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グリッドランナー  作者: 末比呂津
ローブリッター編
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じゃあ行きましょう

 センチネル本部では、ローザが憂鬱な気分で事後対応に追われていた。

 昨夜のアイリ達との追走劇では、センチネルの規定を軽く十項目は破ってしまった。

 朝から関係各所からの抗議の電話が鳴りっぱなしになっている。

 上からの命令とはいえ、やはりあれは間違った判断だった。

 そのことについて、カスパロフに助言を求めようと先ほど連絡を取ったところ、信じられない答えが返って来た。


『ああ、まずいことになったな。誰かが責任を取らねばなるまい。この場合、私と君のどちらかということになるが、私は御免被りたいので消去法で君になってしまうな』

「そんな……私はただアナタの命令に従っただけですよ?」

『そうだな、君には本当に気の毒なことをしたと思っている。だがこれも自然の摂理というものだ。まあ再就職先の口利きくらいはしてやるからせいぜい頑張ってくれ』

「なっ!?」


 もはや絶句するしかなかった。なんという無責任な言い草。これが人の上に立つ人間の言葉か。

 そっちがその気ならばと、ローザは掛かって来る苦情の電話に対して片っ端から「全ては命令されてやったことだ」と言い張ったが、カスパロフがすでに根回しをした後らしく、誰も取り合ってはくれなかった。

