前編
序章
箱庭の楽園
私のための世界
永遠に変わることのない
美しい世界
もしこの場所で生き続けるのなら
私は世界に牙を突き立てよう
とある島の中央に聳え立つ校舎。その最上階からは島の全容を一望できるほど高かった。この校舎を中心として住宅地や商業地、工場などが立ち並び、奥には広大な森林が広がっている。森の所々にはポッカリと穴が開いている個所があり、そこには湖や洞窟等が見えていた。
最上階は部屋の壁全てがガラス張りになっており、この島の絶景が一望できた。窓にはブラインドシャッターも設備されているのでプライバシーもしっかりと確保されている。
住宅地一つに匹敵するほどの広さを誇るこの部屋には丸型本棚と整理箱が無数に存在し、部屋の一番奥には一際豪華な机と椅子、そして来客用のソファーとテーブルが設置されていた。
その椅子にはこの部屋の主が座っていた。
と、いうよりこの部屋には少年以外の人が見当たらない。
今は机に突っ伏しているため表情は確認できないが、小柄で華奢な体つきのため幼く見える。
しばらくするとその主が身震いして体を起こす。
「……眠ってしまっていたか」
少年と形容してもおかしくない顔立ちがそう呟いて体を伸ばす。あどけない顔にハシバミ色の瞳、きれいに整った顔のパーツから少年を少女と間違われても仕方ないだろう。それでも少女でなく少年なのは履いているのがスカートでなくズボンだったからだ。
この人物は夢宮学園生徒会長である御神楽圭一。その容姿から無害そうに見えるが、瞳から発する抜き身の様に鋭い眼光は常人を委縮させるほど冷たく瞬いていた。
「さて、昨日はどこまで終わらせたかな」
首を鳴らして現状を把握する。見渡す限り膨大な数の整理箱のうち約四分の三が空へと鳴っていた。
生徒会の役割は生徒の行動及び集会の許可である。夢宮学園に属する全ての生徒は会長である御神楽の許可なしにはおしゃべりはおろか歩くことさえ許されないという厳しい校則がある――しかし、そんな許可がなくとも生徒たちは自由にしているのが現状。御神楽もそこまで取り締まる気はないらしく実質黙認状態となっている。ただ、御神楽が望めば生徒の自由をいくらでも制限できる権限を持っているのは事実だった。
だが、いくら黙認といっても大きな集会等は生徒会に申請させているため、毎日膨大な書類が生徒会室にやってくる――その量教室二つ分。
「まあまあかな」
そんなふざけた量を消化している御神楽は昨日までの仕事ぶりをそう評価し、立て掛けてある時計に目をやる。
時計は午前五時二四分を指していた。
「次の書類が入り込むのは午前八時から」
肩を回してそう自分に言い聞かせる。
「まずは昨日の書類を一気に片付けよう」
御神楽は『許可』と銘打たれたハンコを構え、大量の書類に印を押し始めた。
住居と森との境界には電子鉄線が張り巡らされ、さらに一〇〇mごとに見張り台が立ち並んでいる。
この物々しい雰囲気に何も知らない人が見れば驚くと思うが、これには訳がある。
この島には生徒の他に獣人や樹人、そして昆虫人といった半人類が存在していた。彼らの大多数は知能があり、お互いを刺激しないよう縄張りが形成されているが、中には見境なく襲ってくる種族もある。学園の生徒はそれらと比べると肌が柔らかく動きも遅い。そして致命傷を一発食らっただけで終わってしまうことを考えると半人達よりも総合能力は劣る。
力の弱い生徒が犠牲にならないよう組織されたのが武連合。純粋な実力主義の組織であり、弱肉強食の理を実践する集団。この組織は学内組織の中で最も武力が高く、この組織なしでは夢宮学園を維持することができない。
「〇五二四、帰還完了。皆整列」
森の中からそんな張りのある威勢のいい声が響いた。しばらくすると規則正しい足音ともに小集団が森の中から現れる。
統制の取れた動きから熟練の兵士を想像させるが、驚くべきことに彼らはまだ少年少女と言ってもおかしくないぐらいあどけない顔立ちであり、その先頭を歩いているのは腰まで伸びている黒髪をポニーテールに唇に微かな笑みを宿した少女だった。
