1.ファーストインプレッション
「お母さんっ、どう? 似合うー?」
グレーのブレザーにタータンチェックのスカート、ブラウスの胸には赤いリボン。髪型は定番のポニーテール。
届いたばかりの制服を着込み、上機嫌で居間へ飛び出した私に、かっぽう着スタイルのお母さんが神妙な面持ちで告げた。
「あのね、真咲ちゃん。大事なお話があるの」
「どーしたの、かしこまって」
「とっても言いにくいんだけど……」
「うん?」
「……高校の入学、取り消されちゃいました」
「――はぁっ?」
お母さんの天然ボケには、十五年の二人暮らしでだいぶ慣れた……とはいえ、さすがにこの冗談はキツイ。
私は一度深呼吸すると、ちゃぶ台の前に腰を下ろした。お母さんも向こう岸でピシリと正座する。粗相をしたときの反省ポーズだ。
「ちょっとお母さん。エイプリルフールには、まだ二週間も早いみたいだけど?」
「はい、ゴメンナサイ……」
しゅんと俯いて、油染みのついたかっぽう着の裾をくにくにと弄ぶ。ゴムで一つにくくった髪はボサボサ、かっぽう着の下は寝間着を兼ねるジャージ。
相当ビミョーなファッションながら、それを跳ね返して余りある美貌がお母さんの武器だ。二人で街を歩けば姉妹と間違えられるほど若々しく、儚げな表情はまるで羽衣を奪われた天女のよう。
そんなお母さんの可愛らしい言い訳が、右耳から左耳へツツーと抜けていく。
「わざとじゃないのよ? 真咲ちゃんの合格祝い何買おうって考えてたら、うっかり入学金の振り込み忘れちゃって、学校からもお電話いただいたんだけど、うっかり電話代払うの忘れてたら止まっ」
「――ばかぁぁあっ!」
「あっ、怒らないでっ! 真咲ちゃんが怒ると家が倒れるっ」
「どーすんのそれ、どーすんのよぉっ!」
見事にひっくり返ったちゃぶ台を前に、お母さんは亀のように首をすくめて呟いた。
「まっ、待って真咲ちゃん。まだ続きがあるの……」
「何っ? 言い訳ならもう聞かないよっ!」
息を荒げ仁王立ちする私を、お母さんは潤んだ瞳で見上げてくる。
「お母さんの古いお友達が、私立高校の理事長さんでね。事情話したら、真咲ちゃんのこと特別に入学させてくれるって……しかも無料で」
私は無言でちゃぶ台を起こすと、座布団にドスンと腰を落とし胡坐をかいた。パンツ丸見え上等だ。
いつもなら「女の子なのに」と文句を垂れるお母さんが、弱々しく微笑みかけてくる。つぶらな瞳の縁には涙がじわじわ溜まり……決壊寸前で、私はほだされてしまった。
「分かったよ、許してあげる」
「わぁ、真咲ちゃん優しい! ありがとっ」
途端に涙はひゅるんと引っ込み、笑顔の花が咲く。また嘘泣きに騙された……。
「ホント、優しい上に強くてカッコ良くて、さすが真一さんの娘!」
そう言ってお母さんは、夢見る夢子ちゃんの瞳で宙を見つめだす。私は慌ててストップをかけた。
「――もうっ、お父さんの話はいいから! その学校のこと詳しく教えてよ。そんなウマイ話、どーせ何か裏があるんでしょ?」
「えっと、とっても言いにくいんだけど……」
「はーやーくっ」
容赦なく睨みつけると、お母さんは観念したように唇を開いた。
「その学校って、お金持ちのご子息が通う全寮制高校なの。真咲ちゃんには、そこで一つ〝お仕事〟をして欲しいんだって……」
◆
出発は深夜零時。約六時間のロングドライブを終えた私は、ウーンと背伸びをした。
「はぁー、空気がキレイ!」
おろしたての白いスニーカーが、草の朝露で濡れる。山間から顔を覗かせた朝日を歓迎するように、早起きの鳥が鳴く。
四方を険しい山に囲まれた窪地にひっそりと佇む、私立聖龍高校。今日からお世話になる学校だ。
しかし、校舎を除けば東南西北、どの方角を向いても緑一色。バスは一日一度きりの超ド田舎。
「監獄高校、か……」
