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グリッドランナー  作者: 末比呂津
マンスローター編
8/34

おかげで状況が悪化したよ

 その場にいた全生徒の視線が一斉にこちらに向く。

 背中に氷を放り込まれたような悪寒が走った。


「呼ばれてるけど?」


 ルナが言った。何故か妙に声が冷たかった。


「……い、いやぁ別のアサミヤ君でしょ」


 この学校に他にアサミヤという姓の生徒が何人いるかは定かではないが、これ以外に上手い言い訳が見つからなかった。


「知り合いじゃないの?」

「まさかぁ。俺なんかがあんな有名人と知り合いなはずないじゃないか。アハハハッ!」

「ねえ何で無視するの? さっきから呼んでるの聞こえてるよね?」


 だがそんな言い訳も虚しく、後ろからヒカリに腕を掴まれて全ての努力が水泡に帰した。


「……ありがとう、おかげで状況が悪化したよ」

「?」


 ヒカリはキョトンとした顔で首を傾げる。どうやら自分が何をしているかわかっていないらしい。

 恐る恐るルナの方を見ると、思わずゾッとするような冷淡な眼差しでこちらを見つめていた。


「あ、あの……違うんだこれは……」

「さようなら」


 そう吐き捨てると、背を向けて遠ざかって行った。

 周囲から悪意の込もった視線が突き刺さる。




「……それで、何しに来たの?」


 仕方なくヒカリの手を引いて人気のない廊下の突き当りまで連れて来た。

 暴漢に襲われそうになってからそれほど日が経っていないにも拘らず、衆目の前に姿を晒すなんて、不用心としか言いようがない。


「この前、お礼がしたいって言ってたでしょ。だから直接会いに来たの」

「だからってわざわざ俺の学園生活をぶち壊す必要ある? っていうか良くここに通ってるってわかったね」

「えへへ、ちょっと裏技を使ってね」


 照れ笑いを浮かべながら片眼を瞑ってウインクするヒカリ。悔しいがやはり可愛い。

 その笑顔で全てを許してしまいそうになる。

 お礼というのは当然、暴走族から助けた件だろう。良く考えたらあれが自分の人助け第一号だった。

 あれから何の音沙汰もなかったから忘れられたのかと思った。こちらから連絡しようかとしたこともあったが、下心があると思われても嫌なので中々踏ん切りがつかなかったのだ。


「そもそもどうやって学校に入り込んだの?」

「人をコソ泥みたいに言わないで欲しいなあ。学校の説明会に申し込んだら普通に入れたよ」

「へー」


 そうか、この学校は月に一度、入学志望者向けに説明会をやっている。その日程に合わせてここへやって来たのか。

 それにしても事前の連絡なしに会いに来るのは少し無計画過ぎる気がするが。


「ねえ、そういうことだからこの後、授業が終わったら二人でどこか行かない?」

「まあ良いけど……」

「良かった。じゃあその辺で時間を潰してるから、終わったら校門まで来てね」

「はあ」


 去り際にヒカリはもう一度こちらを振り返って「待ってるから絶対来てね!」と手を振りながら微笑んだ。やっぱり可愛い。これが大勢の男を虜にしてきた魔力か。あんな笑顔を向けられたら従わない男などいない。

 気がつくと先ほどまでの怒りも綺麗さっぱり忘れていた。




 授業の間中、針のむしろに立たされたような気分になった。

 男子からは殺意のようなものを向けられるし、女子からは陰口を叩かれるし、ただでさえ海斗にとって心休まる場所ではなかった学校が、さらに居心地の悪い空間になってしまった。

 一番最悪なのは、ルナに深刻な誤解を与えてしまったかもしれないことだ。

 誤解を解こうと何度か連絡を試みたが、葵から激しい質問攻めに遭ってそれどころではなかった。


「ちょっとちょっと海斗、あのHIKARIちゃんと知り合いってマジィ!? 何でそうなったの? きっかけは? 良かったらサイン貰ってきてくんない?」


 ようやく放課後になり、葵やその他の生徒達から開放された頃にはもう精神的に疲れ果てていた。校門を抜けようとしたところで全ての元凶が待ち構えていた。


「浅宮君、こっちこっちー!」


 満面の笑みで手を振ってくるので、ついこちらも頬を緩めて手を振り返した。


 ――って、いかんいかん。あの笑顔に惑わされなるんじゃない!


