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2.ご主人様の命令は、絶対。

 一瞬乱れかけた入学式も、その後は何事も無かったかのように進んだ。

 私は隅っこにポツンと空いたパイプ椅子に座り、退屈極まりない式をやり過ごす。おじいちゃん校長の訓話と、新入生代表というもやし系少年のガチガチな挨拶を聞き流し、校歌を口パクで歌って終了。

 式の直後、担任らしき中年教師がすっ飛んできて、私を教室へ案内してくれた。その間「今さらだがね、安藤君。この学校では目立たず騒がず大人しく……」と二度目のありがたい忠告を受けるも、時既に遅し。続々と教室へやってきたクラスメイトは、窓際一番後ろの席に大人しく座る私を見つけると、皆弾かれたように目を逸らす。

 完全に猛獣扱いだなと、私が失笑しかけたとき。

「あっ、アンちゃん!」

 一人の生徒が、私の元に駆け寄ってきた。壇上でガチガチの挨拶をしたもやし少年だ。

 色白でひょろ長く、笑うと目が消えて無くなる凡人フェイス。モサッとした黒髪にはお約束のような寝癖。そして全身から放たれる癒し系オーラは私の警戒心ガードを溶かし、気付けば私はガッチリと両手を拘束……ならぬ、握手をされていた。

「さっきは助かったよ! アンちゃんが乱入してくれたおかげで、リラックスできたからさっ」

 あれでかよ、とツッコミたいのを抑えて、私は尋ねた。

「えっと、アンちゃんってオレのこと?」

「うん。アンドーでアンちゃん。いいだろ? 俺は陣内透じんないとおる。ジンって呼んで。あ、陣は陣痛のジンで……」

「それ陣形のジンとか言った方が、カッコ良くね? あとその名札見れば分かるし」

 胸についたバッヂをつついてやると、ジンは照れたように笑った。

「あ、そっか。アンちゃん頭良いなぁ」

「なんだよ、ジンの方がよっぽど頭良いくせに。確か新入生代表って、入試トップの奴がやるんだろ?」

「んー、でも、学校の勉強はまた別だからさ」

 お坊ちゃんらしからぬ謙遜に、ジンへの親近感が一気に高まる。

「いや、学校の勉強も大事だよ。分かんないことがあったら教えてくれよなっ」

 私が笑顔でそう告げると、ジンはなぜか頬を赤らめてコクンと頷く。と、そのやり取りを盗み見ていたクラスメイトが一気に押し寄せてきた。

 どうやら私のポジションは、近寄りがたい猛獣から珍獣へシフトしたらしい。外部生に興味津々の彼らは皆陽気でノリが良く、私たちはすぐに打ち解けた。

 そしていつしか話題は、本物の猛獣へ……。

「安藤は知らないんだろ? 高城先輩の最恐伝説。あ、このサイキョウのキョウは強いじゃなくて恐いの方な」

「小中高と、会長に刃向った奴は全員退学だって。恐すぎだよなぁ」

 口々に伝えられる会長の噂には、かなりの尾ヒレがついているようで、私は思わず苦笑した。

 直接対峙した私には、会長がそこまで悪い人じゃないと分かる。ただ、噂が全てデタラメとは思わない。会長にはそれなりの力があり、ふざけて甘噛みしたつもりが相手に大ダメージを与えるケースもあったのだろう……。

 冷静に分析していた私の耳に、聞き捨てならない情報が舞い込んできた。

『会長のために、毎年外部生の〝生贄ペット〟が用意される――』

 奨学生として入学した生徒は、たいてい金銭面などで切羽詰まった事情を抱えていて、簡単には退学できない。そこに目をつけた会長が、一年間の世話係を命じる。逆らうと容赦なく追い詰められ、最後は退学の憂き目にあうという。