「神崎紅音及びその部下達。無事救出任務を果たして帰還しました。死傷者〇!」
紅音は検問所の前に立ち、腹から響く大声でそう報告した。
後ろに控えている集団をよく見ると中央にはボロボロで目も虚ろな生徒が肩を支えられて何とか立っている。
「任務御苦労! 今後の措置はおって通達する」
しばらくすると検問所からそんな返信が来た。そして門が開く。
この小集団の先頭を歩くこの少女。実は『武連合』の№一であり、彼女が率いる部隊は組織内最強と言っても過言ではなかった。そんな集団が救助任務にあたるのは紅音の意向からである。紅音はじっとしていられない性質なのだ。
武連合最強の人物――神崎紅音。凛々しい顔立ちとスレンダーな体つき、女子の中では長身である部類に入る身長と天才的な状況判断能力、そしてそれら全てが影に霞むほどの焼き尽くすような業火を宿した瞳が印象的な少女。そのカリスマ性から皆に「お姉さま」と呼ばれ慕われている。
「さて、これで最後ね」
紅音は検問所につくと先頭を他の生徒に任し、自らは殿についた。部隊が次々と帰還する。
隊の半分ほどが検問所をくぐった時、森から耳障りな羽音が響いてきた。その音に紅音は顔をしかめる。
「やれやれ、本当に懲りないんだから」
紅音は腰に手を当ててそう溜息を吐いた。そして森から体長およそ二mを超す大型の雀蜂型昆虫人が群れをなしてこちらに向かってきている。
「隊長! 早く中へ!」
その羽音に慌てた副隊長がそう忠告した。それに紅音は手をひらひらと振る。
「大丈夫大丈夫。どうせ親玉を失って統制の取れていない集団よ。雑魚に等しいわ」
それにね。と、紅音は続ける。
「久しぶりに愉しい戦闘だったのよ。まだ体が熱くて熱くて。少し冷まさせてもらうわ」
そう言って紅音は肉食獣のような笑みを浮かべた。
その様子を見た副隊長は諦めの吐息を吐く。検問所には生徒も装備も揃っているので任すべきなのだが。いかんせん隊長は戦闘狂の気があり、自ら危険地帯に足を踏み入れようとする。部隊がいる場合には部下の安全を第一に考えるのだが一人になるとすぐにこれだ。身の危険も考えずに突撃する。
「副隊長! 自分たちは何をすべきでしょうか?」
部下の一人がそう自分に聞いていた。
「そうだな……とりあえず隊長の取りこぼしを対処できるよう整えておけ」
「はっ!」
部下はそう威勢良く返事した。
「もっとも……」
副隊長は隊長の鬼気迫る戦いを見ながらこう零した。
「今までで隊長が敵を逃したことなんてないのだがな」
「あかん……もう身の破滅や」
住居地の中でも一等地に入る区画内の出来事。その区画は一つ一つの住居が凝っており、豪邸のような建物もあれば何かの獣を模した珍妙な住宅まで色々ある。それらの建物の唯一の共通点は調度品一つとっても相当値が張る品物だろう。
そして、その宮殿のような建物の一つからそのような呻き声をあげる生徒がいた。彼の周りには無数の携帯電話が置かれ、どれもこれも引っ切り無しにコールしていた。
しばらくは屍のように横たわっていたが、電話の着信に耐え切れなくなったのだろう。奇声を上げて携帯電話を壁に投げつけた。しかし、それらの携帯電話は特別製で壁にぶち当たってもコールを止めることはなかった。すると彼は諦めてその部屋を後にする。
でっぷりと肥り、お腹は太鼓判のように膨らんでいる。そして普段は恵比須顔に人懐っこい笑みを浮かべているのだが、今回はサラリーマンのようにげっそりと頬がこけ哀愁漂っていた。
彼――宮原一馬はこの夢宮学園の産業そして工業の流通を一手に支配する『ギルド』の元締めであり、彼には莫大な金と権力が備わっている。
夢宮学園の流通を支配しているので、本質的な意味ではこの学園内において彼が実質上の支配者である。つまり、彼が本気を出せば生徒会長である御神楽も武連合トップである紅音も敵わない。そんな力を持つ宮原だが、本人はこの学園を支配しようとは毛頭無い。その理由はギルドにおける複雑怪奇な内部構造にあった。
ギルドの最大の特徴は派閥抗争。日々既得権益の奪い合いが起こり、敗者はただ奪われるだけというある意味武連合より厳しい弱肉強食の世界。
