このゲス野郎!
人気の途絶えたオフィス街で、二人の全身サイボーグが激しい戦闘を繰り広げる音が響き渡る。
実力はアイリが上回っていたが、上月を守りながらの戦闘を強いられていては若干動きが鈍くなっていた。
その二人の戦いの行方を、遠く離れた場所から固唾を飲んで見守る者がいた。付近の建物に設置された防犯カメラをハッキングして、カスパロフは戦闘の決着がつくのを今か今かと待ちわびていた。
散々手こずったが、もはや捕まるのは時間の問題だろう。万が一アイリが勝利したとしても、周辺には大勢のセンチネル隊員が待機している。まさに袋の鼠。
一時はどうなるかと思ったが、ようやく最後の懸案事項が解決しそうで安心した。
法水は死亡、上月が持っているフラッシュメモリも間もなく回収出来る。もし失敗すれば自分の命が危うくなるところだったので、これで首の皮一枚で繋がった形だ。
アイリと上月はこの場では殺さない。生け捕りにした後で、事故か病気に見せかけて殺すのが得策だろう。
そう思って安堵しかけた時、ふいに発信者不明の着信が入った。
怪訝に思いながら通話に応じると、心臓が鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
『私が死んだと思って安心しているのではないかね?』
「…………!」
殺したはずの男の声が、耳の奥から聞こえてきた。これは幻聴なのか?
『なあに、そんなに驚くことはない。一人の人間の死を偽装するのはそう難しいことじゃないことは貴様も良く知っているはずだ』
「……偽装だと?」
どういう方法を行使すればこちらに気づかれずに墜落するスピナーから脱出することが出来たのか。そしてどうやって自分を殺そうとしている相手のことを知り得たのか。
あれからドローンで墜落現場を念入りに調べたし、センチネルにも確認をとって、法水は間違いなく死んだと結論付けた。あれが全て偽装だったというのか。
確実に言えることは、こうして会話しているのは亡霊ではないということ。
もう既に法水の暗殺成功をクライアントに報告してしまった。もしこのことが知れたら自分はもう終わりだ。
愕然とするカスパロフを尻目に、法水は落ち着き払った口調で話を続ける。
『さて、私が生きていることが雇い主に知られたら貴様は非常にまずい立場に立たされる。仕事の出来ない役立たずを生かしておくほど、連中は甘くないからな。そこで一つ提案があるんだが』
「……何が望みだ?」
『簡単な話だ。このまま私は死んだことにすれば良い。もし今後、殺し屋を送り込んだり、少しでも私が命を狙われていると感じれば貴様の主に全てを公表する。どうだ、貴様にとっても悪くない話だと思うんだがね』
「…………」
どうやら完全に立場が逆転してしまったようだ。
それまでは自分が法水の生殺与奪を握っていたが、今やこちらの命は向こうの裁量次第になった。
少しでも相手の意に沿わない行動をとれば、消されるのは自分の方。
一体どこで失敗してしまったのか。かつては与えられた仕事を卒なくこなすエリートだったのに、たった一つのミスで全てが台無しになってしまった。
『このまま返答がない場合は承諾したと受け取るが構わないかね?』
「そちらが約束を守るという保証は?」
カスパロフは辛うじて言葉を絞り出した。
『ないな。ただ一つ断言出来るのは、もし取引に応じなければ今度は貴様が命を狙われる者の気持ちを味わう側に回るということだ』
カスパロフは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
この取引はこちらが断れないことを見越して、圧倒的に相手側に有利になっている。もし拒否すれば、それは死を意味する。
暗殺対象だった相手の提案など全く信用出来ないのが正直な感想だが、彼には選択肢は残されていなかった。
「……わかった、取引しよう」
『それで良い。それともう一つ、貴様が追いかけている二人の女性を今すぐ解放しろ』
「何のことだ?」
カスパロフは反射的にシラを切った。
あのフラッシュメモリは彼にとって生命線だ。奪い返さなければ、どのみち殺されてしまう。
『とぼけても無駄だ。そういう態度を取るならさっきの取引も考え直さざるを得ないが、それで良いのかな?』
「待て、よせ。わかったから落ち着け」
正直、腸が煮えくり返る思いだったが、通話の相手にはおくびにも出さずに、ただちにローザに連絡を入れた。
『ミスター・カスパロフ。どうしました?』
「追跡中の二人はどうなった?」
『ご安心ください。間もなく拘束するところです』
「今すぐ引き上げさせろ」
『は?』
ローザが素っ頓狂な声をあげる。
「命令は撤回する。その後の調査で彼女に対する疑惑が間違いだということがわかったんだ」
『待ってください。大勢の隊員を動員したんですよ。納得のいく説明をお願いします』
「そんなことは必要ない。お前はただ私の命令に従っていれば良い。さもなくばクビだ!」
『なっ――』
ローザはまだ何か言いたそうだったが、それを無視して通話を切った。そして法水との会話に戻る。
「これで満足か?」
『まあ不満ではない。今後も良い取引が出来ることを期待しているよ。ではまた』
我慢の限界に達したカスパロフは、通話が途切れた途端「クソッ!」と叫んで近くにあったデスクトップPCを叩き壊した。
港の上空には、漆黒に塗りつぶされた雲が覆い被さっていた。
メガトーキョー設立の際に、国際的な物流拠点を目指して再整備されたこの埠頭では、毎日数え切れない量の貨物を輸送している。
