駄目じゃないか
ライザーが武器を手にしているのに対し、海斗は丸腰。通常なら馬鹿正直に真正面から突撃すれば、間合いの差でライザーの高周波プラズマブレードが、海斗の拳より早く胴体を真っ二つにするのは自明に思えた。
まさに飛んで火にいる夏の虫。
ところがライザーが剣を振り払おうとした瞬間、ふいに海斗の姿が煙のように消失した。かと思うと一瞬の内に背後に回り込んでライザーの側頭部に飛び蹴りを入れた。
『……ぐぅ!』
ライザーはなす術なく吹き飛ばされ、後方のコンテナに激突した。辛うじて急所を外したのか、すぐに起き上がって反撃を開始しようとする。
そこへ間髪入れず海斗がグラップルシューターを射出し、ライザーの頭上にあるコンテナを掴み取り、勢い良く引っ張りあげた。
数十トンの鉄の塊が、雪崩を打ってライザーに襲いかかる。
一瞬よろめいたライザーだったが、素早くロングソードを一閃すると巨大なコンテナを一刀両断して難を逃れる。コンテナの雪崩が一段落すると、今度はライザーの方から攻撃を仕掛けた。
赤紫色の刃が稲妻のように閃き、上下左右から海斗に迫る。海斗は斬撃を回避しつつ、攻撃範囲の差を感じさせないほど鮮やかな動きで反撃を叩き込む。
鋭いパンチと斬撃が目まぐるしく入り乱れる。金属がぶつかり合う激しい轟音が絶え間なく響き、周囲の建造物が軽々と宙を舞う。
ライザーがロングソードを真一文字に薙ぎ払うと、海斗は重力を無視した跳躍力で宙を舞い、コンテナの上に着地する。
ライザーもそれを追ってコンテナに飛び乗り、両者は狭い足場を飛び移りながら攻撃の応酬を繰り広げた。
『どうして無関係な人を平気で巻き込めるんだ!』
『大いなる理想の為には犠牲は付き物ということだよ』
『ふざけるな!』
海斗はグラップルシューターでフォークリフトを掴むとハンマーのように持ち上げてライザーに振り下ろした。
ライザーはしかし、前回の戦闘ですでにその戦法を見切っていた。
フォークリフトを易々と切断すると、さっきのお返しとばかりに偶然付近にあったジブクレーンの支柱を切断し、クレーンが吊り下げていたコンテナを海斗の真上に落とす。
突然の出来事に、海斗は判断が追いつかず、咄嗟に両手で受け止めてしまった。両手が塞がってしまっては、自由に動くこともままならない。その隙を狙ってライザーが攻撃を仕掛けてくる。
『……くっ!』
海斗はコンテナをライザー目掛けて投げつけた。ライザーは一振りでそれを薙ぎ払うと、そのままの勢いで海斗に斬り掛かろうとする――が、そこに海斗の姿はなかった。
コンテナで一瞬視界が遮られた隙にどこかへ身を隠したのだ。
と、ライザーが周囲を警戒を強めた直後、背後からグラップルシューターによるスイング移動で海斗が急接近し、遠心力を利用した渾身の飛び蹴りを放つ。
ライザーは激しく錐揉みしながら、十メートルほど吹き飛ばされ、ガントリークレーンが搬送するコンテナに叩きつけられた。
そのまま落ちるかと思いきや、態勢を整えてコンテナの側面に張り付く。
『ククク、素晴らしい……素晴らしい力だ。これが軍隊に匹敵する最強のサイボーグの力か……これでこそ倒し甲斐があるというものだ!』
『いい加減にしろ! お前のくだらない実験に付き合っている暇はないんだよ!』
『それは私自身が決めることであって君に口を挟む権利はない』
『ふざけるな!』
この男もクルーガーと同類だ。自分の承認欲求を満たす為に人の命を平気で弄ぶ。倫理観や道徳観など微塵も持ち合わせていない。
こんな奴を野放しにしてはいけない。もし奴を逃すことになれば、必ずまた同じことを繰り返す。
そんなことは絶対にさせない。
海斗はグラップルシューターを利用してコンテナに飛び乗った。
戦いの場をコンテナの上部に移し、再び剣と拳を交える二人。苛烈な攻撃の応酬により、至る所で火花が迸った。
不安定な足場での戦闘は、しかし壁に張り付く能力を持った両者には大きな影響はなかった。
振り下ろされるロングソードを、海斗は片手でライザーの手首を掴むことで阻止する。
