ちょっとお喋りでもしよっか?
足音は間違いなく男達のものだ。
このままだと一分もしない内に見つかってしまう。海斗は何か打開策はないかと思考を巡らせた。そして考え得る限りで最善と思われる策を導き出した。これしかないと思った海斗は、ヒカリの目を真っ直ぐに見つめてこう言った。
「良い? 俺が連中を引きつけるから、その隙に君は逃げるんだ」
「でも……」
「お願いだから言う通りにして、二人が助かるにはこれしかないんだ!」
そう言って飛び出そうとした時、ヒカリに服の袖をギュッと掴まれた。
一人にしないで――その怯えた瞳はそう訴えているように見えた。海斗は励ますようにヒカリの手をしっかりと握ってこう言った。
「大丈夫、俺を信じて。絶対に戻ってくるから」
ヒカリは何か言いかけたが、その前に海斗は路地に飛び出して男達の前に姿を晒した。
「いたぞ!」
「あそこだ!」
全員がこちらに向かってくるのを確認して全力で走り出す。なるべくヒカリから遠い場所へ。
ちょうど良いところに立体駐車場を発見したので、海斗はそこに身を隠した。なるべく頭を低くして、自動車の陰に身を潜めながら螺旋状のスロープを上って上階を目指す。
ありがたいことに向こうもこちらを見失ってくれたようだ。
やるなら今しかない。
「クソッ、見失った!」
「女の姿が見えなかったぞ」
「奴ら二手に別れたんじゃないか?」
「もういい、男に構っている時間はない。女を探すぞ」
『なら俺も混ぜてくんない?』
男達が引き返そうとした直後、何者かが上階から飛び降りてきた。
『ドーモー♪』
「な、何だ貴様は!」
軽妙な挨拶と共に目の前に現れたその人物に、男達は面食らった。
一昔前の特撮ヒーローのようなメタリックなボディに電子回路のような模様。その姿はSNSなどで今、話題沸騰中のグリッドランナーそのものだった。
『ねえ君達、アイドルの追っかけも良いけどさ、あんまりやり過ぎるとライブ会場出禁になっちゃうよ?』
「何者か知らんがそこをどけ。お前のお遊びに付き合っている暇はないんだ」
『嫌だと言ったら?』
「“こういうこと”になるぞ!」
言いながら、先頭の男が突き出した拳を、海斗は人差し指だけで受け止める。さらにもう片方の手で男の額にデコピンを食らわせる。
「な、貴様ぁ……よくも!」
『まずは自己紹介しない? えーと俺の名前は……季節外れのサンタクロース。君達は?』
「ふざけるな!」
男達は逆上して立て続けにスタン警棒を振り回した。縦横に振られるそれを、海斗は最低限の動作で回避し、間髪入れずにカウンターを食らわせる。
『そんなもので殴られたら痛いでしょうが!』
鉄拳を繰り出し、足払いを仕掛け、掌底を打ち込む。しかしさすがに相手も一筋縄ではいかない。まず身のこなしが素人のそれではない。それなりに鍛錬を積んだ者のそれだ。
殴られる寸前、ダメージを最小限に抑えるように僅かに身体を捻って攻撃を逸らしている。ギャングのようにあっさりと気絶はしない。
それに数も先ほどより増えている。どうやらあの場にいた七人以外にも潜んでいたらしい。となるとヒカリの方も安全ではないかもしれない。
横一文字に払われた警棒を跳躍で躱し、傍に駐車してあったワゴン車のボンネットに飛び乗った。
その直後――
「そこまでだ!」
いつの間にか背後に回っていた三人の男達が、右手に握り締めた“何か”を背中に突きつけていた。見間違いでなければそれは拳銃だった。銃口は真っ直ぐ海斗の方に向けられている。
ギャングや暴力団の間に流通している粗悪品ではない。
Auto99。
センチネルも正式採用している正規品だ。
――拳銃まで持っているなんて、一体何者だ?
