第7話∶料理革命?亡国の王子の知識が王宮をざわつかせる
離宮での日々の中、キースクリフは一つの異変に気づいていた。
どうやら、レギオンとの契約の影響か、押さえ込んでいた魔力が時折、あふれ出してしまうのだ。
そのせいで目隠しの魔法が揺らぎ、髪が本来の色に戻りかける──そんな瞬間が増えてきていた。
―――
(ここは……どこかしら?)
朦朧とした意識の中、ナディアは銀色の絹糸に手を伸ばした。
(……なんて綺麗……)
「これは高値で売れるわね」
「いや、もう売られるのはごめんだ」
低く穏やかな声が耳に届く。
ナディアがゆっくり瞬きをすると、深いサファイアのような瞳がすぐそばで彼女を覗き込んでいた。
「あら……すごく綺麗ね。これも高く売れるわ」
「いや、だから売らねーよ」
ぼんやり霞んでいた視界が次第にはっきりし、ナディアは枕元に座る少年をじっと見つめた。
彼は手にスープの器を持ち、安堵の表情を浮かべている。
「良かった、意識が戻ったな。セツ、王宮に使いをやってくれ」
その言葉に、ナディアははっとした。
「……エルヴァントの……王族がいる……?」
ナディアの呟きに、少年──キースは軽く肩をすくめる。
「まずは食え。それからゆっくり話せ」
スープの芳醇な香りが鼻をくすぐる。
「……美味しそうね」
上半身を起こし、スプーンを口に運ぶと、温かさが喉を通り抜け、体の奥へと染み渡った。
「……美味しい」
驚くほどに力が戻っていく。しかし、まだ少しふらつく。
それを見て、キースが呟いた。
「……貧血か」
「え?」
「フラつくのは鉄分不足のせいだ。お前、普段から肉を食べてるか?」
ナディアは少し考え込む。
「……肉はあまり食べないわね。特に赤い肉は、あまり好きじゃないの」
「なるほどな。じゃあ、これからはしっかり食え」
キースは小皿を差し出した。柔らかく煮込まれた赤身の肉が乗っている。
「これは……?」
「鉄分が多い。食えば貧血は改善する」
「……そんなことで?」
「そういうもんだ。医者どもは知らねぇかもしれないがな」
半信半疑のまま、一口食べてみる。
「……美味しい……」
今まで苦手だったはずなのに、これは食べやすい。
「意外と、柔らかいのね」
「だろ? 今までお前が食べてきた肉が硬かったのは調理法のせいだ」
キースはスープの器を置き、無造作に続けた。
「赤身の肉は、ワインで煮込めば柔らかくなる」
「え? ワインで?」
「そう。ワインに含まれる酸が肉の繊維をほぐして、タンニンが……」
一瞬説明しかけたが、途中で面倒になったのか、手をひらりと振る。
「まぁ、いっか。とにかく、アルコールの働きで、臭みも消える」
「……適当ね?」
じとっと睨むと、キースは気にした様子もない。
「説明するより実際に試したほうが早いからな」
控えていた侍従たちがざわめく。
「試してみたら……って、そんな簡単な話なのか?」
「いやいや、もし本当なら、大発見じゃないか?」
(この人……なんなの?)
「それと……」
キースはさらに続けた。
「これから甘いものも食え。蜂蜜があればなおいいが……この国ではどうなんだ?」
ナディアは小さく首を傾げた。
「蜂蜜……? たまに貴族の間で使われることはあるけれど、ほとんどは砂糖よ」
「砂糖より蜂蜜のほうが栄養が高いし、色々使える」
「そんな簡単に手に入るものなの?」
「養蜂をすればな」
「……養蜂?」
ナディアだけでなく、控えていた侍従たちもざわめきが漏れる。
「蜂を飼う?……そんな事が可能なのか?」
その中で、一人の中年の男が目を輝かせてじっとキースを見つめていた。
「そうだ。専用の巣箱を作れば、蜂を飼って大量に蜂蜜を取ることができる」
「そんな話、聞いたことがないわ……」
「できるさ。俺がやり方を教える」
「素晴らしい!ぜひ試させていただきます!」
先程からキースを見つめていた男が、嬉々として口を挟む。
ナディアはきょとんとした顔で男を見た。
「……あなた、誰?」
男は軽く一礼する。
「これは、失礼いたしました。私はルーヘルム王宮の料理長です」
「王宮の料理長……?」
「ナディア様の体調が思わしくないと聞き、陛下より『様子を見るように』と指示を受け、こちらに参りました」
「……なるほどね」
納得すると、料理長は興味津々といった様子でキースに向き直る。
「しかし、魔導師見習い殿、赤ワインでの調理や養蜂の話、実に興味深い。ぜひ、詳しくお聞かせ願えませんか?」
料理長は興奮した様子でキースを見つめたが、ふと何かに気づいたように目を細めた。
「それにしても、見習い殿……その髪色、珍しいですな。しかし、まぁ料理がこれほどできるなら関係ないか」
料理長の声に、ナディアは呆れつつも、キースをじっと見つめた。
(この人……やっぱり普通じゃないわ)
彼の持つ知識。亡国の王族という出自。そして、何よりも──人を惹きつける「何か」。
ふっと笑みがこぼれる。
(まるで、砂漠の砂の中でダイヤの原石を見つけた時みたい……)
でも、それだけじゃない。
彼には、単なる商品としてではない、もっと奥深くに隠された『魅力』がある気がした。
旅商人として各地を巡り、数えきれないものを見てきた。商人の勘が告げている。
──「この男を見逃すな」
一度関われば、もう今までとは同じでいられない。
そんな予感に、胸の奥がワクワクと高鳴った。
「……面白い」
思わず口をついた言葉に、キースがちらりと視線を向ける。
「何がだ?」
「何でもないわ」
ナディアは愛らしく微笑む。だが、商人としての本能が叫んでいた。
──この亡国の王子は、間違いなく価値がある、と。
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