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後編

第一章


 夢宮学園は何の意図があって造られ、何の目的があるのかは生徒の大多数は理解していない。何故なら、生徒にとっては今日と明日を楽しく暮らせるのであればどうでもいいことだからであった。

 自分達が全く年を取らないこと、そして島の外の世界について知ろうとする者はいない。

 ここでいう生徒とは夢宮学園という学園に在籍する者の総称である。

 夢宮学園には大きく分けて四つの組織が存在している。

 夢宮学園の象徴であり学園方針の意思決定の役割を持つ生徒会。

 夢宮学園の治安と生徒の安全を守る武連合。

 夢宮学園の商業や産業の流通を監視するギルド。

 そして夢宮学園の闇の部分を司る協会。

 これら四つの組織が時には協力し、時には貶めることで夢宮学園は存続していた。


「や……やっと終わった」

 生徒会室の主である御神楽が最後の書類に判を押すと同時にそう呟き、来客用のソファへと崩れ落ちる。

 時刻は七時半。あれから二時間足らずの間に整理箱四つ分を終わらせていた。御神楽はその解放感にしばらく身を任せていたいが、後三〇分後に今日の分の書類が舞い込んでくる。

 御神楽は体を起こし、朝食等を食べようとおぼつかない足取りで備え付けの電話を取った。

 しばらくコールすると相手が出る。

「もしもし、御神楽だがAセットを生徒会室にまで届けてくれないか。そう、今すぐにだ。五分以内に持ってくるように」

 七時半といえば朝のピーク時。食堂で働く者にとっては猫の手が欲しい状況にも関わらず御神楽は最上階まで朝食を持ち運びさせようとする。

 自らの行動に少しばかりの罪悪感を覚えるが今はそんなことを気にしていられない。これから迫る火急の事態の前には少々の御法度は許されるべきなのだ。

 御神楽はそう自分に言い聞かせて再びソファに沈み込む。

 しばらくするとコンコンとノックの音が響いた。それに御神楽は体を起こして「どうぞ」と催促する。

 ドアから見るからに不機嫌そうな女生徒が現れた。理知的な顔に細く鋭い瞳、スラットしたボディだが、今は白衣を着てドスドスと足音を響かせながらこちらに向かってくる。

「や、やあ……久我原君、不機嫌だな」

 御神楽はその剣呑な雰囲気をした女生徒――久我(くが)原優(はらゆう)()に表情を強張らせる。

 優香は御神楽の近くまで来て手に持ったトレイを力一杯机に叩きつけた。

「ご注文の品です。ごゆっくりどうぞ」

 そう言い残して優香は来た道を引き返そうとする。

「ちょ、ちょっと待ってくれないか」

 御神楽が慌てて引き留めると優香は三白眼でこちらを睨んでくる。しかし、それにも御神楽は怯まず。

「これは……一体何だ?」

 御神楽がトレイに置かれた物を指差す。

「Aセットです」

 しかし、優香は間髪入れずそう返した。

「今日のAセットは何というか……サッパリしているな」

 トレイに置かれた物――大量の棒型栄養機能食品(青汁味)を眺めた後に辛うじて呟いた。

「その通りですね」

 優香は御神楽の言を待たずにドアをバタンと閉めて去って行った。

「……」

 残された御神楽はしばらく茫然とした後、モソモソと栄養機能食品を食べ始める。

「久我原君……怒っていたな」

 久我原優香は生徒会の副会長を務めている女生徒である。頭の回転の早さは生徒会随一。そして重要な案件には全て彼女の意見を反映させるほど信頼していた。

しかし、何でかは知らないが最近彼女は下の食堂で働いている。

 本人曰く、自分は体を動かす方が向いていてしかも料理に興味があると言っているが。

「どうしてこんなことを?」

 御神楽は首を傾げる。彼女は賢いゆえに己の能力を正確に把握しているはずである。彼女は一度失敗をすれば二度目は起こさない。だが、この料理に限っては何度失敗しても諦めることは無かった。

 御神楽はもう一つ栄養機能食品を口に含んだ。口内に青汁のごとき苦味が広がる。

「……まずい」

 御神楽は顔をしかめてそう呟いた。


「……はあ」

 優香は食堂に戻ると溜息を吐いた。彼女の持ち前の美貌と相まって儚げな印象を周りに与える。生徒の何人かがその光景に見とれて前の生徒とぶつかった。

 優香はそんな騒ぎなど上の空である。

「どうだったんだい」

 騒ぎの鎮圧に駆け付けた食堂の主任生徒がそう優香に結果を聞く。優香はそちらを見ずに黙って肩を落とす。

「で、会長は食べてくれたのかい?」

 主任生徒はしつこく問い質した。

「運ぶ途中で……転んで、料理がパア」

 沈痛な声で優香はそう絞り出した。その結末を聞いて主任は眼を丸くする。優香はさらに。

「代わりとして近くの売店で売ってあった栄養機能食品を代わりに差し出しました」

「それって……青汁味のかい?」

 主任生徒が恐る恐る聞いた。それに優香が頷く。

「あちゃ~、何でよりにもよってあんな特殊な物を代わりにするかねぇ」

 主任は顔に手を当てて天を仰ぐ。

「もしかして……駄目でした?」

 その問いに主任生徒は首を振って。

「まあ、あれが美味しいという変わり者はいるけどそれは圧倒的に少数派だよ。大多数の生徒はあれを罰ゲーム代わりにしているからね」

「もしかして……フォローに失敗しました?」

 上目づかいに聞いてくる。普段怜悧な彼女が見せるギャップに主任生徒は一瞬よろけるが。

「まあ、まだ時間はたっぷりあるから焦らずにゆっくりやるといいさ」

 優香の背中をバンバンと叩いて気力を取り戻した。

「頑張りよ。会長に手料理を食べさせてあげたいのだろう」

 その主任生徒の優しげな励ましに。

「はい、ありがとうございます」

 いくらか気力を取り戻した優香は食堂の厨房へと消えていった。

 その背中を見ながら主任生徒は。

「あんな綺麗な子が料理を作ろうと頑張っているなんて……いやあ、会長は人気もんだねぇ」

 と誰にも聞こえないよう呟いた。


「よ……ようやく一段落した」

 御神楽は朝に送られてくる書類の内最後の一枚に『許可』印を押して近くのソファに崩れ落ちる。

 気分は最悪だった。朝食代わりに食べたあの青汁味のせいで仕事中ずっと胃がむかむかし、集中できる環境ではなかった。だが、仕事はそんな御神楽の体調など「そんなの関係ねぇ」と言わんばかりの量が届く。御神楽はそれらを気合と根性で片付け、時計が九時を回る前にあらかた片付け終えた。

「もうそろそろ九時か……」

 ソファに寝転がった御神楽は時刻を確認してそう呟く。

「そういえばそろそろ朝の授業が始まるな」

 夢宮学園は一応学園としての体裁を持っているため、生徒は授業に出席する義務を持つ。しかし、それは普通の学生に限る話であって御神楽のように何らかの要職に就いている生徒は授業に出席する義務はない。しかし、彼らは授業に出席する義務はなくとも出席する権利はある。

「しばらく授業に出ていないな。よし、久しぶりに出席するか」

 御神楽はそう自分に言い聞かせて起き上がり、教科書の用意を始めた。

 

 御神楽は階段を降りて特別クラスと打たれた教室を開ける。中は他の教室と変わらない広さがあり、机は横六列縦七列と均等感覚に置かれて後ろには多少のスペースが空いている。他の教室と違うのはその教室に誰もいないこと、そしてほとんどの机は埃に覆われていることだった。

「……」

 御神楽は教室の最前列に置かれた教卓からプリントを取り、最前列に座って教科書を広げた。

 キーンコーンカーンコーン。コーンカーンキーンコーン。

 始業のチャイムが鳴ると同時に御神楽はシャーペンをプリントに走らせ始めた。

 御神楽が通うクラスはある特殊な試験に合格し、かつ何かの組織の職に就いている生徒が特別クラスに編入される。

 特別クラスの生徒には登校義務がないが、代わりに己の行いに対する責任が付いてくる。顕著な例としては特別クラスの生徒が失点を犯すと追及され、それがある程度繰り返すと一般生徒へ降格となる。

カリカリと。御神楽の持つシャーペンが出す音が教室に空しく響く。プリント内の設問が一段落ついたのでペンを置き、耳を澄ます。

教師役の生徒が声を張り上げて授業している音やグループディスカッションで討論しあう生徒の声。教室の外に目を向けると生徒たちが楽しそうにゲームを行っていた。

しばらく御神楽はその様子を、頬杖をつきながら眺める。

机に置いたシャーペンがゆっくりと転がって地面に落ちる。カタリと無機質な音が響いた。

「……寂しいな」

 自然とそんな言葉が口から洩れる。しかし、今回はその言葉に返事が返ってきた。

「寂しいのはこんな場所にいるからよ」

 御神楽が廊下へと目を向けるとそこには廊下の窓からこちらに顔を出している生徒が目に入った。

「ああ、神崎君か」

 御神楽はそう言って立ち上がり、そっちに向かう。

「しかし、あんたも物好きよねぇ」

 紅音は凛々しい表情を崩して呆れた声を出す。

「物好きとはどういうことだ」

 御神楽は紅音の弁に首をかしげた。

「あんただけよ。好き好んで教室にいる特別クラスは」

 埃に覆われた机から想像できるように特別クラスの生徒のほとんどは一度も登校したことがない。仕事が忙しいやら休憩に充てるやらいろいろ理由はあるが、共通して言えるのは「今更授業を受ける意義を見いだせない」という意見だった。

 そのことから紅音は必要ない授業を受けている御神楽を物好きと称している。

「そうか? 神崎君も時々来てくれているではないか」

 そう疑問を出す。

「え? そ、それは……あの」

すると紅音は急にもじもじして歯切れが悪くなった。

「ん? どうした」

 御神楽が紅音に顔を近づけると紅音は驚いて。

「な、何でもない!」

 と、御神楽を力いっぱい押した。御神楽は周辺の椅子や机を巻き込んで盛大に吹き飛ぶ。

「か、神崎君……君はもう少し手加減というものを覚えるべきだ」

 御神楽はプルプルと震えながら起き上がった。

「ご、ごめんなさい。つい」

 紅音は両手を合わせて頭を下げる。

 神崎紅音はその華奢な体に似合わずものすごいパワーを秘めている。大木を素手で引き裂いた、鋼を粉々に粉砕したという武勇伝に事欠かない。しかし、それくらい出来なければあの武連合でトップを保つことは出来ないだろう。何せ武連合には山を移動させる力を持つ生徒もいれば音速を越える速さを誇る生徒もいるのだから。

 さらに言わせてもらうとそんな強大な力を持っている生徒にしても郊外で遭難するというのは一体どういうことなのか。この島にはどんな怪物が存在しているのか非常に気になる。

「まあいいだろう」

 御神楽は肩をすくめて制服に付いた汚れを払う。

「ところで神崎君。今日は一体何の用だ」

 そう聞くと紅音は花が開くように笑って。

「ねえ御神楽君。今日の昼は暇」

 その笑顔に御神楽はゾクリと震える。ここで頷くととんでもない事態に巻き込まれると勘が告げていた。

「いや、残念だが仕事で忙しい」

 そう早口で機先を制したが。

「良かった。なら一三時に第一体育館に来てね」

 紅音の力技によってあえなく突破された。

「神崎君。聞いていたのか、僕は忙しいと言ったはずだぞ」

 それでも御神楽は何とか断ろうとする。しかし。

「今日何もないはずでしょ。嘘はいけないわ」

 その言葉に御神楽はビクリと震える。そして、紅音はその仕草を見逃すわけがない。

「ほら、何もなかった。じゃあよろしくね」

 そう言い残して紅音は立ち去る。

 紅音は常に戦場に身を置いているから勘が異常に鋭い。これまでも御神楽は紅音に嘘を付けた試しがなかった。

「……仕方ない」

 御神楽は諦め顔でため息を吐く。朝に食べた変な朝食のせいで本調子ではないのだが精一杯頑張ろう。そう決めたところで。

「忘れてた、はい」

 紅音は急に戻ってきて何かを御神楽に渡した。

「胃腸薬。どうせ『朝に食べた変な朝食のせいで本調子ではないのだが精一杯頑張ろう』とか考えていたでしょう。それを飲んで何か体に良い物を食べて万全な調子で私に挑みなさい」

