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霊山に追いやられた王女は、四頭の竜を弟妹にして帰ってきた

作者: 船場
掲載日:2026/07/16


「霊山の山賊が、王妹殿下に服従したそうです」


「……もう一度言え」


 玉座に座るオルフレッドは、報告書から顔を上げた。


 国境を預かる役人は、緊張した面持ちで同じ言葉を繰り返す。


「霊山に根を張っていた山賊団が、プリスラビリス様に服従いたしました」


「討伐隊は?」


「出しておりません」


「戦闘は?」


「確認されておりません」


「では、交渉したのか」


「それも、よく分からないのです」


 役人は困り果てた顔で答えた。


「プリスラビリス様が、お一人で山へ入られました。その日の夕方には、山賊たちが武器を捨てていたそうです」


「なぜだ」


「分かりません」


「……分からないことばかりではないか」


「申し訳ございません」


 報告書には、さらに信じがたい内容が続いていた。


 山賊たちは略奪をやめ、霊山へ向かう道を整備し、迷い込んだ旅人を保護している。


 しかも今では、プリスラビリスの命令がなければ山を下りようともしないらしい。


 その令嬢の名を、オルフレッドはもう一度見た。


 プリスラビリス。


 腹違いの妹だった。


 母親の身分が低かったため、幼い頃に王都を追われ、霊山の麓の領主に育てられた娘だ。


 最後に会った頃のプリスは、小さくて、泣き虫で、いつも兄の袖を握っていた。


 庭で転んでは泣き。


 雷が鳴っては泣き。


 オルフレッドの姿が見えなくなっても泣いた。


 その妹が、山賊を従えた。


 どう考えても、記憶の中の少女と重ならない。


「陛下」


 役人がおそるおそる続ける。


「もう一つ、報告がございます」


「まだあるのか」


「プリスラビリス様の周囲で、複数の竜が目撃されております」


 オルフレッドは黙った。


「数は」


「四頭です」


「幼竜か」


「上位竜と思われます」


 オルフレッドは、ゆっくりと報告書を机に置いた。


「宰相」


「はい」


「妹を王都へ呼び戻す」


「よろしいので?」


「放置できると思うか?」


 山賊だけでも十分に問題である。


 そこへ上位竜四頭まで加わった。


 もはや妹の里帰りではない。王国の安全保障に関わる大事件だった。


 オルフレッドは、妹を迎える使者を派遣した。


 ただし彼は、このとき一つだけ見誤っていた。


 上位竜四頭を伴う妹を王都へ呼ぶということが、具体的にどのような光景を生むのか。


 まったく想像できていなかったのである。




 プリスラビリスが王都へ到着した日。


 王都正門前は、異様な静けさに包まれていた。


 兵士も。


 役人も。


 出迎えに集まった貴族たちも。


 そして、大通りを埋め尽くす市民たちも。


 誰一人として、声を上げようとしない。


 全員が、空を見上げていた。


 雲一つない青空を、四つの巨大な影がゆっくりと横切っている。


 白銀の鱗を輝かせる聖竜。


 炎をまとった紅蓮の火竜。


 海のような翼を広げる深蒼の竜。


 岩山を思わせる重厚な地竜。


 四頭の上位竜が、王都上空を旋回していた。


「……本当に来たな」


 オルフレッドは、引きつった声で呟いた。


「はい」


 隣に立つ宰相も、顔色を失っている。


「それも、全員で」


「はい」


「王都の防衛結界は」


「竜たちが本気になれば、三呼吸ほどかと」


「何がだ」


「結界が消滅するまでの時間です」


「それほどの力なのか」


 やがて、一台の馬車が正門前で止まった。


 扉が開く。


 淡い銀色の髪をした令嬢が、静かに地面へ降り立った。


 穏やかな顔立ち。


 上品な立ち居振る舞い。


 その姿だけを見れば、どこにでもいる美しい貴族令嬢に見える。


 もっとも、その頭上には四頭の竜がいる。


「あの方が、霊山の令嬢か」


「陛下の妹君らしい」


「山賊を服従させたという……」


「本当に、あの方が?」


「あまりにも穏やかそうだ」


「だからこそ恐ろしいのではないか?」


 貴族たちの囁きが聞こえた。


 しかし、プリスラビリスは気づいていない。


 彼女の瞳は、ただ一人を見つめていた。


 正門前に立つ青年。


 記憶の中より大人びている。


 王冠を戴き、立派な衣装をまとっている。


 それでも、見間違えるはずがなかった。