「ずいぶん好き勝手やってくれたな。余計な死体は増やしたくなかったんだが、ここまでやられたら致し方あるまい」
『あのさあ、君達ちゃんとお仕事してるの? お母さん困らせたら駄目だよ』
「御託はあの世で並べるんだな」
男が半歩前に進み、引き金を引き絞ろうとする。その寸前、海斗はやおら飛び上がって一回転し、男達の背後に回り込んだ。銃口がこちらに向く前に素早く横面に回し蹴りを叩き込み、一人ずつ気絶させる。
少し離れた位置にいた男の一人が、仲間と格闘する海斗目掛けて発砲した。射出された弾丸はしかし、命中する直前に人間離れした反応速度によって回避される。
「な、馬鹿な!?」
拳銃を持つ相手でも全く恐れる必要はない。今の自分は戦車の砲弾にも耐えられる身体なのだから。何事もなかったかのように手近な男から順番に昏倒させていく。
そして数分後には全てが片づいていた。
『さーてと、ちょっとお喋りでもしよっか?』
そう言って海斗は、一人だけ意識が残っている男に近づき話しかけた。
『何で彼女を誘拐しようとしたの? 何か見られるとヤバいものでも見られた? 立ちションしてるところを見られたとか、秘密の恋バナでも聞かれちゃったのかな?』
「……ふん、馬鹿め。俺達は囮だ」
『何だって?』
海斗は首を傾げる。
「我々が逃げ場のないところに追い込んで、回り込んだ仲間が女共を捕まえる作戦だったんだ。まあ少し予定は狂ったが、当初の目的は達成したから良しとしよう」
『――ッ!?』
「今更戻っても間に合わないぞ。今頃女は仲間と一緒に素敵なドライブを楽しんでいる頃だ。もっとも、間に合ったところでお前なんかが敵う相手じゃないがな。女を捕まえに行った奴は我々の中でも精鋭中の精鋭、返り討ちに遭うのがオチだ」
聞き終わらぬ内に、海斗は走り出していた。隣のビルに飛び移り、パルクールで敏速に移動する。
男達を倒すのにだいぶ時間を浪費してしまった上に、距離が離れ過ぎている。
全力で引き返しても五分はかかるだろう。相手がヒカリを捕まえて、遥か彼方まで移動するには十分な時間だ。
「クソッ、駄目だ! 間に合わない!」
『そういう時は加速装置を使用してはいかがでしょう?』
突然、頭の中に声が響いた。プリスの声である。
『プリスさん、加速装置って?』
『サイバーウェアにプリインストールされている機能の一つです。大脳皮質のシナプスに吸着したナノマシンが神経伝導速度を極限まで加速させ、通常の数百倍の速度で動けるようになります。ニューラル・インターフェースのUIから使用出来ます』
そんな機能があったのか。試しにニューラル・インターフェースのUIを表示してみると、視界内に動画やSNSアプリの他に加速装置と書かれたコマンドを発見した。
『これのこと?』
『はいそうです』
『そういうことはもっと早く言って欲しかったな……』
『お望みでしたら、今から全ての機能を一時間かけてご説明しますが』
『いや、やっぱ後で良い』
今はそんな時間はない。
海斗は早速そのコマンドを選択した。
「いやっ、離して! 何をするんですか!?」
ヒカリは突然現れた大柄の男に連れて行かれようとしていた。
先ほどの男達と同じ服装。しかし彼らより一回りほど身長が高い。二メートルは優に超えている。
「大人しく来るんだ。自分がしでかしたことの落とし前はきっちりつけて貰わないとな」
「私が何をしたって言うんです?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
男は道端に停車しているセダン型のスピナーにヒカリを押し込もうとした。
その時である。
ふいに背後のビルの屋上から飛び降りた人影が、男の後頭部を蹴り飛ばした。
男は「ぐわっ!」と叫び声をあげて派手に転倒し、道の片隅に置かれたポリバケツに頭から突っ込んだ。
『女の子の誘い方も知らないの? そんなんじゃモテないよ』
ヒカリを庇うようにして男の前に身を躍らせたのは、グリッドランナーの姿をした海斗だった。
海斗はヒカリに向き直って口を開く。
『大丈夫、変なことされてない?』
「あ、あなたは?」
『あー君を助けに来た白馬の王子様的なヤツ? 本当は馬に乗って登場したかったんだけど、どのショッピングサイト見ても即日配達は無理らしくてさあ』
「ハア?」
ヒカリは訳がわからないといった様子で目を丸くしている。
その間に、殴られた男が起き上がり始めた。サングラスが壊れて凶悪な目つきが露わになる。
『とりあえずどこかに隠れてて。俺はちょっとそこの怖そーなオジサンとお話してくるから』
そう言って男の方を指差す。男はパキパキと首を鳴らしながら舌打ちをしている。
「お前見たことあるぞ。SNSでチヤホヤされてる頭のおかしなガキだろ」
『へー君みたいな無愛想な人でもそういうの見たりするんだ。可愛い子猫の動画とかも見るのかな?』
「馬鹿な奴だな。その安っぽい正義感が身を亡ぼすとも知らないで」
『今のところその予定はないから安心して。心配してくれるなんて意外と親切だねえ』
「減らず口を……」
瞬間、男が一気に間合いを詰めて来た。
――速い!?