 そう言って紅音は今度こそ去って行った。

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 御神楽は呆然と胃腸薬を握りしめ、紅音の勘の鋭さを改めて思い知った。


「いつものことながらどうして二時間でこんなに書類が溜まるのだ?」

 生徒会室に戻った御神楽は整理箱の状況を確認して憮然と言った。

「それは生徒会長に絶大な権限があるからです」

 隣で書類仕事の仕分けをしている優香が御神楽の不満に答えた。

「何度も思うのだがいっそ校則を変更してみないか? これではあまりに非効率だぞ」

 御神楽がそんな提案をしてみるが優香は首を振って。

「おそらく生徒からの支持を得られないでしょう。今のままでも生徒は十分満足していますから提起しても却下されるのがオチです」

「そうだよなぁ」

 御神楽は頭を抱えてそう呻く。夢宮学園のこのシステムはかなりアンバランスな気がするのだが、幸か不幸か十分機能している。これが御神楽としてはジレンマだった。

 生徒会室には大量の書類を処理しなければならないため、ワンフロア丸々使っている。そして、生徒会室に置かれている机と机との幅が一般の教室ほどの半分ほどしかない。さらにその机の上に多段ボックスである透明な整理箱がこれ以上ないというほど存在感を放っていた。

 書類がこんなに溜まるのは訳がある。学園の校則としてあらゆる行動は会長の許可――部活動や授業などといった些細なことでさえ報告しなければならず、必然的に書類の量が増えてしまう。

 御神楽としてはもう少し生徒の自由を増やさせて書類の量を減らしたいのだが、残念なことに先ほど述べたように変えることが出来ない。

 その結果、午前中にも拘らず生徒会室には整理箱が置いてある机の内約半分が書類で覆われてしまう。その様子を眺めた御神楽はまたため息を吐く。

「嘆いていても仕方ない」

 御神楽は肩をコキコキと鳴らして体を解した。

「約束の時間まで後一二〇分……だから」

 御神楽の瞳に炎が宿る。

「一時間で終わらせてみせる!」

 そう自分を鼓舞して自らの机に座り、書類の山との格闘を始める。

「その意気です、御神楽会長」

 優香が御神楽の奮闘に拍手を送った。


「次は何かな?」

 机に突っ伏しながら優香に今後の予定を聞く。すると優香は冷静に。

「一二時から犬の半人種の方と面談の予定でしたが先方の都合により流れました。よってこれから先の予定はありません。お疲れ様です」

 手元の手帳を見ながらそう述べた。

「そうか、面談の予定が流れたのは残念だが今は感謝しよう。久我原君、その方に伝言を送っておいてくれ」

「伝言の内容はどうしますか」

「当たり障りの無い内容で頼む」

「承知いたしました」

 優香はそう言って頭を下げ、生徒会室を退室した。そして次に入ってきた時には。

「では、私が準備している間にこれに判をお願いします」

と、また書類の束を持ってきた。それを見た御神楽が死にたくなったのは言うまでもあるまい。


「元気でっか、御神楽はん」

 書類に『許可』印を高速で押していた最中に、突然陽気な声とともに生徒会室のドアが開いた。御神楽は顔を上げる。

「ああ、宮原君か」

 でっぷりと太った体型を見ただけで御神楽はそう返事した。そしてまた書類仕事に戻る。

「ちょっと待ってえな御神楽はん。なんで顔を見ずにお腹だけでそう判断するん?」

 宮原はいささか傷ついた様子で言う。

「……」

それに対し、御神楽はスルーで返した。どうせ言わなくても解かっているだろう。

「ちょっ、無視はやめてえな。わいはガラスのハートの持ち主なんやから大切に扱ってえな」

 宮原は大げさに御神楽の態度に文句をつける。

「ガラスはガラスでも強化ガラスだろうが」

 もう芝居に付き合いきれなくなったのかようやく手を止めた。

「それで、何の用だ」

 御神楽は自分用ではない来客用のソファに宮原を座らせて対面に自分も座った。

 すると宮原は先ほどまでの陽気な気配を消し、深刻そうな表情を作る。

「御神楽はん。わいはもう終わりかもしれん」

 普段陽気なものが落ち込むことほどテンションが下がることはない。周りの空気が一気に重くなる。だが……

「どうせ宮原君の悪行が明るみに出そうなのだろう」

 御神楽は冷静にそう言い放つ。さらに。

「言っておくが僕は擁護しないぞ。事件が明るみに出た場合、僕は君を裁かなければならない。そうなると君はまた夢宮学園の一生徒からのやり直しだな」

 夢宮学園には二種類の生徒がいる。一つは学校に通い、授業を受ける義務を持つ一般生徒。もう一つは試験に合格し、生徒会や武連合、ギルドなどに属した特別生徒。

 特別生徒は授業を受けなくともよいが、その分他の義務を負う。

属するグループで不祥事を起こしたりした場合、その生徒は権利を剥奪されて一般生徒からのやり直しとなってしまう。

御神楽の言っていることは暗に一般生徒からやり直せと言っていることに等しいのだ。ゆえに宮原は驚いて。

「御神楽はん。あんさんに恩というのはあらへんのか。わての協力によって御神楽はんは生徒会長になれたんやぞ」

 生徒会に属するためには年に一度行われる選挙に立候補し一定数の支持を得るのが条件である。さらに生徒会長の場合はその選挙で得票数が一位にならなければならない。御神楽は昨年の選挙で最高得票数を得て生徒会長へと就任していた。

 それには訳があり、夢宮学園の勢力の中で最大を誇るギルドが御神楽を全面支援したからこそ得た勝利だった。

 そこを考えると御神楽は宮原に逆らえないはずなのである。しかし……

「一応言っておくが去年生徒会に立候補したのは僕と久我原君だけだぞ。そして久我原君はギルドを快く思っていないから僕を推した。それだけだろ」

 前回の生徒会選挙は候補者が御神楽と優香の二人だけという異常事態が生じた。元から生徒会は生徒会独特の罰則のよって生徒にとって全くと言っていいほど人気がないがこれは前代未聞だ。

生徒会長は生徒の自由を制限する権利を持つが、それを発動するには相応の理由が必要であり、使い所を誤ると一発で権利を剥奪されて一般生徒となってしまう。

 せっかく苦労して特別生徒になったのに、たった一度のミスで権利を剥奪されては堪らない。それが全特別生徒の見解だった。

 ゆえに進んで生徒会に立候補するのは特別生徒の中でも異端の部類に入る生徒として見られている。

「さて、宮原君。君の不正を特別に『許可』するだけの相応しい理由はあるのかな」

 御神楽は目を細めて宮原を責める。すると

「御神楽はん、何を勘違いしておるんや。わいは今回あんさんに不正行為を『許可』してもらうために来たのではあらへん」

 宮原は大げさに手を振って潔白を訴えた。御神楽は眉を上げる。

「そうなのか。僕はてっきり君が管轄する不正キャラバンが遭難したから例外的に『許可』を求めに来たのかと思っていたのだが。では一体何の理由でここに来た?」

 御神楽がそう詰め寄ると宮原はその分のけ反って。

「御神楽はん、顔が怖い怖い。もっとスマイルを意識せんと美形が台無しやで」

「ちゃかすな。TPOをわきまえろ」

 宮原の冗談を御神楽は一刀両断した。

「御神楽はんはほんまに固いなぁ。しかし、そうでもせんかったら生徒会長なんて務まらんやろうし」

 宮原はため息を吐いてやれやれと頭を振り。

「さて、本題に入りますわ」

 豹変したように普段の気安い雰囲気が消え、猛禽類のような鋭い空気をあたりに発散する。

(これがあるから宮原君は油断ならないんだよな)

御神楽は無表情のままそう考える。

宮原一馬は生徒の中でも『大人』の部類に入る。場面に応じて顔を使い分けし、決して己の本心を明かそうともしない。

先ほどTPOをわきまえろとか言ったが、御神楽は宮原ほどTPOの使い分けを熟知した生徒はいないと考えている。

「武連合の本部に出入りする許可がほしいんや」

 宮原は重々しくそう提案した。その提案に御神楽は拍子抜けする。

「それだけでいいのか?」

 御神楽が念を押すと宮原は頷いて。

「そうや、それだけでええ。御神楽はんは一体何を想像しておいたんや?」

 宮原は自信満々に言い放つ。

「一応聞いておくが何をするつもりだ」

「別になんてことはあらへん。ただ武連合を見学したい輩がおるからそいつの望みを叶えてやろうと思うてな」

「まあ、見学だけならさほど問題ないな」

 御神楽はそう頷いた。そして 御神楽は机の引き出しから白紙の『許可証』を取り出す。

「待ってえな御神楽はん。出入り許可の名はわいではあらへん」

 宮原が慌てて御神楽に忠告する。御神楽は顔を上げた。

「名前は静原柳っちゅう生徒や」

 その姓を聞いた途端御神楽は持っていたペンを取り落とした

「静原……それはもしかしてあの『静原』か?」

 御神楽は探るような目つきで宮原に詰問する。しかし。

「いやいや、普通の生徒や」

 と、すっとぼけた。その態度に御神楽は奥歯を噛んで。

「なら、その生徒を連れてきてほしい。僕が直接本人に手渡すから」

 そう言い放つと宮原は笑んで。

「いやいや、そんな時間の無駄なことをしてもしょうないって。どうせ武連合の施設には誰でも自由に入れるんやから」

 そう言われるとぐうの音も出ない。御神楽は仕方なく取り出した見学許可書に『静原柳』と記入して判を押した。

「おおきにおおきに」

 宮原は御神楽に何度も頭を下げながらその場を去って行く。

 御神楽がその後ろ姿をずっと睨みつけていた。



第二章


「遅かったわね御神楽君。五分の遅刻よ」

 第一体育館のうち壁、床、そして天井と全て特殊金属で覆われている特別室に到着した御神楽にかけられた第一声が紅音による叱責だった。

「すまない。急用が入ったのでな。そちらに追われた」

 御神楽は遅れた理由を詫びて準備運動を始める。

「急用? どうしたの」

「宮原君関係の話だ。今話そうか」

 そう提案すると紅音は間髪いれずに。

「止めて。気分が悪くなるわ」

 そう鋭い声で遮った。その様子に御神楽は心の中で溜息を吐く。

 紅音は宮原をひどく嫌っている。その理由は宮原の性格にある。

 紅音のように竹を割ったような性格と宮原のような底なし沼のような性格は水と油のような関係だ。紅音からすれば何でも態度を曖昧にする宮原の性根を許し難いのだろう。

 御神楽としては同じ学園に所属する生徒なのだから仲良くしてほしいのだが、これは生理的な問題なので手をこまねいている。

 そうこう考えているうちに準備運動が終わり、御神楽は持ってきた二尺三寸の長刀を携える。

 試しに抜刀術を二、三回抜いてみるが別段体におかしいところはない。御神楽は一つ頷いて納刀した。

「へえ、もう準備ができたのね」

 紅音は御神楽の様子を見てそう呟き、笑みを浮かべる。

「じゃあ、私も用意しましょうか」

 そう言って柄三m直径一mの両刃戦斧を取り出した。刃がギラリと光り、御神楽を映す。

「何というか……さすがにでかいな」

 御神楽は紅音の愛用武器を見てそう反応した。それに紅音はクスリと笑い。

「武連合に所属する生徒は堅い外骨格を持つ昆虫人や動物人を相手にしているからね。自然と武器が重く強くなるものよ」

 紅音は右手を懐に入れて。

「一応実戦形式だから銃も使わせてもらうわよ」

 44マグナム――デザートイーグルを取り出した。ガチャリと銃口を御神楽に向ける。

 右手にマグナム、左手に戦斧――左手の戦斧で相手の動きを止めて右手のマグナムで打ち抜き、相手が弱ったその隙に戦斧で叩き潰すのが神崎紅音の戦闘スタイルだった。

「一応確認しておくが斧は刃引きしておらず、銃は実弾なんだよな?」

 御神楽が聞くと紅音は頷いて。

「当然。でないと緊張感出ないでしょ」

 何を当たり前のことを聞いてくるんだと言いたいような声で答える。

 この危険極まりないルールは武連合の正式ルールであり、ギリギリの戦いでこそ力の真価が発揮されるというのが弁だった。御神楽は「これは試合ではなく死合である」と言いたいのだが驚くべきことに武連合ではこの死合において一人も死者を出していない。