ギルドの元締めに居座る宮原がその争いに巻き込まれないはずがない。事実宮原はギルド内の誰よりも激しい争いを繰り広げていた。
「宮原は学園を支配しようとたくらむ危険人物なので今の内にギルドを解体しよう」とかいう噂があるが、彼に言わせると「内部だけで精一杯なのに外にまで目を向けられへんわ!」と叫びたいらしい。しかし、他の生徒――特に紅音はその言い分を全く信じてもらえない。
その理由が宮原本人のせいでもあるので強く言えないのが悩み所であった。
宮原はその外見に似合わず狡猾で抜け目がない。相手の弱みを徹底的に責め立て、そこに理性や道徳が入る余地はない。まさにギルドの特徴を体で表しているのが宮原一馬であった。ゆえに、正々堂々を主とする紅音にとっては宮原を許せないのだろう。
だが、幸か不幸かそこまで嫌っているのは紅音だけであり、生徒会長である御神楽の方は中立の立場を貫いている。
「しかしなあ……遭難してもうたか」
宮原は避難した部屋でそう零す。先ほどかかってきた電話の三分の一は放送系の商人からであり、彼らは正確な情報を求めていた。
「全く、だからあれほど気いつけぇと言っておったのに」
ギルドは商売の一環として半人達と貿易を行っている。もちろんコミュニケーションが取れる種族に限るが。知能の高い種族ほどここから遠く離れた地域に存在しているので、必然行き帰りには危険が伴う。知能の低い半人の他にも盗賊のように同じ生徒が隊列を襲う場合もある。
それを避けるためキャラバンの出発には生徒会の許可を得て武連合から人手を借りるが、中には節約のため武連合の助けを借りず、無認可で独自の生徒を率いて出発するキャラバンも存在する。しかし、行路に潜む敵は強大であり、運が悪ければ武連合の生徒を率いていても全滅する危険性がある。ましてや彼らの生徒はアマチュアであり武連合の生徒には遠く及ばない。必然遭難する可能性がガクンと上がる。ゆえに毎年遭難者が後を絶たないのが現状だった。
「しかし、まあ……タイミングの悪い」
今回もその運のないキャラバンの一つ。それだけなら宮原は単なる事務処理として生徒会に報告していただろう。
「何でわいの印が入ったキャラバンが遭難するんや」
無認可のキャラバンは数が相当多い。しかし、それはあくまで個人が勝手にやったことであり、ギルドには関係がない。そういう建前だった。しかし、実際には多くの幹部が無認可キャラバンの指揮をしている。
宮原もその無認可キャラバンを率いている。宮原クラスとなれば武連合と比べてもそこそこの強さを持つ生徒を何人か抱えているので全滅する可能性は低かった。
しかし、今回は運が悪かった。偶然ギルドの生徒が宮原の印が入ったキャラバンを使い、偶然遭難し、さらに偶然遭難信号を武連合がキャッチしてしまったことだった。
「どうしたらいい? このままやとわいは破滅や」
頭を抱えて宮原は唸る。このままだと彼らの証言から無認可キャラバンは自分が率いていたという決定的な証拠となり、今の地位を剥奪されてしまう。そうでなくてもこの失点を他の幹部から追及され、苦しい立場に追いやられるのは間違いない。キャラバンの連中は今頃もう武連合に保護されているだろう。証言されるのは時間の問題、証言されれば……
「ん?……」
宮原はここで顔を上げる。保護=証言ではない。彼らなら自分にとって不利な証言を易々と吐き出すわけがない。目的を話すまでいくらか時間があるだろう。ならばその間に口を塞いでしまえばいい。
宮原は豪華な金時計を見る。そこには五時二四分と打たれていた。
「善は急げや、こういうのは早い方がええ」
宮原は唇を釣り上げて壮絶な笑みを浮かべた。
暗い暗い闇の中。
夢宮学園の地下深くに存在するこの一室は生徒会室以上に広大な広さを持っている。
しかし、それ以上に闇による圧迫が酷く、この部屋に灯りを敷きつめようとも体の震えは収まらないだろう。
その部屋の奥に少女が一人佇んでいる。
今はこの少女しかいない。
少女はただ微笑んでいる。
灯りは存在せず、真の闇がこの部屋を覆っていた。
