表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/40

第5話∶待ちくたびれた男と旅する姫君


ルーヘルム王宮の地下牢。


冷たい石壁に、囚人の荒い息遣いが響く。

鎖につながれた男は、目の前の“監視者”を睨みつけていた。


──宮廷魔導師ゼファルド。


「……殺せ」


低く、しわがれた声。


それを聞いたゼファルドは、牢の前に立ち、鼻で笑った。


「いや、お前は殺さねぇ」


「……なに?」


「お前は生きて帝国へ帰る。そして──こう伝えるんだ」


ゼファルドの声は静かに響く。


「エルヴァントの王子は、すでにルーヘルムを出た後だった とな」


「誰が……そんなことを……」


男が言いかけた瞬間、空気が変わる。


地下牢の湿った空気が、一瞬で張り詰めた。

ゼファルドが軽く手を振ると、牢の床に淡い魔法陣が浮かび上がる。


圧倒的な魔力が、男の精神を絡め取る。


「お前はエルヴァントの王子には会っていない」


ゼファルドの言葉が、静かに牢の中に染み渡る。


「……俺は……王子には、会っていない……」


男の焦点の合わない目が、空虚に揺れる。

ゼファルドの精神干渉魔法は、刃ではなく、水のように静かに心を染み込ませる。


彼はもう、自分が何を見たのかさえ分からない。

ただ、“そうだった”と信じることしかできなくなる。


ゼファルドは、牢の鉄扉に手をかけると、静かに呟いた。


「……これでいい」


明日、この男は牢から放り出され、帝国へ帰るだろう。

そして、帝国に間違った情報を伝えることになる。


──エルヴァントの王子は、もうルーヘルムにはいない、と。



---


牢を後にしながら、ゼファルドはふと喉に手を当てた。


何気ない仕草だった。


だが、その指先が喉をなぞった瞬間──


彼の脳裏に、ある光景がよぎる。


***


──ルーヘルムの奴隷市場。


人々の喧騒の中、ゼファルドは薄汚れた少年を見下ろしていた。


「その子は俺が買おう」


奴隷商人の顔が引きつる。


「し、しかし、この奴隷はまだ値段が──」


「構わん」


言いながら、ゼファルドは目の前の少年を見つめた。

ぼろぼろの服に身を包み、魔力封じの首輪をつけた少年── キースクリフ。


彼の黒髪が風に揺れた瞬間、ゼファルドの目が細められる。


(──目隠しの魔法か)


隠されていた銀の髪。

そして、かすかに漂う王族特有の気配。


(エルヴァントの王子……まさかあんなところに転がってるとはな)


ゼファルドはふっと口元を歪めた。


──あの時、俺は何を思った?


エルヴァントの王子を拾うつもりはなかった。

だが、気づいたら口が動いていた。


(それとも、俺は……)


「……フッ」


ゼファルドは短く笑う。


エルヴァントの王子の巻き起こす波乱に、俺が巻き込まれれば──


いつか俺の命が危険に晒されるかもしれない。


──そうなれば、あるいは……会えるのだろうか?


「……俺は……そろそろ待ちくたびれたぞ」


無意識に喉に触れながら、ゼファルドは低く呟いた。


その声は、誰にも届くことなく、静かに闇へと溶けていった。



---


隣国の使節団がルーヘルムに到着し、ナディアが王との謁見のために王宮へやって来た。


ナディア・ヴェルフェン王女──商業国家ヴェルフェンの次期国王候補であり、自由奔放な姫君。彼女は幼い頃からキャラバンを率い、世界を旅してきたらしい。


「お初にお目にかかります、ルーヘルム王」


愛らしい笑みを浮かべ、ナディアは優雅に膝を折る。その仕草には一切の迷いがない。


ディアナは、そんな彼女をじっと見つめていた。


(この子……嫌いかも)


ナディアは同じ王女の立場なのに、まるで自由そのもの。ディアナは最近ようやく神殿を出ることを許されたばかりなのに、ナディアは世界を渡り歩き、自分の力で名声を築いている。


ナディアはディアナの視線に気づき、ニコリと微笑んだ。


「まぁ、あなたがあの“神殿の姫”ね? ふふ、想像よりおとなしそう」


「……あなたほど外の世界には慣れていないからよ」


「それは残念! 世界はとても広いのに」


ナディアはそう言って、ウィンクした。


ディアナは(やっぱり気に食わない)と思いながら、ナディアの堂々とした姿を見ていた。


──その時だった。


ナディアの足が、ぐらりと揺らぐ。


「……あれ?」


ナディアが呟いた瞬間、彼女の身体が崩れるように倒れた。


「ナディア様!!」


「どうされました?!」


側近たちが駆け寄る。しかし、ナディアは反応しない。


キースクリフはゼファルドに同行して広間の護衛にあたっていた。

しかし、今、目の前でヴェルフェンの王女が倒れ、広間が騒然としている。


「毒ではないか?!」


ヴェルフェンの医師の言葉に、ルーヘルムの宮廷医師たちがざわめいた。


(毒……ルーヘルムが?)

王女はぐったりとしておりその指先には紫班が浮かんでいる。

一体何のために?

(毒にしてはおかしい……

 いや、待て……この紫斑……どこかで──)


その刹那、前世の遠い記憶が蘇る。


手足の紫斑、鼻血──

(まさか……いや、でも……)


その時、医師たちがナディアの口の中を確認しているのが見えた。

そして医師の一人が戸惑いながら呟くのを聞き逃さなかった。


「これは……口の中からも出血している……」


(口の中からも出血?)


その言葉で、俺の頭にある病名が浮かび上がる。

それは、前世で教師が語っていた、かつて船乗りたちが長い航海で悩まされた病気だ。


──壊血病。


だが、確信を得るには、もう一つ確認すべきことがある。


俺は歩み寄りながら側近に問いかけた。


「ナディア様はここに来るまで、何を食べていましたか?」


「え? ああ、保存食ばかりでしたが……」


その言葉を聞き、俺の中にあった疑念が確信に変わった。

それは、船乗りだけではなく、砂漠を越えるキャラバンにも起こり得る。

「これは……壊血病じゃないか?」


思わず口をついたその言葉に、周囲の視線が一斉に俺へと向いた。

 

「壊血病だと……?」

「なんだそれは?」

 

広間がざわつき始める中、俺は確かな自信をもって頷いた。

 

 

読んでくれてありがとうございます!

面白かったら ブクマ&感想 もらえると嬉しいです!


【次回も夜22時頃に更新予定です!】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