『どうした、その程度か?』
『うるさい!』
ライザーの挑発を、海斗はその一言で一蹴し、もう片方の手で拳を打ち込もうと試みる。が、その前にライザーが繰り出した右脚が腹部に直撃する。海斗は勢い余ってコンテナから突き落とされた。
『……ぐっ!』
このままでは地面に叩きつけられてしまう。海斗は咄嗟にガントリークレーンのアームにグラップルシューターを射出し、落下を回避した。そのままライザーの周囲をスイングしつつ、左手のプラズマ砲を発射する。
掌から放出された光弾は、しかし紙一重のところで回避される。ライザーは即座に海斗を追ってクレーンのアームに飛び移った。アームを切断して海斗を落とすつもりのようだ。
海斗はアームの底部に着地してライザーそれを阻止しようとする。が、寸前のところで間に合わない。
ライザーの高周波プラズマブレードは、頑丈な鉄骨のアームをいとも容易く切断した。足場を失った海斗は重力に逆らえず真っ逆さまに落下する。海斗は、せめてこの男も道ずれにしようとグラップルシューターをライザーの脚目掛けて射出した。
『なっ!?』
不意を突かれたライザーは、ワイヤーを切断する暇もなく引きずり降ろされた。
落下するアームの上でも、彼らは戦闘を繰り広げた。落下までの数秒間、壁に張り付く能力を活用し、常人には視認することの出来ない速度で何百という攻防が繰り返される。
先に優位に立ったのはライザーの方だった。アームがほんの僅かにクレーンの支柱に衝突した拍子に、海斗がバランスを崩してしまい、その隙を狙ってライザーが左手で海斗の首を鷲掴みにした。
過去の海斗との戦闘から、そのまま剣を振り払っても回避される公算が高いと判断したライザーは、確実に仕留める為にアームに彼の身体を押さえ付けて剣を構えた。
海斗は必死に相手の顔を殴るなどして抵抗を試みたが、こんな至近距離では威力のある攻撃も出来ない。
『終わりだ!』
そんな勝利宣言と共に、ライザーが剣を突き立てる。万事休すと思われた次の瞬間、海斗は一か八かの賭けに出た。右手を高々と上に掲げると、目の前のライザーではなく背後のアームに思い切り肘鉄を打ち込んだ。
鉄骨のアームが甲高い悲鳴をあげながら直角に湾曲する。その衝撃でライザーの拘束が僅かに緩む。海斗は意を決して、先ほどのお返しとばかりに腹部に蹴りを叩き込んだ。
ライザーの身体が空中に放り出される。拘束から解放された海斗は、素早く立ち上がり、アームが地面に墜落する寸前に辛くも脱出に成功した。
うず高く積み上げられたコンテナの上に着地し、機械義脚に内蔵された衝撃吸収装置が作動する。
体制を整えると、直ちにライザーの姿を探す。が、すでに闇に紛れて身を潜めた後だった。
海斗はどの方向から奇襲が来ても対処出来るよう、全神経を集中させて身構える。
するとその直後、海斗の足元のコンテナが真っ二つに切断されて、ライザーの斬撃が襲いかかる。
海斗は背後に飛び退ることで斬撃から逃れた。間を置かずして、全方位から矢継ぎ早に斬撃が繰り出される。仮借ない攻撃に圧倒され、海斗は徐々に反撃の機会を失い、防戦一方に立たされた。
『どうした、さっきまでの威勢はどこかな? このままではいずれ私の剣が君の全身を斬り刻むぞ?』
『いい加減に……しろォ!』
叫ぶと同時に、これまで積りに積もった怒りを爆発させるように素早く突き出した痛烈なアッパーカットが、ライザーの顎に直撃した。斬撃の合間に生じた一瞬の隙を見逃さず、回転するヘリのローターをすり抜けるような絶技で正確に攻撃を命中させた。
『関係ない人達を平気で傷つけて……少しは人の痛みを知れ!』
そのまま一気に畳みかけようと、両方の拳で追い打ちを加え続ける。この際、相手に反撃されるリスクを冒してでも、勝負を仕掛けた方が得策だと判断した。
『くっ……馬鹿な、押されているだと? 私の計算ではこんなことありえないはずだ!』
