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6、大切な人


 どれくらい泳いだだろうか?必死すぎて時間感覚がおかしくなってしまった。奏に手をひかれ、ようやく岸に引き揚げられた俺はテトラポットに両膝をついて激しくせき込んだ。


「・・・漁師の息子が泳げないとか、あり得ないだろ」


 奏は息が少し乱れているものの、まだまだ余裕そうだ。金持ちには水泳のコーチもつくのだろうか?


「悪かったな。俺は漁師になるつもりはなかったからな。オヤジの船にも乗ったことがない」


 そう言えば、千歳が漁師のプライドがなんたらと言っていたなぁ。もし俺がオヤジの船に乗ることができていたら、あの時のオヤジの気持ちが、もっとちゃんとわかったんじゃないか・・・なんて、今更遅いけど。


「・・・立てるか?」

「・・・もちろん」


 差し出された手をつかみ立ち上がる。せっかくのスーツが台無しだ。まぁ俺のはそんなに高価なものではないけれど、奏が来ているのはものすごく高級そうだ。大丈夫だろうか?

 そうやって人の心配をしていると、踏み出した足が滑り、危うくテトラポットの間にはまりそうになる。水の入った革靴がガポガポして歩きにくい。俺は靴を脱ぎ、ついでにぬれた靴下も脱ぐ。すると奏も同じように脱いだ。多少動きやすくなり、二人でテトラポットの上を飛び移りながら進んでいく。両手を広げ、バランスを取りながら・・・なんだか子供のころにかえったようだ。そう言うと、奏は「俺はこんなことするの初めてだ」と言った。


「それはそれは、貴重な体験ができてよかったな」


 しばらく行くと砂浜が見えた。なんだ、ここって俺の家の近くじゃないか。奏は南に向かって泳いでいたのだ。

 俺たちはテトラポットから飛び降りてやわらかい砂の地面に着地した。2階から飛び降りても大丈夫な俺だったが、まだ大量に飲んだ塩水のせいか調子が出なくて見事に不時着。ダッサ・・・。

 そのまま俺は起き上がるのがめんどくさくて、何やってんだよって言いながらのぞきこんでくる奏の顔を見た。奏の背後で金色の月がきらめく。今日は満月か。


「もう疲れた?だらしないな」


 月を背にした男は濡れた前髪をかき上げる。それがものすごく様になっていて悔しい。


「岬?」


 突然奏が心配そうに顔をゆがめた。そして俺の隣にしゃがみ込む。何だよ?


「なんで泣いてんの?」


 そう言いわれてようやく自分が泣いていることに気がついた。


「わっなんでだろ・・・?」


 自分でもわけがわからず慌ててしまう。何?まさか悔しかったから涙出たのか?とにかくぬぐおうと泥まみれの手で擦ると、涙が止まるどころか顔が汚れていく。見かねた奏が自身の袖口で乱暴にこすってくれたが、今度は泥は落ちたものの、塩水のたっぷりしみ込んだ服では全然涙がぬぐえない。しかも塩水が目に入って、余計涙が出てくる。しばらく二人で格闘したが、途中でなんだかばからしくなってきて思わず笑ってしまう。相変らす涙は止まらないが、もう気にならなかった。奏も俺の隣に腰掛け、二人で夜の海を見た。今日は満月で、加えて雲ひとつない夜空には星がまたたき、今にも落ちてきそうだ。遠くで揺らぐ水面が月と星を躍らせ、それはとても幻想的で・・・。しかしそれを見ているのが男二人。なんてロマンチックではないのだろう。そのことに再び笑いがこみ上げる。