高さ百メートルにも及ぶガントリークレーンが、一隻のコンテナ船に次々と貨物を積み上げている様子を、ライザーは見るともなしに眺めていた。
ネクサス社の系列企業が保有するこのコンテナ船こそが、彼の逃走手段である。 快適な船旅は期待出来そうにないが、カスパロフの目を誤魔化す為には贅沢は言えない。
彼は今頃、血眼になって自分を探しているはずだ。船で逃げ出したことに気づく頃には自分はもう大海原の真っ只中に繰り出しているだろう。
あと数分もすればこの国ともお別れだ。
嫌な思い出の方が多いが、こうして都市の景観を眺めていると、不思議と名残惜しい気持ちに駆られる。
「ミスター・ライザー。そろそろ出港の時間だ」
『わかっている』
感傷に浸っていると、ネクサス社の代理人が歩み寄ってきて手短にそう告げた。
仲間からの報告によると、まだ女の死は確認出来ていない。せめて作戦の成否が確定するまで、一秒でも長く出港を遅らせたかったが、とうとう限界のようだ。
「いい加減その薄気味悪い鎧を脱いだらどうだ?」
周囲にそれらしい脅威は見当たらないにも拘らず、未だに騎士の甲冑を脱ごうとしないライザーを、代理人は奇異の眼差しで見つめていた。
しかしその言葉がライザーの癇に障った。
『言葉には気をつけた方が良い。私の芸術センスにケチをつけた者は皆死んだ』
代理人は肩をすくめて退散した。
クルーガーは逃亡に失敗したが自分は違う。何としてでも逃げ切ってみせる。
ただ一つ、この街に心残りがあるとすれば、海斗と直接決着をつけられなかったことだ。
当初の予定では、最強のサイボーグに勝利することで、自らが開発した強化外骨格の性能を世界に知らしめることになっていたが、その前にネクサス社から誘いの声がかかって、その必要もなくなった。
結果的に何とも中途半端な印象が拭えない終わり方になってしまった。
だが、いずれそう遠くない日に再び相対することになるだろう。
数年先か数ヶ月先か。
あるいはもっと早く――
そんな風に考えながら船着場のタラップを昇ろうとしたところで、ふと背後に何者かの気配を感じ取り、ライザーは立ち止まった。
『……意外と早かったな』
正直、何故それに気づいたのか自分でもわからなかった。
あるいは彼は心のどこかで期待していたのかもしれない。
海斗が罠を破ってルナを救出するのを。そして怒りに身を任せてこの場所を突き止め、自分の前に現れることを。
手を抜いたつもりは一切ない。ライザーが考案した計画は完璧だった。あらゆる数理アルゴリズムを駆使して、海斗があの給電装置の罠から逃れられることは不可能だと結論付けた。
海斗が罠を破ることなど、万に一つもあり得ないはずだった。
だが――それでも、認めたくはないが彼にはどんな人工知能を駆使しても計り知ることの出来ない、人知を超えた力を秘めていることも承知していた。
だから、すぐ後ろのコンテナの山で、何者かが殺気を剝き出しにしながらこちらを睨んでいる気配を察知した時、それが海斗だとすぐにわかった。
驚きはなかった。むしろ喜びさえ感じた。何故ならこれで心置きなく決着がつけられるのだから。
『……何で彼女まで巻き込んだんだ?』
『愚問だな。あれ以上に君を苦しめる有効な手段があったか? 実際、君は期待通りの反応を見せてくれた』
ライザーはさも当然のように言う。
『たったそれだけの為に何の罪もない人を殺そうとしたのか?』
『人間は皆、罪人だよ』
その直後、異変を察知した代理人が血相を変えて走り寄って来た。
「おいどういうことだ? グリッドランナーが来るなんて聞いてないぞ!」
『サプライズゲストというヤツさ。私が相手をするからその間に出港の準備をしろ』
「言っておくがもし間に合わなかったらアンタを置いていくぞ」
『それは無理だな。少しでも私を置いて出向しようとする素振りを見せたらコンテナの中に紛れ込ませた爆弾を爆破する。そのことを肝に銘じておいた方が良い』
「なっ!?」
代理人は絶句した。
コンテナの中にはライザーが持参した研究用の道具や機材なども含まれている。あの中に爆薬を仕込んだというのか。
正気の沙汰ではない。
「アンタ新しい雇い主にそんなことをしてどうなるかわかっているのか?」
『それは貴様の心配することではない。わかったら私に殺される前にさっさと消えた方が身の為だぞ』
ライザーが剣の柄に手をかけると、代理人は逃げるようにして立ち去っていった。
『さて、話に戻ろうか』
代理人を見届けた後、ライザーは海斗に向き直って言った。
『アンタはそうやって他人を利用するだけ利用して裏切ることしか出来ないのか?』
『フン、人生経験の浅い君に一つアドバイスしてあげよう』
まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように、嘲るような口調でライザーが続けた。
『人間の評価基準というのは自分にとってどれだけ利用価値があるかで決まる。ネクサス社のオファーを受けたのはその方が私にとって好都合だったからだ。君の友人を利用したのも同じこと。君に最大限の苦痛を与えるにはどうすれば良いか考えた時に彼女に目をつけた。要するに彼女は道具だったんだよ。といっても、中々使い勝手の良い道具だったがね』
『……れよ』
『ん?』
『……黙れって言ってんだよこのゲス野郎!』
激しい怒気を吐き出して立ち上がった海斗は、空気が破裂したような衝撃波を発生させてライザーに突進を仕掛けた。
加速装置を起動し、通常の何百倍もの速度まで加速した海斗を、ライザーは剣の柄を握り締め真っ向から迎え撃とうとする。