「ゴホン……それで、これからどうするの?」

「とりあえずカフェにでも行こうかと思って。今飛行自動車(スピナー)を呼ぶからちょっと待っててね」


 そう言うとヒカリは、ブレスレット型のウェアラブル端末デバイスを操作してタクシーを呼んだ。

 どこにもメーカーのロゴがない。ハンドメイドだろうか。

 それなりに専門知識を持つ者ならば、ニューラル・インターフェースよりも汎用性が高く、カスタマイズが容易な自作デバイスを愛用する者も少なくない。

 拡張パーツも豊富で、用途に応じた機器を自在に構築することが出来る。

 このような自作端末のことを、一般的に“サイバーデッキ”という名称で呼ぶことが多い。

 HIKARIの動画はどれも高い編集技術を駆使しているので、PC機器に詳しいことは何となく推察していたが、あれは全て自分で編集しているのだろうか。


「あ、でも学校で買い食いとか禁止されてたりする?」


 ヒカリが口元に手を当てながら言う。


「まあそういう校則もあるかもね。でもあんまり守ってる人はいないし良いんじゃないかな」

「そっか。じゃ大丈夫だね」


 間もなくリフトエンジンの駆動音を轟かせながら、セダン型のタクシー・スピナーが海斗達の目の前に着陸した。

 室温超伝導によって高い機動力でメガトーキョーの空を駆け巡る現代の主要な交通手段の一つだ。動力は電気エンジンで、マイクロ波方式によって遠隔からワイヤレスで常時電力が供給されている。

 メガトーキョーにはこうした給電機が各所に設置されていて、停電でもしない限り半永久的な飛行が可能となっている。

 海斗とヒカリは互いに向かい合うようにしてスピナーに乗り込んだ。車内は無数のLEDライトに彩られ、光り輝いている。

 自動形成シートに身を沈め、シートベルトを装着すると、AI制御によってスピナーが旋回しながら上昇し始める。


「それでその、ヒカリ……あいや、諸星さんは……」

「ヒカリで良いよ。その代わり私も下の名前で呼んで良い?」

「え、いやそれはまだ心の準備が……別に駄目ってわけじゃないんだけど……」

「そっか、じゃあよろしくね海斗君っ!」

「は、はい」


 ――噓でしょ……あのフォロワー一千万人以上のHIKARIに名前で呼ばれてる!?


 海斗はこれまでに体験したことのない興奮を覚えた。

 ひょっとするとこれは漫画などで良くあるラブコメ展開を期待しても良いのだろうか。

 これまで妄想の産物でしかなかった大人気アイドルとの禁断の恋愛が現実に?


「海斗君、海斗君」

「あ、はい」

「靴紐解けてるよ」

「え……あっ!?」


 ダッサ……。

 何という失態。こんな体たらくでは、禁断の恋愛など絵空事でしかない。

 慌てて何事もなかったかのように取り繕いながら、さりげなく話題を変えた。


「そういえばヒカリさんは学校には通ってないの?」

「高校ならとっくの昔に卒業したよ。何なら大学も去年卒業したし」

「それって、飛び級ってやつ?」

「うん多分……良くわかんないけど」


 天才じゃないか。だが妙に腑に落ちるところがある。

 動画を拝見しても何となく頭が良い人だなという印象はあったし、どこか世間知らずなところも、子供の頃からそういう環境に身を置いていたのだとしたら納得がいく。

 しかしそうなると彼女は何歳なのだろう。外見からして自分とはそれほど離れてはいないと思うが。いきなり相手の年齢を訊ねるのは失礼だろうか。でも気になる。


「私、去年までアメリカに住んでたから。おかげで実家の両親とも全然会えなくてね。今はお姉ちゃんと二人暮らししてるんだ」

「ふーん」

「海斗君はお父さんやお母さんと暮らしてるの?」

「あ」


 海斗は少し口籠った。彼にとって触れられて欲しくない部分に触れられたからだ。


「親は……いないんだ。俺が幼い頃に事故で亡くなって」

「ご、ごめん……悪いこと訊いちゃったね」

「いや、それよりこれから行くカフェはどういうところなの?」


 気まずい空気を打ち消そうと話題を逸らす。海斗はこのような辛気臭い雰囲気は好きではない。


「うん、私の一押のお店なんだけどね、ビルの最上階にあって、そこのスフレパンケーキが凄く美味しいんだ。景色も綺麗だし、ほらレビューサイトにも高評価が沢山並んでるでしょ?」