 波の音だけが響く静かな砂浜。しかしその静寂を先に破ったのはまたしても奏だった。


「岬。さっきは・・・その・・・くだらないって言って悪かったな」

「別に・・・」


 考えてみればくだらないのは本当のことだから仕方がない。所詮俺は何をやっても普通で、誇れるものは何もなくて、そんな俺に出来るのは自分を犠牲にすることくらいだ。本当にくだらない。俺には奏のようにすべてを捨て去るような度胸もないし、自分の人生のために何かをしようと言う意志もない。ひたすらに今を守ることだけ。唯一の夢は妹を無事に育て上げることだけど、所詮それだって妹がいて成り立つわけで、正確に言うと俺の夢と言うわけではない。自分は頑張っている、という自己暗示をかけながら見ないようにしていた空っぽでつまらない俺の人生。そう思ったら、また涙が出てきた。あぁ、さっき急に涙が出たのはこのせいだったんだ。堂々と立つ奏の姿が、あまりにもかっこよくて・・・自分には到底追いつけないような高みにいるような気がして自分がひどく情けなくなったのだ。


 千歳に伝えたいと思っている気持ちも、いつか、いつかと先延ばしにしつつ、どうせそんな勇気などないと心のどこかであきらめている。なんてくだらないんだろう。

 長いため息が出た。それは海から吹いてくる潮風にのまれてどこかへ流れていく。願わくば、この後ろ向きな気持ちも全部持っていってくれればいいのに・・・。

 その時、突然横から拳が飛んできた。それは不意打ちでよけることなどもちろんできずに俺は見事に食らって砂浜に顔から突っ込んだ。


「何すんだよ!?」


 驚きで涙は止まったが、理不尽な攻撃に声がいら立つ。しかし奏はひょうひょうとした顔で「なに感傷にふけってんだよ。キモチワルイ」なんて言った。


「キモくて悪かったな!どうせ俺は・・・」


 口に入った砂を吐き出しつつ俺はそっぽを向く。あぁ、こんなことでいじけるなんてホントにかっこ悪い。

 そんな俺の様子を見て、奏はやれやれと息を吐いた。さぞ呆れているだろうと思ったが、奏はさっきと変らない淡々とした声で言葉をつづけた。盗み見た彼の目はどこか寂しそうに笑っている。


「あのな・・・、確かに俺は自己犠牲とかそういうのはくだらないって言ったよ。だけど、お前がどんなことをしてでも家族を守りたいって思う気持ちはくだらなくなんかない。だけど・・・あれだ、ただお前があまりにも家族が大事って言うものだから、ちょと・・・羨ましかったんだよ!だからちょっと嫌なこと言ってやろうって思って・・・!」

「何それ慰めてるのか?」


 しどろもどろに言う奏に、俺は呆れたように言った。


「違う!いいか、俺はお前を慰める気なんかこれっぽっちもない。これは正真正銘俺の正直な感想だ。・・・俺は、お前みたいに家族を大事だって強く思ったことがないんだよ。別に大嫌いなわけじゃないけど、自分の人生と家族って言われたら、自分の人生をとる。冷たいって言われるかもしれないけどな。だから・・・お前が何の迷いもなく家族を守るって言った時、人のためにそんなに頑張れるお前がすごいって思ったんだ。同時に、そんな人がいるお前がうらやましいって・・・!」

「奏・・・」

「だから!お前はそこまで自分を卑下することないんだよ!」


 声を荒げて怒鳴るように言う奏。俺が顔をあげて彼を見たときには、もうすでに向こうを向いていて表情はわからなかった。


「耳赤いぞ?」

「うるさいっ」


 ・・・なんだ、そっか。こいつでも他人をうらやんだりするのか。俺も、まだ捨てたもんじゃない?俺には家族しかいないと、そう思っていた。けど、それでいいんだ。大切に思える人がいることは、きっと、幸せなことだから・・・。大切な人。そう、俺にはもう一人・・・。


「千歳・・・」

「は?」

「いや、何でもない」


 俺は勢いをつけて立ち上がる。体についた砂がぱらぱらと落ちた。


「なんか、まだいけそうな気がする。俺、もっと頑張れるかも」


 ニカッと笑ってやると、奏は満足そうにうなずいた。「じゃあ行くか」と奏も立ち上がる。

 深まる闇の中、暗く美しい海を背に、俺たちはまた歩きだした。




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