 終わりだ。四面楚歌とはこういうことを言うのか。

 長年、積み上げてきたキャリアがこんな形で台無しになるとは思いもしなかった。

 現在は本来の職務をこなしながら、クビを言い渡されるのを待つ身だ。

 死刑執行の日を待つ死刑囚になった気分だ。


「あの……私も新しい仕事を探した方が良いでしょうか?」


 おずおずとした口調で秘書のブラッドリーが訊ねる。彼は長年ローザの秘書として彼女を支えてきた。当然、彼女が職を追われたら大きな影響を被るのは避けられない。

 だがローザには他人を気遣ってやれるほどの心の余裕はなかった。


「……そうね、その方が良いかもしれないわね」


 そんなやり取りをしていると、執務室の扉をノックする音が聞こえて女性職員が入って来た。


「失礼します支部長、本社のバルビア社長からお電話が入っています」


 オットー・バルビア。

 センチネルの代表取締役社長が直々にお出ましとは、とうとう自分も終わりの時が来たようだ。

 ローザは覚悟を決めて「繋いで」と言って、電話に応答した。


『いやー聞いたよアッシャー君。今回の事件では大変なことをしてくれたそうだね』


 一見すると口調は穏やかだが、この状況では嵐の前の静けさのようにも聞こえる。きっとこの後には責任を問い質す台詞と罵詈雑言が飛んでくるに違いない。

 と思いきや、次にローザが訊いたのは意外な言葉だった。


『まさか就任早々、厄介な凶悪犯を逮捕してしまうとはね、いやはや大した活躍じゃないか』

「……は?」


 予想とは真逆の反応に、ローザは目が点になる。


『とぼけなくて良いよ、現地の職員も褒めていたよ。犯人を逮捕出来たのは君のおかげだとね。どうやら我々が君を後任に指名したのは間違ってなかったようだな』


 どう聞いても解雇通告には聞こえない。

 それどころかローザの手腕をこれ以上ないくらい称賛している。さらに今後の活躍にも期待を示している。つまりクビにする気はないということだ。


「し、しかしセンチネルの規定をいくつも破ってしまいましたが……」

『だがそれも犯人を捕まえる為にしたことなんだろう? 大丈夫、関係者には私から説明しておくから、君は安心してこれからも仕事に励んでくれたまえ』

「……は、はあ」


 どうも正確な情報が伝わっていないらしい。カスパロフは、社長には何も話していないのか。だとしたらこれはチャンスかもしれない。

 しかし現地の職員というのが何者なのか気にかかる。

 通話を終える頃には、ローザはキツネにつままれたような気分になっていた。


「どうなったのです?」


 隣でブラッドリーが訝しげな表情で質問する。彼には先ほどの通話は聞こえていないが、ローザの様子から何となく悪いニュースではないことは察したようだ。


「さあ……わからないわ。ともかくクビだけは免れたみたいだけど……」

「何故?」

「話によると誰かが社長に掛け合ったみたい……私はてっきりアナタが何かしたのかと……」

「いえ、あいにく私はそのような権限は持ち合わせておりませんので」

「だとしたら一体誰が?」

「私だ、って言ったら意外に思うかしら?」


 いきなり発せられた声に、ローザとブラッドリーは同時に反応した。声の発信源を辿ると、執務室の入口に信じられない人物が立っていた。


「アイリ……どうしてアナタが……」

「『ここにいるか』って? それともこう質問したかったの? 『何故、敵対しているはずの私がアナタを助けるのか?』」


 つい数時間前まで追われる身だったとは思えないほど堂々とした足取りで、アイリはローザの真正面まで移動すると、早口にまくし立てた。


「第一の質問、ここは私の職場なんだから、いても別におかしくないでしょう。第二に、アナタを助けたのは別に善意からって訳じゃないわ、見返りを期待してのことよ」

「見返り?」

「そう、まず私のクビの撤回、そしてここ数日間の私とマリーがした処分の対象になり得る行動を全て不問にすること。さらに今回だけでなく、今後私が起こすであろう行動にも一切口出ししないこと」

「そんな条件が呑めるとでも思っているの?」

「嫌なら良いのよ、そしたらもう一度社長に連絡して『さっきの話は全部勘違いでした』って言うだけだから」

「……くっ」


 ――この女は。


 一体何を考えているのか。

 アイリが社長と連絡を取れたのは、恐らく昨晩アイリと共に逃走していた女性のおかげだろう。

 身元を調べたところ、サイバーマトリックス社でかなり高い地位に就いていることがわかった。その気になれば子会社センチネルの社長と連絡を取りつけるのもそれほど困難なことではない。

 解せないのはアイリの目的だ。

 ローザが解任されれば、どちらにせよアイリ達は処分を免れる。それに犬猿の仲であるローザがいなくなった方がアイリにとっては好都合なはず。

 にもかかわらず何故わざわざ敵に塩を送るような真似をする?


「何が目的なの?」

「そうね、ちょっと冷静になって考えてみたの。確かに私達は良好な関係とは言い難いけど、後釜にもっと厄介な人間が来たらそっちの方が嫌だなって。それなら多少問題があっても、今いる相手と上手く付き合う努力した方が賢明だと思わない?」


 努力?

 どう見てもこれはただの脅迫ではないか。

 口出ししないということは、アイリが何をしても黙認するということだ。ローザの知る限り、アイリは今まで出会った中で最も危険な人物の一人。こんな人間に自由を与えるなど、獰猛な獣を放し飼いにするようなものだ。

 日本に来る前は、これからの人生は順風満帆だと確信していた。逆に欧州時代からライバル視していたアイリは、ハイタワー死亡の責任を問われ、破滅を待つだけの身となっていた。

 それが一夜にして立場が入れ替わるとは、野球で言うなら逆転満塁ホームランを打たれた気分だ。


「さてどうするのかしら? このまま返事がなければ取引成立と見做すけど?」


 アイリが返答を催促する。

 こんな要求呑める訳がない。だが取引に応じたら支部長の椅子に座り続けることが出来る。

 ローザにはこれが恐ろしい悪魔メフィストとの取引のように思えた。

 一体いつこの取引を思いついたのだろうか。もしかするとセンチネルに追われている時にはもうすでに、こうなることを見越して行動していたのか。

 もしそうだとすれば、この女は自分の想像を超えるほど恐ろしい人間のようだ。

 結局、取引の魅力には抗えず、ローザはアイリの問いに沈黙で答えていた。


「決まりね。これからも仲良くしましょう、アッシャー支部長?」


 アイリは不気味なほど愛想の良い微笑を浮かべてローザの肩に手を置いた。ローザはその笑顔が心の底から恐ろしく感じた。




 海斗はその日の内に退院することが決まった。

 相当な深手を負っていたはずなのに、腹部の刺し傷も跡形もなく消失している。

 医療用ナノマシンのおかげだろうか。我ながら凄まじい回復力である。

何だか自分が段々と人間とはかけ離れた存在になっているようで、何とも言えない気持ちになる。


『では、やはり法水CTOは生きているんだな?』

「ええ」


 電話越しに上月の安心したような声が聞こえる。

 法水が死亡したという偽のニュースは、早くも朝方に報じられていた。だが上月には、何となくこれは敵の目を欺く為の偽装ではないかという予感があったという。その真偽を確かめる為、こうして海斗に 答えを求めた訳だ。

