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恋を手放したヒーラーは、静かに光を集める  作者: 塩塚和人


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第1章 裏切りの足音


夕暮れの光が、

光都セレナールの石畳を

やさしく染めていた。


治癒工房ルーメン

小さな看板が、

風に揺れている。


ルーチェは、

カウンターの奥で

包帯を丁寧に畳みながら、

小さく息を吐いた。


今日も一日、

よく働いた。


擦り傷、打ち身、

軽い呪いの後遺症。

どれも大したことはない。


それでも、

「ありがとう」と言われるたび、

胸の奥が少しだけ

温かくなる。


ヒーラーとして、

店主として。

それなりに

充実した日々だ。


――なのに。


胸の奥に、

小さな棘が刺さったまま、

抜けない。


「……遅いな」


思わず、

口に出していた。


ロバートのことだ。


今日も、

店が終わる頃に

顔を出すと言っていた。


最近は、

約束が曖昧になりがちだった。


「仕事が長引いて」

「急な用事ができて」


理由はいくつもある。

どれも、

もっともらしい。


けれど、

その言葉の端々に、

違和感が混じるように

なっていた。


ルーチェは、

自分の胸に

手を当てる。


鼓動は、

いつもより

少しだけ早い。


不安なのか、

それとも、

ただの考えすぎか。


「……私、

疑り深くなったのかな」


苦笑して、

首を振る。


恋人を疑うなんて、

したくない。


信じたい。

ロバートは、

優しい人だ。


少なくとも、

ルーチェの前では。


カラン、と

扉の鈴が鳴った。


ルーチェは顔を上げ、

笑顔を作る。


「いらっしゃ――」


言葉は、

途中で止まった。


入ってきたのは、

見慣れない男性だった。


軽装の冒険者で、

腕に小さな切り傷。


治癒を施し、

見送る。


扉が閉まると、

店内は静寂に包まれた。


外はもう、

夜の気配だ。


「……来ない、か」


胸の奥が、

きゅっと縮む。


今日は、

遅くなるだけ。

そう思おう。


そう、

思おうとした。


そのときだった。


通りの向こうで、

見覚えのある

後ろ姿が見えた。


「……ロバート?」


反射的に、

声が漏れる。


彼は、

こちらに気づかず、

人の流れに紛れて

歩いていく。


店の前を、

素通りして。


「え……?」


心臓が、

強く脈打つ。


約束していたはずだ。

今日は来ると、

言っていた。


それなのに。


ルーチェは、

エプロンを外し、

戸惑いながらも

扉に手をかけた。


「少し、

様子を見るだけ……」


自分に言い訳をしながら、

外へ出る。


夜のセレナールは、

人通りが多い。


灯りと影が交錯し、

視線を逸らせば、

すぐに見失ってしまう。


ルーチェは、

一定の距離を保ちながら、

ロバートの後を追った。


胸が、

ざわつく。


こんなこと、

するつもりじゃなかった。


でも、

足は止まらない。


ロバートは、

王城へ続く

大通りを外れ、

静かな道へ

入っていった。


「……どうして、

そっちに?」


王城近くは、

警備も厳しい。


庶民が、

用もなく

近づく場所ではない。


ルーチェは、

物陰に身を隠しながら、

慎重に進む。


そして、

小さな広場で、

立ち止まった。


ロバートが、

誰かと向き合っている。


相手は、

背の低い女性。


月明かりに照らされ、

淡い銀色の髪が

輝いていた。


高価そうな

外套。

品のある立ち姿。


――まさか。


嫌な予感が、

背筋を走る。


次の瞬間、

その女性が

顔を上げた。


ルーチェは、

息を呑む。


見間違えるはずがない。


王女リーン。


この国の、

第一王女。


物語の中でしか

出会わない存在。


その王女が、

今、

ロバートの前に

立っている。


「……どうして」


声は、

震えていた。


ロバートは、

周囲を気にするように

視線を巡らせ、

王女に

何かを囁いた。


リーンは、

小さく笑う。


その笑顔は、

無邪気で、

無防備で。


ルーチェの胸に、

冷たいものが

流れ込んだ。


二人の距離は、

近い。


近すぎる。


それは、

友人や知人の

距離ではない。


恋人同士の、

距離だった。


「……嘘」


足が、

震える。


目の前の光景が、

現実だと

受け入れられない。


ロバートが、

王女に

手を伸ばす。


そっと、

触れるように。


その仕草が、

決定的だった。


胸の奥で、

何かが

音を立てて崩れた。


――ああ。


そういうこと、

だったんだ。


最近の

よそよそしさ。


約束を

曖昧にする態度。


優しさの中に

混じる、

距離。


すべてが、

一つに

繋がる。


ルーチェは、

唇を噛みしめ、

その場を動けずにいた。


声をかける勇気は、

ない。


けれど、

背を向けて

帰ることも、

できない。


月明かりの下で、

二人は

静かに話し続けている。


楽しそうに。

何も知らない

顔で。


ルーチェの中で、

小さな音がした。


それは、

確かに。


裏切りの、

足音だった。


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