 それは武連合に所属する生徒全てが達人クラスの腕前を持つからなのでその常識を非戦闘員である僕に適応するのはおかしいだろう。しかし、御神楽も達人クラスなので逆に手を抜いた方が死ぬ可能性もあり危険。

「まあ、いいだろう」

 紅音の申し出に御神楽は頷いた。朝のように不調なままだったら断っていたものの今は胃腸薬のおかげで体が軽い。動きに支障はなさそうだった。

 紅音はニヤリと笑う。それは先ほどまでの笑みとは違い、獰猛な肉食獣のような笑みだった。

「さあ、楽しみましょう!」

 そう言って紅音は右手にマグナムを構え、御神楽に向かって打ち出した。

 あまりの威力に真空波を発生させながら御神楽に接近する。

「甘い」

 御神楽は長刀の切っ先を弾道に合わせ、そっと方向転換させた。放たれた銃弾が全く別方向へと向かう。

「どんどんいくわよ!」

 紅音は御神楽の注意が逸れた瞬間に走り出し、体を捻って遠心力を乗せて戦斧を左から右へと振り回す。

 御神楽は飛びすぎずかつ低すぎず跳躍した。紅音の目の前から御神楽が消える。

「残念だな」

 声がした方向に紅音が向くと、ちょうど戦斧に乗った御神楽が紅音の左腕を切りつけようとする最中だった。

「っち!」

 紅音は舌打ちすると戦斧を手放して代わりにマグナムを発射させる。

 突然安定感を失った御神楽はよろけながらも銃弾を回避し、後ろに跳んで距離を取った。

 紅音と御神楽。距離にして約十歩分、間が開ける。

「次はこちらの番だ」

 一瞬の静寂の後、御神楽が動く。刀を納刀し、右足を大きく踏み出して体を捻った力によって大きく抜刀した。

 刀からカマイタチが発生し、紅音に襲いかかる。それに対して紅音は戦斧を盾代わりとすることで対処する。

御神楽は十歩分の距離を一足で飛び越え、接近戦へと持ち込んだ。

御神楽と紅音の距離は歩幅一歩分。その距離だと紅音は戦斧を思うように振り回すことができず、必然的にマグナムに頼ることになる。

御神楽は右に回り込むよう心がけながら斬り上げ、そして下ろす。

しかし、紅音も只者ではない。持ち前の反射神経と勘の良さで御神楽の斬撃をかわす。

しばらく後そのような戦いが続いた。

「くっ!」

 御神楽の攻撃に耐えきれなくなったのか紅音はマグナムを撃った。

(これで残り六発)

 御神楽は紅音が撃った弾数を数えていた。

 44マグナムの装弾銃は九発。しかし、先ほど三発目を撃った。このまま弾切れをまで持っていけば自分の勝ちだ。

飛び道具の心配さえなければ紅音と互角以上の戦いが出来る。

(根比べだな)

 御神楽は紅音の周りを回りながらそう考える。

 そうこうしている内に紅音は四発目を発射した。

 紅音は荒々しい戦斧の舞を踊り、御神楽はリズムを断ち切るように一閃させる。それを繰り返していると戦況は徐々に御神楽の方へと傾いてきた。

その空気を肌で感じたのか御神楽は口元を微かに歪める。

しかし、紅音はその御神楽の気が緩んだ瞬間を狙ってひざ蹴りを放った。

「くそっ!」

 間一髪それをかわしたものの御神楽の態勢は大きく崩れる。その好機を見逃す紅音ではない。マグナムを三発立て続けに連射し、大きく距離を取った。

 再び静寂が訪れる。しかし、先ほどの静寂とは打って変わり、両者は肩で大きく息をし、紅音の衣服には細かい無数の切り傷が、そして御神楽には先ほどの弾丸によって咄嗟に盾とした左腕が赤く染まっていた。

「……」

 御神楽は左手動かそうとしてみるが力が入らない。おそらく急激な出血のせいで指先の末端まで血が行き届いていないのだろう。幸いにも神経組織は無事だ。しかし……

「これでは抜刀術を放てそうにないな」

 御神楽は苦々しく呟く。自分の技の中で数少ない止めの威力を持つ一撃必殺クラスの大技が使えないのは痛い。抜刀術は添え手である左手の扱いによって速さと威力は大きく影響する。この力の入らない左手では結果が知れている。

 それにこの出血量ではもう残り時間が少ない。後数分もすると失血によるめまいが襲ってくる。

「ほらほら、どうしたの御神楽君。もう降参?」

 御神楽の状況を知ってか知らずか紅音は陽気な声をかける。それに御神楽は。

「別に、問題はない」

 予め用意していたさらしを左腕に巻きつけて応急処置をする。きつめに縛ると出血が弱まった。

「さて、そろそろ再開するわよ!」

 紅音が戦斧をコマのように回して襲いかかってくる。御神楽は先ほどと同じように獲物の上に乗ろうとしたが、紅音の瞳を見て止めた。

 紅音の瞳はこう訴えていた「乗れるものならどうぞ」と。

 別にこちらから罠に飛び込む道理はない。ゆえに御神楽は第二の方法――刀身を地面との平行から少し傾ける。

 紅音の戦斧が刀の切っ先に触れるや否やそっと上に弾いた。いわゆる受け流しである。

 戦斧が御神楽のすぐ上を通り過ぎ、紅音の背が見えた。

 御神楽はその瞬間に足を大きく踏み込み、刀を振り上げる。

 切りつける瞬間、背を向けているはずの紅音が笑ったのを感じた。

 御神楽はいや予感がして紅音を注意深く見、そして目を見張った。

 紅音の脇から何かがこちらを向いていた。漆黒の砲身――マグナムだった。

 御神楽はもう止まれない。だが、このままだとマグナムの餌食。ならばどうするか。

 御神楽はバランスが崩れるほど大きく踏み込んだ。案の定重心が狂って地面が迫ってくる。しかし。

「なっ!」

 紅音の驚く声が聞こえたと同時に何かが自分の上を通り過ぎて行った。

 御神楽は渾身の力を込めて左手で自分の体を支え、右手で刀を突き出す。

 しかし、紅音もさる者、御神楽が態勢を崩したタイムラグによってもう戦斧がこちらへ帰ってくる。

 そして、刀と斧が交差した。

「…………」

 辺りに沈黙が漂う。御神楽の刀は紅音の頬のすぐ横を突き抜け、紅音の戦斧は御神楽のすぐ横の地面に突き刺さっていた。

「ぷっ……くくくあははははははははは」

 突然笑い声を上げた紅音は天を仰ぎ、戦斧を放した。「ああ、楽しかった。やはり御神楽君との試合は最高ね」

 両手でウーンと伸びをしてニコリと笑う。その笑顔は先ほどまでの好戦的な笑みでなくカラリと晴れた表情だった。

「まあ、神崎君が満足したならそれでいい」

 御神楽はそう返すと納刀して床に大の字で寝転がる。

「こらこら、体育館は寝る所じゃないよ」

 紅音が崩れ落ちた御神楽をそう茶化す。御神楽は顔をしかめて。

「戦闘が本職である武連合で、しかもその中で最強の神崎君と互角の戦いを演じたんだ。普段デスクワークである僕にとっては相当辛いぞ」

 御神楽は続けて。

「君は今回どうしたんだ? 今までとは違って動きにキレがなかったぞ。もしかして体調が悪いのか」

 そう聞くと紅音は笑って。

「大丈夫大丈夫。昨日は一睡もせずさらに任務を終えて来ただけだから」

 あっけらかんとそう言った。御神楽は驚いて。

「任務明け? よくそれでここまで戦えたな。信じられないぞ」

 と、言うと紅音は腕組みして視線を宙に彷徨わせる。

「ん~、本当はすぐ帰って眠りたかったけれど依頼内容がとてもエキサイティングでね。興奮しすぎちゃって見張り台に近づいた昆虫人を熱冷まし代わりに戦ったのだけれどまだ冷めなくてね。だから君と戦ったのよ」

 そう言い放つ武連合トップの神崎紅音。その底なしの体力と飽くなき闘争心に御神楽は少し戦慄を覚える。

「おかげでようやく熱が冷めたわ。これでようやくぐっすりと眠れそう」

 そう軽くストレッチングしながらそう言う。御神楽は何か言おうと口を開いたが止めた。何を聞いても無駄だと思ったから。と、そこで何かが頭の中に引っ掛かった。

「ん、依頼? 一体何の話だ」

 御神楽が紅音の言った言葉に違和感を覚える。

「え? 依頼ってあの救出依頼。あるキャラバンが遭難したからその救出」

「おかしいな。任務の話ならまず生徒会を通さなければならないはずだ」

「そうなの。依頼版に救出依頼の旨があったから参加したのだけどそれって実は無認可?」

 紅音が口を押さえて驚きの声を上げる。

 武連合には二つの役割がある。学内を巡回し、生徒の安全を守るのと生徒から依頼を受けること。

 前者は生徒会に事後承諾という形が取れるが後者は違う。内容によって危険度や重要度が変わってくるので依頼は生徒会を経由しなければならない。

 そして、生徒会を経由していない依頼を無認可依頼と呼び、依頼した生徒も受けた武連合生徒も共に罰を受けなければならない。紅音が驚いたのもそれが原因。違反した武連合の生徒はしばらく依頼の自粛または謹慎が言い渡されてしまう。

 紅音の驚きに御神楽は首を振って。

「安心しろ。普通なら依頼した生徒とその依頼を掲げた武連合の生徒のみの罰則だけで終わり、実行犯である君には影響がない……で、それでいつ帰還した?」

「ええ、遭難したキャラバンの救出は五時二四分に終了したわ。それ以降は私の管轄でないから知らない」

 思い出すように首を傾げてそう答えた。それに御神楽はますます考え込み。

「五時二四分の時間帯といえば早朝届、そしてどんなに遅くとも昼までには間に合う。しかし、僕が見た限り救出依頼どころか普段の依頼の達成した届けを見ていない」

「えっ、御神楽君。これって実は結構大事」

 紅音の顔が真っ青になり不安そうに瞳が揺れた。

「詳しくは分からないが、僕はそのような救出依頼など出たことも達成されたことも知らないぞ」

 そういえば今日の朝、宮原君が突然訪れて見学届を求めて来たな。普段なら事後承諾で可能なのにわざわざ事前許可を貰いに来ていた。

 御神楽は顔を上げて紅音を見る。

「神崎君。君は急いで武連合に戻って救出した生徒の無事を確認した方がいいかもしれない。僕も宮原君にコンタクトを取ってみる」

「どういうこと?」

 紅音が疑問符を浮かべる。

「生徒が遭難したことも救出されたことも生徒会はまだ知らない。そして今日の朝に突然宮原君が『静原』の姓を持つ生徒のために武連合の見学届を貰いに来た。この二つは偶然と思えない。だから念のために確認してみる。そして、僕はその生徒達に会いたいのだが大丈夫かな」

 そう聞くと紅音はカラカラと笑って。

「生徒会長様の要望を却下できる生徒がこの夢宮学園にいるのかしら」

 と言った。それに御神楽は苦笑して心の中で。

(宮原君は遠回しに断るし神凪君至っては平然とノーを突きつけてくるがな)

 と、口には出さず呟いた。どうせ言った所でメリットは無い。宮原君に対する神崎君の印象がより一層悪くなるだけだ。

「まあいい。よし、ではすぐに行くから準備を頼む」

「仰せのままに、生徒会長様」

 と、仰々しくお辞儀をする紅音。それに御神楽は顔をしかめて。

「神崎君、ふざけているだろ」

「あれ? ばれた」

 舌をちょこんと出してテヘヘと謝る紅音。その可愛い仕草に毒気を抜かれた御神楽は開いた口を閉じて。

「もういい」

 と呟いた。しかし、気分の収まらない御神楽は。

(敬意を払っていないのは神崎君も同じだろ)

