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1、下校


「今月厳しいな・・・」


 潮風が吹く海岸通り。俺は大学での講義を終え、自宅へと向かっていた。手には携帯を握り締め、電卓機能で今月の生活費の計算をしているわけだが・・・かなりやばい。目標金額の貯金と、今月の出費を考えると、次の奨学金が下りる日まで(約10日間)買い物はできそうにない。米はまとめて買っているためストックはあるが、このままではおかずがない日々になってしまう。かくなる上は!


「今日から毎日魚だ!」


 俺は目の前に広がる海を見つめてこぶしを握る。釣りするぞ!それともぐって槍でタコをつくぞ!

 そんな俺の隣で千歳チトセがにこやかに言った。


「タコが取れたらウチでタコ焼きしようよ。他の材料はこっちで用意するから」

「マジで!助かる。よっし、頑張るぞ」


 と言っても、幼いころからこの海辺の街で育った俺にとって、タコ取りなんてお手の物なのだ。まぁ、潜るといっても足がつくところに限るけど。俺は泳げないから(汗)。それにいればの話だ。最近はこの辺りも魚介類が少なくなってきた。町が工業で発達してきたため、海が汚染されつつあり、また、夜中でもネオンが消えない場所に魚もすみつかなくなったのか、理由はいくらでもある。しかし、そんなことでへこたれていてはいけない。これから毎日白飯に塩の食事なんて出すわけにはいかないのだ。だって家には、


皐月サツキには栄養のあるもん食べさしてやらないとだからなっ」


 皐月とは俺の2つ下の妹だ。高校3年生でテニス部に所属している。


「本当に、ミサキは皐月ちゃん好きだね」


 呆れたように千歳は言うが、その目はほほえましく笑っている。だってこいつは俺の事をよくわかっているから。今時シスコンなんて気持ち悪がられるかもしれないが、俺のはそう言うのじゃないってちゃんと知っている。俺があいつのために尽くすのは、他ならぬあいつが一生懸命頑張っているからだ。だから俺は、家族として皐月のためにできることをやってやりたい。


「今月厳しいのは、もしかして皐月ちゃんの夏合宿とか?」

「そう。宿代と食事代と、差し入れのドリンク代・・・それに合宿先でのコート代もかかるし。コート代だぞ?信じられねェ。そんなのかかるなら学校で寝泊まりしてやればいいと思わないか?って言うか、よくわかったな」

「だって、高校生はとっくに夏休みに入ってるでしょ?毎年この時期になると同じ事言ってるし」


 千歳は吹き寄せる潮風になびく髪を軽く押さえながら楽しそうに言う。毎年言ってるのか、来年は気をつけようと心に誓いながら、俺は汗ばんだ額に張り付く前髪をかきあげた。


千歳は俺の幼馴染だ。家の近所で年が近い子供は俺と千歳と皐月の3人だけだったため、よく一緒に遊んでいた。この辺は町の中心から歩いてたったの30分ほどの場所だが、都心から少し離れただけで町並みはがらりと変わる。昔この辺りに住んでいた人々も、今では引っ越して行てしまい、住人は少ない。しかし、海が近いからか商店街は今でもそれなりににぎわっており、あまり物悲しい感じはしないのだが。しかし年寄りの多いこの地区は、なんだかのんびりした空気が漂う。ふと海の方に視線をやると、小学生くらいの少年少女がテトラポットの上で飛んだり跳ねたり・・・。「覚悟しろ、悪の手下!」「お前にこの私が倒せるかな・・・!」なんて言葉が聞こえる。ヒーローごっこだろうか。懐かしい。俺たちもよくしたなぁ。隣に目を向けると千歳も同じように子供たちを眺めていた。俺はそんな千歳を数秒眺めてから視線を前に戻す。


それはそうと、今日から8月だ。高校生はすでに夏休みに入っており、ちなみに大学生の俺たちも講義は今日でおしまい。明日からはれて夏休みである。俺の妹皐月は、本来なら受験のために勉強漬けになるはずだが、高校3年でありながらいまだに部活を続けている。理由は簡単。あいつはすでにスポーツ推薦で隣町の大学に進学することが決まっているのだ。だからこの夏休み、普段は学業と家事が忙しくてあんまりバイトをする暇がない俺も、ガッツリ稼ぐ必要がある。来年からのあいつの学費を、この夏休みでできるだけためなければならない。まぁ、テニスの実績が評価され、かなり減額してもらえるのでなんとかなりそうだ。


 ちなみに、なんで大学2回生で19歳の俺がこんなにも金に困っているかって?そんなの・・・オヤジがクズだからに決まってるじゃん。

 毎日毎日酒を飲みつつ居間で寝転がる男の姿を想像してため息をつくと、千歳が心配そうにのぞき込んできた。


「岬、大丈夫?疲れてない?ちゃんと食べてる?なんかちょっと痩せたんじゃない?」


 不安げに揺れる瞳を見返すと、そこには見あきた自分の顔が映っていた。痩せた・・・か?どうだろう。体重計になんて身体測定の時にしか乗らないからわからないが、そんなに変わったようには思わない。それより、今のため息がそんなにつかれたように聞こえたのだろうか。いけないいけない、気をつけないと。千歳に余計な心配はかけたくない。それに皐月にも。


