2、決意
「ただいまぁ~」
玄関の引き戸をガラガラと開け、靴を脱ぐ。今時引き戸の玄関とかないわーとか思うがリフォームする金がないので仕方がない。大して困らないし。俺は一番奥の自室へ向かった。しかし、途中で通った居間で何かにけつまずき転倒する。
「痛って・・・このクソ親父が!」
当たった感触が柔らかいものだったため、たぶん昼寝している父親だろうと思って蹴飛ばしたのだが、それは人ではなく
「・・・クマ?」
大きなクマのぬいぐるみだった。これは子供のころに皐月が母親に買ってもらったものだ。たしか押し入れの中にしまっていたはず・・・と思い、顔をあげて押し入れのある隣の部屋をのぞくと、なんと服やらなんやらがめちゃくちゃに散らばっているではないか。泥棒!?いや、家には盗むほど価値のある物はないぞ!?
青ざめながら部屋を見回すと、押し入れの中でうずくまり衣装ケースをあさっている男の姿が。泥棒・・・ではなく、もちろんそれは(認めたくないが)父親だった。
「何やってんだよ!?こんなに散らかして!」
俺は押し入れの中からひげが伸び放題の子汚い男の首根っこをつかみ引きずり出す。
「岬かぁ、お帰り。待ってたぞ!」
勢い良く振り返り、目を輝かせながら俺の肩をがっちりとつかむ。元漁師なだけあって、力は結構強いのだ。肩に食い込む指をなんとか引きはがそうとしながら俺は再び問うた。
「だから、何で押し入れなんかあさってんだよ!って言うか、仕事はどうした!?」
平日の真昼間だ。落ちぶれていたオヤジも2年前から近所の魚屋にアルバイトに行きだした。と言うのも、俺が小遣いをやらなくなったからだ。小さい頃は毎月母親から送られてくる生活費の一部を親父に渡していたが、俺が高校を卒業した途端、その仕送りが途絶えた。母親は俺が大学に行かずに就職したと思ったのだろうが、今の時代、大学を出なければまともに稼げる仕事を得るのは難しいのだ。よって今の俺は奨学金をいくつか借りつつ、ちょくちょくバイトをして学費と生活費を得ている。そこにこのクズの小遣いなんて出す余裕はない。昔はさすがに子供心にも父がかわいそうだなって思っていたのだ。船と仕事を失って、妻も失った父親が不憫で大事な生活費を渡していた。いつか立ち直ってくれると信じて。しかし、そんな甘い考えも見事に裏切られ、俺も成長した今となってはどんなことがあってもこの男にだけは一銭たりとも渡さない。だから小遣い稼ぎに平日の昼間はバイトに行っているはずだったのだが・・・。
「いやぁ、クビになっちゃって☆」
「はぁ!?」
クビ!?なんてこった。そのバイト先は俺が苦労して見つけてやったのに。いったい何したんだよ・・・。
「どこも不景気だよな~」
なんて言う親父の頬は若干赤い。息も酒臭い。これは昼間から飲んだな、と思いいたり泣きたくなる。だが泣いてもどうにもならないのはよくわかっているので代わりに出たのはため息だった。
「・・・小遣いはやらないからな」
この男には文句や説教を言っても仕方がない。加えて何を聞いてもロクなことは返ってこない事もよくわかった。もういい。押し入れだって後で片づければいいだけだ。だからただ端的に用件だけ言って俺はその場を立ち去ろうとした。しかし、
「おいおい、父さんはお前を待ってたんだって!」
腕を掴まれ俺は半眼んで睨み振り返る。
「なんか用かよ?」
冷やかに言い放つと、オヤジはさも嬉しそうに、
「喜べ、岬!玉の輿だ!」
と言い、両手を頭上に掲げ万歳をした。は?
