……悪魔の兵器だよ
天を貫くようにそびえ立つ摩天楼。上空では飛行自動車のヘッドライトとフォグランプの光が交錯し、都会の喧騒と彩り豊かなホログラム広告やネオンの輝きがこのメガトーキョーという巨大都市を覆い尽くしている。
ビルの合間に蜘蛛の巣状に張り巡らされた空中歩道の上を忙しなく移動する社会人達は、本日の仕事を終えてそれぞれの帰路につく。
ビルの壁面に映し出された大型街頭ビジョンでは、AI生成された女子アナウンサーが本日のニュースを淡々と読み上げている。
そんな往来の激しい地区の一角、何の変哲もない雑居ビルの一室で、今回の事件が始まろうとしていた。
「間に合わないとはどういうことだDr.カミル? 期限までに完成すると言ったのはアンタだろう」
薄暗い室内で、神経質そうな男が白衣を着た男性に険しい視線を向けていた。白衣の男性はいかにも科学者らしい風貌で、PCを操作しながら男の視線に怯えていた。
顔の下半分が豊かな顎髭で覆われているせいで実年齢より老けて見えるが、実際は少し前に三十歳になったばかりである。
外見は中東や中央アジア出身者に多く見られる特徴を持っている。
「だから言っているだろう、アンタ達が何度も設定を変更するから予定が大幅に遅れたんだ」
「他人のせいにする暇があったら自分で何とかしろ。もし期限までにアレを完成させなければ命はないと思え」
カミルと呼ばれた男性は、以前から男に脅され、本人の望まぬ研究開発を強要されていた。
しかし「殺す」という脅し文句は、何度も繰り返している内に少しずつ効力が薄れていくものだ。場合によっては反抗心が芽生える時もある。
この時の科学者もそうだった。
「脅しても無駄だ。必要なサイズのAI制御装置が手に入らない限り、アレを完成させるのは不可能だ」
男はその物言いが気に入らなかった。「……そうか」と表面上は穏やかな声で言ったが、直後にいきなり胸倉を掴むと、グッと顔を引き寄せてこう言った。
「良く聞け、もし一日でも期限を過ぎればアンタだけでなくアンタの愛する家族まで命が危うくなるぞ」
「な、話が違うぞ! 家族には危害を加えない約束だったじゃないか!」
「事情が変わったんだよ。アンタが非協力的な態度を取るなら、こちらもやり方を変えざるを得ない」
科学者が露骨に動揺したのを見て、男はしたり顔で耳に指を当てて電話をかける素振りを見せる。
「わかるか? 俺が電話を一本かければ部下が一人ずつアンタのガキの頭に鉛弾をぶち込むって仕組みだ」
「やめてくれ! 私はどうなっても良い。だから家族にだけは手を出さないでくれ!」
「なら黙って俺の言う通りに働け」
「本当に無理なんだ! 必要な部品がないと作業することさえ出来ない!」
「そうか、なら見せしめに一人殺せば少しはやる気が出るだろう」
「ああああ、やめろォ!」
科学者は男に掴みかかろうとしたが、周りの部下に羽交い締めにされる。
男は嘲るように笑い、部下に電話をかけた。ところがいつまで経っても呼出音が鳴るだけで、一向に応答する気配がない。男は次第に苛立ちを覚え始めた。
「チィ……トイレにでも行っているのか?」
その時、どこからともなくカランカランという軽い金属音が聞こえた。かと思うと、今度は何か筒状の物体が足元に転がって来た。
それが特殊部隊などが使用する閃光手榴弾だと気づいた時にはもう遅かった。
次の瞬間、部屋全体に二百デシベル近い爆発音と、激しい閃光が拡散し、男達の聴覚と視覚を奪った。
ほぼ同時に完全武装したセンチネル隊員が突入を開始し、銃を持った男達を次々と制圧していった。
手榴弾の威力をまともに受けた科学者は、他の男達と同様、前後不覚に陥っていた。
科学者は、センチネル隊員が敵なのか味方なのかもわからず、銃を持っている相手に怯えていた。
と、そこへ最新式の暗視ゴーグルを装着した女性隊員がゆっくりと歩み寄って来た。
