妄想の果て
「ディア、もう大丈夫みたいだね。なら、すぐにここを発つよ」
「いいえ、ショワジー小伯爵様。私はここにいます。公爵様をお待ちすることにします」
きっぱりとそう言った私に、ロベルは意表をつかれたようだった。それもそうだろう。ロベルと婚約していた間、私はいつでもロベルの言うことに逆らったことなどなかったから。
「どうして僕の言うことが聞けないんだ? ディアはそんなふうじゃなかっただろう?」
もうこれ以上、ロベルに付き合うのは無意味だ。
「ルオン! 毛玉ちゃん! この人を眠らせて、記憶を消して!」
「はーい」と天井のほうから聞こえてきて、ロベルがたじろいだ。
途端、ロベルは崩れるように床に倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
「いや……いいんだけどさ……。床じゃなくて、せめて長椅子にでも寝てくれないと、言い訳がつかないんだけど……」
すると、目を閉じて眠ったままのロベルが、むくっと立ち上がって歩き出し、長椅子に横になって寝始めた。
「もしかして……毛玉ちゃん、こんなこともできるの?」
「あーい!」
嬉しそうに返事する声がした。透明化したルオンにぴったりくっついているせいで、毛玉の姿も同じく見えない。
毛玉は魔物としては下級ランクだが、その能力は生き物の精神を操れる。敵となってその能力を使われれば厄介だが、味方となると心強い。
そもそも毛玉自身は、自衛のためにその能力を使うことはあっても、人を害するために使おうという意思は持ち合わせていないようで、魔物としては極めて異質なタイプだ。
「毛玉ちゃん、もしかして、眠っているコイツに悪夢を見させることもできる?」
「あーい!」
眠っているロベルが、苦しそうに顔を歪めた。
「どんな悪夢を見てるんだろうね……」
仕返しとして今はこれくらいでいいか、と思っていたら、扉がノックされた。
「お嬢様、ラファエルです。そろそろお話は済みましたか?」
「はい! ラファエル様、どうぞ中へお入りいただけますか」
長椅子に横になって眠るロベルに「彼はどうして……?」と驚いたように目をやるラファエル。そんな彼に、どういうわけかロベルは椅子に座るとまもなく眠り込んでしまった、と話した。
「小伯爵様は私と違い、夜通し馬車の中で起きていたようですから、さすがに眠気に勝てなくなったんでしょう」
ついさっきまで、激しい口調で今すぐここを発つと言ってきかなかったロベルだ。ラファエルが私の言葉を信じたかは怪しいが、それ以上聞かれることはなかった。
「信頼できる神殿の者に、お嬢様のことを伝えておきました。公爵様がお着きになったら、まずはお嬢様のことをお伝えしたうえで、こちらに案内する手はずになっています」
そこへまた、廊下をこちらに向かってくる足音がした。一人ではなく大勢の靴音。金属がすれ合う音も混ざっている。
「ディアロッテ嬢! 無事か!」
息を切らして駆けこんできたのは、ノルマンだ。続いて副官のステファン卿と、城で何度か見かけたことのある手練れの騎士たちが続いている。
「公爵様!」
ノルマンの顔を見たら、どういうわけか涙が溢れた。
そんな私を、ノルマンが胸に抱き寄せる。汗と土埃、そしてほんの少し血を思わせる匂いのする胸に顔を押し付けられて、張りつめていた心が緩んだ。
「お前はショワジー小伯爵だな。これはどういうことだ!」
私を抱きしめたまま、ノルマンがロベルに詰問する。さすがの騒がしさに、ロベルは眠りから覚めていたのだ。
「いや……僕は……」
ノルマンの気迫に、怯んでロベルは言い淀む。
それはそうだ、本気で怒ったソードマスターが発する気迫は、殺気と同義。それをまともに向けられて、騎士でもない一介の貴族令息が平気でいられるわけがない。
ノルマンは冷たい声で配下の騎士たちに命じる。
「この者を縛り上げて城に連れていけ!」