「つまり、今年のペットがオレってこと?」

 直球過ぎる問いかけに、皆黙りこくる。

 確かにその条件は私の境遇にも当てはまるけれど、私には理事長直々の任務が……。

「あのー、ちょっといいかな」

 困惑する私に、ふわりと笑いかけてくるジン。一見頼り無さそうに見えて意外と力強いその声に、皆引き込まれていく。

「去年ここに通ってた従兄に聞いたんだけどね、会長って結構ヤバイ人らしいよ。特にかなりの女好きで、女なら手当たり次第なんだって。だから理事長が無理やりこの男子高に入学させたんだけど、そしたら今度は勤めてた女の先生全員に手出したみたい。先生たちも会長を取り合って泥沼で、結局みんな退職させられたんだって。その中には定年前の先生もいたっていうから、相当だよね。アンちゃん、さっき『女の子みたいに可愛い』って言われてたし……」

 ジンはそこで言い淀み「とにかく気をつけてね?」と困ったように微笑んだ。私を除く全員が大きく頷いたとき、始業のチャイムが鳴った。


 静けさを取り戻した教室で、私は今聞いた話を反芻する。

 会長が女を手当たり次第に……という部分は、きっと噂にくっついた尾ヒレ部分だろう。実際は女子の方が、会長を手に入れるべく勝手に争い出すに違いない。完璧な男モードの私ですら、会長には抗えない引力フェロモンを感じたのだから……。

 と、そこで私は一つの事実に気付く。

 無駄にフェロモンを振り撒く会長は、来年もまだこの学校にいる。なのに理事長は、女子を迎え入れるという。

「学園内に潜む〝問題〟って、まさか――」

 私はポケットの中の書状を、力いっぱい握り潰した。

 こんな難問を解決しろだなんて、聞いてないっ!


 ◆


 午前中のオリエンテーションが終わると、新入生は一旦解放された。ジンたちと和やかな昼食を取り、部屋へ戻った私はベッドへダイブする。

「うー、疲れた……」

 夕方からは寮での歓迎会がある。それまでに情報をまとめておきたい。

 私は軽くシャワーを浴びスッキリすると、髪も乾かさずノートパソコンに向かった。お母さんから届いていたメールを斜め読みした後、テキストエディタを開く。

「任務の進捗状況……と」

 今日見て回った分には、設備面での課題はさほど見つからなかった。校舎は充分広く、女子トイレなどの部分的な増築で対応可能。女子寮についてはセキュリティ強化を……と入力しかけて、私は天井を仰いだ。

「こんな誰でも思いつくようなこと、どーでもいい」

 必要なのは、ハードじゃなくソフト。女子が混ざったら生徒たちに何が起こるかを予見し、対策を立てろということだ。

「まず、女子はナイーブだし、保険医も含めて教師の半分は女性にした方がいいな」

 入力する指先がやたら重く感じる。この意見をきっかけに、何人もの教師が職場を追われるかもしれない……。それでも私のボスは理事長。受けた恩を返すことを最優先に考えよう。

「あと問題なのは恋愛系だな。可愛い制服は必須だけど、露出し過ぎは良くない。せめてスカートはひざ丈で、アクセサリーと化粧も禁止で」

 入力しかけて、またもや私は天を仰ぐ。

 どんなに締め付けたところで、思春期の男女に恋愛をするなというのは無理な注文だ。そしていざ恋に落ちれば、二人きりになって触れ合いたくなるのも人情。

「つっても、この環境じゃ行く場所なんて限られてるし。寮はセキュリティ完璧で、残るは校舎と裏山……」

 私は思い切って『保健体育の授業充実』と入力した。最悪、子どもができるような事態さえ避けられればOK。スポーツ系のイベントも増やして、余計な体力を発散させて……。

 着々と画面を埋めながらも、私の心には例の難問が引っ掛かり続ける。逃げても仕方ないと開き直り、思いつくままに入力してみた。

『驚異のフェロモンを持つ会長から、いかに女子をガードするか?』

 書いた文面はどうもしっくりこない。私はもう一文付け加えた。

『=どんな女子も引きつけてしまう会長のフェロモンを、いかに抑制するか?』

 こっちの方が現状に近いなと、私は腕組みして頷いた。

「しかしあのフェロモンビーム、無自覚っぽいからタチ悪いよなぁ。理事長ボスも分かってるなら、せめて会長が卒業してから共学にすれば良いのに」

 ぶつぶつ愚痴った私は、ふと思いつく。

 全国のエリートを一手に束ねる上、お母さんの古い友人というボスは、相当なキレモノに違いない。そんなボスがこのタイミングで実行するからには、何らかの意図があるはず。

 私は一旦デスクから立ち上がり、部屋の中央へ。「エイヤッ」とかけ声をかけ逆立ちし、その姿勢のまま目を閉じた。昔からこのポーズだと勘が働き、良い答えが導き出せるのだ。