『……計算だって? は、目から鱗が落ちることを教えてやろうか? アンタが押されている理由はなぁ……アンタが弱いからだよ!』
『戯言を……ほざくな!』
堪らずライザーが苦し紛れの一振りを放つも、海斗は難なくそれを回避し、腹部に掌底を打ち込む。
しかしそれは罠だった。
次の瞬間、ふいに伸ばしたライザーの左腕が、掌底を放った海斗の手首を掴み取った。
『捕まえたぞ! これで避けられまい!』
終わりだ――そう言って、右手のロングソードを振り下そうとしたその時、ハッとライザーは気がついた。
掴んだ腕の掌が蒼白色に発光し、今まさに収束プラズマ砲が発射されようとしているのを。
そう、罠を仕掛けたのは海斗の方。敢えて拘束されることで、相手がプラズマ砲を回避出来ないよう仕向けたのだ。
直後、掌から眩い光弾が迸り、ライザーの腹部に被弾した。手応えはあった。十数メートル後方まで吹き飛ばして力なく倒れこんだ。
やった。至近距離からのプラズマ砲の直撃。数日前の対サイボーグライフルによる損傷がまだ完全に修復されていないとすれば、確実に致命傷になったはず。
これで終わりだ。
勝利を確信しかけたその直後、海斗は身体の異変に気づいた。全身が麻痺したかのように動かない。手脚の感覚がなく、視界が歪んで見える。
まさかと思い、恐る恐る視線を下げる。それは自分の腹部の中心辺りに深々と突き刺さっていた。
吹き飛ばされる直前、ライザーは手に持ったロングソードを投擲した。プラズマ砲が発射される際のマズルフラッシュによって、一瞬視界が遮られたことにより、海斗はそれを回避することが出来なかった。
恐らくライザーは全て計算の上で、あのタイミングを狙って投げたのだろう。
『少々痛手を被ったが……どうやら私の勝ちのようだな……』
絞り出すような擦れ声と共に、ゆっくりとライザーが立ち上がる。
迂闊だった。勝利を目前にして、最後の最後で詰めが甘かった。
段々と視界が霞んでくる。駄目だ、倒れてはいけない。ここで踏ん張らないでどうする。
今、勝負をつけなければ、また大切な人に危害が及ぶ可能性がある。たとえ自分の命に代えても、この男だけは――
しかし身体が言うことを聞かない。見たところ相手も相当な重症を負っている。あとほんの一撃加えることさえ出来れば勝てるはず。なのに腕一本動かすのがやっとの状態だ。
必死の抵抗も虚しく、とうとう海斗は力なく膝をついて地面に倒れ伏した。
地面に横たわる海斗の脇腹に、ライザーの痛烈な蹴りが容赦なく突き刺さる。
抵抗力を失った身体は、まるでマネキンのように軽々と飛んだ。意識が朦朧としているせいか痛みはほとんど感じない。
こんなところで終わるのか……そんな諦めの思考が一瞬脳裏をよぎる。
『そういえば以前ある男が私にこんなことを言っていたよ。「いくら御託を並べようとお前がどうしようもない負け犬だという事実は覆らないんだよ」とね。ちなみにその男は私の手にかかって死んだがな。皮肉だと思わないかね。私を散々こき下ろした男は死に、私はこうして生きている。今だってそうだ。あれほど私を倒したがっていた君は地面に這いつくばり、私はそれを見下ろしている。人生というのは残酷なものだねえ。正義は必ず勝つ、というのは幻想に過ぎないんだよ』
ライザーはまるで虫けらのように無抵抗な海斗の身体を何度も蹴飛ばした。さっさとトドメを刺せば良いものを、ジワジワとなぶり殺しにして海斗への恨みを晴らすつもりのようだ。
だが今はかえってその方が都合が良かった。最期の瞬間が長引けば長引くほど、この絶望的な状況から抜け出す打開策を講じることが出来るのだから。
『やれやれ、天下の英雄グリッドランナーもこうなっては形無しだな。それとも単純に私の外骨格の性能が上だったのか』
海斗はまだ諦めてはいなかった。無抵抗に蹴飛ばされているのは、敗北を受け入れたからではない。残された僅かな力を、たった一度のチャンスの為に温存しているのだ。
死ぬ訳にはいかない。絶対に生きて帰るのだ。もう一度ルナに会って話をする為に。