 言いながらヒカリはブレスレット型のデッキからホログラムのインターフェースを表示して、レビューサイトを海斗に見せる。

 海斗はしかしそのサイトよりも、ヒカリの持つブレスレットの方が気になった。


「それってハンドメイドだよね? もしかして自分で造ったの?」

「まあね。商売道具だからね。自分でカスタマイズした物の方が使いやすいし。他にもイヤリング型とか指輪型のも持ってるよ」

「へえ動画の編集ってそんなに機材が必要なんだ?」

「それもあるけど、こう見えて私、副業でホワイトハッカーもやってるから。たまに企業のペンテストを引き受ける時もあるんだよ」


 ペンテスト――正式名称ペネトレーションテストは、サイバーセキュリティの脆弱性を診断するテストのことで、主にネットワークやサーバなどに、どの程度サイバー攻撃のリスクがあるかなどを検証する。


「動画を作る合間に副業? 凄いね」

「えへへ、何か照れるな。自慢じゃないけど何年か前に海外のCTFで優勝したこともあるんだよ」

「本当に?」


 ハッキングの技術を競い合う祭典、それがCTFキャプチャー・ザ・フラッグである。

 パケット分析、サーバのハッキング、暗号解読など、ハッカーのスキルを駆使して、より優秀な成績を収めた者が勝者となる。

 毎年世界中で開催されていて、大規模な大会になるとインターネットでライブ配信されることもある。

 何だか自分とは住む世界が違う人のようだ。


「まさか俺の通ってる学校がわかったのも校内のサーバに侵入して生徒名簿を盗み見たから、なんて言わないよね?」

「……えーと、それよりもこのお店のおすすめメニューはね――」


 ――今、明らかに話を逸らしたような……。


 まさかとは思うが本当にやったのではないだろうな。

 しかしこれ以上追求すると藪蛇になりかねないと思い、視線を移して外の景色を眺めた。

 外ではちょうど高層ビルの街頭ビジョンが、夕方のニュースを放送しているところだった。AI生成された架空の女性キャスターが、何らかのニュースを読み上げている。声までは聞こえない。

 このメガトーキョーは、国際都市としての競争力を高める為、従来の行政区画を解体して、新たに再編された二十四の区域で成り立っている。

 地区名には国外の人間にも馴染みやすいギリシャ文字を採用している。

 まずアルファ地区から始まり、ベータ地区、ガンマ地区と来て、最終的にはオメガ地区で終わる。

 旧名は地図上にのみ残っているものの、一部の日本人が時折口にする程度である。

 やがて目的地のビル付近に到着すると、スピナーは緩やかに傾斜しながら入口の車寄せに降下した。

 通りは人の往来が激しく、混雑している。油断するとすぐにはぐれてしまいそうだ。


「結構人が多いね」

「そうだね。学校でも思ったけど、あんなことがあった後に人が大勢いる場所に来て大丈夫なの?」

「大丈夫、もう危ない場所には近づかないから。それに人目の多い方が安全じゃないかな」

「それもそっか」

「うんうん。そ・れ・に……いざとなったら海斗君がまた守ってくれるもんね」

「人をボディガードか何かと勘違いしてない?」


 まあまたこうして二人きりで会えるならそれも悪くないかな、などと一瞬考えた後、海斗はその邪な考えを慌てて振り払った。

 ところがどういう訳かビルの正面入り口前まで来ると“改装中”とのホログラム看板があり、裏口に回るよう指示してあった。

 海斗とヒカリは互いに顔を見合わせる。非常に嫌な予感を覚えた。


「変だね。今まで一度もこんな看板見たことなかったのに」


 仕方ないので裏口に回る為に人通りの少ない路地に入る。

 考え過ぎか。人通りが少ないと言っても、この地区は治安が非常に良い。センチネルや警備用アンドロイドなどが絶えず巡回していて、ギャングや暴走族の入り込む余地などない。

 そう思ったその時。

 視界の端に、何か不穏な人影が映り込んだ気がした。それは見間違いではなかった。前方から全身黒装束の男が三人、こちらに歩いて来る。

 黒いスーツに黒ネクタイ、そしてサングラス。まるで絵に描いたような不審人物だ。気のせいだろうか、男達が真っ直ぐこちらを目指しているように見える。

 まさか……こんな公衆の面前で?

