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公開裁定で証拠を示したら婚約破棄が溺愛に変わった

作者: 夢見叶
掲載日:2025/12/20

「本日をもって、君との婚約は破棄する。あわせて、君にかかった疑いについても宣言する。禁じられた契約書への署名、王城の機密取引への関与。私の名に泥を塗る女を、婚約者にしておくわけにはいかない」


大広間の音が消えたみたいだった。杯を持った手が止まり、扇が止まり、息が止まる。私の視界だけが妙に澄んで、王太子殿下の唇の動きだけがやけにゆっくり見えた。弁明の許可もない。説明の義務もない。すべて、殿下の都合で片づけられる。だから私は、泣くのをやめた。明日で終わらせる。


「……理由を、伺っても?」

「必要ない。君は相応しくない。以上だ」

「では、私からも発言します」

「発言だと?」

「ええ。婚約破棄、正解です。私は証拠で勝ちます」


ざわめきが爆ぜた。私は王城の天井を見上げて息を整え、喉を震わせないように笑う。


「これで自由ですもの。……私を疑うなら、証拠を疑ってください」


殿下の眉が動いた。わずかに。たぶんそれが、私の勝ちの合図だった。


背後で「リリア」と小さく呼ぶ声がした。騎士の鎧の気配。私は振り返らないまま、ゆっくり歩き出す。ここで立ち止まれば、私が壊れるところを見たい人たちの餌になる。


廊下に出た瞬間、肺が痛むほど空気が冷たかった。足は震えていた。でも顔は笑っていた。笑わなきゃ、終わる。


私は壁に手をつき、手袋の端をぎゅっと握る。

終わらせるのは、私じゃない。終わらせるのは、あの告発だ。


禁じられた契約書。私が署名したとされる紙。私が見たことも触れたこともないのに、今夜の会場では、それが「当然の真実」として流れている。


なら、やることは単純だ。

明日、観衆の前で、嘘を嘘だと示す。

殿下が用意した舞台なら、殿下の顔もまとめて落ちる。逃げ道を塞いで、社会的に終わらせる。私はそのあとで、自由のまま甘く笑う。


「……泣いていないな」


低い声が背中に刺さった。鎧が鳴る。私は振り向いた。


廊下の柱の陰に、騎士団長が立っていた。黒髪で、視線が鋭い。王城の夜会で、私の名前を呼んだ気配の主。


「泣く暇がありません。私、忙しいので」

「そうか。なら話が早い」


騎士団長は周囲を確認してから、私に近づいた。距離の詰め方が戦場みたいに速い。


「君にかかった疑いの根は、告発状だ。禁じられた契約書に君が署名した、と書かれた紙」

「それなら……殿下が言いました」

「言っただけじゃない。提出もされている。控えが残る」

「控え……?」


騎士団長は自分の胸当ての内側を叩いた。今はまだ出さない。あえて名前だけを落とす。


「告発状控え。これがあれば、止められる」

「それを、私に渡すつもりですか」

「渡すのは明日だ。今渡せば、奪われる」


怖い。けれど怖さは、怒りと混ざると燃料になる。


「明日、どこで?」

「叙勲式典の前に、公開の裁定がある。王太子が『清廉の誓い』を読む場で、騎士団は手続き監査として口を挟める。今夜の件を、あの場で片づける気でいる」

「公開……」

「観衆は貴族だけじゃない。騎士も、書記官も、式典の関係者もいる。逃げ道がない」


逃げ道がない。いい。私は頷いた。


「私、やります」

「やる、だけじゃ足りない。勝つ、だ」

「勝ちます。約束します。殿下の都合で捨てられたのなら、その都合ごと折ります」


騎士団長の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


「君の名前はリリアだったな」

「……さっき呼びましたよね」

「確認だ。呼び間違いは許されない」


冗談なのか誓いなのか分からなかった。でも私は、呼ばれたことが少し嬉しかった。今夜、私を人として見てくれたのは、この人だけだったから。


「団長、私を助ける理由は?」

「職務だ」

「それだけ?」

「それだけで充分だ。……今は」


今は。そこに、明日の余白がある。


「君は部屋に戻るな。戻れば、彼らの手が届く」

「では、どこへ」

「騎士詰所の客間。護衛をつける。面会は遮断する」


溺愛の台詞より先に、行動が来た。私は笑いそうになって、喉の奥を押さえた。


「私、囚われるのは嫌いです」

「囚わない。守る。選ぶのは君だ」


騎士団長が外套を私の肩にかけた。布が冷たい夜気を遮って、急に世界が近くなる。


「……団長」

「名で呼ぶ必要はない。俺は騎士団長だ」