頭にルナの顔を思い浮かべると、ほんの僅かだが力が湧いてきた。
とはいえ今の自分にはパンチ一発程度の力くらいしかない。この一撃で確実に敵を仕留めるのは、控えめに言って不可能に等しい。だが海斗はその不可能を可能にしなければならない。
チャンスはほんの一瞬。失敗すれば確実な死が待っている。
海斗は全神経を注力して最適なタイミングを見極めた。あまり長く蹴飛ばされているとさすがに身体が持たない。
『さてと、時間が押しているのでね、そろそろケリをつけさせて貰うよ』
海斗の胸倉を掴むと、身体を持ち上げてロングソードの切っ先を喉元に突きつけた。
ここだ。やるなら今しかない。
海斗は最後の死力を振り絞って右腕を上げた。
『無駄だ。何をしようが今更もう遅い』
最後の悪足掻きと受け取ったのだろう、ライザーは意に介さず剣を構える。
海斗はしかし不敵にこう言ってみせた。
『駄目じゃないか。周りにはちゃんと注意しなきゃ……!』
直後、海斗の右手から射出されたグラップルシューターが、ライザーの横をすり抜けて背後にある“物体”に接触した。その物体を、しっかりとアームが掴んだのを見て取ると、全身全霊の力を込めて引っ張った。
何か巨大な物体――大きさからして恐らくコンテナだと思われる――が猛烈なスピードで近づいてくる音が、ライザーの耳に届いた。
大方、ハンマー代わりにしてこちらにぶつけるつもりだろう。愚かな、所詮は無駄な抵抗だ。ライザーはそう判断して物体の正体をろくに確認せず、ロングソードで薙ぎ払おうとした。
わざわざ確認すれば、迎撃に間に合わない可能性がある。彼はそのリスクを避けたかったのだ。
だがそれが命取りになった。
飛来して来た物体は、コンテナではなく液化天然ガスを満載したトレーラーだった。
『なっ!?』
引火点の低い天然ガスにプラズマ化した刃が触れるとどうなるか、小学生でもわかる。
すかさず剣を引こうとするも時すでに遅く、耳をつんざく爆発音が轟いたかと思うと、一瞬にして視界が灼熱の光芒に包まれた。途轍もない衝撃が周囲一帯に広がり、二人の身体が風圧で空中に舞い上がる。
ライザーに蹴飛ばされている最中、トレーラーを発見した海斗は、咄嗟に起死回生の策を閃いた。あれを上手く利用して、ロングソードを無力化出来ないだろうか。ライザーの戦闘力は、ほとんどロングソードの威力に依存しており、体術のみでは到底海斗には及ばない。もし作戦が成功すれば、ライザーの力は大幅に低下する。海斗はそこに活路を見出した。
当然ながらロングソードが必ず壊れるという確証はないし、非常にリスクを伴う諸刃の剣であることも理解していたが、生き延びるには一か八かの賭けに出るしかなかった。
腹を括った海斗は、無防備に蹴り飛ばされているふりをしながら、上手くこの場所に誘導して作戦を実行に移した。
必然的に自分自身も爆発の衝撃をまともに被ることになるが、この程度の威力では大したダメージは受けない。それはライザーも同じことだろう。
しかし彼の自慢の剣は――
『くっ……』
黒煙が晴れて徐々にライザーの姿が露わになる。その右手に握られたロングソードがプラズマの光を宿していないのを目視で確認した。
故障している。海斗は賭けに勝ったのだ。
だがまだ勝負がついた訳ではない。いつロングソードの機能が回復してもおかしくないのだ。そうなる前に全てを終わらせる。
海斗は加速装置を利用して一瞬の内に距離を詰めると、これまでの鬱憤を晴らすかのように電撃的な攻撃を開始した。
通常の数百倍もの速度まで加速されたコークスクリューが、ライザーの顔面に直撃する。間髪入れずに反対方向から次なる一撃を加えると、今度は右から、さらにその直後には左からと、左右双方から一秒間に百発以上のパンチをライザーの全身に浴びせた。
『うおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
一撃また一撃と打ち込む度に、拳はその速度と威力を増していく。回避する暇もカウンターを仕掛ける暇も与えない。相手が完全に戦闘不能に陥るまで、海斗は一心不乱に拳を振り続けた。