 

「と言っても、しばらくは敵の目を誤魔化す為に身を隠すって言ってましたけど。ほとぼりが冷めたら向こうから連絡するそうです」

『そうか』


 生きていたことは喜ばしいが、Not Foundに関する情報が今すぐ手に入る見込みが薄くなったことで、上月は内心複雑な心境だった。

 フラッシュメモリのデータは消えたが、まだ完全に希望がなくなった訳ではない。データが消えたのなら、直接本人に訊けば良いだけの話だ。

 だが法水の安全を考慮すれば、すぐに訊くのは難しい状況だ。


『気をつけた方が良い。連中はいつどこで私達を監視しているかわからないからな』

「ええ、上月さんも」


 通話を終えた海斗は、病院の前で立ち止まり、この激動の数日間を追想して物思いに耽った。

 本当に長い長い数日間だった。時間が経つのがこれほど長く感じるのはマンスローターの事件以来だろう。

 今回ばかりは本当に絶体絶命だったが、守るべき人は全員無事だったのだ。上々の出来と言えよう。

 そう自分に言い聞かせていると、海斗の代わりに退院手続きを終えたルナが、病院から出て来た。

 後は家に帰るのみ。


「もう良いの?」

「あ、うん」

「そう、じゃあ行きましょう」


 そう言ってルナは、左手をこちらに差し出した。

 海斗は一瞬、その意図を理解しかねて、荷物を持ってくれるのかな、などと的外れなことを考えてしまう。が、どうもそうではないらしい。握手を求めている訳でもない。

 ということは、やはりアレか……。

 海斗は恐る恐る右手を伸ばして、そっとルナの左手を握った。するとルナも握り返して来て、二人は手を繋いだまま歩き出した。

 まるで恋人同士のように肩を寄せ合いながら。




 海斗との通話を終えた後、上月は大きな溜め息をついて、自分のデスクにある端末を操作して、ある画像ファイルを開いた。

 その写真には仲睦まじく肩を組む男女のカップルが写り込んでいる。

 女性の方は若かりし頃の上月、そして男性の方はかつて孤児だった海斗を引き取ってくれた彼の養父、浅宮武蔵だった。

 上月が生涯で唯一愛した男性。しかし彼はもうこの世にはいない。

 亡くなる直前、武蔵はサイバーマトリックスに対して何らかの調査を行っていた。

 そして電話で上月にこんな意味深な言葉を遺していた。


「朋子、君の会社はとんでもない不正を行っている。もしこれを公表したら、サイバーマトリックスのあり方を根底から覆すことになるほどの大事件だ。世界に大きな混乱をもたらすかもしれない。だけど一人の人間として、僕は見過ごす訳にはいかないんだ。きっと君は反対するだろうが、どうかわかって欲しい」


 最初に聞いた時、あまりに荒唐無稽な話に、上月はまともに取り合わなかった。どうせ武蔵の勘違いだろうと思った。

 彼は時折、正義感が暴走して一人で先走る悪癖があった。だから今回もその一環だろうと思った。

 それが彼との最後の会話になるとも知らずに。

 武蔵が任務中の事故で殉職したとの一報を受けたのは、その翌日のことだった。

 センチネルは事故死と結論づけていたが、上月は強い確信を抱いていた。

 武蔵はサイバーマトリックスの人間に殺されたのだ。

 今思えば何故、最後の会話であんなふうに突き放してしまったのか、自分でもわからない。あの時、もっと親身になって話を聞いていれば、彼も死なずに済んだのではないかと思うと、そのことを悔やまない日はない。

 だから上月は誓ったのだ。

 彼の死の真相を突き止めるまで、絶対に諦める訳にはいかない、と。

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