謂れなき罪
「私の両親、つまり前公爵夫妻は、魔物討伐の際に、その場に突然現れた精霊によって殺されたのだ」
聞かされたのは、思いもしない話だった。
魔物が現れたとの知らせに、国境沿いの森に駆け付けた前公爵夫妻と、まだ騎士になったばかりのノルマン。
領内の精霊師を呼んではいたが、その到着に先んじて騎士団と共に現場に到着すると、そこには見慣れぬ大きな虎の姿をした精霊がいた。当然、魔物の浄化のためにいるのかと思いきや、突如こちらに襲い掛かってきたのだと言う。
「その精霊に襲われて、前公爵夫妻だけでなく、騎士団や、討伐に助力してくれた民兵にも死者や重傷者が多数出た。魔物だけでなく、精霊もこちらに向かってきたのだから、ひとたまりもなかった。遅れてやって来た精霊師とその精霊でも事態は収拾できず、誰もが我が身を守るのに精いっぱいで……母は、襲い掛かってきた精霊から俺を守って亡くなったんだ」
「まさか……精霊が人に害を与えるだなんて! 信じられません。本当にそんなことが……?」
精霊は魔物とは対極にある存在で、あくまでも人にとっては善なる存在とされている。それは古代にこの世界が創り上げられた時からの人間と精霊との契約によるもので、決して破られるはずがないこの世界の摂理だ。
たとえ精霊師が命じたとしても、それが圧倒的な悪意から人を害するものであれば、精霊は従わない。いや、従うことができないと言ったほうがいい。だから、精霊は人と共存できる安全な存在とされているのだ。
「残念ながら、本当に起こったことだ……。俺の目の前で起こったことだったからな。あれは確かに精霊だった。大きな虎の姿をした高位精霊だ。その場にいた精霊師が教えてくれた、同じ姿の高位精霊は、この世に二体と存在しないと」
虎の姿をした精霊?
大型の精霊は、すべて高位の精霊だ。
私が精霊師であると知ったおばあ様は、サルグミン家の代々の精霊師たちが、後世に生まれる精霊師のためにと書き遺した記録書を見せてくれた。それによると、高位精霊の数は限られていて、その数と本体の姿は、古代の創世時から変わらない。虎の姿を成す高位精霊は、ルオンだけ。
「本当に、虎の姿をした高位精霊だったのですか! 見間違いの可能性は?」
自然と問い詰めるような口調となった自分にはっとする。
そんな私に反して、ノルマンはいたって冷静だ。
「見間違いではない。王族をはじめとする王都の人々に、精霊は完全なる善の存在であり、人を害することは決してないという強い信仰があるのはわかっている。だが――」
ノルマンが、ぐっと拳を握り締めたのが見えた。
「俺にとっては、仇なんだ。自分の目で見た真実が、精霊とて完全なる善などではないということだ。いつ人に襲い掛かってくるかわからない存在なんだ。だから俺は、他の貴族たちのように安易に精霊に頼ろうとは思わないし、精霊に頼ることはむしろ、危険を招くことだと思っている」
「そんな……でも……」
何か言おうとする私を遮るように、ノルマンが言葉に力を込めた。
「俺は、精霊も精霊師も、この世に存在しなくていいものと思っている。だが、精霊すべてがそうではないというのなら、少なくとも私にとって、あの虎の姿をした精霊だけは断じて許せない。次に会ったら、俺の手で討つと決めている。それを操った精霊師がいるなら、その者も同様に」
ああ……。
私の頭の中が、途端に真っ白になった。
◆◆◆
「ひどいよ……。僕じゃないのに……僕、知らないよ……」
部屋に戻ると、ルオンが不貞腐れていた。
ノルマンと一緒にいる時には、ルオンを連れて行かないことにしている。ソードマスターの常人を遥かに超えた鋭敏な感覚は、たとえ姿がなくても、精霊や魔物といった「気」が漂うのを察知してしまうからだ。
今日ほど、ルオンをノルマンに近づけないようにしていた自分の判断が正しかったと思ったことはない。
「あいつ、僕のこと、悪者にした! 前のロベルって奴よりは良さそうだと思ってたのに、がっかりだよ」
主との強いつながりの築かれている精霊は、たとえそばにいなくても主と五感を共有している。当然、ノルマンの言葉も私を通して聞いていたのだ。
ソードマスターのノルマンは、人が通常なら感知するはずのない些細な気配にも敏感だ。だから私がノルマンのそばにいる時には、ルオンにも毛玉にも部屋で待っていてもらうことにしている。
「わかってるって。ルオンはそんなことしない。私が保証する。だって、前公爵夫妻が亡くなったっていう時、ルオンはすでに私のところにいたものね……。あり得ないのよ」
でも、おかしい……。
精霊が人を襲う? ルオンと同じ姿の精霊が別に存在している?
そんなことある?
納得できないことばかりだ。
帰り道の馬車の中でノルマンの話を聞いた後、私は彼の顔をまともに見ることができなくなってしまった。
『精霊も精霊師も、この世に存在しなくていいものと思っている』
そう断言したノルマンは、仇としている虎型の精霊と、その精霊師を自分の手で討つと口にした。
ソードマスターの彼が本気で私とルオンを殺そうと思えば、いかな精霊とはいっても無事では済まない。
「どうした? 馬車の揺れに酔ったか?」
急に顔色を悪くして黙り込んだ私を、ノルマンは気遣ってくれた。御者に少しゆっくり行くよう命じると、「大丈夫か?」と私を案じる瞳を向ける。
彼は優しい人。
上辺ばかりや偽善ではない、本物の、心の底から優しい人だ。
だが同時に、領民を護る領主という重責から、害をなすと見なしたものには容赦なく剣を向ける冷酷さも持ち合わせている。
いくら彼の本質が優しい人だといっても、あの強い憎しみを超えることは並大抵ではないのがわかる。
前にモルガンが話してくれた乳母の件のように、ノルマンは必要なら冷酷な決断を下す人。
魔物を一瞬にして浄化し、消し去れるほどの力を持つ精霊でも、ソードマスターの剣気をまとった剣による物理的な攻撃は避けられない。剣気を帯びた刃に貫かれれば、精霊は永遠に消滅してしまう。
絶対に彼にルオンのことを悟られないように隠し続けることを考えるか、いっそのこと、思い切って打ち明けて、ルオンへの濡れ衣を晴らすことを考えるか……。
しばらく考え込んでいると、部屋の扉がノックされ、モルガンの声がした。
「お嬢様、本日の晩餐は、公爵様は今日中に処理が必要なお仕事が残っているので、ご一緒できないとのことです。お食事をお部屋にお持ちすることもできますが、いかがしますか?」
これを聞いて、ほっと息をついた私がいた。まだ当分、ノルマンと顔を合わせたくはなかったからだ。
食事を部屋に運んでもらい、一人で済ませた後も、ざわついた心は一向に鎮まらない。何を考えようにも、気が散ってまとまらないのだ。
カーラはとっくに下がらせてしまっていて、部屋には眠っている猫のルオンと、そのそばにぴったりとくっついて眠る毛玉だけ。
ルオンはあれからひとしきりノルマンへの悪態をつくと、「もう、知らないっ!」とそっぽを向いて、ふて寝を始めてしまっていた。




