78 兄と弟
祭壇室にアルとラファエルだけを残して、私たちは神殿の中庭に出た。
アルは私たちにも、一緒にラファエルを説得してもらいたかったようだが、事は隣国の王位。他国の貴族である私たちが介入するのはふさわしくない。
「そこに座らないか?」
ノルマンに言われて、私は彼と並んでベンチに座る。祭壇室に射していた日差しは、ここにも陽だまりを作っていた。
この中庭の静寂に、どこかの部屋から漏れてきた、子どもたちの声。
今頃は、神殿の子どもたちの学びの時間だ。神殿に仕える神官たちが教師となり、子どもたちに読み書きを教えていたはず。
今しも教師が読み上げているのは、古代の哲学者による詩の一節。
その不朽と言える一節を、子どもたちが皆で繰り返す声に私は耳を澄ます。
「あなたに口先の優しさを囁く者を、友と呼ぶことなかれ。
まことの優しさには必ず、行動が伴うものだから。
人の真意はすべて、行いに現れる。
よって、優しさを語る者の言葉ではなく、振る舞いに注目せよ。
真心見えぬ者からは離れよ。
さすればその後、真の善きものに巡り合わん」
最後の一節に、私は思わずノルマンを見つめた。
「ノルマン様……早くお城の皆さんにお会いしたくなりました。でも、実はついさっきまで、公爵家の皆さんにお会いするのが、少し怖かったんです」
「ディアが気にすることはない。大丈夫だ。すべては俺が招いたことだから。前にも言ったが、みんなもディアが出て行かざるをえなかった事情をわかってくれている」
ランブイユの王城でも、ノルマンは同じことを言ってくれた。
それだけでなく、「気休めを言っているんじゃない、本当だから……」と言って、モントロー城から届いたジュールからの手紙も見せてくれた。そこにはジュールの字で、モントロー騎士団の騎士たちも、城の使用人たちも皆、私が戻ることを聞き、歓喜したと書かれていた。そして、「兄上は、義姉上にしっかり謝ってください。許してもらえるまで何度でも!」とも。
「それに、ディアは俺を救ってくれただろう? いや、俺だけじゃない、ディアが精霊様に浄化を頼んでくれたおかげで、毒を浴びた他の者たちも皆、無事だったんだ。それに今回のランブイユでのことも、ディアの助けがなければ、もっと手こずっただろう。そんなディアには皆、感謝しかないんだ」
優しい目をして諭すように言ったノルマンに、私は笑顔を返した。
すると、祭壇室のほうから、アルとラファエルが私たちのほうに向かって歩いてくるのが見えた。
「話はついたのか?」
二人の顔に交互に目をやり、ノルマンが尋ねた。アルの目は、泣いた後のように真っ赤だ。
ラファエルの目も真っ赤だったが、にこやかに答える。
「ええ。私のわがままな望みを、アルシオンが受け入れてくれました」
「ああ……そういうことになった」
ラファエルとは対照的に、少し肩を落とした様子のアルだったが、吹っ切れたような笑顔を見せた。
「それが兄上の望みだと言うから……」
「そういうことです、公爵様。私の望みは、ここに残って子どもたちと神殿を護り、自由気ままに暮らすことなんです。もともと私はランブイユで暮らしていた頃から、自分は王の器ではないと思っていましたから」
「いや、兄上、そんなことは……」
否定しようとしたアルを、ラファエルは笑って手で制した。
「私は、父のしていることを止めねばとは思いましたが、自分の手を血で汚すようなことはできなかったし、これからもそんなことはしたくない……。自分の手を血で汚すくらいなら、耐えるか逃げるかするほうがましだと考えるのが私なんだよ。でも、王として人々の上に立つには、いい人、優しい人と呼ばれるだけじゃダメなんです。けれど、アルは自分の手で父を断罪した。それができる者が王に相応しい……そうは思いませんか? 公爵様、ディアロッテ様」
私もノルマンも、黙って頷いた。
前王妃が、ラファエルをモントロー領に隠したのもそれが理由だったらしい。
幼い頃から優しい性格がすぎて、罪を犯した使用人を叱ることも罰することも嫌がったラファエルに、前王妃様は危ういものを感じていた。それに対して、幼いながらに善悪をきちんと判断し、相手が誰であろうと間違いを指摘するアルシオン。
王には我が子よりもアルシオンが相応しいと考えていた彼女は、ラファエルが誰かに叛逆の旗印として担ぎ出される不幸がないようにと、領内の情報の管理に卓越していたモントロー公爵家に彼を託していたのだ。
そしてラファエル自身も、王族や貴族としての暮らしより、争いとは縁遠い、神に仕える者としての簡素な生活を望んだ。
「アルシオン、お前なら大丈夫だよ」
「アル、助けが必要な時は、飛んでいくから。ルオンとね……」
「ああ……」
少し寂しそうなアルの肩に、ラファエルがそっと手を置いた。
「私も……もしも私でも何か助けになりそうなことがあったら、言ってくれて構わない。アルは私のたった一人の弟なんだから。話がしたくなったら、遠慮なく訪ねて来てくれていい」
「うん。そうさせてもらうよ、兄上。……ノルマン、ディア、ありがとう……」
少し涙声になったアルは、ラファエルを抱きしめた。
「兄上、僕が間違いそうになった時は、必ず言うと誓ってくれ」
「わかった。それぐらいはしないとね。弟にばかり重荷を背負わせる、酷い兄なのだから」
目尻に滲んでいた涙を指で拭ったアルが、「じゃあ、僕はそろそろ戻るよ。侯爵がうるさいからね」と言って、私たちに別れを告げた。
「兄上、会えて嬉しかった……たぶん、これからはちょくちょく来ることにするよ。ノルマンもディアも、長く引き留めてすまない。君たちも早く戻らないとだよね、待ってる人たちがいるから」
アルが移動魔法で消えた後、私たちもルオンの背に乗って、飛び立った。
手を振って見送ってくれているラファエルの姿が小さくなり、やがて懐かしいモントロー城の姿が眼下に見えてきた。