「・・・誰がだよ。オヤジ結婚すんの?いまさら?」
何の冗談かと適当に言う俺。足元には懐かしいおもちゃが散らばり、それらに交じって子供のころの洋服が。こんなのあったんだぁ、今度の蚤の市で売ろうかな。多少は生活費の足しになるかも。
「まさか!お前だよ!」
そんな事を考えている俺の耳に届く、オヤジの弾んだ声。
「へぇ・・・え?」
「玉の輿はお前だ!おめでとう岬」
俺は言われた意味が分からずに呆然と父親を見返す。
「すぐに出発するからな。だからお前のスーツ探してたんだが・・・ほら、大学の入学式に着てただろ?あれどこだ?」
「俺のスーツなら俺の部屋のクローゼットに・・・」
あまりにも突拍子もない話に混乱し、思わす本当のことを口走る。俺が玉の輿?何だよそれ。この男はここまで狂ってしまったのだろうか?酒の飲みすぎで頭がおかしくなったのか?やばい、精神科に連れて行く金がない。
呆然と固まる俺をよそにオヤジは俺の部屋からスーツを持ってきた。激しい音がしたのでたぶん中を引っかき回したに違いない。片付ける場所が増えてしまった。しかしその音で俺は我に帰る。
「ちょっと待った!意味わかんないから。とりあえず落ち着いてくれオヤジ」
「落ちついてる暇はないんだ。約束の時間は3時なんだよ。もう出ないと間に合わない」
そう言って俺の着ている服に手を伸ばす。俺は数歩後ずさり、その手をかわした。
「逃げるな岬、お父さんの言うことを聞きなさい」
「誰がお父さんだ、そう言うことはちゃんと仕事してから・・・」
そう叫ぶ声も突然オヤジに押し倒されて途中で途切れた。俺に馬乗りになって服を脱がそうとする。Tシャツの裾をつかんだオヤジの爪が腹をかすめた。何でこの年になって、しかも父親に服を剥がれにゃならんのだ!!俺は膝を振りあげ、相手の腰に一撃をくらわす。苦痛にうめきながら床に倒れるオヤジ。
「ったく、いったい何なんだよ!あーあ、シャツ伸びちゃったじゃんか。ただでさえも服買う金ないのに・・・」
そう言ってオヤジを見ると、額を押さえて起き上がる様子が目に入った。どうしたのかと思ったら何とおでこから血が。なんで?と見るとちょうどオヤジが転んだ場所におもちゃの消防車が転がっていた。突き出すはしごで切ったらしい。おもちゃって結構危険だなぁ。ま、散らかしたのはオヤジだし、自業自得だ。ざまぁ(笑)。俺はオヤジが握ったままの俺のスーツに血が付着しないよう素早く奪い取る。
「岬ぃ、パパの言うこと聞いてくれよぉ」
誰がパパだ。気持ち悪い。額を押さえつつわざとらしい泣き声を出す大人に俺はげんなりする。
「人に何かをさせたいならちゃんと理由を言え」
胸の前で腕を組み、情けない男を見下ろすと、俺が興味を持ったと思ったのか、何やら嬉しそうに話し始めた。以下要約→
バイトを首になったオヤジは憂さ晴らしに昼間でも開いている飲み屋に行き、一人で飲んだくれていると、高級そうなスーツを着た男が店の隅で同じように一人で飲んでいた。気になったオヤジはその人に声をかけたが、なんとその人はこの街で有名な資産家だった。名を新藤という。新藤といえば、多くのホテルを経営し、海外にも事業を広げた大層な金持ちで、この寂れた海辺の住宅街からずっと上の方、山を登って行った先に大きな屋敷を構えている。ここからでもよく見える豪邸だ。そんな金持ちが何でこんな下町の飲み屋にいたのかはなはだ疑問だったが、オヤジいわく、その富豪の子供がなかなか結婚相手を決めなくて悩んでいたらしい。聞いたところ年は俺と同じ19歳で、ならばうちの子と結婚させてはどうかと申し出たのだそうだ。
「って、何でそうなる!?俺の許可なく何言ってんだよ!」
「だって、新藤家だそ!?こんなチャンス二度とない!玉の輿だ。嬉しいだろ?」
だらしなくニヘェと笑う親父の顔面に拳をたたき込み、「うれしかねぇよ!」と叫んだ。
「俺はまだ二十歳にもなってないんだぞ?なんで今結婚しなきゃいけないんだよ」
「新藤家の娘と結婚すれば、これから遊んで暮らせるんだぞ。もう家事もバイトもしなくていいんだぞ!」
「それをさせてんのはどこのどいつだ。てめぇが働け!っつうかてめぇが行け!人の人生勝手に決めてんじゃなぇよ!遊んで暮らしたいのはあんただろ!?」
顔面パンチを食らって再び床に転がった父親に蹴りを入れる。しかしよほど必死なのかなおも起き上がってすがりついてくる。
「岬、うちが貧乏なのは本当に申し訳ないと思ってる。父さんが悪かった」
心にもないことを!!