ポツリと呟いた私の傍に、運転席から降りた男が歩み寄る。二メートル近い長身に、黒いスーツとサングラスの似合ういかつい風貌は、アクション映画で見たアンドロイドを彷彿とさせる。先程寄ったスタンドのお兄さんも、「レギュラーガソリン満タン」というごく普通の台詞にビビりまくりで……。
「どうしました? 真咲様」
「いえ、何でもないです」
私は思い出し笑いを堪え、首を横に振る。理事長秘書と名乗ったこの男は、わざわざ黒塗りの高級車で私を迎えに来てくれた。あわや高校浪人が一転、今の私はVIP扱いだ。
それは私が、特別な任務を負っているから。
「では真咲様、最終確認を」
鉄柵の校門が、ゆっくりと横へスライドしていく。その向こうにそびえる巨大な校舎をねめつけ、私はハッキリと答えた。
「はい、やります。今日から私は……いや〝オレ〟は」
一年間、男としてこの学園で暮らす――。
力強く頷いてみせると、男は校内へ歩き出した。その後を追いながら、私は羽織った学ランのポケットにある理事長の書状を握りしめた。
『聖龍高校は来年から共学になる。その前に学園内に潜む〝問題〟を見つけ、解決策を探して欲しい』
当然、不安が無いといえば嘘になる。それでも決断したのは、お母さんの「真咲ちゃんなら大丈夫」という後押しと、自分の直感。
この学校には何かある……そんな気がして。
男装については、お母さんが「若い頃の真一さんそっくり」と頬を染めるくらい完璧だ。元々お父さん似の男顔で、身長は百六十五センチあり地声も低い。ガサツと言われる行動も相まって、こうして髪を短くすれば中性的な少年にしか見えない。
ちなみに普通の女子なら一番問題になる上半身も、残念ながら素でクリア。下半身については、特別な形状のパンツを装着……これも一年の辛抱だ。
やや違和感のある下半身に気を取られつつ男の後をついていくと、無事目的地へ到着した。校舎の脇、景色にそぐわないモダンな白壁の建物が、目の前に立ちはだかる。私の暮らす学生寮だ。
中に足を踏み入れた瞬間、世界が一変した。
「うわ、豪華……」
館内はまるで高級ホテルのよう。瀟洒なシャンデリアと抽象画が彩る、吹き抜けのロビー。長い廊下に敷かれたサンドベージュのカーペットは滑らかで光沢があり、まさにシルクロード。
「一階は食堂で、ビュッフェ形式の食事が提供されます。日用品は各階の自動販売所で二十四時間購入可能です」
男の解説に頷きながら、私はなるべく〝女子目線〟で館内をチェックする。内装、設備、セキュリティー……気付いた点を心のメモに記していく。
共有スペースをざっと一周し、最上階突き当たりの部屋で男は足を止めた。
「こちらが真咲様のお部屋です。中は一般的なワンルームマンションと同等の設備に。隣室は寮長にあたる生徒が入居しています。鍵はDNA認証ですので、さっそくご登録を」
ドアの脇に埋め込まれた液晶画面に手のひらをくっつけて、待つこと数分。甲高い電子音を鳴り響かせてロックが開いた。
「事前にお送りいただいた荷物は、全て室内に搬入済です。何かご要望がありましたら内線で管理人室へ。あとこちらの端末からは、私を通じて理事長へ連絡を取ることができますので、緊急時にご利用ください」
差し出された携帯を受け取ると、男は私に一礼し颯爽と立ち去った。体躯の割に無駄の無い動きから、男の実力が透けて見える。
「アイツ……強いな」
ぼんやりと男の残像を眺める私の手から、携帯が滑り落ちる。その音に驚き、私は慌てて部屋へ入った。
◆
お母さんの天然遺伝子を受け継いでしまった私は、時にうっかりミスをやらかす。
軽く荷物を整理し、日課の筋トレをこなした後、ついベッドでうとうとして……。
「ヤバッ、遅刻!」
口に食パンを咥える余裕も無く、体育館へ猛ダッシュ。
L字型に隣接する寮と校舎は、渡り廊下で繋がっている。その通路を無視して最短距離の芝生を突っ切り、校舎の最奥に立つ木造の建物へ。
『ギイィッ』
