表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/53

第四話 春の和議と、片桐が去る日

第四話

春の和議と、片桐が去る日——御膳所に吹き始めた“夏の風”


◆ 雪が溶ける音の朝

冬の陣が終わったと噂が流れたのは、

雪が溶ける音が聞こえるような静かな朝だった。


どん……どん……

遠くの鉄砲の音が、その日は一度も響かない。


「今日は音がせえへんな」

与兵衛の呟きに、お梅がほっと息をつく。

だが宗右衛門だけは、火を見つめたまま眉間に皺を寄せていた。


(終わったんかな……終わってほしい……でも胸がざわつく)

やよいの胸の奥も、静けさに逆に落ち着かなかった。


---


◆ 和議の知らせ

昼前、御広敷の若い衆が駆け込んだ。


「和議や! 和議が結ばれたで!」


小台所は一気に明るくなる。

やよいも胸が軽くなったが、宗右衛門だけは言った。


「終わったんは“冬の陣”だけや。戦そのものは終わっとらん」


その声は、火の音より重かった。


---


◆ 和議の膳を作れ

翌日、命が下る。


「殿下より、和議の膳を整えよ」


「祝う膳……?」

「表向きはな。徳川に“弱っとらんで”と見せる膳や」


しかし食材は乏しい。

鯛も鴨もない。野菜も細い。


「どうするんですか?」

「香りや」


昆布と干し椎茸の出汁。

それだけで“豊臣の味”を立たせるのだと宗右衛門は言う。


(味を守るんが、御膳所の仕事なんや)


---


◆ 和議の膳、完成

豪華ではない。

だが香りは豊かで、器は美しく、味は深かった。


「やよい、ええ仕事したな」


やよいは胸が温かくなる。


しかし——

膳を運んだお市が戻ると、空気が変わった。


「殿下は“よい香りだ”と……けれど徳川の使者は“量が少ない”と」


御膳所に冷たい風が吹く。


(弱ってると思われた……?)


---


◆ 春の桜と、母の影

その夜、裏庭で母と再会したやよいは、

張りつめていた心がほどけて泣いた。


(わたし……ずっと怖かったんや)


春は来ても、心はまだ冬のままだった。


---


◆ 和議の翌朝、城の空気が“軽く”なる

翌朝、城はざわついていた。

軽い——だがそれは“ひび割れた軽さ”だった。


「片桐且元様が……城を出はる!」


御膳所に衝撃が走る。


片桐且元。

和議をまとめた豊臣の柱のひとつ。


「和議を結んだことで、裏切り者扱いや」

宗右衛門の言葉に、やよいは胸がざわついた。


(正しい人が……出ていく?)


---


◆ 片桐且元、御膳所へ

片桐は痩せていたが、目は深かった。


「ここは戦の間、城の心臓であった」


やよいの前に立ち、静かに言う。


「“生姜の汁”を作ったのはおまえか。

兵たちが言うておった。あれで一刻立てたとな」


やよいは胸が熱くなる。


「おまえの舌は、人の命を救う舌や。

いつか、もっと多くの命を救え」


その言葉は、やよいの胸に深く刻まれた。


---


◆ 片桐、退城

「わしがここにおれば、豊臣は割れる」


片桐は背を向け、静かに去った。

その背中は、戦場へ向かう武士のようにまっすぐだった。


(戦が終わっても、人は傷つくんや)


御膳所の者たちは、見えなくなるまで頭を下げ続けた。


---


◆ 味見所の“穴埋め”

片桐が去った翌日、命が届く。


「味見所の役目、しばらく御膳所で兼ねよ」


毒見——命に関わる仕事。


「毒見は“死ぬための仕事”やない。

“死なんように見抜く仕事”や」


宗右衛門はやよいに言う。


「おまえの鼻は利く。匂いを見ろ。

おまえの鼻は、御膳所の“目”になる」


やよいは拳を握った。


「はい」


---


◆ 毒見の初日

湯気の立つ膳。

やよいは匂いを嗅ぐ。


(……変な匂いはしない)


宗右衛門、お澄、お市が口に運ぶ。

沈黙のあと——


「問題なし」


やよいは胸をなでおろした。


---


◆ 城に広がる“疑い”

外では噂が渦巻く。


「片桐様の屋敷、徳川に囲まれたらしい!」

「淀殿が激怒してはる!」

「大野治長様が動き出した!」


(なんで……こんなに疑い合うんやろ)


宗右衛門が呟く。


「風が吹き始めたな。夏の陣の風や」


やよいは火の揺らぎを見つめた。


(また……戦が来るんやろか)


胸の奥で、小さな火が揺れた。


---


◆ 老いたやよいの一行

——あの春の和議は“終わり”ではなく“始まり”であった。

片桐様が去った日から、城の空気は確実に変わり、

わたくしは初めて知ったのだ。

戦は終わっても、争いは終わらないと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