『助けに来ましたカミル博士。我々はセンチネルです』
その女性隊員――諸星アイリは、暗視ゴーグルを外しながら右腕のサイバーデッキを起動し、ホログラムの文字で一時的に耳が聞こえなくなった科学者に語りかけた。
やがて正常に聴力を取り戻すと手近な椅子に座らされ、医療班の介抱を受けた。
「気分はどうですか?」
「……ああ、まだ少しめまいがするが大丈夫だ」
正面で腕組みをしながら訊ねるアイリに、「カミル博士」と呼ばれた科学者は頭を押さえながら答える。
「そ、そうだ。私の家族は? 妻と子共が奴らに捕まっているんだ!」
「ご心配なく。ご家族もつい先ほど保護しました」
「そ、そうか……ありがとう」
会話を終えると、アイリは改めて室内を見渡した。殺風景な部屋にPCが一台。
「ここで一体何をさせられていたんです?」
「私は……奴らに脅されてある兵器の開発を強いられていた」
「兵器?」
「詳しいことはそこにあるパソコンを見ればわかる」
科学者は先ほどまで自分が操作していたPCのホロディスプレイを指差した。
アイリは前屈みになってそこに表示されている画像を注視した。
見たところ全く新しいタイプの垂直離着陸機の設計図らしい。
主翼と脚部にそれぞれ機関砲とミサイルを装填する兵器倉が搭載されていることから、軍用であることが窺える。
主翼は大型の猛禽類のような可変翼式で、従来の固定翼機よりも柔軟かつ繊細な飛行を可能にしている。
尾翼の後方には、先端に向かって徐々に細くなっていく長い尻尾のようなものが生えている。いや、これはまさに生物の尻尾そのものだ。
そしてもっとも目を引くのが、長く伸びた先端部分に、かつて太古の昔に存在した肉食恐竜を彷彿させる頭部が取りつけられていることである。
見れば見るほど一般的に航空機と呼称される乗り物とは一線を画したデザインだ。
どちらかというと生物に近い特徴を多く備えている。
それも現実に存在する生物ではなく、西洋の神話や伝承に登場する竜のような外見だった。
こんなものは今まで見たこともない。
「何ですこれは?」
訳がわからず、アイリは科学者に質問する。
「……悪魔の兵器だよ」
しかし返って来たのは、何とも要領を得ない答えだった。
やむを得ず、アイリは改めてもう一度PC画面を見直した。今気づいたが、画面の右上にファイル名らしきアルファベット文字が並んでいる。
アイリは無意識の内にそれを声に出して読んでいた。
「Wyvern……ワイ、バーン?」
ハビーブ・カミル。機械工学の専門家で出身は中東。数年間アメリカに留学して有名な大学で二つの修士号と博士号を取得する。
国内外の複数の研究所や大学から好条件の勧誘を受けたが、本人は自分の知識を母国の発展に役立てたいと思い、全て断って帰国した。ところがその直後に政情が急激に不安定化し、独裁政権の市民に対する弾圧が激しくなった。
カミルは知り合いが反政府運動に参加したという理由だけで拘束され、数日間に渡る厳しい尋問を受けた。その知り合いというのは、顔を合わせたら軽く挨拶する程度の関係に過ぎないのだが、当局は聞く耳を持たなかった。
一時的に解放されるも、このままでは最悪死刑もあり得ると考えた彼は、やむを得ず国外に脱出することを決意した。
その後は各国を転々とし、たまたま旅先で知り合った女性と結婚して、四人の子供が生まれる。
そんな中、彼の人生の転機が訪れた。ある日、カミルの経歴をどこからか聞きつけた謎の集団が訪ねてきて、何不自由ない裕福な暮らしを約束する代わりに、その豊富な科学知識を自分達の為に有効活用して欲しい、という取引を持ちかけた。
組織の名前はエクリプス。
連中はいわゆる死の商人で、中東からインド太平洋地域まで広範囲に渡る密輸ルートを牛耳っている巨大犯罪シンジケートだった。主に武器の密売を生業とし、時には独自に新型兵器の開発、製造を行うこともあった。