「お兄さま!」


 プリスラビリスの顔が、ぱっと輝いた。


 優雅さも威厳も忘れ、裾を持ち上げて駆け出す。


「プリス」


 オルフレッドが呼びかけた直後、妹はその胸へ飛び込んだ。


「お会いしとうございました!」


「……元気そうだな」


「はい!」


 オルフレッドは、妹をしっかりと受け止めた。


 背は伸びた。


 声も大人びた。


 けれど、抱きついてくる力だけは、幼い頃と変わらない。


 戻ってきた。


 その実感だけで、胸の奥にあった硬いものが解けていく。


「お兄さまも、お元気そうで安心いたしました」


「俺もだ」


 素直な言葉が出た。


「生きていてくれて、よかった」


 プリスラビリスの瞳が、わずかに潤む。


「はい。ただいま戻りました、お兄さま」


「ああ。おかえり、プリス」


 兄妹の再会を前に、周囲も少しだけ緊張を緩めた。


 直後。


 白銀の竜が王都の上を低く旋回した。


 巨大な翼が風を巻き起こし、貴族たちの帽子が一斉に飛ぶ。


 緩んだ緊張が、瞬時に元へ戻った。


「それで、プリス」


 オルフレッドは妹の肩に手を置き、できるだけ穏やかに尋ねた。


「どうして、四頭とも付いてきた?」


「皆さま、わたくしを心配してくださったのです」


「一頭だけにして、残りは留守番させるという選択肢はなかったのか」


「家族を置いていくなんて、かわいそうですわ」


「家族?」


 その言葉に反応するように、声が直接脳裏へ響いた。


『姉上を送るのは当然』


 白銀の聖竜アル。


『途中で敵が出たら焼く』


 紅蓮の火竜ジル。


『姉上を一人にする方が危険』


 深蒼の海竜サナ。


『家族は一緒』


 地竜ミル。


 一切の迷いがない。


 四頭とも、本気だった。


「待て」


 オルフレッドは額を押さえた。


「今、家族と言ったか?」


「はい」


 プリスラビリスが当然のように頷く。


「わたくしの大切な弟妹ですわ」


『いかにも』


『姉上』


『家族』


『姉ちゃん大好き』


「なるほど」


 宰相が遠い目をした。


「竜を従えたのではなく、弟妹にしてしまわれたと」


「そう易々と納得するな」


 オルフレッドは空を見上げた。


 上位竜が四頭。


 そのすべてが、妹を姉と呼んでいる。


 報告書より悪化している気がした。


「ひとまず、竜たちには王城の外苑で待機してもらいたい」


『外?』


『姉上の家なのに?』


『家族を入れないつもり?』


『遠い』


 竜たちの声に、不満が滲む。


「王城には、王城の事情というものがある」


『姉上が見えない』


『危険』


『誘拐されるかも』


「誰が兄の居城で妹を誘拐するのだ」


『悪い人?』


「曖昧過ぎる」


 四頭の竜と国王の話し合いは、早くも暗礁に乗り上げた。


 重臣たちは口を挟めない。


 騎士たちは空を警戒したまま固まっている。


 市民たちは、何かすごい話し合いが行われているらしいと、息を潜めて見守っていた。


「まあまあ」


 プリスラビリスが、そっと兄の袖をつまんだ。


 幼い頃と同じ仕草だった。


「お兄さまも、皆さまも、お困りですわね」


「分かってくれるか、プリス」


「はい。わたくしからお話ししてみます」


 オルフレッドは、救いを見つけたように妹を見た。


 プリスラビリスは四頭の竜を見上げ、にこりと微笑む。


「皆さま」


『姉上』


「王城には、人間の決まりがございますの」


『決まり』


「ですから、これからは親戚付き合いということにいたしましょう」


 王都正門前の空気が止まった。


「……親戚?」


 オルフレッドが呟く。


『親戚』


『なるほど』


『人間の家族制度』


『理解』


 竜たちの反応は早かった。


『親戚なら節度が必要』


『訪問前には挨拶』


『贈り物も必要』


『姉ちゃんの兄も家族』


「待て、待て待て」


 オルフレッドは慌てて口を挟んだ。


「話がそれているように思うのだが?」


「義理とはいえ、弟妹ですもの」


 プリスラビリスは、穏やかに微笑む。


「親戚として仲良くするのが一番ですわ」


 妹に悪気はない。


 まったくない。


 だからこそ、止めにくい。


 オルフレッドは空を見た。


 四頭の竜は、期待に満ちた目でこちらを見ている。


 妹を見る。


 うれしそうに、自分の袖を握っている。


 重臣たちを見る。


 全員が、国王の判断に王国の未来が懸かっているという顔をしている。


