79 帰還と旅立ちと
ルオンの背中から眺める眼下に、モントロー城の全景が広がる。
「ディア、どこに降りればいい?」
「そうね……」
ルオンに尋ねられて、私はノルマンを見た。
「精霊様、城門の中に降りてくれないか。せっかくのディアの帰還なんだ、正面から堂々と城に入ろう」
だが、静かに降りようと思っていた私の目論見は容易く崩れる。
早々に城壁を護る警備兵たちによって、空に現れた私たちの姿は補足されてしまったのだ。さすが鉄壁の守りと噂されるモントロー城。
警備兵たちは、現れたのがいつか見た銀毛の精霊と知り、その背に私と主君の姿も認めたようだ。
伝令の兵士の吹く角笛が、城内に主君の帰還を知らせる高い音を響かせる。すると、わらわらと建物の中から出てきた人々が一斉に城門へと向かう。彼らはたちまち左右に分かれて列をなし、地に降りた私たちを迎えてくれた。
その列の中から一歩進み出たのは、筆頭執事のモルガン。目を潤ませながら、彼は私たちに頭を垂れた。
「主君、お帰りなさいませ。ディア様も……この日が来ることを……主君がディア様と共に帰還される日を、ここにいる皆が待ち望んでおりました……」
「皆様に長らくご心配をおかけしました。……申し訳ありません……」
私も皆に向かって頭を下げると、すかさず後ろに立っていたノルマンが、私の両肩に手を置いた。
「言っただろう? 皆、あなたを待っていたんだ」
「そうですよ……お嬢様。待ちくたびれました……」
声を上げて前に進み出たのは、私の侍女のカーラだ。目に涙をいっぱいためて、それをハンカチで拭いながら私の手を取った。
「ごめんね、カーラ。あなたに黙って消えて、苦労をかけてしまったわね……」
「そうですよ……本当に!」
あの日、他の使用人たちと一緒に怪我人の看護に回っていたカーラ。部屋に戻って私がいないことに気づいた時には、どんなに慌てただろう。
しかし、有難いことに公爵家では、カーラにその責任を問うことはなかった。
実はカーラにはこっそり、サルグミン家とギルドのランセットから私の無事と居場所を伝えてはいた。でも、それを決して口外しないようにと頼んでいたから、私を必死に探すノルマンたちに何も言えない苦しさを感じていたことだろう。
「義姉上! ご無事のお戻り、何よりです……」
遠くの建物から息を切らせて駆けつけてきたジュールは、言いながら少し口を尖らせた。
「どうして黙って行っちゃったんですか……? 僕、言いましたよね……兄上を裏切ったら容赦しません、って……」
「うん。ごめんなさい……悪かったわ……」
謝った私に、今度はジュールが慌てた。
「あ、嘘ですよっ! 言いすぎました……ちょっと揶揄ってみただけで……。ほんと、僕、心配してたんですからね……まあ、悪いのは兄上のほうだってこと、僕もわかってますよ」
出迎えてくれた人々の中に、リュカやジゼル、オデットの姿も見えた。懐かしい顔に囲まれて、私の目が熱くなる。
「本当に、皆さんにご心配かけてしまいましたけれど……ノルマン様の誤解も解くことができて、こうして無事に戻ることが出来ました。これからまた、どうぞよろしくお願いします」
誰からともなくぱらぱらと起こった拍手が、いつしか波のごとく大きくなっていく。私の目からは、遂に堪えていた涙が零れた。
◆◆◆
その日、ショワジー伯爵家に一通の封書が届けられた。
執事はその封書を手に、伯爵の執務室に急いだ。
「伯爵様、お手紙が届いております」
ショワジー伯爵は、手渡された封書の封蝋を確認すると、慌てて中身を確認した。
その内容に目を通す伯爵の表情は、険しいものに変わっていく。
「カメリアを呼んでくれ」
「承知いたしました」
まもなくやって来たカメリアに、伯爵は先ほど自分が目を通していた手紙を机の上に開いて見せた。
それを読んだカメリアの表情が曇った。
「お兄様……」
「あいつに機会をやったつもりだったが、やはり無駄だったようだ……」
手紙の差出人は、カルメンという、平民ながら並外れた才があることで知られた女商人だ。
「あやつはどこかで野垂れ死ぬかもしれない。だが、それは仕方のないことと、諦めねばならないようだ」
カメリアはその言葉の意味を知り、黙り込んだ。
伯爵は、まるで自らに言い聞かせるかのように静かに言葉を連ねる。
「私はあやつの父であると同時に、領地を持ち、領民の上に立つ家門の主だ。その家門に生まれたからには、それにふさわしい器がなくてはならないと私は思っている。その器を持たぬ者には、貴族であることの特典を享受する資格がないと、考えている。だからカメリア、このショワジー伯爵家を継ぐ者は、もうお前しかいない。そのことを胸に刻んで、これからのことを考えてくれ」
「はい……お父様。承知いたしました」
カルメンの才の最たるものは、人を見極める目と、人望だと伯爵は考えていた。それはロベルに最も足りないところ。
だから、愚かな罪を犯したロベルに復活の機会を与えるため、カルメンに密かに頼み込み、ロベルの性根を叩き直してもらうために託していたのだった。
カルメンが常に複数の見目のいい男を引き連れているのは、欲に塗れた放蕩者に見せかけて、取引相手の反応を見るため。その本質は、賢明で潔い、人を引き付けてやまない才能の持ち主。
そんな彼女から届いた手紙に綴られていたのは、ロベルへの三行半。
しばらく自分のそば近くに置いて、よくよく様子を見ていたものの、彼には反省の素振りも、人として成長しようという気概もまったく感じられず、自分にはどうにもできない、お手上げたと。しかも、遂には勝手に逃げ出してしまい、今はカルメンもその行く先を知らないのだという。
「本当に、これが別れなのだな……」
カメリアが立ち去った後の執務室で、伯爵は一人、声を忍ばせて涙を流した。
◆◆◆
ランブイユの王城に戻ったアルは、自らが王位を継ぐと宣言した。
これに異を唱える貴族は誰もいなかったと聞く。
それから戴冠式も待たずにアルがすぐに取り掛かったのが、隣国メロビング王国への関係修復と、様々な分野での交流と相互支援の提案だった。
ランブイユ王国は、王太子アルシオンの名のもとに、王宮魔法師たちの邪悪な企みを明るみにし、メロビング王室へ正式に謝罪した。ただし、前王の死については、王宮魔導士たちの手によるものとして、その真実は伏せられた。
メロビング王国は、その謝罪を受け入れた。
両国の相互支援に関しては、まずはランブイユ王国最大の課題である農業分野に関してから話が進められることとなった。この話し合いには、農業分野に一定の知見のある家門に任せたいということで、フレデリク王太子からサルグミン家が指名を受けた。
エミリアンお兄様が先頭に立って、話し合いに臨んでいるらしい。ランブイユ王国側の代表者は、ヴァンホーテ侯爵だ。
この話し合いの結果、オデットとリュカ、そしてその世話をする者としてジゼルがランブイユの王都へと向かうことになった。
同じように瘴気によって農作物の成長が阻害されることに悩まされているモントロー領での研究が、侯爵の目に留まったのだ。
そしてこの決定が、リュカたちの運命を変えることにも繋がっていくと思った者が果たしていただろうか……。