 一応心の中で毒付いておいた。

「あら、私は敬意を払っているわよ?」

 紅音が急にそんなことを言い出した。それに御神楽は半眼を向けて。

「……心の声を読むな」

 と、抗議すると紅音は笑って。

「いくら何でも超能力者じゃないんだからそんなことできないわよ。ただ、何となく御神楽君はそう考えているかなぁと思ったから」

 あっけらかんとそう言い放ち、疲れを全く感じさせない速度と軽やかさでその場を走って去った。

「僕も急がないといけないな」

 そう自分に言い聞かせ、貧血でクラクラする体を叱咤して駆けて行った。


「……出ない」

 御神楽は備え付けの受話器に耳を押しつけながらそう呟く。生徒会室に帰ってすぐ汚れた制服を着替えて傷の手当てをし、出ていくよりもさらに高く積もれた書類の山に一しきり絶望した後御神楽は緊急コールを使って宮原にかけていた。しかし、一向に出ない。

「こちらは留守番電話サービスです……」

 何度目かになる留守番電話へと繋がった。仕方がないので御神楽は。

「お仕事お疲れ様です。生徒会長の御神楽圭一ですが、先刻の件でもう一度話し合う必要がございましたのでこの伝言を聞き次第返信をお願いします。失礼します」

 と、メッセージを残して電話を切った。

「さて、これからどうするか」

 御神楽は椅子に深く腰掛けてこの先を思案し始める。

 宮原が何かを仕掛けたのは間違いない。やはりそれは遭難したキャラバンの件についてだろう。無認可キャラバンについては僕も大体把握しているものの、いくら取り締まってもゴキブリのように次から次へと実質黙認状態となっている。しかし、いくら黙認といっても事件が明るみに出ればこちらも裁からざるを得ない。

「過去に幹部の不正があったことも事実だしな」

 そういった無認可キャラバンの主がギルドの幹部だということもたまにある。大抵の場合は無認可キャラバンと幹部との接点が掴めずに終わるのだが、時に無認可キャラバンの隊列または持ち物からギルドの幹部のだと関係性が繋がることもある。だが……

「宮原君だと分かってしまう証拠を残すとは思えないしなぁ」

 宮原一馬という人物は熊のように大胆で鼠のように臆病であり狸のように抜け目ない性格をしている。過去において武連合によるギルドの幹部一斉摘発の際も宮原だけはその網から掻い潜った経験を持つ。ちなみにその一斉摘発によって宮原は幹部から元締めへと昇格した。

「そんな宮原君が無認可キャラバンに自分が関与しているという証拠を残すか? 僕はそう思えない」

 おそらく誰かに嵌められたのだろう。しかし、一体誰が? 

宮原君に一切気付かせることなく罠を仕掛け、僕を経由することなく依頼届を出し、そして偶然を装って武連合の神崎君に救助させるという荒業を成し遂げられる権力と人材を持つ勢力は。

「一つは宮原君の所属するギルド」

 ギルドは一枚岩ではない。あの中には一斉摘発によって権利を剥奪された幹部を慕う生徒も大勢いるだろう。その中の一部が今回の謀略を仕掛けたのかもしれない。

「しかし、危険な郊外に長時間待機できるほどの戦力がギルドに存在したか?」

 御神楽は首をひねる。確かにギルドには武連合の生徒に匹敵するほどの力を持つ生徒もいる。だが、そういう生徒は全て宮原君が管理しており、そういった不穏分子に任せるわけがない。武連合から生徒を引き抜くという手も考えたがそんなことを宮原君が見逃す可能性は低い。

「次に生徒会」

 一応生徒会もその謀略を行うだけの力を持っている。久我原君にも一定の権限が与えられており、それを行使すればおそらく可能だろう。動機として久我原君はギルドに対してあまり良い印象を持っていないことが挙げられる。しかし……

「ギルドの現状において久我原君はそんなことをやらないだろう」

 久我原君は頭が良い。今のギルドは宮原君がトップに君臨することによって秩序が保たれている状態なので、その均衡を自ら崩して学園全体に影響が出てしまうことが見えないほど久我原君は近眼的でない。

「そして武連合」

 これはもっと簡単。神崎君ほどではないにしても力の強い生徒は武連合に多く所属している。彼らが二、三人徒党を組んで待ち伏せればすぐに決着がつくだろう。自作自演なので生徒会に通す必要もないし。

「彼らの性格上ありえないな」

 武連合の生徒は基本的に己の強さを高めるために日々切磋琢磨しているのでそれ以外のことに関して彼らはあまり興味がない。と、いうかそれ以前にそんな謀略を張り巡らせる生徒が武連合に所属しているわけがない。あそこは力が全ての場所なのでそういった悪知恵はギルドで生かされると考える。

 そこまで考えたところで御神楽は溜め息を吐いた。考えたくないがやはりそこしか思いつかない。

 生徒会より権力を持ち、武連合より強大であり、ギルドより狡猾性を持つ闇の組織。

「やはり……協会だよな」

 御神楽は先ほどのよりもずっと暗く重い溜め息を吐く。協会という名を聞いただけで御神楽の体が強張ってしまう。

 御神楽は協会を恐れている。正確には協会の総帥である神凪水蓮という人物を極度に畏れる。あの微笑み、姿形、佇まい全てが理解できない。水蓮と向き合っていると善と悪の基準が曖昧になり、自分の常識というものが足元から崩れ落ちていくような感覚に囚われてしまう。

「しかし、やはり行くしかないよな」

 御神楽は気力を振り絞って協会へと向かう決心をする。このまま生徒会室に籠る選択肢もあったが、ここで行動しないと何かが終わるという予感が御神楽に警鐘を鳴らしていた。

 御神楽は用心として仕込み刀を持っていく。協会の所在地は生徒会室とは真反対の校舎の地下深くに存在していた。

 御神楽はエレベーターでボイラーなどが設置されてある設備室へと向かう。

不気味な低音が響く中、御神楽は別の『故障中』と銘打たれたエレベーターに近付き、ボタンの下に隠されているレバーを取り出して引っ張ると『故障中』であるはずのエレベーターの扉が開いた。

エレベーター内に入った御神楽はその天井を開けて脱出し、近くに空いている穴に体を捻じ込む。

入口は狭いが一端入ってしまえば中は広く、廊下のような作りとなっていた。

「……」

その道を御神楽は足音を立てずに進む。

 協会が所属不明な理由としてこのような秘匿性があるからであろう。普通ならまず気付かないような場所に入口がある。

 そして御神楽が進んでいくと、人の気配を感じたのでその場所で止まる。

「こんにちは。協会へようこそ」

 その人物は制服に黒頭巾という奇妙な格好をしていた。

「……名無しか」

「はいその通りでございます」

 御神楽の呟きに名無しと呼ばれた生徒は頭を下げる。

 協会に所属する特別生徒は名前を取り上げられ、顔を隠されて無個性を強要される。幹部以上になれば名を名乗ることが出来るが、その時点ですでに一般生徒だった頃の面影はない。つまり完全な別人と変貌している。

 彼らが一定の期間を得ると三つある機関の内一つに属することとなる。

 最も有名なのが『静原』機関。御神楽が宮原から静原の姓を聞いたとき驚いたのはそれからだった。

 静原は三つある機関の中で学園の干渉を行っている。ゆえに立場上御神楽は何度も静原の姓を持つ生徒に煮え湯を飲まされた経験があった。

 話を戻す。

協会という組織は役割が役割なので募集をかけたりはしない。在学中に素質ありと判断された生徒のみが所属を許される秘密結社の意味をおびていた。

 しばらく名無しの後に従う。普通に歩いているだけでも多くの名無しとすれ違ったのだが、御神楽は言い知れぬ孤独感に心臓が縮みあがりそうになる。

 無機質な廊下とただ照らすだけの蛍光灯、そして名も顔も無い生徒。

 やはり何度来ても慣れるものではない。御神楽は気を溜めて心を強く保った。

 そして二、三人と案内人の名無しが変わり、ついに総帥が座する最下層の部屋に辿り着いた。

「それでは、私はこれで」

 抑揚のない声とともにそう言い残してその場を去って行った。

 一人残された御神楽は扉を開ける前に深呼吸して気持ちを落ち着かせ、僅かに息を止めて中へと足を踏み入れた。

「……」

 重い闇がそこに横たわっていた。一般の生徒であれば震えあがり、その場から一目散に逃げ出すであろう得体のしれない何かがこの部屋にある。

 御神楽は明かりも付けずにその部屋に入ると大股で部屋の中央に移動する。そして扉が閉まり、部屋は完全な闇で満たされた。

「お久しぶりじゃのう」

 部屋の奥から喜びか悲しみか判断のつかない意味不明な声音が聞こえてきた。

「この部屋に明かりを灯さずに踏み込めるか。さすがは生徒会長じゃのう」

 賞賛と驚きが含まれているように感じる。

「別に、この方が君にとって話しやすいと判断したからだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 努めて冷静な声で応答した。その心の機微を察したのか水蓮は愉快そうに。

「そうかそうか、そう言うのならそうすることにしておこうかの。他の協会の幹部達もそなたのように明かりを灯さずに入るという虚勢を見せてほしいのじゃが」

 前はからかいが含まれ後は嘆息が含まれていたように感じる。

「それで、僕がここに来た理由について大体の察しは突いているのだろう」

 このままだと話が進まないので御神楽は強引に話の核心を突くと。

「慌てるでない御神楽。そのようにいきなり話を持ってくると相手にいいようにかわされてしまうぞ。もっと外堀から相手を追い詰めるよう努力するべきじゃ」

 水蓮から交渉についての忠告を受けることとなってしまった。それに御神楽は顔をしかめて。

「それはわかっている」

 と、苦々しく呟いた。御神楽自身も単刀直入に聞きすぎたと後悔している。しかし、御神楽としては一刻も早くこの部屋から出たいという思いが強いのも事実。

 その急く心が普段なら犯すはずもないミスを犯してしまった。

平常な心を保てずに心を不安にさせる何かがこの部屋にある。

「まあ、それがそなたの持ち味の一つじゃからのう。そう矯正せんでもいいわ」

 ほほほ。と、愉快そうな声音が部屋に響く。

「それで、結局はどうなんだ」

 多少苛ついた様子で御神楽が問う。

「何度も言っておるじゃろう。そなたと学園には危害が及ばん」

 御神楽がここに来るたびに繰り返す言葉を紡ぐ。それに御神楽は片眉を上げる。

「そんなに怒らんでもよかろうに、童の信頼も地に堕ちたものじゃ。本当に悲しいのう」

 ヨヨヨ、と明らかに楽しんでいる泣き声が辺りに響いた。

「ふざけるのも大概にしろ。で、どうしてこんな謀略を仕組んだ?」

 御神楽はイラついた様子で問う、しかし。

「さて、のう。何でかのう?」

 のらりくらりとかわされてしまった。

「もういい」

 御神楽は言を打ち切ってその場から足早に出ていった。その背中に水蓮は。

「面白か面白か。これからどう動く?」

 と、不気味な悦声をかけていった。


「……はぁ~」

 協会の本部から出た御神楽は近くに誰もいないことを確認した後に大きくため息を吐いて廊下にへたり込んだ。

「やはりあの空間は苦手だ」

 御神楽は一人反省をする。もっと聞かなければならないことがあったし、水蓮の言が真実かどうかも確認しなければならなかった。そして、それ以前に水蓮が指摘したように話題の振り方が最悪に近かった。何とか水蓮が答えてくれたから良かったものの普通なら、はぐらかされてお終り。それでも救いだったのは彼女が面白ければ良いという快楽主義者なことだった。

「これからどうするか」

 御神楽は廊下に座り込んで思考を整理させる。協会にまで足を運んで得られた情報は「学園と御神楽には安全網が張られている」ということだけだった。

 だがしかし、その言葉を鵜呑みにするのは危険すぎる。水蓮の真意が分からない以上、裏付けのない情報を信じるのは愚の骨頂だ。

「しかし、だからと言って何もしないわけにはいかないな。とりあえず地上に出て神崎君に連絡してみるか」

 次の目的地が決まった御神楽は腰を上げてエレベーターに乗り込んで地上にある武連合の棟へと向かうことにした。


 武連合の本部は校舎のすぐ近くにあり、一見すると巨大な亀の様に細長く建ってある。その理由として、武連合の生徒は常に己を鍛え、その一環として壁や建物に向かって技を放つことがある。ありえないことではないが、万が一技が強すぎて建物が崩れても被害が少ないよう階を重ねずに横に延長している。

 弊害として端から端への距離が出来てしまう。そして、強い者ほど奥の方にいるのでその分移動距離が長い。学園広と言っても建物内で自転車を漕いで移動するのは武連合以外あり得ないだろう。