「うーん……会長の卒業前にあえて女子を入れるってことは、むしろ会長を女子と触れあわせたいってことだよな。しかも、そうせざるを得ない理由がある……例えば、会長には超お嬢様の許嫁がいて、高校を卒業したらお見合い結婚させる計画になっていた。なのに、会長には女がらみの悪い噂が絶えない。いっそ女断ちさせようと男子高に行かせたものの、結局トラブル発生。むしろ熟女に迫られたせいで、会長のストライクゾーンはますます広がってしまった。そこで今度は共学化。若者同士、健全な男女のコミュニケーションを学ばせつつ、見境ないフェロモン放出を抑制するよう指導を……って、何だそりゃ!」

 我ながら無茶過ぎる仮説に、思わず失笑する。それでもどこか信憑性があるような気がしてならない。私は自分の勘を信じ、一応その内容をパソコンに入力した。

「まあ、これは推理の叩き台にしよう。もう少し情報収集して、現実味のある対策を……」

『ピンポーン』

 難問から逃げ出したかった私には、渡りに船なチャイム。ジンが誘いに来たのかと、液晶画面を覗き込み……。

「うげっ! なんでアイツがっ」

 十センチ四方の小さな画面の中でも、溢れるフェロモンを撒き散らすその人物を見て、脳みそがフリーズする。再度チャイムが鳴らされ、私は観念して受話器を取った。

「ハイ……」

「てめぇ、出るのが遅ぇんだよ! さっさと開けろゴラ!」

 なんて暴君!

 私は慌てて室内を見回し、女とバレる物は無いことを確認。念のためTシャツの上に厚手のパーカーを羽織り、下半身を再確認してから玄関を開けた。

 まだ制服姿の会長は、濡れ髪の私を見つけると、憮然とした表情で言い放った。

「んだよ、風呂入ってたのか。それならそうと言え」

 そんなの言う暇がどこに……という私の文句をスルーし、会長は当たり前のように部屋の奥へ向かう。物珍しそうに室内を見渡す会長の視線を追った私は、重大なうっかりミスを発見。

「――ぴゃうっ!」

 珍獣な悲鳴を上げ、私は開きっぱなしのパソコンへロケットダイブ。それを見て、ベッドに落ち着きかけていた会長がニヤリと笑った。

 マズイ……ロックオンされた!