「では、どう呼べば」

「そのままでいい。君が勝ったら、俺は君の味方だと公に示せる」


胸の奥が、変な音を立てた。こんな状況で、そんなことを言うなんてずるい。


客間は質素だったけれど、護衛が扉の外に立つだけで安心できた。私は椅子に座った瞬間、ようやく息が落ちた。


「水を」

騎士団長が杯を差し出す。私は受け取って、ひと口飲んだ。喉が痛い。


「怖いか」

「怖いです。……でも、怖いまま勝ちます」

「それでいい」


騎士団長は私の手袋の縫い目に目を止めた。指先が震えているのがばれている。


「手」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃない」


彼は勝手に私の手袋を外し、指を包み込むように温めた。鎧の冷たさじゃなく、掌の熱が伝わる。私は慌てて引こうとして、引けなかった。


「人前で泣かなかった。偉い」

「慰めは要りません」

「慰めじゃない。評価だ」


評価。殿下が私に向けなかったもの。胸がきゅっとなる。


「……私、笑ったせいで余計に恨まれませんか」

「恨むなら恨め。君の笑いは、逃げじゃない」


そう言って、彼は手袋を丁寧に戻した。指先まで整える仕草が、護衛より甘かった。


夜の間、私は眠れなかった。けれど目は冴えていた。頭の中で、明日の流れを何度もなぞる。告発状控え。公開の裁定。逃げ道封鎖。証拠の公開。社会的制裁。最後に、自由。


翌朝、騎士団長が客間に来た。寝不足のはずなのに、鎧の光がきっちり整っている。


「準備は?」

「できています。泣く暇、なかったので」

「いい。俺もだ」


「まず、告発状控えの確認をする。君は読まない。目だけで追え」

「内容を知ると、顔に出ますもんね」

「そうだ。君は演技が下手だ」

「失礼ですね」

「褒めている。正直だ」


私が口を尖らせると、騎士団長の口元が少しだけ上がった。ほんの少し。なのに、心臓がうるさい。


私たちは記録室へ向かった。書記官の部屋が並ぶ廊下は、インクの匂いが濃い。昨夜の男がここにいる。予想どおり、扉の前で待っていた。


「騎士団長殿。今日はお忙しいはずですが」

「忙しい。だから手短にする。告発状控えを出せ」

「その件は、王太子殿下の許可が――」

「許可は要らない。手短にする。告発状控えを出せ」


騎士団長の声は淡々としているのに、逆らえない重さがある。書記官は唇を噛んで、しぶしぶ棚の鍵を開けた。


私は背後で護衛に囲まれている。守られているのが分かる。逃げない。逃げさせない。


書記官が紙束を取り出す。その手が、わずかに震えていた。


「……こちらが控えです」

騎士団長が受け取る。私の目の前で、紙を半分だけ見せる。押印、提出者欄、署名欄。必要な場所だけ。道具名だけをチラ見せして温存する。作戦どおり。


「ふむ。受付印の位置が不自然だな」

騎士団長が独り言みたいに言う。

「な、何が不自然なのです」

「君が知らないことだ」


書記官の瞳が泳いだ。逃げ道を探す目だ。だから私は、わざと弱いふりをした。


「書記官さん。私、戻ってきたくなかったんです。怖いから」

「……怖い? 当然でしょう。罪を犯したのですから」

「罪、ですか。なら、今日の裁定で終わりますね」

「終わるのはあなたです」


その言い方が、答えだった。黒幕はこの男。殿下は、その都合の船に乗っただけ。


騎士団長が控えを内側へ戻し、私に目配せする。

焦るな。今は温存。敵を動かす。


記録室を出た直後、背後で紙の擦れる音がした。振り向くと、書記官が袖口から細い刃を抜いている。


控えを切る気だ。


「危ない!」

私が叫ぶより速く、騎士団長が書記官の手首を掴んだ。刃が床に落ち、金属音が響く。


護衛がいっせいに動く。書記官はあっという間に押さえ込まれた。


「なぜ、ここまで……!」

書記官が呻く。

騎士団長は冷たい目で言う。


「おまえが動いた。だから封鎖できる」


逃げ道封鎖は、偶然じゃない。敵が動くのを待って、動いた瞬間に捕まえる。準備した舞台の勝利だ。


「拘束はまだだ。式典前の裁定で、観衆の前でやる」

騎士団長が護衛に命じる。

「逃げさせるな。だが騒ぐな。静かに」


書記官は護衛に挟まれて歩き出した。顔色は紙みたいに白い。


私は息を吐いた。足が少しだけ軽くなる。でもまだ、終わりじゃない。


「騒がないでください」

私は護衛に押さえられている書記官に、できるだけ穏やかな声を向けた。


「穏やかに? 私をここまで追い詰めておいて?」

「追い詰めたのは、あなたの紙です。私はただ、元に戻しているだけ」


