許しと罰と
「もう、こんな僕なんか、いないほうがいいよね? 兄上もそう思うでしょ? 兄上にはその女がいるから、僕なんてもう、必要ないんだよね……」
ジュールは言いながら、その剣を自分の首筋に当てた。剣の切っ先が、ぎらりと鈍い光を放つ。
「何を馬鹿なことを……」
「僕には兄上しかいないのに……」
「よせっ!」
ノルマンが一歩踏み出すと、ジュールの握る剣が、その首筋にすうーっと赤い血の筋を滲ませた。
ジュールの瞳に映るのは、ノルマンの姿だけ。私の姿は視界の外だ。それ以外の人たちも視界の端にも映していない。
ジュールの頬に、つーっと一筋の涙が伝う。
「来ないでよ……。僕なんて消えたほうがいいんだから……僕が死んだら、さすがの兄上だって泣いてくれるよね? それぐらいしてよね?」
「ジュール! 剣を下ろすんだっ!」
「さよな……」
私は咄嗟に、肩に羽織っていた厚手のショールを、ジュールの顔を目掛けて投げつけた。
急に視界を奪われたジュールがショールを振り払おうとした隙を突き、ノルマンがその剣を奪い取る。
私はジュールに飛び掛かると、馬乗りになって床に押さえ込んだ。
「簡単に死ぬなんて、口にしないでくださいっ!」
「くっ……なんで、あんたが……なんでだよ……」
私に体の動きを封じられたジュールの両目から、ぼろぼろと涙が零れた。
「さあ、なんででしょう? 私にもわかりません。でも、ここでジュール様に死なれたりしたら、私には不愉快なんです」
ジュールは唇を噛んで、ふいっと顔を背ける。ノルマンが私の肩に手を置いた。
「みっともないところを見せて、すまない……。でも、ありがとう……。あとは騎士たちに任せてくれ」
その言葉に立ち上がると、すかさず騎士たちがジュールの腕をつかんで起き上がらせた。
「ジュール……。お前にはあとで改めて沙汰する。それまで地下牢で過ごせ」
騎士たちに連れられて牢へと向かうジュールを、私はノルマンの隣で見送った。
◆◆◆
あの後、ノルマンは私を部屋まで送ってくれた。
ノルマンを部屋に入れた私は、カーラにお茶の用意を頼んだ。
ノルマンは深々と私に頭を下げた。
「ジュールがあなたに仕出かしたことを詫びさせてほしい。俺の眼が行き届かず、不快な思いをさせることになってしまい、申し訳なかった。そしてあなたには、礼を言わねばならない。……ジュールを助けてくれて、ありがとう……。あんな奴だが、それでも俺にとっては、たった一人の弟なんだ。許してほしい……」
ノルマンは、さらに深く頭を垂れる。
「いえ、あの……頭をお上げください、公爵様。謝罪もお礼も……不要です。公爵様には何の責任もないことですし、私を助けてくださったのですから、お礼を言うのは私のほうです」
「あなたは本当に……」
顔を上げたノルマンの口元が、ふっと緩んだ。
「いえ、私のほうこそ、お許しも請わず勝手に尋問を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした……」
「いや、それはかまわない……あ、むしろ、あなたが来てくれてよかったんだ……もちろん、ジュールのこともそうだが、それだけでなく……あなたの本心が聞けて、嬉しかった」
「ん? それはどういう……?」
「いや、その……あなたが小伯爵にきっぱりと、気持ちがないと言ってくれて……」
毅然としたところしか知らなかったノルマンが、急に視線を泳がせ、落ち着かない様子を見せる。
その、らしくない様子が妙に愛おしい。
「ふふっ……はい、あの人にはもう、何の気持ちもありません。まーったく、全然、きれいさっぱり、です」
「そうか……それを聞いて安心した。なら、一つ頼みがあるんだが」
「なんでしょう、公爵様?」
「ああ……それがその……俺を爵位で呼ぶのはだな、少しどうかなと……」