「へえ、何かやましいことでもしてたのか?」

「や、別にそういうんじゃ」

「さてはエロサイトだな? ったく女みたいな顔して、一人暮らしになった途端ソレかよ」

「バカッ、違うって!」

 思わず飛び出たタメ口が、会長のやる気スイッチを押してしまった。程良く筋肉のついた両腕が、私へと容赦なく伸ばされて……。

「ギャー! やめろぉっ! アハハハッ!」

「大人しく見せろっ! そーしたら止めてやるっ」

「分かった、見せる、見せるから……」

 恐怖のくすぐり攻撃。ただでさえ体格差がある上、唯一の弱点を狙われた私は秒殺でTKO負けを喫した。

 悪魔の手が引っ込むと同時に、腰が抜けて床にへたりこむ。

「ヒドイよ……」

「俺様に逆らうとこーなるんだ。覚えとけ」

 これも生意気なペットへのしつけだと言わんばかりに、会長は笑った。その強気な笑顔が魅力的で、心底腹が立つ。私は唇を尖らせ、小声で悪態をついた。

「くそっ、このジャイアンめ」

「何か言ったか?」

「いえ、何でもアリマセン……」

 私はしぶしぶノートパソコンを開く。そのとき素早く『Alt+Tab』をプッシュ。メールブラウザに切り替わった画面を覗き込んだ会長は、すぐに目を逸らした。

 会長が見てしまったのは、お母さんが寄こしたメールだ。

『真咲ちゃん元気? 寂しくない? お母さんは寂しくて泣きそうです』

 等々……普通の男子ならきっと、恥ずかしくて見られたくないだろう文面。

 でも私からすると、お母さんの本音なんてスケルトン状態だ。『嘘言わないの! 本当は楽しくてしょーがないんでしょ? 外食も買い物も破産しない程度にねっ。あと海外旅行禁止! お父さんの仕事邪魔しに行っちゃダメだよ!』なんて返事を書こうとしていたことなど、会長は知る由も無い。

 してやったり、と内心ほくそ笑んだ私に降ってきたのは、驚くほど優しい言葉だった。

「……からかって悪かった。いきなり親と離れて、寂しくないワケねーよな」

 胸の奥に響く、バイオリンみたいな掠れ声。頭のてっぺんに大きな手のひらが置かれ、私の湿った髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。私は身じろぎひとつできず、そのストレートな愛情表現を受け止めた。動揺するまいと唇を噛みしめたのに、頬はみるみる発熱していく。

 会長はそんな私の反応を見て楽しそうに笑うと、なぜかデコピンを一つ置き土産にし、ベッドへもたれかかった。

 私は火照った額を撫でつつパソコンを閉じ、我が家のようにくつろぐ会長を睨みつける。

「……で、いったい何の用ですか? 会長サン」

「んだよ、他人行儀だな。お前俺のペットなんだろ?」

「その〝ペット〟って、意味ワカンナイんですけど」

「もう噂流れてきただろ? その通りだよ。我侭な権力者の俺には、外部生の世話係が回されるって」

 ご主人様のお世話をさせられるペット。リアルにイメージすると、仄かなエロスを感じる……。

 ぶんぶんと首を横に振る私を見て何か誤解したのか、会長は皮肉気に笑った。

「お前の親がどんな下手打ったのかは後で聞くけどさ。この監獄に放り込まれて、俺の隣人やるってのはそーゆーことだから、諦めろ」

 有無を言わせぬ口調と、鋭い眼光。ベッドに座る会長を見下ろしているはずなのに、逆に見下されているようなプレッシャーを感じる。私は負けじと目を逸らさず、言い放った。

「確かにそんな噂は耳にしました。でもオレは、自分の目で見たことしか信じないタチなんで……会長と仲良くするかは自分で決めますから」

 切れ長の目が細められ、視線が刃となって私に襲いかかる。それでも私は平静を装い見つめ返す。今まで何度も本気の『殺意』を受け止めたことがあるのだ。これくらい、たいしたことない……。

 数分にも思える数秒の沈黙。先に折れたのは会長だった。

「あー分かった! しょーがねぇ、お前のコト信じてやるよ」

 良く分からないものの、一応勝負には勝てたらしい。私はホッと胸を撫で下ろす。

「でもしばらくはお試し期間な」

「はぁ……?」

「俺はお前が気に入ったってことだよ、真咲」

 満面の笑みと、初めて呼ばれた名前。全身に稲妻が落ちたような衝撃が走り、私はよろよろと椅子にもたれかかった。

 これが真のフェロモン攻撃……恐るべし!

「ところで真咲は、嫌いな食い物ってあるか?」

「へっ?」

 不意打ちのユルい質問に毒気を抜かれた私は、小首を傾げつつ答えた。

「特にありませんけど」

「そりゃ偉いな。俺はこう見えて好き嫌い激しくてさ」

「バリバリそんなタイプに見えますけどね」

 私のツッコミを華麗にスルーし、会長はベッドの上にゴロンと寝転がった。

「実は俺のじーさん、かなり嫌な奴でさぁ。ここのメニューに、絶対俺の嫌いな野菜混ぜてくるんだよ。ったく、どんな細切れにしたって分かるっつーの」

「はぁ」

「だからお前、明日から俺の晩飯作れ」

 ご主人様の命令は、絶対。

 そのとき私には、会長の手から伸びるリードと、自分の首に嵌められた首輪が見えた気がした。


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