書記官の瞳がぎらついた。


「あなたは、王太子殿下に勝てると思っているのですか」

「勝てます。だって私は、証拠を持っていますから」


私はわざと、告発状控えの名を口にしない。敵にとって怖いのは、こちらが何を握っているか分からない状態だ。


騎士団長が護衛に耳打ちし、書記官は両腕を取られたまま別の廊下へ連れていかれた。拘束はしない。だが逃げられない。逃げ道封鎖の形を、式典前に完成させるため。


その直後、王太子から「内密に説明する。部屋へ来い」と口頭の命令が飛んできた。

内密。つまり、観衆のいない場所で潰すつもりだ。

私が息を吸う前に、騎士団長が淡々と言い放つ。

「命令があるなら文書で出せ。口頭では動かない」

それだけで、空気が折れた。

「君は、公開の場で勝て。内密で消えるな」

「はい。消えません」


そのあと、私たちは式典の控室へ向かった。


裁定の場へ向かう回廊では、昨夜より露骨な視線が飛んできた。


「禁じられた契約書に署名した女ですって」

「王太子殿下の名誉に泥を……」


聞こえるように言うのは、わざとだ。私の足を止めたいのだ。


私は止まらない。


「リリア、前を見る」

騎士団長が私の歩幅に合わせて言った。


「見てます」

「見えていない。呼吸が浅い」


ばれている。私は悔しくて、でも少し安心して、息を深く吸い直した。


控室の扉の前で、騎士団長が護衛に短く指示を出す。


「ここから先、面会は遮断。王太子の使いも通すな」


溺愛の行動はこれで充分だ。台詞は要らない。扉の向こうで世界がざわめいても、私の周囲だけ静かだった。


私は騎士団長の鎧の肩に指先を置いた。


「……ありがとう」

「礼は勝ってから」


彼は告発状控えを内側にしまったまま、私の視線だけを確かめる。道具はまだ温存。敵が追い詰められて、最後に動くまで。


そして、式典前の公開裁定が始まった。


白い布が垂れ、椅子が並び、空気が張り詰めている。貴族の視線、騎士の視線、書記官たちの視線。見られるのが怖い。でも私は、もう逃げない。


私は前列に座る。騎士団長が背後に立つ。護衛の配置が、私の呼吸を支えた。


王太子殿下が壇上に立つ。昨夜と同じ顔。都合の顔。


「昨夜の件に関連し、令嬢リリアに関する告発をここに再確認する。禁じられた契約書への署名、王城機密取引への関与……」


胸が痛い。けれど足は止まらない。私は座ったまま、殿下の言葉を受け止める。受け止めて、反転させる。


殿下が続ける。


「よって、婚約破棄は妥当であり――」

「待て」


騎士団長の声が場を裂いた。鎧が鳴る。騎士が動く。扉の前に立つ者がいる。逃げ道封鎖。もう戻れない。


「騎士団長、何のつもりだ」

「手続きを停止する」


ざわめき。殿下の眉が跳ねる。私は心の中で数える。ここからが反撃開始。


「停止? 何を根拠に」

「告発状控えに不備がある。王城規定に反し、この場での進行は認めない」


騎士団長が紙を取り出した。告発状控え。提示は完成。だが公開はまだだ。私は黙る。知らないふりをする。


「そんなもの、些末な――」

「些末なら、確認すればいい」


騎士団長が合図した。護衛が書記官を前へ連れてくる。昨夜の男だ。逃げ道は既に塞がれている。顔色がさらに白い。


「書記官。提出者として、ここに立て」

「わ、私は……」

「立て」


剣は抜かない。でも、剣より怖い命令だった。書記官は壇上の脇に立たされる。


殿下の顔が硬い。都合が崩れる音が、私の耳に聞こえる。


「令嬢リリア。君も前へ」

「喜んで」


私は立ち、歩いた。足は震えている。でも震えは、勝つ前の熱だ。


壇上に上がると、殿下が私を睨んだ。


「君はまだ、相応しくない」

「その言葉、便利ですね。昨夜も聞きました」


私は観衆に向き直る。胸の奥の涙を、笑いに変える。


「私にかかった疑いは、禁じられた契約書への署名だそうです。ですが私は、その契約書を見たことがありません。触れたこともありません」

「嘘を――」

「嘘なら、証拠で潰してください。私は証拠で返します」


騎士団長が告発状控えを私に渡した。紙は軽いのに、場の空気を変える重さがある。


「告発状控えには、提出の受付印が押されています。提出者欄もあります」

私は指先で印をなぞり、次に署名欄を示した。

「ここに、私の署名があることになっています。でも……これは私の字ではありません」


ざわめきが増す。私は続ける。


「私は署名のとき、必ず右上に小さな癖を入れます。父に教わった、家の流儀です。ですがこの署名にはそれがない」

