48 忌まわしき石
「僕は、カイって言います」
少年はそう名乗った。
ベレニスに案内された宿の一番奥の部屋では、少年と同じ年頃の少女が一人、椅子に座って項垂れている。
「マーシャ、この人が助けてくれるって!」
駆け寄ったカイがその手を握ると、マーシャは両目に涙をためていた。
「ほんと? 本当に治る? 私、治してもらえるの?」
たまった涙を両手で拭うマーシャに、ベレニスも言う。
「ああ、安心しな。このロッテが治してくれるからさ」
――これは、瘴気だね。
姿を消しているルオンが、私の頭の中に直接伝えてくる。
マーシャの首に見える、うっすらと黒ずんだ染みのようなもの。その黒ずみはおそらく、首から下の服に隠れた部分にも続いている。それが瘴気によるものだということは明らかだった。
人の皮膚をこれほどまでに侵すとは、よほど濃度の濃い瘴気に長時間さらされていたのか?
こんな少女がどうして?
魔石鉱山で十年以上、毎日働く労働者であっても、ここまでひどい影響は出ないものなのに。
とりあえずは、この瘴気を浄化しないと――。
「あの……これから治すから、ベレニスもカイも部屋の外で待っていてくれない? 終わったら、呼ぶから」
部屋の中にマーシャと二人きりになった私は、「目をつぶっていてね」と彼女に言った。
「これから精霊さんに頼んで瘴気を浄化するから」
「お姉さん、精霊師なの?」
「ええ、そう。でも、誰にも言わないでね。あまり人には知られたくないの。約束してくれる?」
こくりと頷き、マーシャが両目を閉じる。
「この子の瘴気を浄化して!」
ルオンに呼び掛けると、途端、マーシャの周りに淡い光を放つ粒子が舞った。
瞬く間に、マーシャの首筋から黒い染みが蒸発するように消える。
それと同時に、光も消えた。
「いいわよ、目を開けて」
「はい……」
恐る恐る目を開けたマーシャは、不思議そうに私を見上げた。
「あの……なんだか今、とっても気分がいいんです。さっきまでずーっと、少し頭が重たくて、動くたびに体にもピリピリしたような痛みがあったのに」
「それがもう、すっかり消えた?」
「はい! ……あの、鏡を見てもいいですか?」
壁に掛けられていた鏡に駆け寄ると、マーシャはそこに映った自分を見て、明るい声を上げた。
「消えてる!」
マーシャはさっきまで黒い染みのあった首元を確かめるように手で触り、ブラウスの中まで覗き込んだ。
「本当に、消えてる! 嘘みたい……お姉さん、ありがとうございます! 本当にありがとうございます! あ、精霊さんもありがとうございます……って、あれ?」
マーシャは胸元から、首にかけていた細い革ひもを引き出した。その革ひもの先には、水晶のような石が一つ、ついている。その石をマーシャは、驚いたように見つめた。
「どうかした?」
「この石、カイからもらって、ペンダントにしていつもつけてたんですけど……これ、赤い石だったはずなんです。カイは宝石の原石だって言ってました。でも、どう見ても透明な石になっちゃいましたよね……」
「そうだったの?」
言われて私もその石を手に取ってみたが、どう見ても透明な石。ルビーのような赤色の痕跡は見当たらない。
でも……。
「何か、すごく小さな文字が刻まれているけど……カイか、マーシャが刻んだの?」
「ううん、私たちじゃありません。カイが拾った時から、なんだか文字みたいなものが刻まれてたって……でも、私もカイも、字なんて読めなくて」
――これさあ、元は魔石。それで、この文字は呪術紋だよ。
ルオンの声が頭に響く。
魔石か……。
ルオンの浄化で瘴気が完全に消え、色なしの透明になってしまったわけか。
確かに魔石を身に着けていたなら、魔石に残留していた瘴気の影響を受けることはあるけれど。
「いつ、カイにもらったの?」
「えっと……三日くらい前。もらってすぐに、革ひもに通して下げていました。……だって、カイがくれたものだから、うれしくって」
マーシャが少し頬を赤らめた。
本来、魔石に残留する瘴気はごく微量。たった三日しか身に着けていないのに、これほどの影響を受けるわけがない。
ここまでの影響が出るには、少なくとも年単位で四六時中、肌身離さず持ってでもいないと。
それに魔石って、赤い色だった?
琥珀に近い色のはずだけれど、それを赤色と見間違うことなんてあるかな。
「あの……お姉さん、カイを呼んでもいい?」
「あ……ごめんね。そうね、心配してるものね」
扉を開けると、カイが飛び込んできた。マーシャを見るなり、その場で棒立ちになる。
「治ったんだね! よかった……」
「うん。お姉さんと、ここに連れてきてくれたカイのおかげ。ありがとう……」
抱き合って喜んでいる二人を微笑ましく眺めていると、また頭の中にルオンの声。
――その魔石、強力な呪術がかけられてたみたい。
「えっ」
つい、声が出た。
すると、いつの間にか目の前に、アルの姿。
アルは声を潜めて、私の耳元で囁いた。
「ロッテ嬢は、精霊師だったんだね」
あまりにいきなりで、私はどきっとして言葉を失くした。
さらに話を続けたげなアルを促して、部屋の外に出る。
「ええと……どうしてですか?」
アルとはこれから一緒にベレニスを手伝うことになる。だから、どのみち近いうちに知れること。ならばここで隠し立てするのも変だ。
「どうしてって、いや、ロッテ嬢の周りにずっと、微かだけれど何か次元の違う気配が漂っているからね。今、その気配がすごく強くなってて確信したんだ。僕は魔法師だから、魔力と反発する気配には敏感なんだよ。それでベレニスの仲間ってことなら、おそらくは精霊師だろうな、って」
アルの言葉に、彼が魔法師として相当の使い手なのが知れた。魔力持ちの魔法師なら、誰もが精霊の気配を感知できるというわけではない。
そうだ、魔法師!
「アルさんに見てもらいたいものがあるんだけど。何を意味する呪術紋だか知りたいの」
私はマーシャを呼んで、さっきの石をもう一度見せてほしいと頼んだ。