彼は組織に命じられるままに様々な兵器の開発に携わった。顧客の大半は国連から制裁を受けている独裁国家やテロ組織だった。生活が苦しかったとは言え、カミルは自分のしていることに段々と罪悪感を抱くようになり、組織との間に軋轢が生まれるようになった。
軋轢が決定的になったのが、彼が今開発している新型兵器の買い手が母国の政府だと知った時だった。
同胞を殺す兵器を設計するなど、到底受け入れられるものではない。
組織にそのことを説明すると、それまで良好だった両者の関係は一変した。
彼らは「我々に従わなければ殺す」と脅迫し、恐怖でカミルを支配するようになった。
さらには狭い個室に彼を監禁し、家族からも引き離してひたすら兵器の開発に没頭させられた。
カミルは金の為に判断を誤ってしまったことにようやく気づいた。最初からわかっていたはずだ。こんな無法者の集団に手を貸すべきではなかったのだ。
組織のやり方についていけなくなった彼は、密かに外部に助けを求めた。
組織は絶えず彼を監視していて、PCの通信データも絶えずチェックされている。
そこでステガノグラフィ技術を駆使して、組織の通信データに救援メッセージを紛れ込ませ、それを分割、暗号化して助けてくれそうな捜査機関に片っ端からメッセージを送信した。
送信先はインターポールや各国の警察機関。メッセージが本当に届くかどうかわからなかったので、例えるなら海に大量のボトルメールを流すような気の遠くなる話だった。
そして最初にメッセージを拾ったのがセンチネルだった。
センチネルは密かにカミルと連絡を取り、彼が日本に来るタイミングを狙って救出する計画を立てた。
作戦は見事に成功。一人の負傷者も出さずにカミルを救出することが出来た。
最近ではただの自警団気取りの一般人にすっかりお株を奪われていたセンチネルとしては久々の大手柄であり、一部の隊員の間ではちょっとした祝賀ムードになった。
しかしこれはさらなる大きな事件の始まりに過ぎなかった。
「それで、ワイバーンというのは何なんです?」
本部に戻るとアイリ達は改めてカミルに話を窺った。設計図を専門家に分析させても、まだまだ不明瞭な点が多く、直接本人に訊く必要があった。
「私が開発させられていたのはAI制御の完全自立型無人戦闘機だ。従来の無人機のように人間が遠隔から操作するのではなく、最新鋭の人工知能を用いて索敵、戦闘を行うことを想定して造られた」
「まるで西洋のドラゴンのような見た目ですね」
アイリは思っていることをそのまま口にした。兵器であることは一目瞭然なのだが、そのあまりにも奇抜なデザインはどこか荒唐無稽な印象さえ受ける。
「生物の飛行力学を参考にした結果、あのような形状が最適と判断したんだ。従来の固定翼機ではなく可変翼機にすることでより高い機動力を発揮し、圧倒的な火力で敵を殲滅する。設計者の私が言うのもなんだがまさに最強の兵器だ」
なるほど。彼の話を聞くと確かに軍事的合理性に適ったデザインのように思えてくる。
武装は量子センサを用いた極小誘導弾に大口径の機銃、そして頭部の口に該当する部分には炎の息ではなく超高出力のレーザー光線を照射する多重アレイが内蔵されている。
実際のところ、生物を模した羽ばたき式飛行機がこれまで全く存在しなかったかと言うと、そうではない。
鳥型の旅客機や昆虫型ドローンなどはすでに実用化されているし、何年も前から各国の正規軍でも軍用機の研究が進められている。
ただ費用や技術面での課題が多く、まだまだ実用化には至っていないのが実情だ。
もしこれが世界初のAI制御型の無人機だとすれば、今後の兵器開発に大きな影響を与え得る画期的な発明になる。
しかしその直後にカミルが「ただ……」と前置きをした後でこんな話を始めた。
