76 彼を知る者は
同じ頃、アルは重臣たちから、王国を安定させるため、一刻も早い戴冠式を迫られていた。
けれどアルは、その声に決して譲ることなく訴え続ける。
「王冠を戴くべきは、僕ではないよ。それは正気を失った前国王から、不当に廃嫡された兄上のものだからね」
「アルシオン殿下! たとえそうであっても、その兄上様はいずこにおられるというのですか?」
「兄上は思慮深いお方だ。父上の死に伴うランブイユの現状は、まもなく兄上のお耳にも届くことだろう。そうしたら必ず、お戻りになられるはずだよ。少し待っていてくれないか?」
「何をそんな悠長なことを……ヴァンホーテ侯爵、貴殿も殿下に進言してくれ」
ヴァンホーテ侯爵も、国を憂う重臣の一人だ。アルが王位に就くことを望む者たちの心情はよく理解できる。
しかし、誰よりもアルの心中を知ってもいる。だから、どんな説得をしようと、アルが折れることはないということも理解していた。
そして――行方知れずとされている廃王子の行く先が、今度こそ知れるという予感がある。
それは長らく交流の途絶えていたモントロー公爵家から突然、隠密での面会を求める知らせがあった時に直観めいて湧いてきた疑問だった。
なぜ、それまで長くヴァンホーテ侯爵家と親密な関係を築いてきたモントロー公爵家が、何の前触れもなく、その関係を断ったのか。
なぜ、関係が団絶した時期が、廃王子の行方知れずとなった時期と一致するのか。
モントロー公爵家は、高潔な騎士道を誇りにする家門だ。そんな家門がなぜ、ある時期から騎士としての礼節に背き、一方的に侯爵家からの呼びかけに応えぬような態度を見せるようになったのか。
まるで何か隠すべきものがあるかように……。
「皆様、私はアルシオン殿下のお言葉に従います。少しお待ちしてみるべきでは? 王妃様もご健在なのですから」
「侯爵、何を貴殿まで……」
期待に反した答えに、居並ぶ重臣たちは不満の声を上げる。
その中でヴァンホーテ侯爵は、今はあの若者たちに委ねてみようと腹を括っていた。
◆◆◆
私の護衛としてランブイユに残ったノルマンの元には、ジュールやフレデリク王太子からの伝令鳥や魔法便が次々と届いていた。
それによると、ランブイユの王宮で魔法師たちが偽の精霊を出現させたあの時、同時にメロビング王国内でも異変が起きたという。王国内のあちこちで同時多発的に魔物が出現して大騒ぎになったのだ。
国を挙げての魔石の捜索と、その破壊や浄化を行ったが、それでも除去しきれなかった魔石が魔物と化したり、呼び寄せたりしたと考えていいだろう。けれど、大多数の魔石がすでに失われていたため、いずれに現れた魔物もすぐに退治されたらしい。
もちろんこれはモントロー領も例外ではなく、いくつかの魔物が出現した。たが、ジュールが先頭に立って指揮を執り、容易く完璧に討伐された。ジュールはノルマンの代理としての役目をしっかり務め上げることができたのだ。
「ジュールが頑張ったらしい。あなたのおかげだな」
そう言ってノルマンが見せてくれたジュールからの報告書は、少し得意げで、ノルマンに褒めてほしいのが見え見えだ。相変わらずの兄上大好きなジュールが微笑ましくて、つい頬が緩んでしまう。
どうやら王宮魔法師たちがあの場で発動させた魔法陣には、ホール内だけに留まらず、他国に仕掛けていた魔石も起動させるほどの効力があったらしい。ならば、あれだけの数の魔法師たちが贄となっていたのも頷ける。
しかし、この企みが目論見通りに成功していたらと思うと恐ろしい。あの魔石は主に、兵站を破壊する場所や軍事の要衝に仕掛けられていたのだから。軍備を破壊され、混乱に陥ったメロビング王国に攻め入るのは、赤子の手をひねるようなものだったはず。
ランブイユは、土壌に含まれる魔石成分によって、農作物が思うように育たない。その代わりに魔力持ちの子が多く生まれ、優秀な魔法師となった彼らが生み出す魔法や魔道具が生む富が、国内の食糧の不足を埋め合わせてきた。
だが同時に、そういった国の仕組みの危うさは、魔法至上主義ともいえる傾向を王が代替わりするごとに強めていく。