騎士たちに引きずられるようにしてロベルが部屋を出ていった後、ノルマンがさっきとは打って変わった優しい声で言った。
「ディアロッテ嬢、怪我はないか?」
「はい。大丈夫です……。ご心配をおかけしました……申し訳ありません」
どうしてかな……涙が止まらないんだけど。
こんな大勢の前で、泣いている顔なんて、さらしたくはないんだけどな。
そんな私を察してか、ノルマンは私の顔が見えなくなるよう、もう一度しっかりと抱きしめてくれた。
「あなたが謝る必要はない……あなたが泣いているのを見るのは、これで二度目だな。またあの男があなたを泣かせたのか」
「ですが……」
「一緒に城に帰ろう」
ノルマンは、ひょいと私を横抱きにして、そのまま廊下を歩きだした。
◆◆◆
モントロー城に着くなり、ロベルは城の地下の一室に連れてこられた。そこは罪人を尋問するために設けられている、イスとテーブルしかない、窓もない冷たい部屋。
そこでノルマンに厳しい口調で尋問されたロベルは、まったく抵抗することなく、あっさりとすべてを吐いた。
バレリーに唆されてその企みに乗り、さらにはジュールの協力を得てディアを呼び出したことを白状したのだ。
その供述に基づき、ノルマンは即座に、バレリーを拘束して城まで連れてくるよう騎士団に命じた。
しかし騎士たちがカミユ子爵家と、バレリーがよく行く立ち回り先に踏み込んだ時には、いずれにも姿はなかった。ノルマンは引き続きバレリーの捜索を続けるように騎士団に命じた。
「僕だって、こんなこと、本当はしたくなかった……でも、バレリーが、このままじゃ、愛されない結婚をするディアが可哀そうだと言うし、ジュール卿からもディアは公爵家の厄介者だから、追い出してくれと頼まれて、仕方なく……。だから僕は、可哀そうなディアを王都に連れ戻してあげようとしただけなんだ……」
ノルマンをはじめとするモントロー騎士団の屈強な騎士たちに囲まれて尋問を受けたロベルは、終始うなだれ、ぼそぼそとつぶやくように言い訳を垂れ流すばかり。
ノルマンはその口が開くたびに、幾度も殴り掛かりそうになるのを寸でのところで堪えていた。しかも当初の筋書きは、彼女に乱暴をして既成事実を作ってしまうものだったと聞いて、その怒りが頂点に達した時。
「主君、ジュール様をお連れしました」
二人の騎士に左右を固められ、ジュールは悪びれる様子もなくやって来た。
「兄上、僕をこんなところに呼び出して、何の用?」
「ジュール、この男を知っているな?」
ロベルをちらりと見やったジュールは、何食わぬ顔で答える。
「……ショワジー小伯爵でしょ? 知っているかと言われれば、そうだけど……。ああ、サルグミン嬢を連れ出すのに失敗したんだ。それで僕が協力したこと、しゃべっちゃったんだ……」
「認めるんだな」
表情を厳しくして、ノルマンはジュールに問うた。
「だとしたら? だけど兄上だって、婚約なんてしたくなかったんでしょ? それに、サルグミン嬢の元婚約者の彼が言うには、彼女はまだ小伯爵に気があるって言うんだから、その大好きな彼に王都に連れ戻してもらったほうが幸せでしょ?」
「何を勝手に……」
「僕、間違ってますか、兄上? 兄上のためにも、サルグミン嬢は小伯爵と一緒に王都に戻るべきなんだよ」
「主君っ!」
ノルマンが握りしめた拳をついに振り上げようとした時、隣にいたステファンがその腕をつかんで止めた。
「兄上は、騙されているんです! あの女は、そこにいる小伯爵という想い人がいながら、公爵夫人の座に目が眩んだんだ!」
ジュールの言葉に煽られたのか、うなだれていたロベルが追うように言葉を挟む。
「そうです! ディアは僕のことを想っているんだ! 公爵夫人の肩書に魔が差しただけで、今は後悔しているはずだ! 王都に戻って、僕と――」
「勝手に私のことを語らないで!」
ロベルの言葉は、突然現れたディアの叫びに似た言葉に遮られた。