つい先ほどまで立つことすらままならない状態だったのに、まだ自分にこんな力が残っていたとは、自分でも驚きだった。
時間経過によって体内のナノマシンがこれまでのダメージを回復させたのか、あるいは海斗のライザーに対する怒りが痛みや疲労を忘れさせたのか。
何にせよ、今の海斗にはどうでも良かった。彼の頭の中にあるのはただ一つ。目の前の男を完膚なきまでに叩きのめすこと。
それだけを考えて、ひたすら超高速ラッシュを繰り返した。
『ぐふっ……』
もはやライザーは立っているのがやっとの状態だったが、攻撃の手を緩めることはない。これ以上やれば相手の命に関わるのではないかといった考えは念頭にない。
仮に命を奪う結果になったとしても、ルナ達に危険が及ぶくらいなら殺人犯の汚名を背負った方が百倍マシだと思った。
やがて海斗は固く握りしめた右の拳で、それまでで最も重い一撃を、ライザーの鳩尾目掛けて打ち込んだ。
大きく後退りするライザー。が、まだ余力を残していたのか、どうにか脚を強く踏ん張って踏み止まろうとする。
『……ぐっ! この……調子に――』
乗るな――そう言おうとして顔を上げた瞬間、たった今海斗がいたはずの場所に、彼の姿がなかった。その代わり今まさに目の前で、ライザーにさらなる追い打ちをかけるべく前方に飛び上がり、攻撃動作に入ろうとしている海斗の姿が視界に入った。
既に回避は間に合わない。
刹那、ライザーの顔面に全身全霊を込めた後ろ回し蹴りが炸裂した。
凄まじい破壊音と共に、ライザーの身体が後方のコンテナに激突する。
その苛烈極まる威力は、鉄製のコンテナを突き破ってもなお勢いが衰えず、十メートル以上地面を転がった後、ようやく静止した。
面頬の形をしたバイザーは無残に破壊され、ライザーの素顔が露わになる。生々しい打撲痕が至る所に散見され、頭部からは血が流れている。
だがしかし、海斗は尚も攻撃の意思を止めることはなかった。
ライザーの上に馬乗りになると、何度も何度も顔を殴りつける。力加減を間違えると首の骨が折れてしまう可能性があったが、それでも海斗は殴り続けた。
こいつだけは許せない。ルナやヒカリにした仕打ちを思い出すと、頭の中で沸々と暴力的衝動が湧いてきて、自分でも制御することが出来なかった。
やがて顔の形が変わるくらい殴り続けていると、ふいにライザーの口が僅かに動いた。命乞いでもするのかと思ったが、案に相違して聞こえてきたのは笑い声だった。
『クククッ……どうした? その程度では私は殺せないぞ』
単なる虚勢か。そうやって挑発して自分はまだ負けてないとでも言いたいのか。
黙らせる為にもう一度殴るが、ライザーは口を閉じることはなかった。
『私を生かしておいたら今度こそ君の大事なガールフレンドが大変な目に遭うかもしれないぞ。さあひと思いに殺せ!』
海斗はライザーの真意を図りかねた。
殺したいほど恨んでいた張本人に、自分の殺害を焚きつけるとは、どういう心境の変化か。
「どうした早くやれ……やるんだ!」
『――ッ!』
その途端、海斗は握り締めていた拳を振り下ろした。その拳が砕いたのは、しかしライザーの頭蓋ではなく、その数センチ脇のアスファルトだった。
プライドの高いライザーには刑務所の惨めな暮らしはとても耐えられないのだろう。
だから海斗に自分を殺すよう仕向けたのだ。狭い檻に閉じ込められるくらいなら死んだ方がマシと考えて。おまけに海斗に殺人の罪を着せることも出来て、まさに一石二鳥である。
だが奴の思い通りにはさせない。奴には一生、檻の中で臭い飯を食べて生きていく方がお似合いだ。
そう海斗は立ち上がり、ライザーに背を向けて歩き出した。
「おいどこへ行く?」
ゆらゆらと覚束ない足取りで離れて行く海斗の背中に、ライザーは挑発的な言葉を浴びせかける。
「私が憎くて仕方ないのだろう? 今すぐ恨みを晴らしたらどうだ? 強がっても無駄だ。もしこのまま立ち去れば、君はこの時私を殺さなかったことを必ず後悔することになるぞ!」