 オルフレッドは、深く息を吸った。


 母に詫びた。


 父に詫びた。


 歴代の王たちにも、心の中で詫びた。


「分かった」


 宰相の肩が跳ねた。


「本日より、霊山の四竜は王家の親戚に準ずるものとして扱う」


 沈黙。


 騎士団長が膝から崩れ落ちた。


 文官の一人は天を仰いだ。


 宰相は「外交文書をどう書けばよいのだ」と呟きながら、頭を抱えた。


『歓迎された』


『よい国』


『兄上』


『親戚』


「兄上と呼ぶのは待て!」


 オルフレッドの叫びが、王都正門前に響き渡った。




 その日の午後。


 王城の謁見の間には、王国の重臣たちが勢ぞろいしていた。


 議題は一つ。


 プリスラビリスと四頭の竜についてである。


「確認させてくれ」


 玉座に座るオルフレッドは、すでに疲れ切っていた。


「お前は、竜を従えているわけではない」


「はい」


「竜たちは、お前の弟妹である」


「はい」


「王家とは親戚になった」


「そのように決まりましたわね」


「俺が決めたのだが、まだ現実として受け止めきれていない」


 オルフレッドはこめかみを押さえた。


「どうすれば、上位竜四頭を弟妹にできるのだ」


「特別なことは、何もしておりませんわ」


「その言葉を鵜吞みにするわけにはいかぬ」


 プリスラビリスは少し考え、静かに語り始めた。


「王都から霊山の里へ移った最初の年は、とても静かでした」


 周囲に民家はない。


 訪ねてくる者も、ほとんどいない。


 夜になれば、聞こえるのは霊山を吹き抜ける風の音だけ。


「少し寂しかったのですけれど、一年目の冬の朝、目を覚ましましたら」


 プリスラビリスは、懐かしむように目を細めた。


「寝台の中に、大きな卵がございましたの」


「なぜ寝台の中にある」


「分かりません」


「警戒しなかったのか」


「とても冷えておりましたから」


「質問の答えになっていない」


「毛布を掛けて、一緒に眠りました」


 宰相が机に額をつけた。


「翌朝、卵が割れて、小さな白銀の竜が生まれました」


『アル』


 謁見の間の外から、得意げな声が届く。


 王城内への進入は禁止した。


 ただし窓から顔が見える距離でなければ嫌だと主張されたため、現在は中庭で待機している。


「それが聖竜アルか」


「はい。長兄ですわ」


『長兄』


「次の年には紅い卵が現れて、ジルが生まれました」


『次兄』


「その次の年は、蒼い卵からサナが」


『長姉』


「さらに翌年には、茶色の卵からミルが生まれました」


『末弟』


「待て」


 オルフレッドが片手を上げる。


「なぜ毎年、お前の寝台へ竜の卵が現れる」


「さあ?」


「誰も調べなかったのか」


「皆さま、かわいらしかったので」


「かわいらしいという理由で、竜の卵を受け入れたのか」


「家族の誕生に、理由は必要でしょうか」


 オルフレッドは黙った。


 正論のようで、何かが違う。


「生まれた竜たちは、どう育てた」


「普通ですわ」


「普通とは」


「泣いたら抱いて、眠れないときは本を読んで、喧嘩をしたら仲直りさせました」


「食事は」


「たくさん食べてくれましたわ」


「火を吐いたときは」


「叱りました」


『怖かった』


『姉上は怒ると静かになる』


『二度と室内では吐かない』


『約束』


 重臣たちがざわめいた。


 上位竜を叱って言うことを聞かせた人間など、伝承の中にも存在しない。


「なるほど」


 宰相が顔を上げた。


「つまり、殿下は四竜にとって、育ての親でもあるのですな」


「姉ですわ」


 プリスラビリスは、そこだけは譲らなかった。


「では、山賊はどうした」


 オルフレッドが尋ねる。


「報告では、お前が山へ入っただけで服従したことになっている」


「あの方々は、服従などしておりません」


「お前は、何でも家族にするのか?」


「山賊の皆さまは家族ではありませんわ」


 オルフレッドは、少しだけ安心した。


「ご近所の方々です」


「同じような論理だ!」


 プリスラビリスによれば、山賊たちは戦で故郷を失った元兵士たちだったという。


 食べるものもなく、行く場所もなく、やむを得ず略奪に手を染めた。


 プリスラビリスは彼らの根城を訪ね、まず怪我人を治療した。


 次に温かい食事を用意した。


 それから、こう頼んだ。


 霊山に弟妹達を住まわせる。


 そして、弟妹達と共に山を守ってほしい。