ノルマンは、落ち着きなくさまよわせていた視線を私に向けると、意を決したように口を開いた。
「お互い、名前で呼び合うことにしないか? 俺とあなたはそういう関係なのだから、他の者たちにもそれをしっかりわからせるためにだな……いや、その……あの男が、あなたを愛称で呼ぶのを聞いて、至極不快に感じたものだから」
「あ……はい、もちろんです。どうぞ私のことはディアとお呼びください、ノルマン様」
「えっ……ああ……わかった」
不意打ちのようにその名を呼ぶと、照れたようにノルマンが頭をかいた。
そこへちょうど、カーラがお茶の支度をして戻ってくる。
カーラがゆっくりと私たちのカップにお茶を注いでくれた。
「良い香りの茶だな……」
「はい。実家から持ってきた、私の一番好きな茶葉なんです」
「そうか。あなたとは好みが合うようでよかった」
「ふふっ……ノルマン様、そこはディアとお呼びくださるのでは?」
「あっ、すまない……ディア」
顔を見合わせ、くすりと笑い合った。
温かいお茶の香りに癒されながら、私は前よりも深くノルマンの心に触れられた気がした。
◆◆◆
翌朝早く、ロベルは囚人護送用の馬車で王都へと送還された。
国王に裁可を仰ぐとなったため、王都に着いたロベルは王城の牢に収監される。
その罪状は、自らが原因で婚約を破談としたというのに、何を血迷ったかその元婚約者を攫うことを企んだという高位貴族の令息として何とも恥ずべきものだ。噂はあっという間に王都中に広がるだろう。
そのせいでショワジー伯爵家は、当面の間は社交の場を控えざるをえなくなる。伯爵夫妻やカメリアのことを思うと心が痛い。しかし、ロベルがしたことは、王国の大貴族、モントロー公爵家への叛意なのだ。私個人の思いだけで恩情を願い出ていい話ではない。
ここで常ならば、ロベルと対になるように私の噂も面白おかしく囁かれるのが王都の社交界だが、それについてはモンタナ夫人が目を光らせてくれたらしい。
夫人に睨まれれば、王都の社交界では死んだも同然だ。誰もが私については口を噤み、奇妙なほど話題にのぼることがないと言う。
バレリー・カミユの行方は、その後も杳として知れずにいる。
当然、カミユ子爵家にも責任を問いたいところだが、それには至れなかった。カミユ子爵は、バレリーは既に勘当した身であり、貴族名簿からも大神殿の許可を得て正式に外れている、ゆえに当家の者にはあらず、と言いのけたのだ。
よってノルマンは、公爵家の傍系筋でもあるため、それ以上事を荒立てるのは得策ではないという側近たちの意見を飲み、カミユ子爵家の当面の家門会議への参加の禁止で渋々手打ちとした。
あの日、私にジュールからの手紙を持ってきたメイドのネリーも尋問を受け、バレリーとは恋仲だったと口にした。だが、彼を恋人だと周囲に話している使用人が他にも複数いることから、バレリーは色恋を餌に、彼女たちから城の中の情報を聞き出したり、必要な時に使える駒としていたようだ。
ネリーはあの日、バレリーに言われるがまま手紙を渡しに来ただけで、それが悪意の込められたものだとは疑ってもいなかった。だからネリーには、罪を問わないようにお願いした。
それに何だか、私はネリーにかつての自分を少し重ねてしまったのだ。まやかしの恋心に酔わされて、すべての違和感に無理やり蓋をしていた自分を。
しかしノルマンは、使用人の罪をまったく問わないことはかえって家中にわだかまりを残すとして、ネリーに数日の謹慎を命じた。
ジュールはあの夜から数日、地下牢に置かれた。
牢内でのジュールは、聞かれたことにすべて素直に答えたという。
それはノルマンがロベルから聞きだした話と矛盾するところがなかった。ジュールは企みの大筋は知っていたものの、詳細までは知らされておらず、その役割も私を呼び出すことだけだったと明らかとなる。
そんなジュールへの処罰を、ノルマンは私に委ねたいと言った。