『何を言ってるんだ?』
後ろで喚き散らすライザーに対し、海斗はこれ以上ないくらい冷ややかな声で答えた。
『俺にとってはアンタなんか、最初からどうでも良い存在だったんだよ』
その時、遠くからセンチネルのサイレンの音がこちらに近づいて来るのが聞こえた。
あれだけ派手に暴れたのだ、付近を巡回していた隊員が騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。
これでライザーは逮捕される。もし少しでも奴が脱獄を企てるような素振りを見せたら、それを実行に移す前に阻止して、もう二度と馬鹿な気を起こさないように徹底的に叩き潰す。
これは奴と自分の根比べだ。
安全性を考えたら、この場で命を断った方が良いのだろうが、それでは海斗の気が収まらない。
この先ずっと、奴は刑務所で惨めな思いをして生き続ける。それが海斗の復讐だった。その前にライザーは自ら死を選ぶ可能性もあるが、それはそれで構わない。
ひとまず主な脅威は取り除くことが出来たが、ただ一つ解消されていない疑問が残っていた。
ライザーの共犯者――Not Foundのことである。果たして彼らは何者なのか。海斗達の敵なのか、それとも――
ライザーがこれほど大掛かりな事件を引き起こせたのは、Not Foundの存在が関係している可能性が高い。もし今後、海斗達に害を及ぼすようなことがあれば、彼らとも敵対しなければならないのだろうか。
と、そんなことを考えているとセンチネルのサイレンの音が間近に迫っていた。
早く身を隠さないと自分も捕まってしまう。とはいえ先ほどの戦闘で精魂使い果たして走る気力も体力もない。おまけに視界がぼやけて今にも意識を失いそうだ。
案の定、数歩歩いただけで足がもつれてその場に倒れ込んでしまう。地面に衝突する寸前、誰かがその身体を抱き止めた。
薄れていく意識の中で、聞き覚えのある声が耳元で囁いた。
「お疲れ様です海斗様」
「十分三十五秒ですか。もう少し粘るかと思いましたが、意外と呆気なかったですね」
遥か遠くで繰り広げられた死闘の結末を見届けると、左手に持った年代物の懐中時計をそっと閉じた。
「まあ良いでしょう、おかげで十分にデータは採れましたから……」
その人物が立っている場所は、高層ビルの基地局アンテナの先端。およそ人が立つにはあまりにも不安定な足場だが、強風が吹いても、彼は直立不動の姿勢を維持して微動だにしなかった。
これだけでも十分に異様な光景だが、頭部には夜の闇よりもさらに暗い漆黒のシルクハットを目深に被り、白いシャツとタータンチェックのベストに身を包んだ姿はまるで奇術師を彷彿させる。それに加えて右手に持った黒檀のステッキが、より一層その印象に拍車をかけていた。
シルクハットの鍔に隠れて表情を窺い知ることは出来ないが、その口元は不敵な笑みを浮かべていた。
「ククク……それにしても馬鹿な人だ。本当にグリッドランナーに勝てるとでも思っていたのでしょうか。もしあのまま戦っていたら死んでいたのは自分の方だとも気づかずに……」
カスパロフを経由してライザーに接触したのはおよそ一ヶ月ほど前のこと。
強化外骨格の完成と、本人の復讐計画に手を貸す代わりに、こちらが指定する標的を抹殺するという取引を持ちかけた。
海斗に恨みを抱いていたライザーは二つ返事で承諾した。結果的に組織の情報を漏らそうとしていた裏切り者の口は封じたし、海斗のサイボーグとしての能力を十分に引き出せた。
ただし後者に関しては、ライザーは期待したほどの働きは見せてくれなかったが。
所詮、彼は捨て駒に過ぎない。代わりなどいくらでもいる。何故なら大いなる計画はまだ始まったばかりなのだから。
「次はもっと手強い相手を用意してあげますよ。楽しみにしてください……」
そう呟いた瞬間、一陣の突風が吹いたかと思うと、その人物の姿は煙のように消えていた。




