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ショートショート集

ドールフォビア

作者: 怪力熊男
掲載日:2026/05/31

 東京都内にある、某私立大学の建物の一室。

 首からゲスト用の入館証をぶら下げた金髪の女と向かい合う形で、私は座っていた。

 テーブルの上にはわざとらしく、これみよがしに置いたボイスレコーダー。液晶画面では数字のカウントアップが進み、録音が進んでいることを見せつけている。


「では、DMでお知らせ頂いた内容、繰り返しになってしまいますが、詳しくお話しいただけますか? 加藤さんは『人形が怖い』とのことでしたが」

「はい……人形、怖いですね……」

「それは、人形なら例外無く、でしょうか? それとも特定の、例えば市松人形とかフランス人形だけが怖いとか?」

「いえ、そういうわけじゃなくて、自分でもどういう線引なのかわからないですけど、完全アウトな人形、ギリギリアウト、ギリギリセーフ、セーフと4種類あるみたいです。例えば市松人形とかフランス人形とか、ドールの類は完全アウトですけど、カーネルサンダースはセーフなんです」

「カーネル・サンダース……? っていうと、ケンタッキーの?」

「はい。でも、大阪にある『くいだおれ太郎』はダメだし、不二家のペコちゃんもダメです。でも佐藤製薬のゾウの人形はオッケーで、キューピーちゃんはギリギリアウト、とか……」

「なるほど、くいだおれとペコちゃんはNG、佐藤製薬はOKで、キューピーちゃんはギリギリ……?」

「アウトです」

「アウトなんですね。なるほど……ちなみに雛人形は?」

「あぁもう絶対ダメ、完全アウトです」

「なるほど、雛人形もアウト……っと」


 私は、大学の卒論研究として、人間の恐怖に関して調べている。

 専攻は文学部、世界中のいわゆる『怖い話』を突き詰めるうち、人間の恐怖とは何なのだろうという発送に行き着いた。

 いわゆる生物としての恐怖、社会的な恐怖と様々な種類があるが、『本来なら恐怖の対象とならないものに恐怖を覚える』というパターンに目をつけた。


 暗所恐怖症や先端恐怖症は、ある程度生物としての恐怖と考えることも出来る。

 醜形恐怖症であったり広場恐怖症なんてものも、これは人間としてある程度生存戦略に根ざした恐怖といえる。

 問題は、『生物としても人間としても、それに恐怖を覚えることに合理的な理由が付けられない』というものだ。


「加藤さんが、人形に恐怖を覚えるようになったのはいつ頃ですか?」


 そんな『変わった恐怖症』を持っている人を探している、とSNSで呼びかけたところ、応じてくれたのが今眼の前にいる加藤さんだ。

 先程から話を聞いていると、この人は本気で人形を怖がっている。嫌悪している、というよりも、その表情から読み取れるのは明らかに『恐怖』だ。


「きっかけは分からないんですけど……明確に『人形は怖い』って感じたのは、確か幼稚園児の頃でした。雛人形が怖くて、もう半狂乱になって『お人形が怖い』って泣き叫んだそうです」

「なるほど。実はですね? 私、『退行催眠』というものの訓練を受けてまして、場合によってはトラウマ治療であったり、恐怖症の克服なんかのお手伝いが出来るかもしれません。いかがでしょう、一度お試しになりませんか?」


 もちろん、トラウマ治療なんて出来るわけがない。

 退行催眠で無防備になった状態で、恐怖症のきっかけとなった『種』が何なのかを探る、それこそがこのインタビューの目的だ。


 加藤さんはあっさりと、私がぶら下げた餌に食いついた。

 ソファに横になるように楽な格好にさせ、目の上にタオルを乗せる。リラックスできるようにほんの少しだけラベンダーの香りがするように工夫をしたタオルだ。

 加藤さんはあっさりと催眠状態にオチた。催眠術にもかかりやすいのかもしれない。


「では加藤さん、あなたは幼稚園児、4歳の頃に戻ります。3つ数えたら、あなたは4歳です。ひとつ、ふたつ、みっつ」


 ふぅ、と加藤さんが大きく息を吐く。胸が静かに沈み込むのが見えた。


「今あなたから遠く離れたところに人形が見えます。そのお人形は怖いですか」

「ううん、こわくない」


 喋り方が幼児のようになっている。退行催眠もしっかり効いているようだ。


「じゃあゆっくりそのお人形に近づきましょう。どんなお人形ですか?」

「おひなさま」

「お雛様? 今はもうそのお雛様に、手が届くくらい近づいてます。どうですか? 怖いですか?」

「ううん」


 なるほど、じゃあ4歳の頃はまだ大丈夫だったということか。


「あっ」


 メモを書いていると、不意に4歳に退行した加藤さんが声を上げる。


「どうしたの?」

「こわい」

「え」


 ソファに仰向けに横たわり、リラックスしていたはずの加藤さんは全身を硬直させ、歯をガチガチと鳴らし始めた。

 おかしい。退行催眠を解かなければ。


「加藤さん? 今から3つ数えたら、あなたは令和8年、29歳に戻ります。良いですか? ひとーつ」

「こわい、こわい、こわい、おひなさまが」

「加藤さん? 落ち着いて、私の声を効いてください、3つ数え――」

「さ、三人囃子が、こっちに、こないで」


 研究室に、篠笛の音が聞こえた気がする。


「やだ、はなして、いきたくない、わたしはやだ」


 バタバタと両手足を動かし始める。

 危険だ。ダメだ、聞き取りは中止しなければ。


「加藤さん、3つ数えます! 良いですね? ひとつ、ふたつ、みっ――」


 突然動きを止めた加藤さんが、私の手を万力のような力で掴んだ。


「わたしは、いきたくない」

 

 しっかりと私の目を見据えた四白眼で、加藤さんはそう話す。

 次に気がついた時、研究室のソファで私はがばっとカラダを起こした。守衛さんが『もう締めるよ』と伝えに来たのだった。


 加藤さんにはお詫びの連絡を入れたものの、今日に至るまで返事は着ていない。


 私には特に変化のような者は無い。

 今日も録音したデータを聞き返して、テキストデータを書き起こしている。

 

 少し気がかりだったのは『三人囃子』という言葉だ。

 通常、雛人形にあるのは三人官女と五人囃子であるはずだ。

 

 いきたくない、わたしはやだ。

 わたしは、いきたくない。


 このセリフがどうしても気になる。


 私の見立てでは、加藤さんの家の雛人形は、きっとマンション用で簡略化されたものだったのだろう。

 それが本式の雛人形、三人官女に五人囃子が揃ったものを違うことに違和感を覚え、それが幼い加藤さんの心に、魚の小骨のように残り続けていた。

 やがてその違和感がトラウマとなった、という事なのだろう。やはり全ての物事には理由があるのだ。


 かん――という硬質な高い音。

 能でいう鼓の音のような、そんな鋭い音が聞こえた気がする。


「……気のせいか」


 私はひとりそう呟いて、再びキーボードを叩く。


 視界の隅に、鼓を持った囃子方の人形が見えたような気がする。

 

「やだもう……幽霊とかいないんだから」


 私はわざとらしく声をあげて、視線をPCのモニターに移した。

 再び視界の隅に、鼓を持った人影が映る。金髪の見覚えのある女だ。

 さらに、私を囲むように十二単の女が3人。


『あなたも――』


 狩衣に金髪の女が指を鼓に当てると、『かぁん』と実にいい音が響いた。

今回は後味がゾワゾワするタイプのホラーにしてみました。

実は筆者自身が人形恐怖症です……雛人形は実際怖くてなかなか観ることが出来なかったりします……

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