ドールフォビア
東京都内にある、某私立大学の建物の一室。
首からゲスト用の入館証をぶら下げた金髪の女と向かい合う形で、私は座っていた。
テーブルの上にはわざとらしく、これみよがしに置いたボイスレコーダー。液晶画面では数字のカウントアップが進み、録音が進んでいることを見せつけている。
「では、DMでお知らせ頂いた内容、繰り返しになってしまいますが、詳しくお話しいただけますか? 加藤さんは『人形が怖い』とのことでしたが」
「はい……人形、怖いですね……」
「それは、人形なら例外無く、でしょうか? それとも特定の、例えば市松人形とかフランス人形だけが怖いとか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて、自分でもどういう線引なのかわからないですけど、完全アウトな人形、ギリギリアウト、ギリギリセーフ、セーフと4種類あるみたいです。例えば市松人形とかフランス人形とか、ドールの類は完全アウトですけど、カーネルサンダースはセーフなんです」
「カーネル・サンダース……? っていうと、ケンタッキーの?」
「はい。でも、大阪にある『くいだおれ太郎』はダメだし、不二家のペコちゃんもダメです。でも佐藤製薬のゾウの人形はオッケーで、キューピーちゃんはギリギリアウト、とか……」
「なるほど、くいだおれとペコちゃんはNG、佐藤製薬はOKで、キューピーちゃんはギリギリ……?」
「アウトです」
「アウトなんですね。なるほど……ちなみに雛人形は?」
「あぁもう絶対ダメ、完全アウトです」
「なるほど、雛人形もアウト……っと」
私は、大学の卒論研究として、人間の恐怖に関して調べている。
専攻は文学部、世界中のいわゆる『怖い話』を突き詰めるうち、人間の恐怖とは何なのだろうという発送に行き着いた。
いわゆる生物としての恐怖、社会的な恐怖と様々な種類があるが、『本来なら恐怖の対象とならないものに恐怖を覚える』というパターンに目をつけた。
暗所恐怖症や先端恐怖症は、ある程度生物としての恐怖と考えることも出来る。
醜形恐怖症であったり広場恐怖症なんてものも、これは人間としてある程度生存戦略に根ざした恐怖といえる。
問題は、『生物としても人間としても、それに恐怖を覚えることに合理的な理由が付けられない』というものだ。
「加藤さんが、人形に恐怖を覚えるようになったのはいつ頃ですか?」
そんな『変わった恐怖症』を持っている人を探している、とSNSで呼びかけたところ、応じてくれたのが今眼の前にいる加藤さんだ。
先程から話を聞いていると、この人は本気で人形を怖がっている。嫌悪している、というよりも、その表情から読み取れるのは明らかに『恐怖』だ。
「きっかけは分からないんですけど……明確に『人形は怖い』って感じたのは、確か幼稚園児の頃でした。雛人形が怖くて、もう半狂乱になって『お人形が怖い』って泣き叫んだそうです」
「なるほど。実はですね? 私、『退行催眠』というものの訓練を受けてまして、場合によってはトラウマ治療であったり、恐怖症の克服なんかのお手伝いが出来るかもしれません。いかがでしょう、一度お試しになりませんか?」
もちろん、トラウマ治療なんて出来るわけがない。
退行催眠で無防備になった状態で、恐怖症のきっかけとなった『種』が何なのかを探る、それこそがこのインタビューの目的だ。
加藤さんはあっさりと、私がぶら下げた餌に食いついた。
ソファに横になるように楽な格好にさせ、目の上にタオルを乗せる。リラックスできるようにほんの少しだけラベンダーの香りがするように工夫をしたタオルだ。
加藤さんはあっさりと催眠状態にオチた。催眠術にもかかりやすいのかもしれない。
「では加藤さん、あなたは幼稚園児、4歳の頃に戻ります。3つ数えたら、あなたは4歳です。ひとつ、ふたつ、みっつ」
ふぅ、と加藤さんが大きく息を吐く。胸が静かに沈み込むのが見えた。
「今あなたから遠く離れたところに人形が見えます。そのお人形は怖いですか」
「ううん、こわくない」
喋り方が幼児のようになっている。退行催眠もしっかり効いているようだ。
「じゃあゆっくりそのお人形に近づきましょう。どんなお人形ですか?」
「おひなさま」
「お雛様? 今はもうそのお雛様に、手が届くくらい近づいてます。どうですか? 怖いですか?」
「ううん」
なるほど、じゃあ4歳の頃はまだ大丈夫だったということか。
「あっ」
メモを書いていると、不意に4歳に退行した加藤さんが声を上げる。
「どうしたの?」
「こわい」
「え」
ソファに仰向けに横たわり、リラックスしていたはずの加藤さんは全身を硬直させ、歯をガチガチと鳴らし始めた。
おかしい。退行催眠を解かなければ。
「加藤さん? 今から3つ数えたら、あなたは令和8年、29歳に戻ります。良いですか? ひとーつ」
「こわい、こわい、こわい、おひなさまが」
「加藤さん? 落ち着いて、私の声を効いてください、3つ数え――」
「さ、三人囃子が、こっちに、こないで」
研究室に、篠笛の音が聞こえた気がする。
「やだ、はなして、いきたくない、わたしはやだ」
バタバタと両手足を動かし始める。
危険だ。ダメだ、聞き取りは中止しなければ。
「加藤さん、3つ数えます! 良いですね? ひとつ、ふたつ、みっ――」
突然動きを止めた加藤さんが、私の手を万力のような力で掴んだ。
「わたしは、いきたくない」
しっかりと私の目を見据えた四白眼で、加藤さんはそう話す。
次に気がついた時、研究室のソファで私はがばっとカラダを起こした。守衛さんが『もう締めるよ』と伝えに来たのだった。
加藤さんにはお詫びの連絡を入れたものの、今日に至るまで返事は着ていない。
私には特に変化のような者は無い。
今日も録音したデータを聞き返して、テキストデータを書き起こしている。
少し気がかりだったのは『三人囃子』という言葉だ。
通常、雛人形にあるのは三人官女と五人囃子であるはずだ。
いきたくない、わたしはやだ。
わたしは、いきたくない。
このセリフがどうしても気になる。
私の見立てでは、加藤さんの家の雛人形は、きっとマンション用で簡略化されたものだったのだろう。
それが本式の雛人形、三人官女に五人囃子が揃ったものを違うことに違和感を覚え、それが幼い加藤さんの心に、魚の小骨のように残り続けていた。
やがてその違和感がトラウマとなった、という事なのだろう。やはり全ての物事には理由があるのだ。
かん――という硬質な高い音。
能でいう鼓の音のような、そんな鋭い音が聞こえた気がする。
「……気のせいか」
私はひとりそう呟いて、再びキーボードを叩く。
視界の隅に、鼓を持った囃子方の人形が見えたような気がする。
「やだもう……幽霊とかいないんだから」
私はわざとらしく声をあげて、視線をPCのモニターに移した。
再び視界の隅に、鼓を持った人影が映る。金髪の見覚えのある女だ。
さらに、私を囲むように十二単の女が3人。
『あなたも――』
狩衣に金髪の女が指を鼓に当てると、『かぁん』と実にいい音が響いた。
今回は後味がゾワゾワするタイプのホラーにしてみました。
実は筆者自身が人形恐怖症です……雛人形は実際怖くてなかなか観ることが出来なかったりします……