古めかしい体育館の扉は、思った以上に大きな音を立てた。全校生徒プラス教師で約五百人、整然と並ぶパイプ椅子に腰かけた彼らが一斉に私を見つめる。バツの悪さを感じつつ、私はそそくさとスニーカーを脱いだ。
固い木目の床が、足の裏にひんやり心地良い。片付け忘れたのか、壁際にポツンと転がるバスケットボール。着替えの際に正体がバレることを危惧して『体育は見学』という病弱設定になっているのが残念……そんなことを考えたとき。
「――おい」
突然轟いた、マイク越しの掠れ声。私に向けられたものと分かったのは、射抜くような視線を感じたから。
顔を上げた私は、壇上に立つ人物に目を奪われた。
ソイツは今まで私が見たことも無い、本物の――美形。
「新入生のクセに遅刻とは、いい度胸じゃねーか……名前は?」
完全に見惚れていた私は、ハッとして姿勢を正した。相手の声色と視線から、遅刻を咎めるにしては強過ぎる敵意が滲む。怪訝に思いつつ私は答えた。
「……安藤真咲」
「聞いたことねぇ名前だな。外部生か?」
オレが頷くと、なぜか大きなどよめきが起こる。
確かにこの高校で外部生は珍しい。生徒のほとんどは小等部から入学し、大学までのエスカレーター。そして数ある系列校の中でも、この〝監獄高校〟に進むのはトップクラスのエリートばかり。まだ頭が柔らかいうちに質素で禁欲的な生活を送り、我慢という庶民スキルをマスターする……ここは特別なお坊ちゃんに用意された試練の場なのだ。
とはいえ一部の生徒は、やりたい放題というのが実情らしい。校長と思わしき年配の男性教師が「まぁその件は式の後に……」と声をかけるも、奴は完全無視。その他教師たちは、何も言わない。いや、言いたくても言えないといった苦々しい表情を浮かべている。
厳しい監獄生活なんて言われていても、所詮この程度のレベル……そう結論付けた私の耳に、意外な言葉が届く。
「なるほどな。お前が今年の〝ペット〟ってことか」
それは余所者の私にも分かる、あからさまな侮蔑。
私はパイプ椅子の隙間を駆け抜け、一メートル以上ある段差を軽く飛び越えて、奴の居る壇上へ立った。悔しくもだいぶ身長差があり、見下される形になってしまう。私は限界まで背筋を伸ばし、奴を睨み上げた。
近くで見るとその瞳は碧みがかり、髪は薄茶色で肌はやや浅黒い。彫が深く端正な面立ちは、異国の王子と言われても違和感は無い、完璧なルックスだ。
私が無遠慮に見つめる間、向こうも私を観察してくる。瞳の敵意は徐々に薄れ、代わりに好奇を帯びて輝き出す。
「へぇ……お前女みたいに可愛い顔してるのな」
マイクを通さず聞いた声は、バイオリンの音色にも似た不思議な艶のあるハスキーボイス。
でも今の私にとっては、不愉快な雑音でしかない。
「あのさぁ。さっきからアンタ、相当失礼なこと言ってるんだけど、何なの?」
学園生活は、目立たず騒がず大人しく。
クールな理事長秘書のありがたい忠告は、頭から吹っ飛んでいた。先程送られた侮蔑の視線を、倍返しで叩きつけてやる。
張りつめた糸のような緊張感。目の前では、獰猛な獣が私を品定めしている。喉笛に食らいつくタイミングを見計らうように……。
その糸が、プツリと切れた。
「――ぶはっ!」
奴は突然、腹を抱えて笑い出した。私はもちろん、固唾を飲んで見守っていた生徒や教師たちも、唖然として笑い声に聞き入る。
「悪りぃ、ツボった……」
「はぁっ?」
「お前みたいに、正面からケンカ買うヤツ初めて。かなり新鮮だったわ」
ひとしきり笑って目尻に浮かんだ涙を拭うと、奴は私の肩をポンと叩いた。咄嗟に手が出そうになるのを、なんとか堪える。
「そう警戒すんなって。俺は二年の高城龍二。一応生徒会長やってる。よろしくな」
至近距離から放たれたパーフェクトな笑みは、破壊力抜群。激しい動悸と目眩に襲われる中、私は一つの事実を思い出した。
そう、高城という名は、確か理事長の書状に記されたものと同じ……。