 あり得ない。あの暴走族はヒカリのストーカーだった。だが目の前の連中はどう見ても同じ目的とは思えない。単に自分達とは無関係なおかしな集団である可能性もあり得る。

 念の為、引き返した方が良いだろうか。そう思って後ろを振り向いた瞬間、心臓が跳ね上がった。同じ格好をした男が四人、間近に迫って来ている。

 ヒカリも状況を察したようで、青褪めた表情をしている。だかどうすることも出来なかった。

 気がつくと海斗の行く手を遮るようにして、男達が立ち塞がった。背後から接近していた男達も、こちらを取り囲むような形で佇んでいる。


「あの……何か?」

「その少女を渡して貰おう」


 先頭の男が言った。


「どうして?」

「お前には関係ない。怪我したくなかったら言う通りにしろ」


 有無を言わさぬ口調。

 その一言で間違いなく相手側に敵意があることがわかった。

 次の瞬間、隣にいた男が突然腕を伸ばして強引にヒカリの腕を掴んだ。


「痛っ!」

「ちょ、何をするんです?」

「部外者は黙ってろ。お前はその女が何をしたかわかってないだろう?」


 背後の男が力づくで海斗の身体を押さえつけようとする。次の瞬間、海斗は反射的に男の顔面に肘鉄を打ち込んでいた。


「ぐわっ!?」

「貴様!」


 男達が怒りに顔を歪ませ、挑み掛かってくる。

 この時まで海斗は、実はヒカリは大企業のお嬢様で、ボディガードが連れ戻しに来た、という可能性も考慮していた。

 だがヒカリへの暴力的な対応を見て、それはないと確信した。

 ならば遠慮する必要もない。

 海斗はここ一月、自分がやってきたことと同じことをした。すなわち敵を排除すること。男達が振り下ろした拳をかいくぐり、すかさず反撃に出る。

 男が懐からスタン警棒を取り出した。振り下ろされた警棒を、海斗は素手で受け止める。男の顔に驚愕の念が浮かび上がった。

 海斗の皮膚は絶縁性の高い合成皮膚だ。電気はほとんど通さない。

 だがこのままヒカリを守りながら男達を倒すのはかなり難易度が高い。

 海斗はヒカリの手を引いて包囲網の隙間を抜け出した。表通りへの道は塞がれていたので奥の方に走り出した。

 道端の内照式看板を蹴り飛ばし、海斗は狭い路地を駆け抜ける。

 男達が追ってきていないのを見て、二人は小さなオフィスビルの陰に隠れて息を整えた。


「大丈夫?」

「ごめん……生まれつき身体が弱くて……」


 ヒカリはだいぶ苦しそうな様子だ。かなり息が荒くなっている。


「一応訊くけど、君の知り合いにいきなりスタン警棒で襲い掛かって来る人はいない……よねぇやっぱ?」


 ダメ元で訊ねてみたが、言い終わる前にヒカリは全力で首を横に振った。

 とりあえず彼らが何者であるかは、一旦後回しにしよう。それよりも今はどうやってこの状況から抜け出すかを考える方が建設的だ。

 どうする、全員殴り倒すか。ヒカリはサイボーグになる前の海斗を知らない。暴走族との一件も見ているし、怪しまれないとは思うが、あまりに強すぎると疑念を抱かれるかもしれない。

 全力を出さずに男達を倒せるか、それもヒカリを傷つけることなく。自信はなかった。相手はギャングの類とは質が違う。彼らの身のこなしは、例えるなら軍人や警官のような、特殊な訓練を受けた人間のそれだった。

 いつものようにグリッドランナーに変装して助けるという手段もあるが、今ヒカリの傍を離れると、彼女を危険に晒すことになる。

 ここは逃げた方が得策だろう。

 海斗はヒカリの呼吸が安定するのを待って再び走り始めた。大通りに出れば、さすがの彼らも人通りの多い場所で大それたことは出来ないだろう。

 しかし土地勘のない場所なので、北に向かっていたはずが、いつの間にか道が東に逸れていたりして、地図アプリを確認しようにもその暇もなく、最終的には袋小路に行き当たってしまう。

 慌てて引き返そうとした時、背後から複数の足音が近づいて来るのが聞こえた。

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