「実戦で運用するにはまだ解決しなければならない致命的な課題が残っている」
「というと?」
「知っていると思うがAI制御の無人機には敵兵士と民間人とを区別する非常に高度な物体識別機能を備えた最新鋭の人工知能が必要だ。だが今のワイバーンにはまだセマンティックセグメンテーションの問題を解決出来ていない旧世代のAIしか積んでいないんだ」
「つまり?」
ずっとアイリの後ろで話を聞いていたローザが続きを促すと、カミルは
「今のままでは視界に入った人間を無差別に虐殺するただの殺戮マシンになってしまう」
殺戮マシン。物騒な単語が出てきた途端、にわかに室内に張り詰めた空気が漂う。
カミルの話が事実なら、兵器の買い手である独裁政権は自国の反乱分子を鎮圧する為に間違いなくこれを使用するだろう。
そうなると現時点ですでに数百人の死傷者を出している国内情勢はさらに悪化する。それだけではない。周辺諸国との緊張が高まれば、大規模な武力衝突にも発展しかねない。
どうやら状況はアイリ達が想像した以上に深刻のようだ。
「それで、その兵器は今どこにあるんですか?」
アイリが訊ねると、カミルは言葉を詰まらせながら申し訳なさそうに答えた。
「それがその……私にも正確な場所はわからないんだ。ずっと監禁されていて知りようがなかった……ただ、奴らが話しているのを聞いたんだが、どうも最近、部品の調達で東アジアのどこかに運び込まれたらしい」
アイリ達は失望を隠し切れなかった。せめてもう少し詳細な話が聞けると期待していたのだが、後は逮捕した組織の構成員を尋問するしかないか。
気まずい沈黙が流れて数秒が経過した頃、ふいに一人の女性職員がひどく慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「支部長、お電話が入っています!」
「後にしなさい」
女性職員はしかし引き下がることなく続けた。
「それが、エクリプスと名乗る組織から。例の無人機の件で話があると」
「――ッ!?」
『どうもアッシャー支部長。わざわざ話に応じてくれて感謝する』
指令室のホロスクリーン越しに語りかけてくる男は、覆面で顔を隠していた。居場所を特定されない為か、照明を極力排除した空間は男の周囲がぼんやりと視認出来る以外は果てしない暗闇が広がっている。
その男の背後、巨大な爬虫類を彷彿させる形状をしたシルエットが浮かび上がっている。
恐らくあれがワイバーンだろう。
「要件は?」
ローザは単刀直入に質問した。
『こちらの要求はただ一つ、Dr.カミルを返して頂きたい。彼は我々の大切な友人なんでね』
「本人はそう思っていないようだけど?」
『それは見解の相違だな』
「どうでも良いわ。そんな無茶な要求が――」
『「通ると思っているのか?」かな? だがそう言う前にちょっとこいつを見て欲しい。これをご覧になればアナタがどれほど強情な人間でもきっと気が変わるに違いない』
その途端、男の背後の壁が半分に割れて、その向こうに広大な空間が出現した。どうやら壁と思われたものは両開きの鉄扉だったらしい。
そこには見覚えのある都市の風景が広がっていた。
ネオンライトに表記された言語や、建造物の特徴から推測すると、そこは十中八九、自分達が住み慣れた馴染みの都市だった。
「メガトーキョー!?」
無意識の内にプリヤが叫び声をあげる。
このメガトーキョーのどこかに大勢の人々の命を脅かす殺戮兵器がある。
もしこれが事実なら、マンスローターが神経ガスを手に入れた時以来の脅威だ。
聴衆が一斉に息を呑むのを尻目に、覆面の男が高らかにこう宣言した。
『良いか、一度しか言わないから良く聞け。今から二日以内にDr.カミルを連れて来い。さもなくばこのメガトーキョーが地獄と化すことになるぞ』