「皆さま、快く引き受けてくださいました」


「それを世間では、山賊団を配下にしたと言うのではないか」


「お給金はお支払いしておりますわ」


「雇用している!」


 山賊たちは現在、霊山の巡回と街道の警備を担当している。


 指導者として、元騎士だった者を隊長に据え、農地まで与えたらしい。


 もはや山賊団ではない。


 立派な警備隊だった。


「お前は、霊山で何をしたのだ」


「皆さまが、穏やかに暮らせるお手伝いを少々」


「穏やかという言葉の意味、俺とお前では違うようだな」


 オルフレッドは、深く椅子へ沈み込んだ。


 山賊を武力で従えたわけではない。


 竜を魔法で支配したわけでもない。


 プリスラビリスは、ただ手を差し伸べただけだった。


 寒そうな卵を抱いた。


 腹を空かせた者に食事を与えた。


 居場所を失った者に、役目を与えた。


 気づけば、誰も彼女のそばを離れなくなっていた。


 幼い頃と同じだ。


 プリスラビリスは泣き虫で、兄の袖を離さなかった。


 けれど本当は、逆だったのかもしれない。


 彼女が相手を離さないから。


 大切にし続けるから。


 一度その手を取った者は、彼女のもとを離れられなくなる。


「……そうか」


 オルフレッドは、小さく息を吐いた。


「ようやく分かった」


「何がでしょう」


「お前は山賊も竜も、従えたのではない」


「はい」


「居場所を与えたのだな」


 プリスラビリスは、少しだけ考えた。


「わたくしも、皆さまから居場所をいただきました」


 穏やかな答えだった。


 幼い妹を王都から遠ざけたのは、王家である。


 母親の身分を理由に、孤独な離宮へ送り出した。


 けれど妹は、そこで恨みを育てなかった。


 代わりに、家族を増やした。


 その事実が、オルフレッドの胸へ静かに刺さった。


「プリス」


「はい」


「寂しい思いをさせた」


 プリスラビリスは目を瞬いた。


「すまなかった」


「お兄さまが謝ることではございません」


「それでもだ」


 王ではなく、兄として謝りたかった。


「俺は、お前が無事に育ってくれればいいと思っていた」


 オルフレッドは苦笑する。


「まさか、竜四頭と山賊団を家族同然にして帰ってくるとは思わなかったが」


「皆さま、とてもよい方々ですわ」


「知っている。今日一日で、嫌というほど分かった」


 中庭から、四頭の竜の声が響く。


『姉上を守る』


『王都も守る』


『兄上も守る』


『世界ごと守る』


「世界ごとは守らなくてよろしいですわ!」


 プリスラビリスが慌てて窓へ向かう。


『なぜ?』


「壊れてしまいますでしょう!」


『加減する』


「そういう問題ではありません!」


 竜を相手に、一生懸命言い聞かせている。


 その姿を見て、オルフレッドは思わず笑った。


 泣き虫だった妹は、確かに変わった。


 けれど、何も変わっていない。


 優しくて。


 少し危なっかしくて。


 大切な者を、決して見捨てない。


 あの頃の妹のままだった。


「プリス」


 呼びかけると、妹が振り返る。


「改めて言おう」


 オルフレッドは玉座から立ち上がった。


「王都へようこそ、プリスラビリス」


 王としてではない。


 ただの兄として、手を差し出す。


「おかえり」


 プリスラビリスは、心からうれしそうに笑った。


「ただいま、お兄さま」


 そして、差し出された手を取った。




 この日、王国の外交史に一つの奇妙な条文が加えられた。


 霊山に住まう四頭の上位竜は、王家の親戚に準ずる。


 敵でもない。


 兵器でもない。


 ましてや、王妹プリスラビリスの従属物でもない。


 彼らは、彼女の弟妹である。


 この報せは、瞬く間に大陸全土へ広がった。


 周辺諸国は震え上がり。


 外交官たちは頭を抱え。


 古代竜の研究者たちは、王国へ押しかけた。


 彼らは皆、同じ質問をした。


 なぜ、人間の令嬢と上位竜が親戚なのか、と。


 そのたびに、国王オルフレッドは額を押さえ、こう答えたという。


「詳しい説明は、勘弁してくれ。胃が痛くなる」


 一方、その原因となったプリスラビリスは。


 今日も王城の庭で、弟妹たちに本を読み聞かせていた。


 何一つ特別なことはしていないという顔で。


 また一つ、この国を穏やかに変えながら。


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