アルの父が王位に就いた頃には、魔力持ちと持たない者との間に開いた格差が、王国の分断と衰退を予感させるほどにまでなっていた。それを何とかせんとして頭を痛めていた王が、王宮魔法師に唆された結果があれだ。
「発端はね、どうやらアンテ城で見つかった古い魔法の記録だったらしいんだ……」
王宮魔法師たちの後始末だけでなく、王位継承にまつわる会議に追われて忙しいと聞いていたアルが、私たちのもとを訪れた。ノルマンから、アルとはヴァンホーテ侯爵を通じて、子どもの頃に知り合っていたということはすでに聞いていた。
「モントロー公爵……いや、幼い頃のようにノルマンと呼んでもいいだろうか。父の仕出かしたことを調べているうちに、僕は君に謝罪しないといけないことがあるとわかった。話を聞いてもらってもいいだろうか」
そう言って眉をしかめたアルの表情は、ひどく険しい。
アルが古くからの重臣たちに聞き取りをしたところ、王は最初、魔法師たちに大地を浄化する魔法の開発を依頼していたのだという。でも、それはうまくいかず、焦った王宮魔法師が目をつけたのが、かつて瘴気に毒された伝承のあるアンテ城。
しかし人を魔物に変えるほど噴き出していたというアンテ城の瘴気は、今はきれいに消えている。そこに何らかの手掛かりが遺されていないかと探しに行った魔法師が見つけてきたのが、いにしえの魔法師による記録。
「その記録には、高位精霊を創り出す魔法が記されていたんだ。とはいえ、幻覚魔法で創った偽物の精霊なんだけどね……。でも、それを改良して本物を創り出せないかと試行錯誤するうちに、禁制魔法に手を出してしまったようだ」
アルが言うには、その禁制魔法には、人を魅了して執着させ、正気を失わせていく副作用が付与されていたと。
「父の弁解をしたいわけじゃない……。でも、魔法の副作用で、良くない方向に進んでいるとわかっていても、豊かな隣国に侵攻して、その豊かさを国ごと奪うほうが手っ取り早い策だと執着するようになっていったようなんだ。本当に我が父ながら情けないんだが、正気じゃなかったんだ……」
そして、禁制魔法で精霊を創り上げる実験の過程で、モントロー領で魔物討伐が行われると知り、そこに魔法で創った精霊を放したのだ。当時はまだ、本物の精霊のように、造り物の精霊でも魔物の瘴気を浄化できるかという実験として。
「でも、その結果、前モントロー公爵夫妻の命を奪うこととなってしまった……前公爵夫妻は、僕にもよくしてくれた、とても善良な方々だったのに……僕の父は、君に償いようのない罪を犯した。僕は君にどんなに謝っても、許されないんだ……」
そう口にして俯いたアルの両目から、ぽたぽたと涙が零れた。膝の上に置いた拳に、力が込められたのが見て取れる。
それまでじっと黙って聞いていたノルマンが、アルの両肩に手を置いた。
「お前の父を許すことはできそうにない。俺は神じゃないからな。……でも、お前は父親とは違う人間だ。血がつながっていても、別の人間なんだ」
その言葉に、うっ……と、項垂れていたアルから低い呻きが漏れた。小刻みに震えているアルの両肩を、ノルマンはその震えを止めるようにしっかりと掴んだ。
「だから、お前が俺に詫びることはないし、俺が許すも許さないもない。それより、お前はこの国どうするのか、決めないといけないだろう? もうこんなことを繰り返さないで済むように、考えることがお前の務めだろう? 詫びて許しを請うことより、無益な争いをせずに済むことを考えてくれることのほうが、俺の両親にとっての何よりの償いになるはずだ」
「ああ……うん、君の言う通りだ……そうだな……」
アルは、まだヴァンホーテ侯爵家の養子だった幼い頃、何度かメロビング王国の王宮に外交使節として派遣された侯爵についていき、そこで何度かモントロー公爵一家と顔を合わせて交流を深めていったという。
涙を拳で拭いながら少しだけ顔を上げたアルに、ノルマンが言った。
「だがな、詫びなけれはいけないことは、俺のほうにもあるんだ……」




