魔物ではありますが
ケリー侯爵家の騎士たちと合流して、魔物に人が襲われたという谷底に降りると、早速、事前調査で聞いていた通り、辺りに白い靄が立ち込めてきた。
「魔物だ!」
声がしたほうを見ると、白い靄の中から、真っ黒な影がぬらりと立ち上がった。
空に届くほどの巨大な影で、胴体から伸びたいくつもの頭と手足をうごめかせている。その気味の悪さを目の当たりにして、騎士たちが剣を構えた。
でも……。
「あれって……」
私が思うと同じく、エミールとカンタンも気づいたようだ。カンタンは握った剣を下ろし、エミールは表情を緩めた。
「ルオン、本体を捕まえて!」
「りょうかーい!」
たちまち虚空に、大きな銀毛の虎が姿を現す。
そしてルオンが威嚇の咆哮をひと声あげたと思ったら、辺り一帯に立ち込めていた白い靄が晴れていく。あの禍々しい影も嘘みたいに、きれいさっぱり消えている。
明瞭になった視界に映ったのは、大きな虎に摘むようにくわえられた、真っ黒な毛玉。
よくよく見ると、毛玉には小さな目が二つ付いている。紛れもない、魔物だけど。
でも、思ってたのと違うよね……。
「幻影使いの魔物か?」
「……みたいね」
カンタンに答えた私に続き、ルオンがうなずく。それに合わせて、ルオンの口元で真っ黒な毛玉がぶらんぶらんと揺れた。
あっけない結末に拍子抜けした私たちだったが、実は幻影使いの魔物はかなり危険だ。なぜなら幻影は、人の精神に影響を与える。見せられた幻影に惑わされて、味方を傷つけることもあるし、いいように操られてしまうこともある。
だから、一見弱そうで害がなさそうだからと言って、油断してはならない。遭遇して捕獲したら、その後の処理は――。
「ゆ……るじで、くだ、しゃい……ごめ、ん、なさ、い……」
毛玉のその小さい両目から、ぽたぽたと涙が地面に落ちた。
ん? これ、人の言葉が通じるの?
魔物が人の言葉をしゃべるなんて、まったく聞かないわけじゃないけど、珍しい。しかも、こんな低級そうな魔物が……。
「ルオン、ちょっと待って」
魔物をぱくっと食べて完全に浄化しようとしていたルオンを止めた。
精霊は、魔物の瘴気を浄化することで力を得る。浄化された魔物は、この世からきれいさっぱり消滅する。魔物は瘴気が形をなしたものであるからだ。これが魔物討伐に精霊師が必要な理由でもあった。
騎士がいくら大勢で攻撃しようとも浄化はできないので、魔物を完全に消滅させることは不可能だ。浄化されない魔物は死骸を残し、それは瘴気を放ち続ける。毒となるその瘴気に長くさらされ続けると、人は正気を失い、やがて死に至るのだ。
まあ、例外となる騎士団が王国内には一つだけ、あるにはあると聞くのですが……。
不満そうなルオンから毛玉を取り上げた私に、毛玉は泣きながら言い訳を始めた。
毛玉が言うには……人間が怖くて、幻影で巨大な魔物を装って追い払っていただけで、決してそれ以上の害を与えるつもりはなかったと。
言い訳しながら、なおも毛玉はぐすぐすと泣きじゃくっている。
「あのさー、こいつ、本当に害はなさそうよ。言葉も通じるから、言えばわかる奴みたいだし」
エミールの言葉に、私も同意する。食べ損ねたルオンは、相変わらず不貞腐れていたが。
カンタンの同意も得た私は、毛玉をとりあえず皮袋に押し込んだ。
しばらくは皮袋の中から、ぐすんぐすんと聞こえていたが、やがてそれも大人しくなった。というか、今度は、ぐおーっ、と低く唸るような音がしてきた。
そっと皮袋の中を覗いてみると、いい気分で毛玉は寝ている様子。しかも、いびきまでかいて……まったく、これでほんとに魔物なの?
◆◆◆
翌日、王都の屋敷に戻った私は、毛玉を鳥かごに入れて、自室に置いた。鳥かごの前には、見張りのように猫の姿のルオンが丸くなって寝ている。
この毛玉、好物は甘いお菓子らしい。
「おなか、すい、た……」
小さい目をウルウルさせて言うので、試しにクッキーを一枚あげてみた。すると、毛玉の中からちっちゃい手足が伸びてきて、クッキーをしっかりつかみ、もぐもぐと食べ始めたのだ。
毛玉は、怖がって逃げていく人間が落としていった荷物の中に、食べ物を漁っていたらしい。その中に、甘い菓子があることも珍しくなかったから、それに味をしめて、たびたび人を脅かしていたようだ。
「にんげんの、もってる、たべもの、おいしい……好き!」
だそうだ。
とりあえず、クッキーとかキャンディとか、甘く煮た木の実や果物をあげておけば、それを食べて鳥かごの中で大人しくしてくれているから、何の問題もない。何か悪さをしようという兆候があれば、ルオンが威嚇してくれるので大丈夫。
それに……。
「おいしい、もの、くれる、ありが、と。もう、悪い、こと、しない。助ける」
「えーっと……私を助けてくれる、ってこと? あなた、魔物なのに?」
こくん、とうなずいたように見えた毛玉を、とりあえずはここに置いてやることにした。
「ディア、こいつのこと、信じるの? この変な魔物!」
「そうね……もしかしたら、何かの役に立つかもしれないからね」
ふうん……と、毛玉をひと睨みしたルオンに、私はニヤッと笑って見せた。




