子だって言うから、それも悪くないかなって。顔もすごく可愛いし。俺の好み☆」
「わ、私婚約した覚えないですよ?って、え?新藤奏さんって、お兄ちゃんの結婚相手じゃ・・・?なんで男の人なの?」
「それはいろいろと誤解が生じたためで・・・」
俺と奏がそろって微妙な顔になったので、困惑した様子だった皐月が噴出した。
「なんかわかんないけど、お兄ちゃんが無事でよかった!・・・それと、奏さん。わかりました、結婚しましょう」
「なっ!皐月!?」
何をばかなことを・・・!
「皐月、初対面の人間といきなり結婚しようとするな!確かに顔はいいけど、よく知りもしないで・・・!あっ、借金のことなら気にするな?」
青ざめる俺をおかしそうに見つめて、しかし皐月は首を振った。
「大丈夫だよ、私この人好きになるよ。だって・・・奏さん、お兄ちゃんと仲いいもん。お兄ちゃんが認めてる人なら、絶対大丈夫」
そう言ってとびきりの笑顔で笑った。
「安心しろ、岬。幸せにするから。もちろん俺は束縛したりなんかしないし、テニスやめさせたりもしないからさ」
いつの間にか奏は、皐月の後ろに回り、手をまわして軽く抱きついている。離れろよ!
「そ、そうだ奏。結婚式の招待状、名前が俺になってるぞ?いまさら皐月となんて・・・」
「名前くらい、書き間違えました~で済むだろう」
「そんなぁ・・・」
ダメダメ!お前なんかに、皐月は絶対渡さな・・・
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
しかし妹の笑顔を見て勢いがそがれる。だが、奏に向けてほおを染めつつほほ笑みかけるのはなんか嫌だ!そんなに幸せそうにされると、兄ちゃん悲しい・・・。
「大丈夫だって、オニーサン」
ニヤニヤ笑いの奏ムカつく!けど・・・こいつなら任せられる、と思ってしまうのが悔しい。へらへら笑ってるように見せてるが、なんだかんだいっていい奴で、いろいろと覚悟と度胸がある奴だってことはたった1日の間にわかってしまった。
ふいに玄関のチャイムが鳴る。そして返事も待たずに引き戸が開いた。
「こんばんは~。あれ、どうしたの岬?うわっ、ずぶ濡れじゃない!これ海水?」
顔を出した千歳が驚いて俺に駆け寄る。手には野菜の入ったビニール袋。あぁ、わざわざ届けに来てくれたのか。
「早くお風呂入りなよ!いったい何したの?」
目を丸くして俺と、そしてもう一人ずぶ濡れの奏を交互に見る。これには深い訳と壮大なストーリーが・・・。初めから話すのしんどいな。
「あーあ、奏さんが抱きつくから、私も濡れちゃいました」
皐月が苦笑しつつ言う。「じゃ、俺と風呂入る?」なんて言う奏の腕をひいて俺は玄関へ向かった。
「お前は俺と来るんだよ」
「げ、男と一緒に入りたくない・・・」
「大丈夫だ。幸いうちにはシャワーが二つある。庭と風呂場にな。お前は庭で浴びろ」
「うげ、マジで?」
庭に奏を引きずり出し、花壇の横にある蛇口をひねる。そこからつながったホースの先、シャワーヘッドから冷たい水が飛び出した。
「水やり用のシャワーかよ!」
「大丈夫。夏だから風邪ひかない」
抵抗しようとする奏に俺は容赦なく真水を引っ掛る。すると背後から皐月の明るい声が聞こえた。
「あ、お兄ちゃん、じゃあお風呂は私が先にもらうね~」
そしてパタパタと足音を響かせて廊下をかけて行った。
「いったい何があったのか知らないけど、それはまた今度聞くわ。岬、お野菜ここに置いておくからね?」
「あぁ、サンキュー千歳」
「初めてみる人だけど、岬のお友達?・・・お友達さん、お大事にね。岬、あんまり意地悪したらダメだよ?」
そう言ってふんわり笑うと、千歳は門へと歩いて行く。
「あっ、千歳!」
俺はその背に呼びかけた。きょとんとした顔で振り返る千歳。俺は一度口を開いたのだけど、思い直して小さく首を振る。
「いや、やっぱりいい。・・・今は」
すると千歳は不思議そうにしたが、再びにっこりと笑い、
「そう?じゃあ、また今度聞かせて?」
そう言うと俺の家の小さな門を開けて道に出た。潮風でさびついた鉄がキイと小さな音を立てる。そこでふいに、再び彼女が振り返り、見つめ続けていた俺と目が合った。千歳は照れくさそうな顔をして、小さく手を振り歩きだす。
・・・言うよ。いつか絶対、伝えるから。
君が好きだということを・・・。
お付き合いくださりありがとうございました!これにて完結です♪
相変わらず伝えたいことがよくわからないお話でしたが、楽しんでいただけてたらいいなぁと思います。