 武連合の規定により保護した生徒は最奥にある一室に待機する義務を持っている。おそらく紅音が先行しているが、どうしてか妙な胸騒ぎが起こっていた。

「神崎君、調子はどうだ」

 そして備え付けの自転車で進むこと三十分。それぐらいの距離を漕いだ御神楽は多少息が上がっていたがそれを出さずに紅音に声をかける。

 紅音はその一室の手前で悠然としていた。

「あら、御神楽君。お疲れ様」

 紅音は御神楽の気配に気づいていたので、腕組みをして不敵な笑みで迎える。

「少し運動不足なんじゃないの? これくらいで息が上がるなんて」

「……」

 紅音にとっては御神楽の嘘を見破るのは容易いのだろう。御神楽の見栄を見事に粉砕した紅音は笑顔で。

「安心して。とりあえず救出した生徒達は無事よ」

「そうか……」

 それを聞いて一安心する御神楽。そして表情を緩めた。

「ところで神崎君、あれは何だと思う?」

 不意に御神楽が紅音の後ろを指差した。

「ん、何が?」

 つられて紅音は後ろを振り向く。

 そしてその瞬間、御神楽の仕込み刀が煌めいて紅音の襲いかかった。

 一瞬の出来事に常人なら反応できずに斬られて終わっていただろう。しかし、紅音は髪を数本犠牲にしただけでその一閃を避ける。

 しばらくの間、両者の間で沈黙が流れた。

「……君は誰だ?」

 先に口を開いたのは御神楽だった。その口調は先ほど打って変わり、重々しい気配を含んでいる。

「誰って……」

 紅音は振り返り花の咲くような笑みを浮かべた。

「私は神崎紅音。武連合№一の神崎紅音よ」

 その唄う様な口調に一切の揺れは含まれていない。

「嘘だな」

 御神楽は警戒を緩めず仕込み刀を正中線上に持ってきた。

「一つだけ言おう。個人にはそれ独特の臭いがあるものだ。正直者にはすっきりした臭いが、神崎君のようなタイプには苛烈な鼻につく臭いが、そして」

 そこで御神楽は一拍区切って。

「闇の道を歩む者にはドロドロの腐った臭いが立ち込める。そうだろう名無し。いや、静原の姓を持つ生徒」

 協会に属する生徒はそれぞれの力量に応じて性が変わる。一番下は名無し。そして静原という姓は隠密や暗殺に長けた者に与えられる称号。

「ぷ、クックック……アハハハハハハハハハハハハ」

 御神楽の言葉とともに紅音は狂ったように笑い出した。腹を抱えて笑う。笑いすぎで顔の形が変形しても構わずに紅音は笑い続けた。

「驚いたね」

 笑いが収まると紅音はそう御神楽に告げた。

「まさか一発でばれるとは思わなかったな」

 柳は変形した紅音の表情を元に戻し、そう告げる。御神楽は面白くなさそうに。

「何だかんだいって神崎君とは長い付き合いだからな。お互いのことは知り尽くしている」

「へえ~、そんなに深い仲なんだ」

 柳は関心そうに答えた。

「そういえば神崎紅音もうそうだったね。君の姿で表れると一発で偽物とばれちゃった。これでも変装に自信を持っていたのだけどな」

 そう自分のマスクを付けながらそうぼやく。それに御神楽は。

「僕と神崎君は骨格からして違うぞ。むしろ何でそんなことをしたのか気になる」

 呆れた風に言うと。

「もちろん冗談だよ、口から出まかせ。全く、御神楽君は本当に冗談が通じないのだから」

 そう片目をつむってウインクしてくる。それを御神楽は避けるように首を傾けた。

「避けないでよ!」

 柳は頬を膨らませて抗議する。それに御神楽はため息をついて。

「神崎君からそんなものをもらっても嬉しくとも何ともない。むしろ怖気が走る」

 紅音は御神楽と顔を合わすときは決まって決闘を申し込んでくる。御神楽としてはあの好戦的な笑顔の紅音がデフォルトなのであり、それと正反対の表情をされると偽物と分かっていながらも体に寒気が走った。

「じゃあもう一回」

 柳はそう言ってウインクと投げキッスをしようとした。

「言っておくが僕は君の左手に隠している暗器の存在を知っているぞ」

 御神楽の言葉に柳は唇に手を添えたまま固まる。

「……図星か」

 柳のその反応を見て御神楽は低く呟いた。

「よくわかったわね」

 柳は先ほどまでの様子とは打って変わって無表情になる。

「静原の姓を持つ特別生徒に対して無防備でいる方が愚の骨頂だ。その性質上相手を油断させて殺ることに特化させているからな」

 協会は武連合と違い、同じ生徒を対象にしている。生徒は郊外に生息している半人と違って弱く、致命傷となる場所が多いのでそんなに力は必要ない。それよりも相手を油断させ、可能な限り速やかかつ秘密裏に行わなければならない。

 御神楽が柳の場違いな言動に対しても脱力せず警戒を保っていたのはこのためだった。

「さて、と。今なら神崎君と生徒をどうしたのか話すと君は無傷で帰れるぞ」

 御神楽は仕込み刀をユラユラと左右に振りながら柳に近づく。

「一応戦ってもいいが結果は分かっているだろう。単純な戦闘力なら僕の方が高い」

 柳まであと二、三歩の所で止まり、刀を喉元に突き付けた。

 その状況になって柳は喉をごくりと鳴らして笑う。

「どうした?」

 その笑いに不審を持った御神楽が問う。

「御神楽生徒会長、確かに協会の者は卑怯者が多いです」

 柳はそろそろと両手をあげて降伏の意を示す。そして。


「今、この場にいるのが私一人なんて誰が言いました?」


「!!」

 御神楽は咄嗟に横に転がろうとするがもう遅い、首元にチクリとした感触が走った途端御神楽の意識は急速にぼやけてきた。

「……ぐっ」

 霞がかる視野の中、御神楽は自分の後ろにいる生徒の存在が目に入った。

 小柄で華奢な体格となで肩、男子と女子のどっちつかずな中性的な容姿と切れ目な瞳――瓜二つの自分がそこに立っていた。

「なるほど……これでは……神崎君も……やら……れ……る」

 御神楽は宮原が何故わざわざ武連合見学許可を貰いにきたのかを理解した。

 こうすることによって御神楽の心理に敵は一人しかいないと思いこませ、二人目の存在を失念させた。その結果、御神楽はまんまと策略にはまってしまった。

 御神楽は後悔と感嘆の念を感じながら意識を失った。



第三章


「……帰ってきませんね」

 生徒会室に一人こもり、御神楽が作業しやすいように書類の仕分けをしている手を止めて久我原優香は呟いた。

 時刻はすでに午後五時。積み上げられた書類が部屋の半分を埋め尽くしている。

 ふと優香が外に目を向けると授業を終えた一般生徒が下校し、寮へ戻る生徒や外の歓楽街に行く生徒などが溢れていた。その一点に図書館へと向かう生徒の群れを目に止める。

「そういえば会長との出会いはあそこからでしたね」

 優香は一般生徒だった時のことを振り返る。

 一般生徒というのは特定の時間拘束されるがそれさえ守っていれば窮屈さを感じることはなかった。ゆえに特別生徒になる実力を持ちながらも一般生徒の座に甘えている生徒もいる。

 優香もその一人だった。人との関わりに興味が無かった優香はずっと図書室にこもって本ばかり読んでいる毎日だった。本の執筆を生業とする特別生徒もいたので読む本に困ることはなく、授業が終わると図書室で本を読む。そうして一日一日を過ごしていたのを覚えている。

 ある日、図書館に一人の生徒が音もなく入室し優香は何気なくその入室してきた生徒に目を向けた。

 一目ぼれだった。

 小柄で華奢な体格にあどけない中性的な顔立ち、いかにも頼りなさそうな少年に見える生徒なのだがその少年の瞳から発せられる威圧に優香の体は硬直して動かなくなってしまった。

 少年はただ本を借りに来ただけらしく本棚をある程度物色した後カウンターで取引してその場を去っていった。

 少年の姿が見えなくなった時、ようやく優香は体の自由を取り戻して大きく深呼吸する。そして歓喜に打ち震えた。

あの少年こそ自分が探し求めていた生徒だと。

あの少年に会い、助けるために私は生まれたのだと。

あの少年と結ばれることがもはや運命づけられていると。

そう結論づけた。

そこからの行動は早かった。その翌日にはその少年が御神楽圭一という名だと知り、生徒会選挙に立候補することが判明した。

そして優香は御神楽と同じく生徒会に立候補し、他の候補者を蹴落として現在の立場にいる。

「まさかまた悪い虫に付かれたとか?」

 優香は怜悧な瞳を細めて思案する。

 御神楽圭一という存在を知ってから優香は彼に寄り付く女子生徒を秘密裏に排除した。時には脅し、時には御神楽の失敗を密告して女子生徒はおろか男子生徒さえも御神楽に寄り付かせないようにしてきた。幸いにも御神楽は他人の評価に無頓着らしく、あまり気にしていなかった。無論生徒会の威光が下がらないよう注意を払ってだが。

 御神楽に理由をつけて近づく宮原も鬱陶しいが一番の難敵は神崎紅音。武連合のトップだか知らないが私の御神楽に馴れ馴れしく近寄らないでもらいたい。優香は紅音を排除するためにあらゆる策を講じたのだが紅音は勘が鋭く、後一歩の所で取り逃がしてしまう。しかし、優香は紅音が諦めるまで辞めるつもりはなかった。

「確認してみましょう」

 優香はポケットから小型の黒い金属箱を取り出して備え付けのパソコンに接続する。

 これは御神楽の制服に仕込んである盗聴器と発信機であり、地下以外のどの場所でも使えることが出来るとても良い道具だった。パソコンと繋げれば一日の言動が全て表示され、リアルタイムでなくても聞くことが出来る。そして優香は御神楽がいない時はこの機材を使って御神楽の行動を把握していた。この機材のおかげで御神楽に接触しようとする不逞な輩を察知することが出来る。