カタリと音が響き、光が闇を一瞬で駆逐する。
突然の光に常人なら眼を細めるだけだが少女は表情を変えようとしない。いつも通りに微笑んでいた。
「御苦労じゃな……静原价以」
突然現れた来訪者に少女は怯えることもなく、淡々と言葉を紡いだ。
「ご拝謁ありがたく申します」
静原价以は頭を下げてそう返した。
少女の名は神凪水蓮。生徒会に諫言する権利を持つ『協会』の総帥。腹の内が読めない表情と理解不能な声の抑揚が相まり、第一印象に不気味さを他人に与える。しかし、次には彼女の持つ美しさに心を奪われることになる。
陶器のような白磁の肌に首筋まで切り揃えられた黒髪。人形のような整った顔立ちによって不気味が神秘へと変わり、彼女に陶酔の念を抱く。
協会の幹部以上は尊敬を通り越して盲信と呼ばれる域まで達しているがほとんど。
静原价以自信もその神秘に取り憑かれた者の一人。このよく解らない怪しい雰囲気を纏う大人びた印象を持つ少女。さらに目も耳も健常者と何ら変わりないにも関わらず、光も音も無い閉ざされた空間に静かに佇める心を持つ異常者。
神凪水蓮とは一体何者なのであろうか。静原价以は少女の全てを知りたいと願っていた。
「そなたでは一生理解できぬぞ」
突然の言葉に静原は現実へと引き戻される。
「申し訳ありません」
静原价以は平伏して非礼を詫びた。
総帥は人の心の機微に異常に聡い。その鋭さは思考をピンポイントであててくる。もしかすると総帥は人の心を読めるのではないだろうか。
「残念ながら童にそのような能力は持っておらぬぞ」
また心を読まれた。静原价以は苦笑して話題を変える。
「神凪様、あなたの思惑通り宮原が率いる無認可キャラバンが遭難し、武連合によって救出されました」
「ほっほっほ。そうかそうか」
その報告に水蓮は愉しそうに扇を口元に当てる。
「それで、次の手はどうしましょう」
静原价以は水蓮に次の指示を仰ぐ。しかし、水蓮からの答えは。
「宮原の指示を待て」
とそっけなく返した。その答えに不満を持ったのがばれたのか水蓮は付け足して。
「今回はそなたの行動によって宮原は何らかの行動を起こすはずじゃ。彼から何か命令を得れば童に知らせるがよい。追って指示を出す」
そう言われたらもう黙るしかない。静原价以は頭を垂れて「わかりました」と答えて踵を返した。
この協会という組織の全貌はおそらく総帥しか把握していない。生徒はもちろんのこと武連合やギルドの幹部クラスでさえ『協会』という組織を認知されていなかった。そして、協会には三人副総帥がいるが、彼ら三人でさえ互いに顔を合わせた事は数えるほどしかないらしい。つまり、それほど閉鎖された組織である。
それは協会が受け持つ役割ゆえにそういう秘密主義になってしまう。
自分が所属する『静原』機関の最大の特徴は生徒の生殺与奪の権利を持っていること。学園に相応しくないと判断された生徒を拉致し、他にも生徒組織の諜報や破壊工作、生徒の扇動なども行うこともできる。
他には『風宮』機関。これは逆に郊外に生息する半人達によって構成されており、郊外で何か不穏な動きがあれば総帥に知らせる役目を帯びている。
そしてもう一つの機関である『謎塚』もあるが、その機関は何の目的を持ち、何をしているのかがよく分からない。正確にいうとその機関の一部を知った瞬間に消しゴムで削り取られるかのようにその記憶が頭から消えている。自分も初めは不信感を持ったものだが、最近は慣れてきた。世の中には知らなくてもいい事がある。
静原价以は総帥がいるであろう部屋を振り返る。そこには来た時と同じようにただ闇が部屋を覆っていた。おそらく総帥は普段と変わらずにその場所で微笑んでいるだろう。
「だからこそ……面白い」
正体不明――全てが闇に包まれた者こそ自分の上司に相応しい。その上司とお近づきとなり、徐々にベールを脱がす感触には何事も代えがたい快楽がある。そして全てを暴き切った時。
「私はあなたの命を貰います」
静原价以のその呟きを聞き取れたものはいるのだろうか。
五時二十四分――静原价以が持つ時計にはそう刻まれていた。