不意を突かれた海斗は、一瞬反応が遅れた。首筋を捉えた手刀を紙一重で躱す。しかし避けた方向にすかさずもう片方の手が迫る。海斗は咄嗟に後方へ飛び退ることで辛うじて回避した。
通常の人間の速さではない。恐らく脚にサイバーウェアを仕込んでいると思われる。しかもかなりの高性能。これまで対峙したどの敵よりも俊敏な動きだった。あの速さに慣れるのは少々苦労しそうだ。
と、前方を確認すると、いつの間にか男の姿が消えていた。
『ん?』
直後、背後に気配を感じて振り返るとすでに男の手刀が目前まで迫っていた。
今度は回避し切れない――そう思った時、自動回避機能が作動し、ギリギリで身を屈めて退避した。振り払われた手刀は、海斗の代わりに道端に設置されていた自動販売機を無惨に破壊した。中身の飲料が勢い良く溢れ出す。
海斗は追撃を躱す為に上空に跳躍、付近のネオン看板に着地する。
良く見ると、どういう訳か破壊された断面はまるで鋭利な刃物にでも切断されたような状態になっていた。
――どうなっている?
目を凝らして男の手を良く観察してみた。すると掌外沿の先端辺りから剃刀のような刃が露出しているのが見えた。
その刃から“キーン”というマイクのハウリングノイズのような耳障りな高音が聞こえてくる。
『……高周波ブレードか?』
超振動で物体を切断する武器で、その切れ味は通常のナイフのそれを遥かに凌駕する。
――あれで斬られたら、ちょっと痛そうだなぁ……。
その身のこなしと言い、装着しているサイバーウェアと言い、まるで正規の戦闘訓練を受けた殺し屋のようだ。だとしたら誰かに雇われたと考えるのが自然だが、ただの動画配信者のヒカリが殺し屋を差し向けられる理由がわからない。
「どうした、今更逃げ出したくなってももう遅いぞ。お前は関わってはいけないことに首を突っ込んでしまった」
『わー、いかにも映画の悪役が言いそうなベタな台詞。きっと鏡見ながら一生懸命練習したんだろうなあ。全く怖くないけど』
そう言って海斗はゆっくりとネオン看板から降りた。
今度はどこから来ても迅速に対処出来るようにしっかりと身構える。
「無駄だ。いくら足掻いたところで貴様は俺のスピードについて来れない」
『あっそう、じゃあもう一回試してみる?』
「馬鹿め、何度やっても同じことだ!」
裂帛の気合を発して男が海斗の懐に飛び込む。先ほどの攻撃に倍する速さだった。海斗が回避行動をとる暇もなく、手刀が容赦なく振り下ろされる。その寸前――海斗の動きが急激に加速して、手刀が当たるより速く右の掌打が男の顎を捉える。
「……ぐっ、何ィ!?」
男の身体が大きく仰け反る。すかさず態勢を立て直して反撃に転じようとするが、先ほどまでそこにいた海斗の姿が消えていた。
『どこ見てるの?』
「なっ!?」
その声は背後から聞こえてきた。
「馬鹿な、いつの間に?」
続いて左の拳が閃いて男の鳩尾に炸裂した。
男は反撃を試みようとするも、振り下ろされた手刀は悉く空を切る。そして態勢を崩したところを海斗の回し蹴りが決まる。
「こ、こいつ!? さっきと動きが……」
『自分より速い人がいるとは思わなかった? 一つ勉強になったね!』
男の動きは確かに素早いが、加速装置を起動した海斗にはほとんど静止しているようにさえ見えた。海斗は男を遥かに上回る速度で攻撃を繰り返す。
『さっきから不意討ちばっかしてるけどさあ、そういうのが許されるのは二度目までなんだよねえ!』
言い終えると同時に、海斗は渾身の力を拳に込めて、強烈な一撃を男の眉間に叩き込んだ。
男は勢い良く後方に大きく吹き飛ばされ、昏倒して動かなくなった。
『よーし、悪者をやっつけて気分爽快っと!』
海斗は大きく伸びをすると、近くの物陰に隠れているヒカリに歩み寄った。
『もう大丈夫、悪い人達は全員退治したから』
「ど、どうも……」
ヒカリはおずおずといった調子で姿を現す。
得体の知れない人物に警戒感を抱いているようだ。彼女自身もSNSを中心に活動しているインフルエンサーなのにグリッドランナーを知らないのだろうか。海斗は少々残念な気持ちになった。
「誰なんですか?」
『俺? 見ての通り正義の味方だよ。今、絶賛売り出し中なんだけど知らない? まあ君には負けるかもしれないけどさ』
「何でそんな格好してるの?」
『それはホラ、正義の味方って形から入るもんじゃない、やっぱ』
本当は正体をバラしてはいけないという契約を交わしているからなのだが、そういうことにしておく。
「ふぅん……」
ヒカリは怪訝そうな目でこちらを凝視する。まずい、何やら疑われている。一旦この場から離れた方が良さそうだ。
『と、とにかく、早くここから離れた方が良いよヒカリさん。もしかするとまだどこかに仲間が潜んでいるかもしれない』
「あ、でももう一人友達がいるんだけど」
『大丈夫、彼も俺が助けるから』
「でも“海斗君”、どこに行けば大通りに出られるの?」
『あーそれならこの道を真っ直ぐ行ったところを右に曲がって……ん?』
――え?