 しばらくすると機材のレーダーの一点が光り出した。

「ふむ……ギルド関係の施設ですか」

 ギルドは外側の娯楽地域に施設を構えている。それはギルドに属する特別生徒が経営する店がそのまま本部として使われる場合が多いからだった。

「このような寂れた場所にいるということは……やはり宮原ですか」

 ギルドの幹部以上となるとその話が変わり、何店舗も所帯を持つこととなる。御神楽が示す点は周りに目立った施設もない寂れた場所にあった。

 そして、機材を使用しても長時間その場所からあまり移動していないことが分かる。

「音声を再生してみましょう」

 そう呟き、御神楽が最後に動いた時刻前後を再生してみる。

「こ、これは……」

 御神楽が囚われの身になったことを知った優香は驚愕する。しかし、すぐに頭を切り替えた。

「さて、どうしましょう」

 優香はその頭脳をフル回転させて現状の打開を模索する。するとある策が頭の中で閃いた。

「これでいきましょう」

 優香は手をポンっと打つと早速行動を始めた。


「で、そなたは何の用じゃ?」

 学園の最下層に位置する場所で曖昧に微笑む少女――神凪水蓮が口を開く。

「そうですね、静原の性を持つ生徒を一つ借りたい」

 御神楽でさえも怯むこの雰囲気にも関わらず優香は淡々と話す。

「一応要望書もあります」

 そう言って優香は懐に手を入れて一枚の書類を手に取った。

 優香は生徒会長でこそないがそれでもある程度の権限を与えられている。今回優香はそれを使って協会の総帥である水蓮と連絡を取った。

「ふむ……しかしそれは要望じゃ。命令でないのじゃから断っても問題はないのう」

 水蓮は表情を崩さずにそう反論する。

 優香が使えるのは逆らうことができない命令ではなく断ることのできる要望である。だから水蓮は断る権利も持っていた。

「いいえ、あなたは断らないでしょう」

 確信のある声音でそう切り返す優香。その反応に水蓮は首を傾げる。

「どういうことじゃ」

「ええ、私の性癖を知っているあなたなら分かるでしょう」

 優香はそう告げて水蓮を真正面から笑った。

「ほっほっほ……なるほどのぉ」

 肩を震わせてそう述べる水蓮。その表情にはわずかに喜悦の色が浮かんでいる。

「まあ良いじゃろう。静原の生徒を遣わそう」

 紙面を優香に返した後、水蓮はコックリコックリと首を動かした。すると入口に黒子が現れる。

「壊しても構いませんね?」

 優香が念を押す。すると水蓮は喜と哀とどっちつかずの曖昧な表情で。

「好きにせい」

との答えが返ってきた。その返事を聞いた優香はさっさとその場から去っていく。

「さてさて、どうなることやら」

水蓮の呟きは再び訪れた闇の中に吸い込まれ、誰にも届くことはなかった。


「……ここは」

 目を覚ました御神楽は不意にそんな言葉が出てきた。そして周りを見渡す。

三方はレンガで囲まれ残り一方は鉄格子が挟まっている。床は石畳で広さは目測五m四方、高さは大体三m程度。そして部屋の隅に洗面所と壺が置いてあった。

「両手が塞がっているな」

 動こうとすると両手首に冷たい金属が嵌っていた。どうやら頑丈な手錠であり御神楽が力を込めてみるがビクともしなかった。

「お目覚めはどう? 御神楽会長」

 場違いな陽気な声が聞こえたので御神楽は鉄格子の向こうに目を向ける。

「神崎君ではないな。なら静原柳君か」

 ストレートなポニーテールが目に入ったので咄嗟にそう答えたがすぐに違うと判断した。あまりに陽気すぎる。

「はーい、その通りでーす」

 柳は大げさに手を振ってアピールした。

「その顔を止めろ」

 そう言い放つと柳は手を合わせて。

「ごめんなさい。協会に属する生徒は素顔を他人に見せてはならないのです」

 と言った。その答えに納得した御神楽は話題を変えて。

「で、僕をあざ笑いに来たのか」

 手錠をジャラリと揺らして自虐する。

「いやいや、そんなつもりで来たのではありませんよ御神楽会長」

 柳は大げさに首を振って否定する。

「では一体何の用だ」

 御神楽は片眉を上げた。すると柳はさっと左右に目配せした後ポトリと鍵束を落とした。

「これ上げるんでさっさと脱出しちゃってください。そして神崎紅音はここから右手の突き辺りに囚われています」

 そう言い残して柳は去ろうとする。

「は? ちょっと待て、意味がわからない」

 突然の出来事に御神楽は混乱した。

「そのまんまの意味ですよ。早く脱出しないと監視員が来ますよ」

 柳の態度は変わらず飄々としている。

「まあ事実を言ってしまいますと御神楽会長がここに閉じ込められるのは総帥にとって想定外だったそうです」

 その言葉に御神楽は水蓮と話していた内容を思い出す。

「確か僕と学園に影響は無いと言っていたな」

 考え込むようにして言うと柳は頷いて。

「そういうことです。本来なら御神楽会長はあの場で気絶しているはずだったのですけど今はこの牢獄にいますよね。静原价以が勝手にあなたを牢獄へ入れたのですよ」

「で、結局僕は神凪の遊びに付き合わされていたのだが、駒の生徒が暴走したので予定が狂った。だから今君はその歪みを矯正するために僕をここから出すのか?」

 御神楽は自分の考えを口にするが、柳は御神楽の質問に答えずに消えた。

「……答えないのは薄々感じていた」

 協会に所属する生徒の気まぐれさには慣れているのだがやはりため息が出てくる。

「あ、そうそう」

 突然ひょっこりと柳が顔を出す。

「一応武器も渡しておきます。もし静原价以が危害を加えてきた場合は殺しちゃっても構いません」

「良いのか? 命令を破ったとはいえ同じ静原の姓を持つ生徒同士。いわば兄妹のような関係だろう」

 御神楽がそう聞くと柳は立ち止まって笑い。

「やだ、私を心配してくれるなんてやっさしい~」

 そう言って二つの包みを御神楽に手渡して今度こそ柳は姿を消した。

「…………はぁ」

 本来ならもっとシリアスになる場面なのだが柳の掴みどころのない態度によって空気が霧散してしまった。もしかすると水蓮もこれを見越して柳を送りつけたのかもしれない。

「まあいい。今は脱出だ」

 御神楽は頭を振って思考を切り替える。そして二つの包みを開けて中身を確かめた。

「こ、これは……」

 二つの内細長い方の包みの中から出てきた獲物に御神楽は目を見張った。

「長刀か……分かっているな」

 御神楽は愛用の刀を二、三回振って感触を確かめる。幸いにも牢獄の通路の幅は広く、振って壁にぶつかるということはなさそうだ。

「さて、確か出口はこちらだったな。面倒事が起きない前に去るか」

 御神楽は鍵を開けて外に出ると指をなめて風の通り道を確かめ、そして音も無く駆けて行った。

「ええと、確かここら辺りだな」

 指定された場所に付いた御神楽はそう感想を漏らして辺りを捜索する。すると奥の方から人の気配が一瞬感じた。

「神崎君、僕だ」

 紅音が無事だったことを知ると御神楽は脱力し、その牢の前に近づく。そこにいた紅音は普段の凛々しく陽気な面影は無く、無表情な機械のようにその場で佇んでいた。

 御神楽は牢を開けようと鍵を取り出す。

 次の瞬間、豹のように紅音は牢前に飛びつき、右手で鍵を奪い左手で御神楽の喉を潰そうと手を伸ばした。

「危ないな」

 御神楽は鍵を手放しそして手が喉に届く前に一歩下がった。

 紅音は御神楽から奪った鍵で牢を開けて外に足を踏み出す。殺人機械のような合理的かつ沈着な身のこなし。そしてどうやって作ったのか紅音の右手には太いパイプが握られていた。

「少し落ち着け、僕だ」

 御神楽は敵意がないことを示すために両手を上にあげる。

 しかし、それでも紅音は御神楽に飛びかかり、御神楽を壁に押し付け腕を極めて真意を探るように瞳を至近距離で見定める。

 互いの距離は数センチ。お互いの息遣いさえ感じるのだが、生憎変な気分に陥ることはなかった。紅音の瞳はどこまでも冷たく、魂さえ凍るような寒さを感じる。

「あら、御神楽君じゃない」

 体を離して数歩距離を取った紅音の第一声がそれだった。先ほどまでの空気は跡形もなく消え、普段の熱くて陽気な紅音だった。

「始めからそう言っているだろう」

 紅音が元に戻ったことを確認した御神楽はホッと一息をつくとその場にへたり込んだ。

 ずいぶん久しぶりとはいえあの冷血モードの紅音に全くの無防備であてられたのだ。今頃になって震えが全身に走る。

 普段の紅音は陽気であり頼りがいのある姉御肌なのと戦闘時には戦い自体を楽しむ野獣型の二面があることは周知の事実だ。しかし、先ほどのように冷血な紅音を知る生徒は少ない。冷血な紅音に代わる時は自身に危険が差し迫った状態であり、生き残るためならどんな手段でも躊躇いなく実行する非常な人格である。その状態の紅音を知る生徒が少ないのは冷血な紅音にとって邪魔または無用と判断されたため紅音の手によって始末されたからだった。

「さて、神崎君これを受け取れ」

 震えが大体収まったのを確認した御神楽はもう一つの包みを紅音に渡す。中身はマグナムと両刃の戦斧である。

「あら、気が効くわね」

 包みから現れた武器に紅音は感嘆の声を上げる。

「僕じゃない」

 御神楽はそう訂正しておいた。そして、紅音は戦斧の刃を眺めながら。

「思えば特別生徒の試験に受かるために一般生徒だった頃からよくこれで練習していたわね」

 紅音はマグナムに銃弾を装填しながら感慨深げにそう漏らした。それに御神楽は。

(その練習相手はいつも僕だったけどな)

 と、心の中で毒づく。一般生徒だった頃の紅音は暇を見つけては御神楽の部屋に乗り込み、手合わせという名の拷問によく付き合わされた。しかも素人が凶器を振り回すのだから危険度が半端ない。御神楽の精神は、紅音が満足して帰る頃にはもう手も動かせないほど消耗し、体育館の床で死んでいたのを思い出す。

「拷問とは酷いわね」

 紅音はわざと悲しそうな表情を作って御神楽に見せる。それに対する返事は。

「だから心の声を読まないでくれ!!」

 という絶叫だった。

「あーあー、マイクテストマイクテスト。聞こえますか?」

 出口に向かって歩き出した途端そんな陽気な声がスピーカーから響いてきた。

「あれ、この声は私?」

 紅音は自分そっくりなその声に首を傾げる。可愛らしい仕草だが御神楽にそれを愛でる余裕はなかった。紅音に対して走るよう促す。

「ちょ、ちょっとどうしたの御神楽君!」

 突然御神楽が走り出したので慌てて紅音は速度を速めた。何故御神楽が焦ったのか、その答えは柳の次の放送にあった。

「先刻脱走者が確認されました。警備の生徒は大至急二人の身柄を拘束するよう命令します」

 そう言うと同時にけたたましい警報が辺りに響き渡り、色が赤一色に染まる。

「やってくれたな柳君」

 走りながら御神楽は毒付く。考えてみれば水蓮の手先である柳がこのまま脱出させるわけがない。何か仕掛けてくると薄々感じていたが、まさかこんな大規模なを施してくるとは予想外だった。

「いたぞー! こっちだー!」

 そうこう考えている間にも騒ぎを聞き付けた警備兵が集まってくる。そして道にバリゲートを構築して手に持った拳銃でこちらに狙いを定めていた。

「神崎君、強行突破だ」

 御神楽はそう宣言し、警備員が放つ銃弾を避けながら腰につけた長刀を抜く。

 御神楽を援護するため紅音は体勢を低くして狙いを定め、御神楽に標準を合わせている警備員に向かって発砲した。すると警備員は呻き声を上げながら倒れる。

「柳君は変な所でしっかりしているな」

 倒れた警備員を観察してそう呟く。息をしているところから推察するに柳からの弾丸は全て殺傷能力〇の麻酔弾であり、打ち所が悪くなければ後遺症が残らないタイプだった。

 御神楽はバリゲート前まで近づくと一気に跳躍し、その内側へと入りこんだ。突然の乱入者に警備員は眼を白黒させる。

「遅い」

 御神楽は長刀のリーチの長さを生かして体を風車のように回転させて警備員達をなぎ倒した。

「慌てるな、囲め囲めー!」

 リーダーらしき生徒の一声に周りの警備員は統率を取り戻して指示通りに動こうとする。

「ふむ、さすがギルドのお抱え武装生徒だ。組織だった動きに関しては一級品だな」

 御神楽は慌てることなくそんな感想を漏らす。

「しかし、少し遅かったようだな」

 その言葉と同時に紅音がバリゲートごと警備員を吹っ飛ばした。そして目にも止まらぬ速さで次々と警備員を宙へ舞う。そして、紅音が全て片付けるまでに一分とかからなかった。

「さあ、次に行きましょう」

 積み上げた警備員を尻目に紅音はそう宣言する。

「ああ、そうだな」

 御神楽は長刀を納刀しながら答えた。

「それにしても、よく警備員達が放った弾道を読めたわね」

 走りながら紅音はそう聞いた。御神楽は顔をしかめて。

「誰かさんと毎日闘っているおかげで銃の対処法は完璧だからな」

 そう皮肉気に言うと。

「あはは、そうかもね」

 と、屈託なく笑った。

「なあ、君も静原の二人にやられたのか?」

 御神楽は話題を変えた。すると紅音は首を振って。

「いいえ、顔を隠した生徒だったわ」

 紅音苦々しげに呟く。

「あんなに強い生徒がいたなんて信じられないわ。私も万全では無かったとはいえあれだけ一方的にやられるなんて一生の不覚よ!」

 言葉尻に近づくにつれ紅音は声を荒げ始める。

「……一方的?」

 御神楽は紅音の言葉が信じられない様に呟いた。そして考える。

「柳君は价以君が攻撃してくれば殺しても良いと言っていたがこれでは逆に返り討ちにされてしまうな」

 どうやら柳は御神楽の力量だと价以を殺せないと踏んでそう言ったのだろう。その事実に多少不快感を覚えながら御神楽は走った。


「御神楽君」

 紅音が警備員へ発砲しながら御神楽に聞く。

「なんだ?」

 一人の警備員を斬り伏せた後御神楽は答えた。

「もう少しで出口よね」

 警備員達にはすで覇気が無く、全員及び腰になっていた。

当然だろう。御神楽と紅音の圧倒的な強さを見せつけられて警戒しない生徒はいない。

「でも、何か嫌な予感がするの」

紅音は珍しくあやふやな態度を取った。それに御神楽は頷いて。

「神崎君の予感は正しい。あの快楽主義者の神凪君のことだ。絶対に最後何かを仕掛けてくるに決まっている」

 迷いなく断言した。その断定口調に紅音は苦笑して。

「神凪を信頼しているのね」

 と述べた。無論御神楽は。

「誰が信頼するか!」

 いかにも心外だとばかりに反論する。

「はいはい。分かったから」

 しかし、紅音はあくまでも態度を変えようとはしなかった。

 御神楽と紅音がそのまま進んでいくと、急に辺りが開けた。どうやら円状の部屋に出たらしい。

「御神楽君、あそこに誰かいるわ」

 紅音がある方向を指差す。御神楽がそちらに目を向けると恵比須顔の生徒が真っ青な顔で震えていた。

「……少し話をしてくる」

 御神楽は顔をしかめてそう漏らす。そして宮原へと近づいた。

「御神楽はん」

 宮原は血の気の失った顔ですがるように御神楽へと近づく。

「わいは知らんかったんや。まさか生徒会と武連合のトップを投獄するような真似など常識的に考えてしいひんやろ」

 宮原は膝をついて御神楽の裾を引っ張る。御神楽は反射的に宮原を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが気合いで抑え込んだ。

