第1話∶滅びゆく王国と王子の逃亡
──その転生は、一匹の龍と一人の王が、遥か昔に交わした約束だった。
エルヴァント王国が、燃えている。 俺の国は、滅ぼされた。
王都は炎と悲鳴に包まれ、瓦礫が崩れ落ちていく。 バルムート帝国の軍勢が、宮殿を蹂躙していた。
俺が継ぐはずだった王座も、愛する家族も── すべて、燃え尽きようとしていた。
火の粉が舞い、崩れた壁の隙間から吹き込む風が炎を煽る。 焦げた肉と血の匂いが鼻を突き、胸が焼けるようだった。
「王子! バルムート軍が城内に侵入しました! こちらへ、早く!」
従者たちの叫び。 剣戟と足音が交錯する中、俺の胸に渦巻いていたのは、ただ一つの問いだった。
(……どうして、こんなことになった?)
「王子! 下がって──!」
兵士の叫びと同時に、視界の端で銀色の刃が閃く。
──ザンッ!
石柱が斬り裂かれ、飛び散った破片が頬をかすめた。 熱い痛みと、焼けるような焦燥が走る。
「くそっ……!」
足元には、血まみれの剣を握ったまま倒れる兵士の姿。
「キースクリフ!」
鋭い声が響く。 駆け寄ってきたのは、銀髪の美しい女性──王妃エリシア。
「キースクリフ……あなたはエルヴァントの至宝。この血を絶やしてはなりません……」
母は俺の髪を撫で、魔法の光を放つ。
「この魔法で、あなたの銀髪を黒に、瞳を茶色に変えます。今だけ、目立たなくなる……」
髪に触れると、確かに黒く変わっていた。 王家の証──銀髪が、俺から消えていく。
「生きなさい、キースクリフ……世界は、あなたを生かすはず」
母はペンダントを外し、俺の首にかけた。
その唇は何かを唱えている。
小刀で俺の指を切り、赤い雫をペンダントに落とす。
その瞬間、紋様が淡く光を放つ──が、すぐに消えた。
(……今のは?)
疑問が浮かぶ間もなく、母は俺の腕を掴み、隠し扉の奥へ押し込んだ。
「ここを抜けて城外へ。外に商人の荷馬車があるわ」
「母上……?」
「行きなさい!!」
その背後で、銀色の刃が閃く。
──ザシュッ!
「母上っ……!」
駆け寄ろうとした瞬間、母の体が崩れ── 倒れ込むように扉を押し──
──バタン。
鈍い音とともに、視界が閉ざされた。
―――
耳の奥に、母の最後の姿が焼き付いたまま離れない。
(……ここで終われるか)
母が託してくれた命を、こんなところで無駄にできるか──!
歯を食いしばり、俺は闇の中を走り出した。
城を抜けた先、難民たちの叫びが響いていた。
その中で、突然肩を掴まれる。
「……お前、一人か?」
振り向くと、薄汚れた男。 その隣には、縄でつながれた子供たち。
(奴隷商……! 体が動かねぇ……!)
心臓が激しく脈打つ。 手足に力が入らず、冷たい汗が背を伝う。
魔力を練ろうとする──が、流れない。
(……母上の魔法か)
目立たなくする代償に、俺の魔力も封じる仕組みだった。
(最悪だ……)
その隙に、腕を強く引かれた。
力が入らず、馬車に放り込まれる。
「よしよし、運がいいな」
「……運が……いい?」
「ああ。お前みたいな綺麗な顔のガキは、高く売れる」
ぞっとした。
男の目は、物を値踏みするような冷たさ。
そのまま、首に無情にも魔力封じの首輪が嵌められる。
「……っ!」
冷たい金属が肌に触れた瞬間、全身を嫌悪が駆け抜けた。息が詰まり、喉が焼けるように苦しい。
「こいつ、魔力持ちか……」 「まあ、もう使えんがな」
馬車が軋み、鎖に繋がれた奴隷たちは力なくうずくまっている。 痩せた老人、怯える少年、震える少女──
「……また売られるのか……」 虚ろな目で呟く男は、何度も地獄を見た者のようだった。
(これが、俺に残された人生か)
魔法王国エルヴァントの王子。 歴代でも屈指の魔力量を持ち、「エルヴァントの至宝」と呼ばれた俺が──今はただの奴隷だ。
「……うっ!」 首輪が引かれる。
「無駄なことは考えるなよ?」
何もできない自分が悔しい。国も、家族も、名前も奪われ──
それでも、終わるつもりはない。
(まだだ。まだ終わらねぇ……)
―――
「……っ、やだ……!」
隣の少年がすすり泣く。鎖を引っ張る手は小さく震えていた。まだ十にも満たない。
「逃げるんだ」
「は……?」
少年は一瞬、怯えた瞳を揺らし── かすかに緩んだ鎖から、細い手首をそっと引き抜き、荷台の隙間へと飛び出した。
ドンッ!!
馬車が揺れ、怒号が響く。
「……見せしめだ」
「お願い、助けて──!」
ズブッ……。沈黙。 少年の小さな体が、崩れ落ちる音だけが残った。
馬車の中に、重い沈黙が落ちる。
(クソッ……! 俺は、何もできなかった……)
鎖の音が耳の奥で響き続ける。
逃げた少年の小さな背中が、まだ目に焼き付いている。
そして今、もうそこにはいないことだけが、やけに現実味を帯びていた。
「……おい、動かせ」
再び馬車が揺れ出す。
(魔力さえ使えれば……こいつら全員、吹き飛ばしてやれるのに……)
でも、体は動かない。歯を食いしばることしかできなかった。
―――
数日後、馬車は街へとたどり着いた。 強く腕を掴まれ、引きずり降ろされる。
「……っ」 眩しい陽光が容赦なく降り注ぎ、目を開けるのもつらい。
だが、それ以上に衝撃だったのは──目の前の光景だ。
鉄格子の檻、怯える人々。 商人や貴族が値踏みする視線が突き刺さる。
「次! こいつはどうだ!」
広場の中央へ引き出される。注がれる視線。 屈辱に歯を食いしばるしかなかった。
(……クソッ!)
──そのとき。
「──俺が買おう」
低く、落ち着いた声が響いた。
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