「流儀など、後付けだ!」

書記官が叫んだ。自分で言ってしまった。後付け? それなら、昨夜から知っていたことになる。


騎士団長がすぐに刺す。


「書記官。なぜ君が、令嬢の署名の癖を『後付け』だと知っている?」

「……!」


場が静かになった。沈黙が、ざまぁの刃になる。私は息を吸う。ここだ。


「もう1つ。告発状の文言は、昨夜から噂として広がっていました。私は耳にしました。『禁じられた契約書』『王城機密取引』。まるで同じ文章を読んだみたいに」


私は告発状控えを掲げ、文言の冒頭を読み上げた。ほんの数行で充分。長い説明は要らない。照合は、観衆の頭が勝手にやってくれる。


「……同じだ」

誰かが呟く。誰かが頷く。視線が、殿下から書記官へ移る。空気が反転する。


殿下が口を開く。


「書記官、これはどういうことだ」

「王太子殿下、私は……私は命じられただけで……!」


その瞬間、殿下の肩が跳ねた。命じられた。つまり殿下も関与している。都合の責任転嫁。観衆がざわつく。


私は殿下を見る。

昨夜の「必要ない」と同じ目。今は、それが揺れている。


「殿下。私を捨てる判断が正解なら、今ここで困る必要はありませんよね」


昨夜の私の笑いが、今、勝利の形になった。


騎士団長が前に出た。紙を持ったまま、観衆に向けて告げる。


「告発状は偽造の疑いが濃厚だ。手続きは停止。書記官は拘束し、調査に回す」

騎士団長はそこで一拍置いて、壇上の空気ごと凍らせた。

「王太子殿下。あなたは本裁定が終わるまで発言権を停止。さらに令嬢リリアへの接触は禁止する。王城規定に従い、騎士団が監督する」

「加えて、規定により殿下は本日この場から退場。審問が終わるまで謹慎とする。昨夜の婚約破棄宣言は、手続き違反につき無効だ」

殿下の顔色が変わった。逃げ道はない。扉は騎士が塞いでいる。席次も人の流れも、騎士団長が支配している。社会的制裁は、怒鳴り声じゃなく、規定と沈黙で完成した。


社会的制裁は、怒鳴り声じゃなく、規定と沈黙で完成した。


書記官が膝をつき、震える声で吐いた。


「……私が書きました。印も……私が。殿下に、急げと言われて……」


急げ。都合のために。私の人生を切り捨てるために。


観衆の息が揃って、次に割れた。視線が殿下を刺す。殿下は言い訳の言葉を探すが、見つからない。


騎士団長が私の前に立った。矢面を、私から奪うみたいに。


そして外套を私の肩にかけ直し、手袋をはめる手元まで整える。護衛。名誉。遮断。甘さは台詞じゃなく、これで充分だ。


「令嬢リリアは、俺が守る」


その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。昨夜、私が泣かずに笑ったから、騎士団長は私を手放せなくなったのだ。

殿下が苦しそうに私を見た。


「君は……本当に、笑うのか」

「ええ。私は自由ですから」


私は殿下に頭を下げない。謝らない。許さない。けれど憎しみで縛られもしない。


騎士団長が私の前に差し出した手を、私は見た。

握れば、選ぶことになる。握らなければ、自由のままだ。


私は、自由のまま握った。


「騎士団長。あなたが私を守るなら、私もあなたを選びます。でも条件があります」

「条件?」

「私の自由を、私のまま守ること」

「分かった。守る。君の自由ごと」


その返事が、熱い。


騎士が道を開けた。観衆の視線はもう嘲りじゃない。驚きと、少しの羨望と、納得だ。ざまぁは充分だ。


王城の廊下に戻ると、朝の光が窓から差していた。昨夜は冷たかったのに、今日は眩しい。


私は自分の笑いが、もう強がりじゃないと知った。


殿下に捨てられたのは終わりじゃない。

私が選び直す始まりだ。


騎士団長の手が、私の手袋の上からきゅっと握り返す。鎧の冷たさが、今は頼もしい。


「リリア」

「はい」

「……君が笑った理由、聞いてもいいか」

「簡単です。泣けば、あなたは来なかった気がしたから」


騎士団長が息を止めて、それから小さく笑った。


私は勝った。しかも、甘い。


これで自由ですもの、あなたの隣で。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

ここまで一緒に歩いてくれて嬉しいです。


泣くより先に、笑って選ぶ。

誰かの都合じゃなく、自分の自由で恋も未来も決める物語でした。


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