「とりあえず裾を放せ、そしてゆっくりと話を聞こうか」

 御神楽は首を紅音の方に向けてついてくるよう促す。

「ほら、今回の出来事を全て話せ」

 紅音の前に連れて来た宮原にそう詰問した。宮原は口をモゴモゴと動かして何事か呟いた。

「何? 聞こえないぞ」

 御神楽は宮原の声を聞くために耳を近づける。次の瞬間、御神楽は紅音に突き飛ばされ、反射的に受け身を取った。

「な、何をするんだ神崎君」

 怪我こそなかったものの突然の出来事に御神楽は多少混乱した。

「こいつ、宮原じゃない、静原よ」

 紅音はそう言って宮原を手に持ったトンファーで叩き潰そうとした。このまま宮原の頭を潰すかの様に思えたが、別人にように身軽なバク転を見せて二人と距離を取った。

「やれやれ、一瞬でばれてしまいましたか。かなり自信があったのですがね」

 宮原は丁寧な言葉遣いで話し始める。宮原が持つおちゃらけた雰囲気が消え、代わりに暗殺者が持つ冷たい空気を身にまとっている。

「当たり前よ。気付かない方がおかしいわ」

 紅音は自信満々に言い切った。その態度に偽宮原はおろか御神楽さえも閉口してしまった。

「あれは気にしなくていい。静原の名に恥じず、君の変装は完璧だった」

 何故か御神楽が敵である偽宮原を慰めるという珍場面が生まれてしまう。

「……まあ良いでしょう。とにかく、少し手合わせ願いますよ」

 偽宮原はそう言うや否や紅音に襲いかかる。

「神崎君!」

 御神楽は慌てて紅音に加勢しようと身構えた。しかし。

「御神楽会長!」

 しかし、測ったように御神楽を呼び止める声が出口付近から響く。御神楽がそちらに目を向けると女子生徒がこちらに向かって来ていた。

「久我原君、一体どうしてここに?」

 御神楽が驚きの声を上げる。しかし、優香は動揺せずに。

「予感がしました」

 とだけ言った。

「?……そうか」

 その言い方に引っかかったものの今は追及する時ではないと考えて御神楽は思考を切り替える。

「さて、少し待っていてくれ。僕は神崎君を助けなければならない」

 そう言って紅音を加勢しようとする。

「お待ちください御神楽会長」

 優香は御神楽の服の裾を引っ張って止めた。すでに走り出していた御神楽は慣性の法則により頭をもろに地面へ打ちつけてしまう。しかも今回は受け身すら取れなかった。

「く、久我原君」

 御神楽は痛む鼻を抑えながら優香に抗議する。しかし、優香は涼しい顔で。

「神崎に加勢する必要はありません。あの状態で助太刀すると返って神崎の怒りを買うでしょう

 優香はそう言って神崎と偽宮原を指差す。

 偽宮原はナイフを二本使うのに対し、紅音は戦斧を振り回して応戦している。本来なら紅音が優勢のはずなのだが偽宮原のナイフと紅音の戦斧は相性が悪いようで戦況は一進一退の攻防を繰り広げ、互いに致命傷を与えられないようだ。

 しかし、偽宮原は淡々としているのに対して紅音は愉しくて仕方の無いように嗤っている。確かにこの戦いに水を差すと後で紅音からどんなとばっちりがくるか解らない。

「……先に行ってるぞ」

 仕方なく御神楽は優花の提案を呑み、紅音に一言だけ残してその場を後にした。

「来てくれてありがとう」

 御神楽と優香が通路を進んでいる時にそう感謝の言葉を述べた。

「私は御神楽会長の半身ですから」

 優香は多少危ない言葉を述べる。その態度に御神楽は苦笑するが何も言わなかった。

「敵がいないな」

 御神楽の口からそんな疑問が漏れる。

「あの偽宮原が警備員を退けたのでしょう。ギルド内に置いて宮原に逆らえる生徒はおりませんから」

 その疑問に優香は完璧に近い形で答えた。その答えに御神楽は少し引っかかる。

「ん? 何故偽宮原君はそんなことをしたのだ」

 至極全うな疑問が出たがしかし。

「さあ? 協会の考えることは分かりませんから」

 と、だけ述べた。

「……そうか」

 どうでも良かったので御神楽はそう答えるだけにして先を急いだ。

 二人して進んでいくと前方に光の輪が見えた。どうやらあれが出口らしい。

「さあ、帰りましょう生徒会室へ」

 そう言って優香は一段と歩を進めた。御神楽もそれに続く。

「ずいぶんと嬉しそうだな」

 優香の微細な変化を読み取ってそうからかってみる。すると。

「ええ、やっとあの書類の山を片付けることが出来ますからね」

 と、御神楽の帰る気力を根こそぎ奪う様な暴言が飛び出した。無意識的に御神楽の走る速度が遅くなる。

「どうしました?」

 御神楽の様子に優香は問いかける。

「いや、何でもない……何でも」

 御神楽は無理に笑顔を作ってその場をごまかした。

「……あれだけあればしばらく御神楽会長と二人きりになれる口実になりますね」

幸か不幸か、優香のその言葉を御神楽は聞いていなかった。

 突然、出口から人影が現れてこちらに向かってくる。逆光で判別付き辛いがただならぬ雰囲気を発散していることは分かった。

「御神楽会長が二人?」

 優香がそんな間の抜けた声を漏らす。

 小柄で華奢な体、中性的な顔立ちを持つ御神楽圭一と瓜二つの顔を持つ生徒。

「静原价以か」

 御神楽は腰から長刀を取りだし、低い声で呟いた。

「その通り、お前らの影だ」

 落ち着きはらったその声に御神楽は警戒を強める。

「それで、一体何の用だ」

 御神楽が聞くと价以は淡々と。

「確認だ」

 そう呟くと同時に静原价以は地を這うように御神楽の方へと進む。

「甘い」

 しかし、御神楽は咄嗟の反射神経によって難なく交わした。

「それで不意を突いたつもりか?」

 挑発気味にそう言うと价以はクックと笑い。

「確かにな、お前から一本取ろうなんて考えてはいない。しかしだな、もう一人はどうかな?」

 その台詞に御神楽は慌てて優香の方を見る。すると優香の首には金属の輪がはめられていた。

「爆弾だ。久我原の命は僕が握っていると思え」

 价以はこれ見よがしにリモコンをプラプラと振ってみせる。

「御神楽会長……」

 さすがの優香もこの状況に驚きを隠せないようだ。輪をいじりながら不安そうに瞳を揺らしている。

 价以と優香の表情を見てこれは茶番でないことを確認すると御神楽は諦めたように力を抜いた。

「それで……僕はどうしたらいい?」

 肩を落とし、全面的に降伏する意思を見せる。

「簡単なことだ。ある許可を出せばいい」

 全く抑揚の無い声でそう告げた。

「なん……だと?」

「そんな!」

 前者は御神楽、後者は優香。价以から告げられた要求に二人は絶句する。

「簡単なことだ。ここに空白の許可証がある。お前はこれにサインすれば良い」

 御神楽は价以の表情をずっと注視していたが、際立って変化はなかった。どうやら本気で言っているらしい。

「それに一体どんな内容を書く気だ」

 話題を逸らすため御神楽が聞く。しかし。

「お前は知らなくていい」

 一刀両断に切り捨てられる。それでも御神楽は諦めずに。

「それはないだろう。理由もなく許可してしまうと後が不安だ。もしかすると夢宮学園全体を危機に陥らせる可能性がある」

 言葉を選んで价以に問いかける。

「今の立場を忘れるな。お前は選べないのだぞ」

 どうやら价以は交渉などする気は無いらしい。全く聞く耳を持たない。その態度に御神楽が本気で諦めかけた時。

「まあまあ。せめて理由くらいは教えて差し上げまひょ」

 价以の隣にあの憎たらしい恵比須顔が現れた。白紙の許可証の意味を理解する。

「宮原元締め……」

 辛うじて絞り出された声に宮原はクックと笑い。

「今は元・元締めや。遭難した生徒が口を割ってしもうたさかいわいの悪事は全て白日の下に晒されてもおた。先程緊急総会でわいは解任されてしもうたわ」

 ニヤニヤと笑う宮原の瞳には狂気が宿っていた。御神楽はそれを冷めた目で見つめ。

「それで、僕の許可印によって元締めの地位に縋りつこうという魂胆か」

 そう聞くと宮原は笑い声を上げて。

「ようわかっとんなぁ、御神楽はん」

 宮原はパチパチと乾いた拍手をした。

「会長、こんな奴の言うことなど聞く必要はありません。私のことなどどうなっても構いませんから絶対に許可しないでください」

 隣の優香が凛とした口調で御神楽を叱責する。その言葉に御神楽は一度眼を見張ったがすぐに元へ戻る。

「聞いての通りだ。君の脅しなどに屈しないぞ」

 すると宮原はねっとりと嫌な笑みを浮かべて。

「困るなあ御神楽はん。そんなことやとわいは何をするかわからへんで」

 そう言って唇の端を釣り上げる。

「そう、例えばわいが集めた裏情報を全て外部に暴露して学園をめちゃくちゃにしてしまうとか」

「何だと……」

 御神楽は歯ぎしりして宮原を睨みつける。綺麗事だけでは学園を回せない。必要悪としての部分が存在する。

 しかし、それらは関係者以外が触れることの無いよう厳重に監視されているのだった。何故なら、学園の裏情報など一般生徒にとっては知らなくてもいいことだから。ゆえに、宮原の暴挙を許すと特別生徒に対する一般生徒の信頼に大きな亀裂が生じてしまう。

「宮原君、君は自分が何をしようとしているのか解っているのか」

 そう怒気を孕めて言うと。

「安心してさかい、十分すぎるほど分かっているわ」

 宮原の声色には罪悪感が微塵にもなかった。その言葉を聞いて御神楽は冷静に諭す。

「宮原君、内乱罪という罪は知っているか?」

「まあ、言葉だけ聞いたことはありまっせ」

「今回の君の行動はそれに該当する。宮原君、内乱罪の生徒は発狂して自殺するまで独房に幽閉される。無論、誰にも知られない監獄でな」

 御神楽の低い声がその話の信憑性を高める。

「僕達は年を取らない。木は成長し、半人類が寿命によって世代交代が行われても夢宮学園の生徒は永遠に存在し続ける。その限りなく永遠に近い時間を独り生きるというのは想像を絶するぞ」

 誰も話さない。御神楽の言はそれが真実であり、反論の余地がないことを皆が知っているからだった。

「まあ、そうなると僕達は何のために生きているのかという話になるがそこは省略しよう。大事なことはこのままだと宮原君は永遠の責め苦を味わい続けるだろうな」

「そんなことはわかっておるわい。すでに賽は投げられたんや! もう後戻りはできへん」

 宮原の絶叫が辺りにこだまする。

「もしわいがこのまま一般生徒へなってみい、これまでわいの格下やった生徒がわいを見下すんや! そんなの耐えられへん。そんな屈辱を受けるぐらいやったら発狂したほうがましや!」