「全然大丈夫だって。別に疲れてため息をついたんじゃないし。ちょっと、親父の事考えてげんなりしただけ」


 そう言うと若干ほっとしたように引き下がる千歳。


「それに、飯はちゃんと食べてるよ。なんてったってウチにはスポーツ少女がいるんだから、食事の量と質にはこだわってるし」


 俺がそう言うと千歳は足元の転がっていた石ころをけっ飛ばし、今度はちょっとむくれて見せた。


「岬って、本当にお料理上手だよね。すごいけど、何かズルイ」

「何がズルイんだよ。こんなの必要に迫られてやむなく上達しただけだし」


 そう、何かにつけて平均的な俺が唯一得意とするもの、それが料理だった。しかし、それも普通よりは良くできるってだけで、料理人レベルではないし、将来そう言った関係に進むつもりもない。俺が大学で専攻しているのは経済学だ。しかし、皮肉なことに今の俺にとって、世界経済も企業経済もどうでもいい。何よりも家の経済状況が心配だ。


「母さんが出て行ってから、もう10年か・・・」


 当時の俺はまだ9歳で、皐月は7歳だった。朝起きたら母親がいなくなっていたのだ。しかしショックはあまりなかった。だって俺は薄々そうなるだろうと予想していたからだ。

 離婚の理由はオヤジが落ちぶれたから。漁師をやっていたのだが、ある日突然の嵐により転覆、命はかろうじて助かったものの船は大破。漁師の命と言えるそれを失ったオヤジは見るからにやる気を失い、毎日酒と博打に溺れた。それも仕方がないことだとは思った。船なんて高価なものを買いなおす財力はなかったし、子供のころから学校にもいかずひたすら漁師として生きてきた親父にとって、いまさら他の職に就くのが厳しいこともわかっていた。だけど・・・頑張ってほしかった。


「探せば安くても仕事くらいあったんだよ。それこそ市場で働くとかさ。なのに・・・」


 柄にもなく昔を思い出して、愚痴ってしまう。いまさらなのに。しかし、心優しい幼馴染は文句も言わず聞いてくれる。


「漁師にはものすごいプライドがあるっておじいちゃんが言ってたよ。岬のお父さんもきっと漁師のプライドが捨てきれなかったんだよ」

「プライドね・・・」


 そんな物のために母親は出て行き、小さかった俺たちは働かない父親の面倒を見ながら生きて行かなければならなくなったのか。腹の足しにもならないそんな物ののために。


「あんなオヤジ、船と一緒に死んじまえばよかったんだ」


 そうだ、それなら生命保険も結構な額下りたはずだし、母親も出て行かなかったはずだ。


「もう、岬ったら。心にもないこと言って・・・」

「本気だし」

「どうかしら?」


 いたずらっぽく笑って、千歳は再び石ころを蹴る。狙いが外れてそれは少し斜め右に転がった。今度は俺がそれを蹴る。そのまま二人でだべりつつ、交互に石ころを転がしながら前に進んだ。調子よく進んでいたのに、途中でねらいを誤って石ころは溝に転がり落ちた。そしてふと顔を上げるとそこはもう家の前だった。


「じゃ、またな」


 俺は千歳にそう言うと、家の門を開けて庭の中に入る。バイトは明日からだ。今日はカバンを置いてすぐに晩飯の魚を釣りに行こう。


「今日の晩、またお野菜持ってくるね」


 千歳は俺の背中に呼び掛けた。その言葉に振りかえり、俺はできるだけ笑ってみせた。嬉しそうに。


「サンキュー助かるよ。いつも悪いな」

「どうせ売り物にならない奴だし、家では消費しきれないから・・・気にしないで」


 そう言って千歳は小さく手を振って自分の家へと帰って行った。俺はその背を見つめながら泣きそうになる。こんな顔、あいつには絶対に見せられない。けれど、きっとあいつは気付いているんだろうな、俺の考えてることなんて。


「俺は、いつまであいつに助けてもらわななきゃいけないんだろ・・・」


 千歳の家は農家だ。いろいろな野菜を育て、売るのだが、形が悪いものや少し傷んでしまった物は撥ねる。その撥ねたものは自宅で消費するらしいのだが、余るからと言って俺の家にしょっちゅうおすそ分けに来てくれるのだ。「どうせ置いてても腐るだけだし」なんて言ってるけど、形が多少悪くても味には問題ないし、地元の市場でなら半額ぐらいで十分売れるのだ。それをタダでもらい続けているのは、さすがに心苦しい。それが千歳家の優しさであるのはわかっている。昔からのなじみで良くしてくれているのはわかっている。おばさんが俺たち兄弟を好いてくれているのもよくわかっている。けど、施しを受けるばかりで、俺は何一つ返せていない。


 別に返しを期待してはいないだろう。それどころか俺に気を使わせないようにものすごく気を使ってくれている。それが余計に心苦しい。だから俺はその施しを素直に喜んでみせる。心の中にかなりの後ろめたさと、ふがいなさを隠して。

このままではいけない、いつまでも甘えているわけにはいかないのに。

 俺は遠ざかって行く千歳が見えなくなるまで、門に寄り掛かって見つめていた。若草色のスカートの端が角に消えてからぽつりとつぶやく。


「好きだよ、千歳・・・」


 この言葉を、本人の前で言える日は来るのだろうか。



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