第14話 太田檸檬は困り果てる。④
「おいっ。」
大学の敷地内を出ても俺の右腕を掴みながら歩き続ける太田檸檬に、いい加減痺れを切らした。
俺が持ちうる全ての力を右腕に込めて、思いっきり振り解いた。
早歩き続きだったため、少し息が切れている。一方、太田檸檬はそんな様子はなく、相変わらず少し俯き加減でその場に立ち尽くしている。
「ごめん透君。」
何がごめんだ。罪の意識を持つくらいならあんな言動するな。俺は決して言葉にはしないが、心の中で呟く。
日は傾き始めている。せっかく大学も早く終わって、家でゆっくりしようと思ったのに、その時間も削られてしまった。空気も冷たくなって、肌寒い。
さっさと帰ろう。
あえて太田檸檬に声をかけずに、横を通り過ぎる。また腕を掴まれるんじゃないかと身構えたが、何も起きなかった。あちらから声もかかることなく、歩幅を少し大きくし早足で帰宅する。
部屋に着いて鍵を閉める。その瞬間、どっと疲れが溢れ出た。厄介なことに片足を突っ込みかけた、いや無理やり突っ込みさせられたが、なんとか回避できただろう。
ベッドに横になると、太田檸檬のあの必死な姿が目に浮かんだ。彼女のことを別に知っているわけではない。ただ今朝の明るくて活発な印象とはまた違った様子だったことから、気にはなってしまった。
でも、一瞬顔を合わせて、一瞬言葉のやりとりをしただけの関係。正直知り合いでもない。隣の部屋であることで、これからの付き合い方が若干ネックだが、まぁなんとかなるだろう。
周りから見たら俺は非道だろうか?困ってる女の子を無視して、声もかけず助けもせず、自分の部屋に逃げ込むこの男のことを。普通なら、あそこで賛同して協力してあげるのだろうか。女子との関わり、ましてや人との関わり方が分からない俺にとっては、何が正解で何が正しいのかまだ判断できない。
俺の中では、決して悪いことをしたと思っていない。どちらかといえば、悪いのは太田檸檬だ。そうだろ?そうだよね?違う?誰にもこの問いを投げかけられないから、自問自答するしかない。でも自問自答は、自分の都合がいい方向に解を持っていく。
だから、この場合でも、悪いのは太田檸檬、俺は何も悪くない、という答えに着地する。
さて、もうこの件に関して考えるのはやめよう。さっさとゲームの世界にダイブした方が、有意義ってものだ。
ゲームの電源を入れようとしたその時、ピンポーンとチャイムの音が部屋に鳴り響く。嫌な予感しかしない。
インターホンのモニターを見ると、やはりそこには太田檸檬が映っていた。俯き加減のため、表情は伺えないが、ネガティブな感情であることに違いはないだろう。
無視を決め込むことも考えたが、このまま俺の部屋の前にいられてもそれはそれで困るので、応答してみることにした。
「はい。」
聞こえていないのだろうか、沈黙が10秒ほど続いた。
「少し、お話いいですか?」
畏まった様子で、太田檸檬は口を開く。
「どんな内容で?」
また沈黙が流れる。歯切れの悪い。
モニター越しから、何か意を結したようにふーっと息を吐き出す姿が窺えた。
「もしよければ、部屋に入れてくれませんか?」
「はい?」
部屋だと?俺の部屋にか?男の部屋だぞ?それをわかってこの女はそんな提案をしているのか?
「今回のこと、透君には申し訳ないと思ってる。でも、他に協力してもらえそうな人がいないの。だから、話をまずは聞いてほしいです。」
あぁ、また勝手なことを。私困ってます、どうしようもないんです、協力が必要なんです、だから話だけでも聞いてください、実に一方的だ。そんなの俺に関係ない。俺が太田檸檬に何かしてやる義理もない。
「お願いします。なんでもお礼はします。」
またそれか。自分を犠牲にするような取引。本来取引は互いがWin-Winになることが必須だ。どちらかが不利益を被るようでは、取引なんて成立しない。仮にこの提案に俺が乗ったとしよう。なんのメリットがある?太田檸檬を好きにできることか?少なくとも俺はそんなの望んじゃいない。興味もない。
そして、太田檸檬にとっても本心ではないはずだ。
何度も言うが、俺が太田檸檬に協力する理由がない。帰れ、という言葉が喉のすぐそこまで来ていたが、ふとある時の月乃の、妹の言葉を思い出してしまった。
「おにぃ、とりあえず話だけ聞いてみなよ?おにぃにとっても有益なことに繋がるかもしれないし。今度さ、誰かに相談事持ちかけられたら私に騙されたと思って、協力してあげてよ。」
なんであんなこと言われたのか、その経緯は思い出せない。でも、ふと脳裏にその一場面がよぎった。月乃の言うことは大体正しい。俺がダメ兄であるが故に。
有益なこと。俺にとっての有益とはなんなのだろうか?そこがはっきりしないのが一番困るのだ。闇雲にやる感覚、それが苦手。
でも月乃の言うことは大体正しい。俺がダメ兄であるが故に。何度もそれに助けられた。だから、今回も騙されたと思って、月乃の言うことに従ってみよう。それが吉と出るか凶と出るか。凶だったら、月乃に文句を言ってやろう。
「お前、それやめろよ。」
「え?」
「とりあえず、話だけは聞いてやる。」
鍵をかちゃりと開けて、扉を開く。そこに佇む太田檸檬は、どことなくさっきとは違って嬉しそうな表情に見えた。