「安心しろ、宮原君。生徒はそんな見下した眼でこちらを見ないぞ。むしろ好意的に相手をしてくれる。僕も一般生徒だったころはよく同じ一般生徒と集まって馬鹿騒ぎをしたものだ」

 ククク、と御神楽は過去を思い出して笑う。

「何や、知ったような口やな」

 宮原が御神楽を燻し気な目で見た。それに御神楽は涼しい顔で。

「まあ、僕にも色々あったのさ。今度生徒会室に訪ればいい。ゆっくりと聞かせてあげよう」

 そして御神楽はカツカツと辺りを歩き始めた。わざと足音を鳴らして優香から距離を取る。

「さて、最後通牒だ。今思い止まると久我原君に対する件は不問としよう。君は内乱罪の罪に問われずに済む。それでいいと僕は思うが」

 御神楽がそう諭す。しかし、それでも宮原の意志は変わらなかった。

それを見て御神楽はため息をついて。

「柳君、そういうことだ」

 と、だけ言った。

「は~い。りょうか~い」

 突然そんな声が響いた。御神楽を除く全員が声の主を探そうと周りを見渡す。

「残念でした。こっちだよ」

 その瞬間囚われていた優香が浮き上がり、出口へと吸い寄せられていった。そしてあっという間に首に付けられた爆弾を解除する。一瞬の早業に价以さえも唖然とするしかない。

「よくわかったね、会長」

 そう聞くと御神楽は再度ため息をつき。

「神凪君は学園と僕に影響を与えないと言っていたからな。宮原君がその二つに危害を加えようとしたから、もしかすると干渉すると踏んだ」

「さすがだね、信じてくれてありがとう」

 柳が嬉しそうにそう言うと。

「誰が信じるか!」

 御神楽は心外と言わんばかりに大声を出した。

「一体……何が起こったんや?」

 宮原がポカンとした声を出した。

「安心して、君は元締めの立場に居座れるから」

 柳が憎たらしいほどの笑顔でそうのたまう。

「ど、どういうこっちゃ?」

 宮原の疑問は当然だろう。混乱しているように見える。

「簡単に言うと茶番はお終い。総帥はもう満足したから騒ぎが起こる前に戻すんだよ」

「し。しかしあの業突く張りの幹部がそう納得するとは思わへんで」

「うん、本当の幹部ならね」

「え、つまり……」

「そう、全員替え玉だよ。本物は全員家でおねむのはずだね」

 そう言うと宮原はプルプルと震えて。

「人を馬鹿にすんのもええかげんにせぇ!」

 爆発した。恵比須顔が真っ赤に染まり、足を段々と鳴らす。

「あんたらの茶番によってわいはどんな心境になったとおもっとんねん! わいは操り人形やない。わいは絶対にあんたらを許さへんからな!」

 しばらく宮原の聞くに堪えない暴言が途切れることの無く続いた。

「さて、じゃあ最後の締めをしようか」

 柳はおちゃらけた表情を消して仮面のような声音で言い放つ。それは機械人形であり、自分達とは根本的に違っていることを実感させられる。

「な、何をするんや!」

 宮原は後ろ手をついて後ずさりを始めた。しかし、柳が襲い掛かって彼を組み伏せる。

「全て忘れてもらうだけだよ。今回の事件をきれいさっぱりね」

 その言葉とともにグキリと嫌な音が宮原の首から鳴った。そして宮原が音もなく倒れる。

 そして、ユラリと立ち上がった柳は价以の方へ眼を向ける。价以は一連の出来事に傍観を決め込んでいた。

「なるほど、やはり宮原程度では簡単に尻尾を出さないか」

 价以は淡々とそんなことを述べた。

「价以にぃ、やっぱり総帥に反抗するの」

その言葉に静原价以は目を細め。

「その通りだ、僕は神凪総帥の底を知りたい。そのためならあらゆることをして見せる」

 そう呟いて踵を返そうとする。その背中に柳は。

「こんなことをしているといつか総帥に殺されちゃうよ」

 この声にも价以は。

「それが本望」

 とだけ答えた。

 价以が去った後に御神楽は慰めるように一言。

「静原价以は殺されないだろう。神凪君は従順な犬より荒々しい狼を好むから」

 そう言うと柳はキッと振り向いて。

「だからこそ辛いのですよ。弄ばれているのにも拘らず必死で踊っている。痛々しくて見ていられませんよ。私達は総帥から逃げられないというのに」

 そう言い終えると柳は俯いて顔を隠した。そして次に顔を上げた時には。

「なあんてね。私は价以の一方通行型恋人ですから心配で心配で仕方ないんですよ」

 笑顔でそんなことを言った。それを見て御神楽は柳が仮面を被ったことを知る。これ以上問い詰めてもおそらく無駄だろう。

「では、私は行きますね」

 柳はそう言って宮原を担ぎ、その場を去って行った。

 柳が言った「价以にぃ」という言葉。それには一体どんな意味が隠されているだろう。御神楽はあの二人が何か特殊な事情があると推測するが。

「おーい、御神楽くーん」

 後ろから紅音がこちらに元気よく手を振っているのを見つけて思考を打ち切った。協会に属しているあの二人と再度会う可能性は限りなく低いだろう。なら考えなくてもいいことだ。

 御神楽は振り返って手を振る。そして紅音が到着するまで待った。

「いやー、すごい強かったわあの偽宮原。できたらもう一度手合わせしたいわぁ」

 眼をキラキラさせて戦いの中継を行う紅音。それを聞きながら御神楽は相槌を打つ。

 そして最後の階段に差し掛かったところで急に紅音がもたれかかってきた。

「か、神崎君?」

 御神楽は狼狽した声を出す。

「ごめん、少し眠い。だからおぶって」

 そう言い残して紅音は完全に力が抜けた。それに苦笑しながら御神楽は。

「仕方ないな」

 体勢を整えて紅音をおぶさる。紅音の体が意外と軽いことに驚くが御神楽にその触感を味わう時間を短かった。何故なら。

「……戦斧はしっかりと握っているのだな」

 睡眠中にも関わらず右手にしっかりと握られた獲物を見て御神楽はため息をつく。その重さといったら、柔らかい土だと自分の足がめり込むほどだった。

 それでも御神楽は根性で出口へと到達する。すると。

「御神楽会長!」

 優香が心配して御神楽に駆け付けた。御神楽の様子に優香は一瞬安堵するも背中に紅音を背負っているを見咎めて一言。

「私がこんなに心配していたのに会長はお楽しみですか?」

 その低い声音に御神楽は誤解を解こうと口を開くが。

「そんなにお元気なら手伝う必要がありませんね。おそらく生徒会室が書類で埋まっていると思いますが会長なら大丈夫でしょう」

 と言い残して御神楽が止める間もなく去って行った。残された御神楽は。

「……今日も生徒会室で寝泊まりか」

 と零した。



終章


 闇の中――協会の最深部に位置する部屋に二つの人影があった。

 一方は協会の総帥である神凪水蓮。

 もう一方は生徒会長である御神楽圭一。

 御神楽圭一は腕を組んでおぼろげな輪郭の持ち主である水蓮に声をかける。

「楽しいか、神凪君」

 その声音には怒りも呆れも含まれておらず、ただ事実を述べたかの様に淡々としていた。

「ああ、楽しいのぉ」

 言葉とは裏腹に水蓮は寂しそうに呟く。

「何もかもがわらわの思い通りになる世界。まさしく楽園であり地獄じゃのう」

 普段の意味不明な呟きとは違う水蓮の生の感情がそこに含まれていた。

「退屈じゃ」

 水蓮はそう述べる。

「しかし、ここより心地よい場所をわらわは知らない」

 御神楽は黙って水蓮の言葉に耳を傾けていたが、その言葉を聞いた時、話し始めた。

「神凪君……現実に戻ったらどうだ」

 御神楽の言葉を理解できなかったのだろう。水蓮の動きが一瞬止まる。

「ここは……君が作り出した世界だ」

 あっさりと御神楽はこの世界の秘密を口にした。この返答にはさしもの水蓮も予想外だったのだろう。硬直している。

「誰も死なず、何も変わらない。僕達は永遠に夢宮学園の生徒として永遠を繰り返している。そこから察するに神凪君はおそらく学生だったのだろう。しかし、何らかの原因によって心を閉ざし、自分の世界に引き籠ってしまった」

 御神楽は自分の考えを口にする。

「よく……気付いたのぉ」

 動揺から立ち直った水蓮が辛うじてそう返答した。しかし、御神楽は首を振って。

「気付いたわけではない、知らされたんだ。おそらくもう一人の神凪君から」

「……もう一人?」

「そう、もう一人の神凪君。言っただろ、この世界の支配者は君だと。君が望むままにこの世界は作りかえられる。だからこそ無意識の君が僕をここへ呼び出して真実を口にするよう仕向けた」

「嘘を吐くでない」

「震えた声で言っても説得力はないぞ。しかし、神凪君も気付いているだろう。この世界は幻想だと、そろそろ夢から覚めなければならないと。だから僕がここに現れた。本来なら生徒会室で書類仕事をしているはずなのに僕は今ここにいる。それが証拠だ」

「……」

 神凪は俯いて黙ってしまった。それを感じた御神楽は水蓮にある願いを託す。

「神凪君……本を書いてくれないか」

「……何?」

 水蓮がこちらを見た様な気配を感じた。

「この世界は君が作り出した世界だ。だから君が用済みと感じた瞬間この世界は消えうせる。しかし、僕も作られた存在だが一応何かを残したいという思いはある。だからこの世界を書き記してほしい。現実世界でこの世界を書くことによって僕達は確かに存在していたという証を残すことが出来る」

「そなたの願いか」

「そう、この世界で生きる万物からの願いだ」

 闇でお互いの姿は見えないが、その瞬間に二人は目を合わせて約束をした。

 水蓮は体の力を抜くように深呼吸する。

「さよならは言わんぞ」

「安心しろ、僕も言わない」

 御神楽がそう返した途端水蓮の気配が消えた。

「……逝ったか」

 御神楽は小さくそう呟く。

 御神楽は水蓮に嘘をついた。ここは水蓮の無意識によって産み出された産物。ゆえに目覚めと同時にこの世界をさっぱりと忘れている可能性が高い。ゆえに、水蓮を還すということは世界を崩壊させるのと同じなのだが御神楽はあえてその選択を選んだ。

「さて、僕はいつも通り書類仕事に取り掛かるか」

 踵を返してそう宣言する。学園の根幹を失った今、次に起こることは全く予想できなくなってしまった。しかし、御神楽は後悔していない。

 何故なら、水蓮を還すことはいずれやらなければならないことだったから。それが速いか遅いかの違いだけだと考えている。

「願わくば……ここに戻ってこないことを」

 閉じられた世界

 箱庭の楽園

 ここに未来は無い

 そんな場所に留まるということは事実上自殺を意味している。


 水蓮がこの世界を去ってから大分時が過ぎた。

 御神楽はこの世界で与えられた役割をこなすために生徒会室で書類決算を行っている。その隣には自分を補佐している優香がいて、たまに紅音が乱入して自分を拉致する。御神楽が懸念していた世界の崩壊は今のところ起こっていなかった。

 最後の書類に判を押そうとした時、突然の大地震が島を襲った。

「な、何事ですか!」

 突然の揺れに狼狽した優香が机にしがみつきながら辺りを見回す。本棚が倒れ、書類が辺りに散らばっていく。

 しかし、その状況にも拘らず御神楽は椅子に座って泰然としていた。

 揺れが収まった時、御神楽はふと外の景色を見た。

「……へえ」

 御神楽は感嘆の吐息を洩らす。優香も怪訝な様子で御神楽の後に続く。

「……海が……消えた?」

 優香が間の抜けた声を出す。

 当然だろう。いつもは四方を海に囲まれていた島が突然地盤変化を起こして海が沈み、代わりに陸地が現れたのだ。こんなことは前代未聞だろう。

「神凪君。これが君の答えか」

 御神楽は誰に聞かせることもなく呟く。

御神楽の願いは水蓮をこの世界から解放することだった。ゆえに御神楽は目覚めを促すために希望を口にした。しかし、水蓮はその上をいって現実世界で得た知識から新たな世界を創った。

「まあ、これが君の願いなら僕は従うまでだ」

 御神楽はそう言った後備え付けの電話で紅音と宮原にコンタクトを取る。それはこれから起こる激動の時代を乗り切るために。


作者の黒歴史。

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