「だがいまさら貧乏なのはどうしようもないんだ。行ってはくれないか、家族のために」
すがりつくオヤジの手は俺のシャツに再び伸びグイグイとかなりの力で引っ張られる。その執念じみた力にぞっとする。
「いやだ・・・!」
「・・・岬、このまま周りに頼って生きて行くつもりか?」
払いのけようとする俺の手が、オヤジの言葉により止まる。
「お前だって、千歳ちゃんにずっと迷惑かけたくないだろ?」
「なにを・・・」
「女の子にすがって生きて行くなんてカッコ悪いよな?」
子供にすがってるやつがよく言うぜ。でも、俺があいつに頼り切っているのは事実だ。あいつとあいつの家族に。野菜などの物質的な援助だけでなく、勉強も教えてもらっている始末だ。
「お前が新藤家の娘と結婚すれば、そんなことなくなるぞ?」
耳元でささやかれる50近いおっさんの猫なで声が気持ち悪い。
「俺は・・・」
俺は、今はまだ、あいつに頼り切りだけど、ちゃんと大学を出て、まともな職について、妹も立派に育てて・・・それで・・・いつかは・・。でも、いつだ?そうなるまでにあと何年かかる?そもそもこの不景気にちゃんと職が見つかるだろうか?家事をしながら仕事ができるだろうか?仕事が見つかっても、家族を養うだけの収入になるまで何年かかるだろうか?借りた奨学金は返せるだろうか?不安は・・・尽きない。
「俺は・・・!」
漠然とした不安。ずっと考えないようにしてきたのに。
だめだ。考えるな。決めただろ?俺は何としてでも、まともな大人になるんだ。そして、かなうものなら千歳に気持ちを伝えたい。自分の力で・・・。
「確かにうちは貧乏だし、あいつの家に頼り切りだけど、俺はなんとか大学に行けてるし、日々バイト代をためてるから来年から妹も大学に通わせてやれる。加えて家に金を入れず酒や博打に明け暮れるクズを養うだけの余裕もあるんだ。だから俺は玉の輿なんか興味はない。自分で何とかして見せる!」
俺は今度こそオヤジの手を振りほどいた。
「岬、お前のその考えは立派だ。父さん嬉しいぞ」
涙ぐみながら奴は言う。しかし、
「だが、お前が行ってくれないと困るんだ」
「・・・なんで」
いきなり声のトーンが落ちたため、若干不安を覚える。
「・・・実は父さん、3億の借金があるんだ」
「!!」
その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。3億?
「新藤さんはお前が来てくれるのならその借金を肩代わりしてくれるらしい。だから岬、お前が行ってくれないと困るんだ!」
「・・・」
これでもかと言うほど目を見開き、これは夢だ、もしくはたちの悪い冗談だと思いながらオヤジの顔を凝視するのだが、その顔は至って本気で、俺は言い返すことができない。水から出された魚のように口をパクパクと動かし、どうにか声を出す。
「借金って・・・なんで」
唇をわなわなとふるわせて問うと、オヤジは言いにくそうに、
「実はバイトを首になったのは1年前なんだ。それから遊ぶ金欲しさにその・・・闇金で・・・」
・・・嘘だろ?
「・・・クズだと思ってたけど、まさかここまでとは・・・。こんなことなら、さっさと追い出すなり、殺すなりしておくんだった・・・」
「殺すって・・・岬ぃ」
そんな物騒な、なんて冗談ぽくオヤジは言うが、今の俺には冗談を言っている余裕などない。何でだよ。何でこうなるんだよ。俺はずっと頑張ってきたつもりだった。なのに、何で全部ぶち壊されなきゃなんないの?
「・・・悪かったよ、岬。こんなになるなんて思ってなかったんだよ!借りたのはほんの少しなんだ。だけど、利子が・・・その・・・」
俺の怒りが尋常じゃないとわかったようで心底申し訳なさそうに言うが、もう遅い。働かないだけで、この男には皐月もなついているし、人間的にはそんなに悪い奴じゃないと思っていた。働かないだけで。だけど・・・
「てめぇなんか、船と一緒に死ねばよかったんだ・・・!」
さっき千歳に言った言葉を思い出す。あの時は冗談半分だったが、今は本気だ。本気で死ねばいいと思う。
「岬・・・」
息子に死ねと言われ、傷ついたように言葉に詰まるオヤジ。自業自得だろ。
「・・・3時だったな」
「・・・え」
俺は伸びきったTシャツを脱ぎ棄て、自室に向かい、きっちりとアイロンのあてられたカッターシャツをはおった。そして手早くスーツに着替える。大学の入学式で一度だけ来た真っ黒なスーツに。
「行ってくれるのか?」
オヤジが驚いたように言う。何をいまさら。
「・・・他に道はないだろう?」
3億なんてまともに働いたって返せない。それにもたもたしていると闇金が家まで乗り込んでくる可能性もある。うちには皐月がいるんだ。怪しい奴らに何かされたりでもしたら・・・。そんな事は絶対にさせない。
俺はネクタイをキュッと締めた。俺が行ってなんとかなるのなら、
「行ってやるよ。どこへでも」
玄関の引き戸を開けて外へ出る。潮風が頬にまとわりついた。いつもは気持ちがいいそれも、今はただうっとおしいだけだった。
岬君、乱暴ですね!DVですね!
そして言葉遣いの悪いこと(汗)